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犬神(8)

「華にひどいことをするな! 早く手を放せえっ」


 逆さにぶら下がったまま、葉太が怒鳴る。必死に暴れるが、震えた手のわりにしっかりと尻尾を持っているらしく、男の手から逃げられそうもない。かえって尻尾に力がかかり、切れそうなほどに痛む。

 ようやく兼房の顔に笑みが浮かんだ。葉太がいかにも無力なのを確かめてからのこの表情なのだから、ずいぶんと用心深い――いや、臆病だ。


「ふん、また狐か。よくよく狐に縁があるようだな――姿を見るのでさえ遠慮したいというのに、言葉を喋るとは全く忌々しい」


 吐き捨てるように言って、それから華に目を向ける。


「お前の狐か? お前が儂にしむけた狐か?」

「何を言っているのよ、葉太をはなしてよ! 葉太はあたしの大切な大切な家族なんだから!」

「家族!」


 華の訴えに兼房は目を剥いた。

 双子の体に結びつけられた鈴が共鳴する。

 ぐるぐると、抑えつけられた白犬が声にならないうなり声を出す。

 風が乾いた砂を巻き上げる。


「狐と家族だと? 人語を操る狐と家族とは、全く信じがたい――いや、信じてはならぬことだ」

「信じる? ねえ、言っていることが分からないわ」

「はなせ、はなせっ」


 葉太は叫び続けている。尻尾の付け根に走る痛みは、すでにしびれに変わっている。


「……あ奴の式神、にしてははっきりとした実態を持つのが妙だな。やはり、妖気を持った畜生と見るべきか」

「あ奴?」


 一人納得したように呟く兼房を、華は見返した。自分を指しているのでないことは分かるが、一体、誰のことを言っているのだろうか。


 ふん、と余鬼が鼻で笑う。


「いつまでたっても恨み節かよ。起きちまったことは仕方ねえって考えにはならねえんだな」

「どういうことよ」


「あいつは狐使いの人間を憎んでいるんだ」

 と、投げ槍に余鬼は言う。

「兄ちゃんたちを全部あいつから奪った張本人ってわけだ。だまし討ちに近い形だったんだけど、負けには変わりねえ、それで見事に自信をなくしてこのありさまってわけだ」


『――自信をね、坊主も人のことを言えるかは分からんがな』


 ぽつりと白犬が言った。

 華がその意図を訊ね返す間もなく、兼房の舌打ちが響いた。白犬を自由にさせるために地面を掘り起こした跡と、頭を抑えつけられた白犬、そして農夫の手にした葉太を順に見て、言葉を吐き捨てる。


「忌々しい狐めが」

 葉太をにらみつけるその目には、強い憤りの色がはっきりと見える。

「――そこには、儂の大切な大切な式神もいたんだぞ」


「大切な大切な、かよ。犬の餌にしようとしていたくせによく言うぜ」


 兼房の言葉を聞いて余鬼が毒づいた。

 一迅、風が吹き抜けた。


「風が強いですね」と、まるで汚れたものをつかむように、葉太の尻尾を持つ男が言った。その間も葉太は暴れ続け、首元の鈴が激しく音を立てる。


 なるほど、確かに吹きはじめた風は、弱まるどころか次第次第にその強さを増している。舞い上がった土ぼこりで、もはや満足に目を開けることも難しい状況だ。


「風を止めて!」

 尻もちをついた姿勢のまま、華が叫んだ。

「ねえ、お話をしたいの、風を止めてよ」

「華、誰に……」


 言いかけて、葉太は兼房の傍らでふわふわと浮いている余鬼に目をやった。「あ」と小さく声をもらす。双子の視線を浴びて、余鬼は驚いたように体を硬直させた。


「なんでこっちを見んだよ、知らねえよ……おれじゃねえよ」

『風の式神、か』


 顔を押しつけられた白犬も、目玉をどうにか動かして、余鬼に目をやる。


『道理で坊主と一緒にいると風がうるさいと思ったよ』

「くそ犬が、また適当なこと言ってやがるな!」


 余鬼が叫ぶと同時に風が音をたてて吹き抜けていく。


「そんなすげえことができるのは、兄ちゃん達だけだ。おれじゃねえ」

「――風が、乱れているな」


 余鬼の声も白犬の言葉も聞くことのできない兼房が、天を見上げて呟いた。


「懐かしい感覚だ」


 微かに寂しげな表情を浮かべ、再び葉太を見た。

 歯を見せて威嚇する葉太の尻尾を農夫から奪い取ると、目の高さまで持ち上げた。薄い笑みを浮かべた兼房の顔が、葉太の視界いっぱいに広がった。兼房は品定めをするように、葉太を頭から尻尾まで順繰りに眺める。


