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犬神(7)

「え……?」


 顔を見合わせる双子に、白犬は廃屋の向こうを顎で指し示す。

 双子が揃って建物の陰から顔をのぞかせて集落の方に視線をやると、こちらへ向かってくる三つの影が視界の隅に入ってきた。


『もういいから、早く逃げろ。あいつらに関わってもロクなことにはならんぞ』


「――でも、この子は?」

 言いながら葉太は余鬼の元へ戻る。

「動けるようにしてあげなきゃ」


「何だよ、時間切れかよ」


 その様子から、会話の内容を察した余鬼が焦った口調で言う。


「このままおれは餌かよ。期待しちまったじゃねえか、くそっ」

「この子はどうなるの?」


 華の問いに、白犬は首を振る。


『向こう次第だがな。もしかしたら犬神を作れるまで同じことをやり続けるかもしれんな』

「だめだよそんなのっ」


 要するに余鬼を食べる犬が現れるまで、地面に縛り付けられたままということか。

 耐えられずに葉太が叫ぶが、白犬はそれをさえぎるように吠えた。


『いいから早く行け! お前らには関係のないことだ』


 優しかった白犬らしくない態度である。双子の体が一瞬、硬直した。あまりの迫力に、はたで見ていた余鬼の身体までも震えた。「なんのつもりだよ」動揺してしまった気恥かしさを隠すつもりか、余鬼が毒づく。


「だってあと少しだよ、南中まで」

「こんなかわいそうなことやめてって言うよ」


 金縛りも解けて、口々に言い張る双子に、白犬はため息をついた。


『そんなにうまくはいかないさ。ああ、もう手遅れだ』

 建物の陰から三人の男が姿を見せた。

『――逃げたければ助けてやるぞ』


 言って白犬は大きくあくびをした。


「何だこの子供は」


 中央に立つ男が、胡散臭そうに華を見下ろし、それから自由を取り戻した白犬を見て、ぎょっとして体を反らせた。やせ細ってはいるものの、白犬の体格の出す迫力は健在だ。両脇に立つ男も、戸惑ったように白犬を眺めている。


「……女童、お前が犬を穴から出したのか?」


 中央の男が華を一瞥して尋ねた。

 甲高い声である。精一杯、低い抑えた声を出そうと努力しているようだが、それがかえって滑稽に映る。


「そうよ、だってかわいそうじゃない。どうしてこんなことをするのよ」


 華の抗議を意にも介せず、男は舌打ちをし、細い髭をしごいてみせた。


「おい、犬を縛れ」


 中央の男が声をかけると、すでに腰の引けた左側の男は小刻みに首を振った。両脇の男は農夫だろうか、日に焼けた肌と、引き締まったたくましい体格をしているのに対し、中央に立つ男は、一回りほども小柄で、細い。まるで枯れ枝が喋っているようである。口元に薄いひげをたくわえた枯れ枝だ。その枝が、一番権力をもっているようなのが、奇妙で可笑しい。


兼房(かねふさ)様、そりゃあ無理です。俺の犬は主人が誰かってことをすっかり忘れてますよ。まして今は腹をすかせている――」

「馬鹿を言え、あの餓鬼はぴんぴんしているじゃないか、狐も、儂のヒトガタだって。そもそも儂はお前たちの主人から依頼されて、犬神を作っているのだぞ。非協力的なお前たちのせいで、万が一にも失敗したらどう責任を取るつもりか?」


 兼房という男はせせら笑うと同時に白犬にうなられて、「ひえっ」と声を上げて尻もちをついた。


「なあんだ、てめえも主人に捨てられたくちかよ」

『わずかな米と引き換えにな』


 余鬼には聞こえないのを承知で、白犬は自嘲気味に言った。


「ねえおじさんたち」


 男たちの足元まで近づいてきた葉太が口を開いた。

 四方から声が降ってくる。声を出していないのは、華ただ一人である。


 男たちは悲鳴に似たうめきを、白犬と余鬼は制止の声をそれぞれ上げた。葉太はみんなの反応の理由が分からずに首をかしげ、それからすぐに男たちに向き直った。尻尾を振り回しながら、非難を浴びせる。


「どうして、犬さんをここに埋めるの? どうして余鬼くんを食べさせようとするの? ひどいよ」

「狐が――喋った」


 右側の男がようやく声を絞り出した。すでに腰は引けており、もしも葉太に迫力のある吠え声が出せるのであれば、一目散に逃げていくことだろう。


「喋るに決まっているじゃないか、馬鹿にするなよ」


 凍りついたような空気の理由が理解できずに、葉太が言いつのる。

 双子には周りの反応が理解できない。騒動の意味を理解できない華は空を見上げて、「あっ」と声を上げた。すんすんと匂いを嗅いで確かめる。「ねえ、今が南中だよ」


『いいから早く逃げろ』


 苛立ったように白犬が吠える。


「早く縄を切ってあげなきゃ」


 忠告が聞こえないように、余鬼に近づこうとする華を押しのけて、白犬が魔方陣に鼻先を向けた。よろめく足で魔方陣に近づいて、『困ったものだ』とため息をつく。


『人間の世界では、狐は言葉を操らないんだ』


 白犬はヒトガタの周囲に描かれた魔方陣の一部を鼻先で消した。


「あっ、この犬め! 儂の折角の大作を!」


 湯気を立てそうな勢いで声を荒げる兼房に、白犬は苦い顔を浮かべる。


『言葉を使う狐はまず――化け物扱いだな』


「捕まえろ!」と兼房が怒鳴るのとほぼ同時に、左側に立つ男の手が延び、葉太の尻尾をつかんだ。声を上げる間もなく、葉太は男たちの視線の高さまで持ち上げられて、宙づりになる。


『薄汚い手を放せ!』


 吠えた白犬の頭を、もう一人の男が抑えつけた。白犬の飼い主だという男である。もう一方の男が人語を解する狐を捕らえたことに勢いをつけたのだろうか。

 牙をむき出し白犬は暴れるが、数日にも及ぶ絶食の影響か、抵抗する力も弱く、あっという間に地面に顔を抑えつけられてしまう。男はそのまま体重を乗せた。


「ぎゃん」と白犬が苦しそうに鳴く。

「兼房様……」


 葉太を手にした男が、困り果てた様子で兼房を見た。自分を掴む手が、細かく震えているのに葉太は気がついた。


「この狐は一体……」

 表情も青ざめている。まぎれもない恐怖の表情だ。

「葉太を返して!」


 叫びながら、華が男に体当たりをするが、大人と子供の体重差である。華の体重など男には何の影響も与えられず、逆に華が反動を一気に受けて、地面に転がった。


 手首の鈴がちりちりと鳴り、小さく風がうなった。


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