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犬神(9)

「――そろそろいいだろう」


 白犬に合わせて掘られた穴が葉太の体にぴったり合う大きさになったのを見て、兼房は言った。

 男は葉太を受け取ると穴の中に押しこんで、すぐに土砂をかけはじめる。


 素早いその動きは手際の良さというよりもむしろ、後味の悪さをごまかすためだろう。不自然なまでに男の顔には表情がない。


「やめろっ、はなせ、はなせようっ!」

「葉太を埋めないで、やめて、やめて」

「呪術の邪魔だ、娘をつれていけ」


 叫び続ける双子の姿に眉をひそめて、兼房は華をつかんだ男に顎をしゃくった。


「はい……しかし、兼房殿……」


 あまりにいたいけな華の姿を前に、指示を受けた男は兼房にすがるような視線を送る。兼房はしばらく男と、ぐしゃぐしゃに濡れた顔で自分を見つめる華とを交互に眺めていたが、諦めたようにため息をついた。


「仕方がない。狐というものの本性をその目で見るのもまたよし、か。だが、口だけはふさいでおけ」


 何も言わずに、男の大きな手が、華の口に押し当てられた。

 もごもごとうなり声に変わった華を見て、兼房は魔方陣の中央にあるヒトガタを手に取った。


「余鬼、お前にもちゃんと魔方陣を作りなおしてやらないとな」


 恩着せがましい口調である。もう華には目もくれない。


「はな、はな、はな!」

「騙されてはならぬ、騙されてはならぬのだ……」


 嗚咽を混じらせながら目の前にいる、しかし限りなく離れた双子の片割れの名を叫ぶ葉太を横目に、兼房は呟く。真剣な表情は、自分自身に言い聞かせているようにも見えた。


『余鬼!』


 突然、白犬が吠えた。空気を震わすような鋭い声に時が固まった。風すらも圧倒されて消え失せてしまっている。


 白犬の射るような鋭い目は兼房の手――そこに握られた、ヒトガタにまっすぐに注がれている。白犬の言葉を解すことのできない余鬼でも、先程の咆哮が自分に向けられたものだということは分かるはずだ。


『貴様はそれでいいのか? 粛々と殺されていくのか? まだ幼い双子が、お前とお前の主人の巻き添えになって不幸になっていくのを、ただ眺めているだけなのか――臆病者め』


 白犬は吠え続ける。委縮したように、空気が小刻みに震えた。

 それから、白犬は葉太を見た。首だけを地面から生やした状態の葉太と、横たわる白犬の目線の高さは一緒だ。葉太には白犬の目の底、さらに奥まで見えるような気がした。


『坊ちゃん、悪いが頼まれてくれ』

「う……うん、何?」


 その目は驚くほど優しく、どこまでも柔らかい。葉太の死を目前にした奇妙な状態にもかかわらず、双子はそこに父親の姿を見た。双子をいつくしみ、いたわる、優しくて温かな存在だ。


『俺の言うことを、余鬼という坊主に伝えてくれ。一言ももらさずにだ』


 葉太がうなずくのを見て、白犬は小さく微笑んだ。『悪いな』となぜか加えて。


『余鬼』静かに口を開く。

「余鬼くん」葉太はすぐに繰り返した。


「何だこの狐は……どうしてその名前を知っている」


 自分の式神の名前を呼ばれて、兼房は戸惑ったように言う。葉太を見下ろす目元がぴくぴくとひきつっている。まだまだ言葉を扱う狐には慣れないのだろう、華の口をふさぐ男の手が細かく痙攣した。


「犬さんからの伝言だよ」

「――んだよ」


 余鬼の姿が現れた。不機嫌に歪めた口元は、小さく震えている。


『今すぐ、俺の首を切れ』


「え?」


 断固たる口調で言い放つ白犬の顔を葉太は振り返った。

『頼む』と、ヒトガタに目を注いだまま、白犬は言葉に力を込める。

「……犬さんが、自分の首を切ってほしいって……」


 絞り出すような葉太の声。


「狐め、何を言っておるのだ、犬の首を切れだと? 切られるのはお前の首の方だ」


 たまりかねて兼房が呟くが、動くものはいない。兼房と二人の男は、その場に凍りついていた。口元を押さえつける男の手の力も弱まり、華は薄くなっていた空気をその隙間から必死に吸いこんだ。

