8・ 楽しみです。
『魔王様、ロキエル様。遅くなりまして申し訳ございません』
いえいえ、誰も呼んでもいなければ、待ってもいません。両手に酒瓶の入った籠をぶら下げて、やって来たのは言わずもがな……! 給仕長が苦悶の表情を浮かべています。
『私、まだまだ未熟。この香りからして、ワインが合いそうな事位は分かるのでございますが、何を「マリアージュ」すればよいのか、見当がつきません。いろいろと見繕ってきましたので、是非お試し下さいませ』
うわ~、給仕長ったら、この酒、全部を試す気でいますね。
おや? 開けたままの扉から顔を覗かせたのは、総料理長です。
『ロキエル様……おぉ! これは、これは魔王様まで!』
総料理長が仰々しく臣下の礼を取るのを、魔王様が押し止めます……って、マリは性懲りもなく総料理長のお腹に挑みかかって、弾き返され「つよい!」涙目になっています。
『総料理長、如何しました?』
私が問いかけると、一瞬、総料理長は困惑の表情を見せましたが、すぐに振り払い、
『食肉管理課の課長から、マリ様に極上の青首鴨を奪わ……ゴホゴホ、お持ちになられたと耳にして、いったい何をお作りになるのか気になりまして』
奪われた!? そこは全力で黙殺します。
『もうすぐ出来上がると思いますので、総料理長もご一緒に如何ですか?』
『それは、是非とも』
と、言いながら、総料理長は心ここに有らずの様子で、辺りを物珍しそうに見まわしています。総料理長が開発室に来るのは、こけら落とし以来ですから、什器備品を取り揃えた今とは、雰囲気が違います。そのままラビちゃんとウルちゃんの様子をうかがったかと思うと、ウルちゃんに寄り添うようにして横に立ち、手元を凝視します。
『ロキエル様。コレは何をしているのですか?』
『コンフィと言って、鴨を豚の脂で煮るお料理を作っています』
『豚の脂で? 煮る?』
『えぇ、高温で表面を素早く焼き上げて、肉の旨味を閉じ込めるのではなく、ごく低温で加熱する事によって旨味を逃がさず、筋線維を断ち肉質を柔らかくし、鴨肉に豚の脂によって、よりコクのある濃厚な風味に仕上げる調理法です』
『……!』
こちらでも、ごく一部のオリーブが大量栽培されている地方では、古い時代から保存食として作られているようですが、まだまだ食用油は高級品ですから、あまり一般的では無いようです。魔王城のレストランでは常に新鮮な食材が手に入りますし、食材を保存させる技法や、発酵食品に対しての関心が薄いのか、総料理長さえコンフィをご存じないようです。
そうです! 軍兵站部から携行食料の開発依頼書が来ていましたから丁度良いですね。半分おふざけのつもりで、依頼書を提出して来たのでしょうが、コンフィを試食させたら、きっと驚きますね。
お! マリが涙をこらえてまなじりを拭い、焜炉の前に行き、スンスンと小鼻を膨らませました。出来上がりでしょうか? すると、マリは平鍋を焜炉にかけ、調理用の赤ワインを注ぎ込み、人数分のコンフィを入れます。なるほど赤ワイン煮込みにするつもりですね。もう一方で焼き網に炭を加え始めました。コンフィの仕上げに直火で焙って、香ばしさを加えるのでしょう。二種類の味が楽しめるのでしょうか?
何だかワクワクして来ました。