4 お嬢様、早速正体がバレる⁉
「な、何を言ってるの? 凌久……」
凌久は見たこともない――円華の記憶をいくら探っても見たことがない――冷たい目をして、私を睨んだ。
「……ヨーロッパの昔話、知ってる? 妖精に取り替えられた子の話」
私は何も言えず、黙っていた。
「ある日突然、いなくなった子どもが戻ってきたと思ったら、どんどん変な行動をし始める。妖精に、トロールの子どもと取り替えられたんだ――そういう話」
ヴァイオレットの国にも似たような言い伝えがあった。美しい少女は特に妖精に好かれやすく、連れ去られやすい、という。――そして、実際に何度となくそういうことが起こった。現代日本と違って、妖精が本当にいたからだ。美しい子どもが生まれた家は慌てて魔除けのナナカマドを庭に植えたものだ。そして子どもには妖精に目をつけられないよう、魔術師にナナカマドで作らせた、魔除けの紋章を刻んだ装飾品を身に付けさせた。私も両親が贈ってくれたブローチを持っていて肌身離さず身に付けていた。
――結局、一番怖いのは妖精じゃなくて人間だったから、その魔除けはあまり役には立たなかったけれど。
「姉ちゃん――姉ちゃんじゃ、ないのかもしれないけど……。池に落ちた日の朝も、お茶を淹れてくれた。その時はいつもの雑な渋いお茶だったよ。そしてその後すぐ池に落ちたから、お茶の淹れ方なんか、覚えるヒマなかったはずなんだ」
そりゃ、そうよね。円華の淹れ方はどう考えても雑だ。
おかしいと思うはずね。
「最初は気のせいだと思ったんだ。頭打ってるし、お医者さんも記憶障害が出ているから、おかしな行動をすることもあるって言ってたし……」
凌久は、少しだけ恐ろしいものを見るような目で私を見る。
「でも……、姉ちゃん気づいてなかったかもしれないけど、それだけじゃ説明できないことがいくつもあるんだよ。姉ちゃんが検査に疲れてうたた寝してる時で、俺しかいなかったから父さんと母さんは聞いてないけど。――姉ちゃん、寝言が英語だった。俺だって、英語全部聞き取れるわけじゃないけど、たぶん英語だと思う」
それは、気づいてなかった。
――厳密に言うと、私の母語は、円華の記憶にある一般的な英語とは少し違う。おそらく、古い言葉なのではないかと思う。よく似てはいるけれど、違うところもかなりあるのだ。聞き取れなくて当然だ。
「それから……、自分では見えないと思うけど、うなじの下の方に花みたいな痣がどんどんはっきり浮かんできてる。最初は池に落ちた時にできた痣だと思ったんだよ。お医者さんもそう言ってたし、父さんも母さんもそう思ってる。最初はうっすら赤いだけだったんだ。でも目が覚めてから薄くなるどころかどんどん濃くなって、今日ちらっと見えたら、薔薇の花みたいにはっきり見えた」
私は首の後ろの方をそっと押さえた。
看護師さんに、痣のことは指摘されていた。「少し濃くなってしまったわね、そのうち治ると思うけど」と言われたのだ。首の後ろだから自分でははっきり見えない。一度、看護師さんに、合わせ鏡をしてもらって映してみたが、その時はそれほどはっきりとは見えなかった。
――ただ、もしかして、とは思っていた。
ヴァイオレットの背中には美しく赤い、薔薇の形のはっきりした痣があったのだ。フローレンス、というセカンドネームはその痣もあってつけられた。花の女神の名から取った、と聞いている。
場所は少しずれているけれど、聞く限りではヴァイオレットだった時の痣に似ている。――私が円華の意識を乗っ取ってしまったからだろうか。
「話し方もそうだけど、動きもゆっくり、ていうか上品なお嬢様みたいで、姉ちゃんとは全然違うんだよ。何見てもびっくりした顔するし……」
冷たい、と思った凌久の目は、よくよく見ると不安そうに揺れていた。
言ってる本人が、自分の言葉を信じたくない、と思っている目だ。
――凌久はそこで、本当に途方に暮れたような困惑しきった目を私に向けた。年よりは大人っぽい、しっかりした子に思えていたけれど、そうして不安そうにしているとまるで、本当に小さな、迷子の男の子のように見えた。
「俺だって、いろいろ理由をつけてみようと思ったし、馬鹿らしいとも思ってるよ。でも、別人だと思わなきゃ説明できないことが多すぎる……。なあ、あんた、一体誰なんだよ?」
私は凌久を見つめた。
――誤魔化すべきじゃない。……かと言って、本当のことを言って信じてくれるだろうか? 恨まれないだろうか。
私はこの子の姉の意識を乗っ取ってしまった。
――この子の姉を奪ったことに、ならないだろうか。
「……私は紫野円華よ」
ただ、それも真実。
だって、円華の記憶は自分が体験したこととして、私の中にある。
ヴァイオレットの記憶の方が、ずっと鮮やかになってしまって少しぼんやりしてしまっているけれど、確かに私の中にあるのだ。
――円華の意識はどこへ行ってしまったのだろう。消えてしまったのかしら?