 ただ一匹で喋り続ける狐――それがたとえ愛らしい姿の子狐としても、不気味な光景であるには違いない。


 何を企んでいるのか、手を伸ばしたら何をされるか見当もつかず、そのために、成り行きを見守るしかできなくなっていた。あるいは、葉太の意味のつかめない発言を、まるで呪文であるかのように取っていたのかもしれない。


 意味ありげに吠える白犬と、風のうなりがその雰囲気を増長させ、余計に男たちの思考力を奪っていたのだろう。まさか全てがすべて関係しているとは思いもつかないに違いない。


『お前にならできるだろう?』

「君ならできるでしょって」


「何言ってんだよ、ばかなこと言うんじゃねえよ。どうしておれが……そもそも、おれにそんな力はねえよ」


『いいや、あるはずだ』

 白犬が吠える。『かまいたちだ。知らぬとは言わせんぞ』

「あるはずだって。かまいたちを知っているだろうって」


 思うところがあったのか、「かまいたち?」と兼房が言葉を拾った。

「風……か」


 吹き荒れる風に乱れつくした鬢の毛を撫でつける。


「かまいたちは、兄ちゃんの得意な技だ。おれんじゃねえ」


『いいからやってみろ! 自信をなくしている場合じゃない』

 葉太の通訳も持たず、続けざまに白犬はたたみかける。

『お前には意志がないのか、考えろ!』


 葉太は涙を浮かべて白犬を見つめた。すべて、白犬を殺すための伝言なのだ。もう嫌だ、と目で訴えるが、白犬は小さく首を振った。

 葉太はかすれた声を出す。


「……自信をなくさないでやってみて。君には意志があるのか……考えてって」

「だからって、お前の首を切って何になるんだよ」


 余鬼が叫ぶ。


 竜巻にも似たつむじ風が巻き起こる。余鬼の迷う心を映し出しているかのように、大きさと強さを様々に変えてうねりつづける。

 風に吹かれたわけでもないのに、りんりんりんりんと華と葉太の体に巻いた鈴がけたたましく響く。


「狐の口を――縛れ」


 兼房が低い声で呟くが、隣に立つ男が反応する様子はない。

 風の音に兼房の声がかき消されてしまったのかもしれないし、夢の現実の区別がつかなくなっていたのかもしれない。兼房は小さく舌打ちをして、足を進めた。


『――犬神を作り出すのに必要なのは、飢えじゃない、欲だ』

 鳴り響く鈴の音の中、白犬の吠え声が響く。

「犬神に必要なのは、飢えじゃなくて、欲」


 兼房が痩せた手のひらで、葉太の上下の顎を抑えつける。


「お前の欲は何だっていうんだよ!」

『双子を助けることだ。魂だけになっても』


 余鬼の言葉に白犬は即座に反応する。

 意味をすぐには受け取りかねて、双子は呆然とした表情を浮かべるが、その次の瞬間には目元に涙を浮かべた。揃って頭を左右に力一杯振り、葉太は自分の口をふさごうとする兼房の手から逃れながら叫ぶ。


「やだ!」


 口にできたのはそこまでだった。


「この狐めっ」


 不意をつかれた手は、すぐに倍増の力で戻ってくる。「むぐ……」と最後のうめきを残して、葉太の口は幾重にも縄で縛りつけられた。柔らかな毛に容赦なく食い込む縄のせいで、微かにも口を開くことはできない。


 その様子を見ている華のほうも、これまで以上の力で動きをふさがれた。暴れて、声を上げ続ける華を扱いかねたのだろう。男にとってはさほど力を込めていないつもりでも、華の小さな体には痛みが走る。絶え間なく流れる涙は、男の手を濡らし続けている。


『――頼む』


 白犬は悲痛に吠える。


 強い風が吹いた。

 叫びのように甲高いうなりをあげて。

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