「悪いが、こいつは儂がもらうぞ。呪術を台無しにした代償だ」

『貴様らたいがいにしろ』


 地面に押さえつける手を振り切って、白犬も吠える。

 その声は双子以外には単なる吠え声だ。空腹で、さらに自由を奪われた犬の怒りに満ちた吠え声だった。


「早く足を縛れ。何をするか分からんぞ、この犬は」

 うなり続ける白犬に目をやって、兼房は言い捨てた。それからふと、葉太に視線を戻す。


「ふむ」

 と呟いて、短いひげをしごく。

「犬神もいいが、狐を使うのも悪くないな。人語を解する狐なら、さぞ強力な力を持っているだろう。憎い狐めを、儂の意志のとおりに操るのもまた一興」


 双子の喉が鋭く鳴った。兼房の言葉の意味がじわじわと脳に浸みこんでいくと同時に、双子の顔から血の気が引く。冷えていく。

 それはつまり、葉太で犬神――この場合は狐だが――の儀式を行うということか。餓死寸前まで地面に埋めておいて首を切る、それを葉太に対して行うということなのか。


「お、おい、冗談だろ?」


 余鬼も動揺を隠しきれない口調である。兼房のすぐわきに浮いたまま、呟き続ける。固めた髪が微風にそよぎ、兼房は鬱陶しそうに撫でつけた。


「君の主人は、君の言うことは聞こえないの?」


 葉太の問いかけに、余鬼は不機嫌な顔でうなずく。


「声どころか、姿だって見えてねえよ。いや、そもそもおれの存在を認識できてんのかな」

「僕、式神を食べるつもりなんてないよ」


 余鬼を安心させるための葉太の呟きを自分あてと取ったようで、兼房は薄気味悪い笑顔とともに、猫なで声を出した。


「心配することはないぞ、しばらくたてば食欲もわくだろう。何しろ、この儂の力を持った有能な式神だからな」

『なるほど、姿が見えなければさほど情も移らないか。この男に使役される式神も哀れなものだな』


 四肢を縛られた犬が呟く。

 荒縄で乱暴に縛りあげられ、転がされているというひどい状態ではあるものの、白犬は冷静そのものの様子だ。


「呪術のやり直しだ」


 兼房は言って、白犬の元飼い主の男に向き直った。弱っているとはいえ、巨体の白犬を相手に格闘した直後のことで、男の息は上がっている。


「女童の掘り出しおった穴に狐を入れろ。首から上はちゃんと出るようにするんだぞ」

「ばかばか、やめてよっ! あたしのたった一人の家族なんだから。ねえお願い。何でもするから葉太を返して。あたしは葉太とずっと一緒にいるんだから」

「みなし子か。淋しさを狐めに利用されたか。哀れな子供だ」


 言って兼房は、涙を浮かべて懇願する華の頭に手の平をおいた。もう一方の手では、葉太を逆さにつったままで。


「利用? 利用ってどういうことよ」


 兼房の手の平は予想外に暖かかった。そのぬくもりに対する戸惑いを振り切るように、華は声を荒げて、着々と葉太を埋める準備を進めていく男の腕に抱きついた。

 思い切り体重をかける。


 華にしがみつかれた男は、余ったもう一方の手だけで作業を進めるが、明らかに効率は悪そうだ。表情が微かに曇っていることも、華には見て取れた。さすがに少女の涙ながらの訴えと必死の抵抗を邪険にする神経は持ち合わせていないのだろう。


「娘よ、覚えておくとよい、狐は信用してはならん生き物だ」


 兼房の指示に従い、もう一人の男が華を捕まえて抱き抱えた。身動きの取れなくなった華が手足をばたばたと動かして抵抗をするが、子供の力ではどうしようもない。


「相手を貶めるためならば、どんな卑劣なこともする。相手の弱みにつけこむことも、相手の持ち駒を奪うことも――利益をともにする陰陽師と手を組むこともな」

「僕はそんなことしないぞ! 僕は華とずっと一緒にいたんだ、兄弟なんだから!」

「黙れ!」


 兼房が一喝する。

 不思議と発せられる迫力に、葉太は口を閉じた。


「狐なぞの言うことが信用できるものか。どんなに同情を引くようなことを言ったとて、惑わされてはいけないのだ――」


『あの男』

 疲れきった声で白犬が、ぽつりと呟いた。

『狐使いの男とやらに余程こっぴどくやられたようだな。いくら坊ちゃんが狐の姿をしているとはいえ、あの悲痛な声を聞いておきながら、全く無視ができるとは、信じられん』


「どうすればいいの? どうすれば葉太を助けられるの?」


 息を切らせながら、華が叫ぶ。


「……狐は仲間にはなれぬのだ。忘れることだな」


 遠くを見るような表情で、兼房は呟いた。

 葉太の目からこぼれた涙が一滴、地面に落ちて染みを作る。


『どうするも何も――』

 あくまで淡々とした口振りで白犬が言う。

『話が通じない以上、戦うしかないさ』

「……戦う」


 白犬の言葉を小さくくり返して、華は葉太の尻尾を握ったままの兼房を見た。どんなに頼んでもまったく聞き入れてくれない以上、あとは力づくでどうにかするしか手がないことは、華も理解していた。だが、どうすればよいのか? すがりついても意に介せずに作業を進められてしまうほどに非力な自分は、どうすれば戦えるのか。


 周囲に目を配るが、華の指先ほどの小石が散らばるばかりである。どうしようもできないのが、本当に悔しく、ただ葉太を埋める準備が進められていくのを眺めているしかできないことが、残念でならなかった。


「余鬼くん……助けてよ」


「何でおれに言うんだよ、おれは何にもできねえよ。白犬に食われるか、そっちの狐に食われるか、どっちにしたって、受け入れるしかできねえんだ」


 華の囁くような言葉に、余鬼は苛立ちとあきらめがないまぜになった声で答える。

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