「……嘘、だ」
「嘘じゃない。ねぇ、凌久。自分が自分本人だって、どうやって証明するのかしら? あなたは、本当の凌久だって、どうやって証明するの?」
「そんなの……俺は俺だよ」
「そう……私も私」
「……屁理屈が聞きたいわけじゃないんだ、俺は。本当のことが聞きたいだけ」
「――じゃあ、私と凌久しか知らない思い出を話せば信じてくれる? あなたの秘密にしていることで、私しか知らないこと」
凌久はこくり、と頷いた。
私は目を閉じて、円華の記憶を辿る。
私と凌久しか知らないはずのこと。
目を開けて、凌久を見つめた。
「そうね、じゃあ、凌久が七歳の時。おねしょをしたことを黙っていてくれ、と泣きながら頼まれたから、内緒でお布団の処理をしてあげたわ」
「えぇ!?」
びくっと震えて、凌久が少し飛び上がったように見えた。
私は膝立ちになり卓袱台を回り込んで、凌久に近づく。
凌久が私から離れるように僅かに顔を引く。
近づきながら、私はさらに続ける。
「八歳の時、同じクラスのすみれちゃんにラブレターを書きたいって言って――」
「いや、え、それは……!?」
私は凌久のすぐ横に座り、頬に手を伸ばした。
私の指が触れると、凌久がびくりと、震えて目を逸らす。
「……私が代筆してあげたわね。十歳の時、同じアパートのしおりちゃんに、誕生日プレゼントをあげたいって言って――」
「……ま、まさかまだ根に持って!?」
凌久が少し涙目になる。
……ふふ、可愛い子。
私はその頬を両手で挟んだ。
「私がなけなしのへそくりを貸してあげたわ。かしてあげたの。――まだ返してもらってないけれど」
「や、あの、今度おこづかい入ったら、返しますッ!」
「まだまだあるわよ……。あのベッドの下に隠してある――」
「わーわーわー! わ、わかったってば! もういいよ!」
「――本当に? 全部、本当のことでしょう? 私が円華だってこと、信じた?」
凌久がぷくっと頬を膨らませ、顔を赤くして涙目で私を睨む。
――ああ、それでも疑っている目だわ、これは。
「……姉ちゃんが、話したかもしれないだろ。証明にはならないよ……!」
「困った子ね。――あなたの知っている円華は、あなたの秘密を他人に話すような人なの? こんなそっくりな人間が他にいると思って?」
「い、生き別れの双子が入れ替わった、とか……?」
私は思わず少し笑ってしまう。
「本当に、そんなことがあると思う?」
「ユ、ユーレイに取り憑かれた、とか!?」
「現実主義者の凌久らしくないわね。そもそも現代に、幽霊って存在しているの?」
「わ、わかんないよ、そんなの!」
「そうね。非現実と言うなら――」
言いかけて、私は一度口を閉じた。
「……ねぇ、凌久。私こそが、非現実的な存在なのよ。……話したら、信じてくれる?」
凌久がぐっと息を呑み、そして、ゆっくり頷いた。
「あなたは私を恨むことになるかもしれない。――それでも?」
凌久は一瞬怯えた目で私を見たが、次の瞬間、覚悟を決めたように強く頷いた。
私もこくり、と頷く。
「荒唐無稽な話よ。……特に、この世界では」
魔術師も妖精もいない、現代日本では。
私のような者は、物語の中にしか存在しないだろう。
しかし、私は凌久を信じて、すべて話してみることにした。
「全部、話すわ。……聞いて、くれる?」
凌久は真剣な目をして、もう一度、こくり、と頷いた。
番外編でこの時の凌久の心境を書きました。
https://ncode.syosetu.com/n3902hi/2/
よろしければそちらもどうぞ。