5 お嬢様、身の上を語る
「……私は、紫野円華。それは、間違いがない。――ただ、私の中にはもうひとりの女がいるの。……あなた、言っていたでしょう? 前世の記憶を思い出した、と言えばわかるかしら?」
凌久は私の目の前で、なんとも言えない表情になった。
「……まさか、頭を打って、高熱を出して、前世の記憶を思い出したっていうの……!?」
「――その通り」
「いやいやいや、ラノベかよ!? なにそのテンプレ!? そんなこと言い出す十五歳、イタいよ!? 中二か!」
「中学校は卒業しているはずだけれど」
首を傾げて凌久を見れば、頭を抱えるようにして溜め息を吐いた。
「その『中二』じゃない……、いや、いいや、それは。聞くよ、聞くって言ったから、とりあえずは。――で? 前世、って? まさかどっかのお嬢様だった、とかいう?」
「お嬢様とは呼ばれていたわ。……名前はヴァイオレット・フローレンス・ピアモント」
「おぅ、やっぱり外国人設定か!」
「紫の瞳だからヴァイオレット、背中に薔薇の花に似た痣があったから、花の女神の名を取ってフローレンスと名付けられた」
「薔薇の花の痣……。姉ちゃんのうなじにあるのと一緒?」
「たぶん、よく似てるわ……。もう少し大きくて鮮やかだったけれど」
「――同じのが、急に出てきたのか……」
「父は宰相。ピアモント家は筆頭公爵家だった。私は公爵令嬢だった」
「こーしゃく……え、公爵? 侯爵? 貴族って、こと? 貴族ってまだいるの? えぇと、イギリス?」
「筆頭だから、公爵家よ。イギリスじゃないし、現代でもない」
「え、昔のってこと? じゃあ、フランス? スペイン? ドイツ?」
「どこでもない。――地球上の国じゃない」
「……あ、異世界設定かぁ……。そう来たか」
むむっと、凌久が眉を寄せた。
「……設定設定、って凌久、さっきから何を言ってるの?」
すると凌久は私の前にビシッと掌を向けるように出してキリッと言った。
「お構いなく! 俺が理解できるところに落とし込んでるだけだから!」
「……言ってる意味がわからない」
「続けて!」
「……えぇ」
私は前世の――もう、思い出したくもない、殿下とのあれこれがざっと過ぎり、少しだけ胸が苦しくなった。
「公爵家令嬢として生まれて、幼い頃から世継ぎの王子の婚約者――未来の王妃として育てられた」
「……あ、まさか途中で学園に入る?」
「よく、わかったわね。貴族の子女は王立学園を卒業する必要があるの。十五歳になると貴族なら全員入るわ。……そこで、彼女に出会った」
「……ヒロインだな! もしかして、庶民? それとも男爵令嬢?」
だんだん、凌久がわくわくした顔になってきた。――なんなの?
私は逆に不安になってきた。凌久の反応、おかしくはない?
「平民は入れないわ。男爵令嬢よ。エミリーと王子は出会って恋に落ちた。私は様々な策略を巡らして二人を引き離した」
「う、うわぁ……。姉ちゃんがまさかの悪役令嬢か。そ、それで公衆の面前で婚約破棄されて、ヒロインと王子がハッピーエンド?」
「エミリーは修道院に入ったから、私との婚約は継続された。十八歳で学園は卒業して、あとは結婚式を待つばかりになった」
「……あれ。悪役令嬢エンドか……!?」
「そんな時に、他国の王族の姫が留学してきたの」
「あ、そこで王子が恋に落ちて、今度こそ婚約破棄!?」
――凌久はどうやっても婚約破棄させたいらしい。
まあ、結局、流れとしては間違っていないけれど。
私の不幸を、なぜそんなわくわくした目で?
