26・ 気にはなりますが、そんな事より。
『ロキちゃん。この部屋に誰がいるの?』
ココ様が常になく真剣な口調です。
『えぇ、商品開発部のスタッフの娘が三人ですが? 何かお気にさわる事でもございますか?』
『ロキちゃん、気づかない?』
『何がでしょう?』
『そう、なら良いわ。入りましょう』
ココ様はそう言うと、再び私のお乳の谷間に深く潜り込んで、顔だけを覗かせます。お乳が大変な事になっています。ぼんよよよ~んです。
それはさておき。
私は今までに数多の戦場を駆け抜けてきました。
自惚れではなく、気配を、特に不穏な気配を察知する能力には長けていると自負しています。魔王城内だからといって油断する訳ではありませんが、この扉の向こうに何か異変があったとは到底思えません。
ココ様もウルちゃんと同じで、微細な未知の香りを嗅ぎ分けて警戒心をあらわにし『実は凄く美味しいお料理でした』というオチなのかなとも思いましたが、それにしては『誰が』という問いかけが、腑に落ちません。
考えても仕方ありませんので、開発室に入ると、
『あぁ、~ん』
変な吐息を上げたのは私ではありません! ココ様です。
しかし、それも無理からぬ事で、ほのかにパンの焼ける香りが部屋中に漂っているのです。
作業台の上には様々な切り出した具材が、所狭しと並べてあるのですが、ラビちゃんが嬉々として葉野菜を置いているのを見て確信しました。
「マリ。ひょっとして、サンドウィッチ作っているの?」
するとマリは焜炉の前で背を向けたまま、こちらを振り返ろうともせず答えます。
「そだよー! まかない!」
「まかない! だとー!?」
マリは確かにそう言いました! その言葉を正に一日千秋の想いで、どんなに待ちわびた事か。やっと、やっとマリの作った賄いが食べられるのですね。
その途端、マリがオーブンを開け放ったのですから堪りません。
焼き立てパンの香りが荒れ狂う奔流となって溢れ出て来たのです。
『ラビ、ウル、アツイ、チュウイ! サマス、バターヌル、スキナ、グ、ハサミヤガレ』
マリはそう言いながら、オーブンから天板を取り出し、その熱々の焼き立てパンを平然と素手で掴んで切り分けていきます。パンは全粒粉のローフブレッドですね。
『ねぇ、ねぇ、ロキちゃん「マカナイ」って何? この美味しそうな香りのするパンの事?』
ココ様がお乳の間で暴れまわって困ってしまいます。
『いいえ、違います。従業員にしか食べられない、特別なお料理という意味です』
『特別なお料理!?』
マリが次に手にしたのは日本式のコッペパンです。手早く切れ目を入れると、
『コレ、ソーセージ、ト、ヤサイ、ハサム、トマトソース、ト、マスタード、カケヤガレ!』
拙いです。
サンドウィッチはまだしも、ホットドックを魔王様がお食べになったら、また『出店を』と言い出すに決まっています……と、思いきや。
『ココ様。お久しぶりでございます。ようこそお越し下さいました。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません』
当然の展開なのですが、魔王様ご来室です。
『魔王ちゃん、おひさー。元気だったですかぁ~』
『えぇ、勿論。ココ様も相変わらずお美しい』
『へへへ~』
この世界屈指の実力者二人が随分と軽いご挨拶ですこと。
『ところで魔王ちゃん、あの小さくて、可愛らしい娘は……日本人?』
『えぇ、そうです』
普段通りの優しい口調で答える魔王様の瞳に、ほんの一瞬、仄暗い炎が灯ったのを、私は見逃しませんでした。




