3 婚約破棄
ロゼリアが北の辺境地に籠もってしまった事で、孫娘を溺愛していた侯爵夫妻は怒り心頭だった。もちろん娘を蔑ろにされ、恥をかかされたイオヌーン公爵夫妻も。
そして一番腹を立てたのは当然婚約者であるグロリアスだったが、彼女が怒り狂ったのは自分が婚約破棄されそうになったからではない。大切な幼馴染みで親友のロゼリアを苦しめて、傷付け、追い詰めた事に対する怒りである。
オッティがロゼリアを好きになった事自体は仕方がないと思っていた。人を好きになるのは仕方がない事なのだから。しかし貴族の子として生まれてきた以上、その責任は果たすべきだ。家の事、国の事を考えて結ばれた婚約は履行されなければいけない。彼女は将来は国王陛下の側近となるであろうオッティの役に立とうと、それまで一生懸命に勉強や社交技術を学んでいた。それなのに彼はいとも簡単に破棄しようとしたのだ。
その考え無しなオッティの行動にグロリアスは絶句した。しかも、両思いならまだしも、ロゼリアは彼を毛嫌いして逃げ回っていたというのに。
男女間の事に全く関心がなかったとはいえ、自分の鈍さにグロリアスは婚約破棄問題以上にショックを受けた。あの天使のように姿も心も美しい、妹のように思っていた大切なロゼリアがそんなに苦しんでいたのに、自分は全く気付いてやれなかった。
グロリアスは何度も何度もロゼリアへ手紙を送った。ロゼリアは何も悪くはない。悪いのはロゼリアの気持ちに全く気付いてやれなかった自分だと。だから許して欲しいと。
二人の手紙のやり取りはロゼリアがセリアン=カスムーク男爵と結婚して都に出てくるまで続いた。しかし、二人がお互いに自分を責めて詫び合っていたのは最初のうちだけで、悪いのは、悪党なのはオッティだという当たり前の結論にとっくに達していた事を彼は知らなかった。
ロゼリアが都に姿を見せなくなって二年ほど経つと、さすがのオッティも初恋の熱からようやく冷めてきて現実を直視し、婚約者に目を向けるようになった。しかし時はすでに遅し。大事な娘を長年に渡り蔑ろにされ続けたイオヌーン公爵家が今更それを許す筈もなかった。
普通はなかなか女性の方からは破談できないが、同じ公爵家とはいえ、イオヌーン公爵家は筆頭公爵家である。
しかもグロリアスは国皇陛下夫妻のお気に入りだった。グロリアスはデリケートで繊細な皇后陛下を度々癒し魔法で治療し、しかもその明るく朗らかな性格で慰め、まるで実の母子のように仲睦まじかった。
隣国との政略結婚の話がなければ、皇太子妃にしたがっていたほどだった。
それ故に、自分達が目をかけているグロリアスを婚約者のオッティがずっと粗末に扱い、過去には他の令嬢に心を寄せて、一方的に婚約破棄をしようとしていた事を知った両陛下は怒り心頭だった。
十三年に及ぶ二人の婚約は陛下の鶴の一声で破談となった。
ところがこの後、グロリアス公爵令嬢は思いもかけない災難に合う事となった。なんと、オッティがロミ男化したのである。しかもそれが、破棄されて初めて元婚約者への愛に気付いたとか、執着心にかられたからという理由ではない。もちろん、それも嫌だが。
元々本人達の意志無視の政略的婚約だったし、お互いにまだ幼かったので、オッティが自分以外の人を好きになったからといって、グロリアスは怒ったり泣いたりした事は一切なかった。
そして婚約破棄に関しても、ロゼリアを苦しめ追い詰めた事に対する怒りはあったものの、オッティ自身に対する未練などカケラもなかったし、せいせいしていたくらいだ。
しかし、婚約破棄後の元婚約者がとった行動には非常に腹を立てていたという。
陛下の命による婚約破棄、これはカラヤント公爵家にとって不名誉以外の何物でもなかった。公爵は息子に酷く腹を立て、長男であるオッティを廃嫡し、二男を跡取りにすると言い放った。
しかし、公爵夫人が夫にしがみついて必死にオッティの許しを請うた。自分の産んだ息子ではない、憎い愛人の子である二男を絶対に跡取りにしたくなかったからだ。
公爵は有力支援者の娘である正妻を無下にするわけにもいかず、かといって簡単に許すわけにもいかなかったので、オッティに到底実現不可能であろう条件を出し、それが出来たら廃嫡は思い留まろうと言った。
それが、グロリアスとの復縁であったのだ。
人を馬鹿にするのもいい加減にして欲しい。カラヤント公爵夫妻も、その息子も。
自分達が加害者なくせに自己保身の為に、被害者の気持ちも考えずに復縁を求めるとは。
浮気をされた事も婚約破棄も平気だったが、自分の事を好きでもないくせに、ただ廃嫡されたくないがために復縁話をされた事には、流石にグロリアスは傷付いた。
そしてこのカラヤント公爵家の行いにイオヌーン公爵夫妻とグロリアス以上に怒りを表したのは、いつも静かで控えめで目立つ事など一切しなかった嫡男のアグネストだった。
婚約破棄があった数カ月後、オッティは学校の教室で幼馴染みで同級生のアグネストにこう言った。
「君の姉上には大変申し訳ない事をしたと思っている。しかし、自分もまだ幼く愚かだったのだから許して欲しい。これからはグロリアスに相応しい男になれるように努力するから、自分が相応しくなった暁にはどうかまた婚約をして欲しい」
と。それを聞いたアグネストはさすがに怒りよりも呆れた。そして色々あったがそれでもまだ持っていた大切な幼馴染みだという思いが、すうっと消えた。
「姉に相応しいとは、一体どんな男だい?」
アグネストが尋ねると、オッティが当然とばかりにこう答えた。
「もちろん、我が国で一番の男に決まっているじゃないか。グロリアスはこの国一素晴らしい女性なんだからね。勉強も武道も社交ダンスにおいても、全て一番で卒業してみせるよ」
オッティは入学して以来首席だったので、彼にとってそれは大した事ではないように思えた。
しかしアグネストは、大事な姉にオッティをこれ以上関わらせたくなかったので、それまで隠していた能力を惜しみなく発揮する事にした。
こうしてアグネスト=イオヌーンの成績首位、武道及びダンス大会優勝、魔術検定試験合格、ありとあらゆる連勝記録が更新し続けられていったのである。
そしてオッティが国一番の男になる前に、グロリアスは黒髪の地味な容姿の軍人の男と恋に落ち、周囲の反対を押し切り結婚してしまった。自分よりずっと格下の伯爵位の、英雄でも何でもない内勤の軍属と。
オッティのプライドはズタズタに引き裂かれた。元々くだらないろくでもないプライドだったが。
本来はこの時点でオッティは廃嫡される筈だったのだが、結果を先に述べるならば彼は廃嫡されず、その後まもなくして公爵家を継いだ。
これを運がいいというのはカラヤント公爵家にとっては微妙な話だが、オッティの弟が他国の女性と恋に落ちて駆け落ちしてしまい、彼以外に後を継げる人物がいなかったからである。
どうもカラヤント公爵家は恋に盲目的になる血筋らしい・・・・・