「……その姫はひとつだけ魔術が使えたの。魅了の魔術、という、相手を自分に魅了させ、言うことを聞かせることができる魔術。他国が国を乗っ取ろうとした策略よ。王子はそれを恋と勘違いして、簡単にそれに引っかかった。結婚式を目前にして、王宮主催の舞踏会で婚約破棄を言い渡されたわ」
「あ、いよいよ『ざまぁ』な展開に……。そ、それでヴァイオレットは!?」
「あることないこと、いろいろな罪状を作り上げられて、罪人として追われることになって、逃亡した。――どうしても逃げる必要があったの。他国から侵略されることになる国の民をひとりでも多く逃がす時間を稼ぐために」
「……ん? 悪役令嬢だから捕まって終わり、じゃないの? 『ざまぁ』は?」
「……ザマァ、って、なに?」
「お約束というかなんというか……。あれ? ヴァイオレットが悪役令嬢じゃないの? だって、ヒロインをいじめて、修道院に入れちゃったんでしょう?」
「私の親友を、あんな馬鹿な王子の妻にして、意地悪な王族の中に放り込むわけにはいかないじゃない。それなら平穏な修道院で一生過ごす方がずっとましだわ。いつでもしようと思えば還俗できるから、いずれいい人がいれば結婚もできるし。賢い彼女は言わないでもそれをわかっていたし、自ら私の策略に乗ったのよ」
「ヒロインと悪役令嬢が友達!? そうか、ざまぁされるのはその他国の姫か!?」
「……だから、ザマァ、ってなんなの。――逃亡した私は国の最果てで、王子と騎士団に、高い崖に追い詰められた」
「え、実は悪役じゃなかったヴァイオレットの方が!? 崖って、今度はサスペンスドラマかよ!? だ、誰か助けは? 身分を隠した他国の王子様とかは!? ヴァイオレットを殺すために差し向けられた優秀な美貌の暗殺者が実はヴァイオレットを気に入って、とかいう展開は!?」
「……他国の王子が身分を偽って自ら潜入するわけないじゃないの。それに、どんな意味が? ……崖に追い詰められるより前、逃亡中に暗殺者は来たけど、返り討ちにしてやったわ」
「え、自分で!? すげぇな、お嬢様」
「……でも、大量に投入された騎士団からは逃げきれなかった。囲まれて、崖に追い詰められて、ぐるりと矢を向けられて」
「……ま、まさか」
「崖から飛び降りて――気づいたら今、ここ」
「バッドエンドかー!」
はーっと、凌久が大きく息を吐いた。
「……というのが、ダイジェスト版。――それでは、物心ついた二歳の時の記憶から」
「え!? また、最初から!? い、いいよ、わかったよ、だいたいのところは……!」
慌てて止める凌久に、私は不満になって少し口を尖らせた。
「全部聞くって、言ったじゃない」
「何時間かかるんだよ!? そんなの小説にでも書けよ!」
「小説……」
私の前で凌久がもう一度はぁっと溜め息を吐くと、くたり、と卓袱台に頭を乗せて、突っ伏すようにした。
「凌久?」
「うん、待って。今、頭整理してる」
「……信じない?」
「……正直、よくわかんない。それが、姉ちゃんの妄想なのか、なんなのか。でも、とにかく姉ちゃんはそれを本当だと信じているんだな?」
「……えぇ」
「円華姉ちゃんの、意識はあるのか?」
「わからない。目覚めた時はヴァイオレットだったの。でも、円華の記憶もあるし、この世界の常識はなんとなくわかる。円華の記憶は少し、ぼんやりしてしまってるけれど。――性格は、どうかしら?」
「違う、気はする。はっきりどこが、って言われると、うまく言えないけど」
「……そう」
凌久が顔を上げて、私を見た。
話す前の不安そうな色は、もうそこにはなかった。
凌久の頭の中で、ものすごくいろいろなものが回り出している感じがした。
「とりあえず、姉ちゃん本人ではあるんだな? 双子とか、ではなく」
「そうね。私の中に円華の記憶はある」
「ユーレイに取り憑かれた、ってのは、まあ、近いか」
「……どうかしら。ヴァイオレットはたぶん死んでるから、そうとも言えるかも」
「姉ちゃんが、戻ってくるって可能性は?」
「……わからない」
「……消えちゃったの?」
「……わからない」
ただ、実感としては、混ざってしまった、というのが正解な気がする。
円華の意識は薄いけれど、かと言ってヴァイオレット本人ならしない、うっかりした行動もしている気がする。王子の婚約者の公爵令嬢というものは、少しのミスも許されなかった。いつもギリギリの綱渡りをしているようなものだった。足下をすくわれないように、警戒して。……そういう極度の緊張感は、今はない。
「うーん。……とりあえずさ、父さんと母さんには言わない方がいいよ。今まで通り、記憶がはっきりしないところがある、っていうことにして。実際、そうなんだろ? 余計な記憶が増えただけで」
「そうね」
両親に心配をかけたくない、という気持ちは不思議とあった。
ヴァイオレットの両親の方が、親としての記憶は濃いのだけれど、こちらの父さんと母さんにも、親愛の情はある。二人を思うと、不思議と胸のあたりが温かいし、心配させたくない気持ちが強かった。
「その口調にしても、高校生活の練習だって言えば、父さん母さんはごまかせると思う。俺がそばにいる時はなるべくフォローするし」
「凌久……。いいの? その……、私が円華の意識を乗っ取ってしまったのだとしても……?」
「それがさぁ、俺にもわかんないんだよね。あんたが、姉ちゃんなのか、姉ちゃんじゃないのか。でも、話してたらあんたの中のどっかに、姉ちゃんがいるんじゃないかって、気がしてきたんだ。――なんだったとしても、あんたは姉ちゃんとして生活しないといけないだろ? じゃあ、俺はそれを助けるよ」
「凌久……どうして」
凌久は少し考え込むようにしたが、ふるふると頭を振った。
「……姉ちゃんが、俺をだまそうとしてるようには思えないんだよ。それで、考えてみたんだ。もし、自分が姉ちゃんの立場だったら、って。もし、いきなり異世界に転生して、全然違う環境に置かれたら、戸惑うし、不安だと思う。助けが欲しい、と思うだろ?」
「助けが、欲しい……」
ヴァイオレットだった時、本当に信用できる人はほんのひと握りだった。
――ただ、そのひと握りの人がいたから、私は矜持を持って、毅然と顔を上げていられたのだ。
今、すべてを知っていて、私を助けてくれる人は、ここには凌久しかいない。
「……助けて、くれるの?」
凌久は少し苦笑した。
「仕方ないよ。――あんたは俺の姉ちゃんだから」
私は、誰よりも心強い、協力者を得たのだった。