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生霊 (16)

 その日の夕暮れ前、華は美子の家にやってきた。


 扉を叩き、「こんにちは」と声をだすと、しばし、ためらっているような沈黙があり、それから扉が細く開いた。


「……ごめんなさい、狐ちゃんが」


 赤い目をした美子は華の姿を見ると、か細い声で頭を下げた。預かっていた葉太を逃がしてしまったことについて言っているのだろう。

 華は顔いっぱいに笑顔を作ってみせた。


「こっちこそ、葉太が驚かせちゃったみたいで、ごめんなさい」


 言ってぺこりと頭を下げた。葉太からすでに事情は聞いてある。


「葉太は無事にあたしのところに来たわ。大丈夫、どこも怪我していないし、元気よ」


 美子の顔が安堵で緩む。


「ただ、美子ちゃんを怖がらせちゃったって、どうしても会うことができないから、あたしだけが来たの。葉太を預かってくれてありがとう」

「怖がるなんて……」


 美子は声を落とした。その間も視線をさまよわせて外の様子をうかがっている。


「はじめに会った時、葉太を助けてくれたでしょ? 美子ちゃんはあたしたちにずっと優しくて、温かくて、あたしも葉太もすごく嬉しかったの。だから、美子ちゃんにどうしてもお礼をしたくて、これ、受け取ってね」


 華は地面に置いた二つの荷物を指さした。中に入っているのはもちろん、国司の屋敷から奪ってきた金だ。


「それで、図々しいかもしれないけど、もうひとつお願いがあるの――京に戻ってくれないかしら、今すぐに。遅くても明日の朝までには」

「あ……父も。昨日、陰陽師の人に」


 葉太から聞いていた。

 華が不在の三日間、毎日、兼房が美子の家を訪れていたそうだ。


 用件は、伊信に再び京に戻って腕を振るって欲しいという依頼である。

 住居も、安全も全て自分が保証するから信用して欲しいと。今の京に、伊信の作る刀は欠かせないのだと、いつになく力のこもった口調で熱弁していたとは、葉太の言だ。金も兼房のほうで用意すると約してさえいたという。


 顔見知りというのが幸いしたのかどうかは知らないが、結局、伊信は首を縦に振ったと聞いている。である以上、状況を知りもしない華がくどくどと説明をする必要はあるまい。


「京に行ったら、余鬼っていう式神がいるはずだから、訊ねてみてね。そうしたら、兼房おじちゃんが美子ちゃんたちを見つけてくれるよ」

「式神?」


 兼房おじちゃん、というのが、昨日まで来ていた陰陽師とは推測できたようだ。耳慣れない単語に、不思議そうな表情を浮かべる美子はそのままに、華は続ける。


「余鬼ってただ名前を呼ぶだけでいいの。向こうがすぐに分かるはずだから」

「あの、あなたたちは一体……?」


 袋には手を伸ばさずに、美子が問う。話している間も、美子の目はずっと葉太の姿を探している。美子に葉太を見つけることは出来ないはずだ。

 美子にはもう顔向けできないと、葉太は遠くから、美子の家を眺めているのだから。


「華。あたしと葉太は血を分けた双子なの。もしかすると化け物かもしれないね」

 素っ気ない華の返答を受けて、美子は目を丸くした。


 華は美子に背を向けた。正体を告げてしまった以上、長居をする理由はない。金も渡したし、言伝も伝えて、用事は終わった。


「あ、そうだ、美子ちゃん」

 顔だけを向けて、華は言った。


「鬼を彫るのはやめた方がいいよ。美子ちゃんは腕が良すぎて、心が入りやすいんだって、悪い気持ちのまま彫ると、他人も、自分も傷つけることになっちゃうよ」


 美子の息を飲む声が聞こえた。


 再び足を進めた華の背に、

「また――来てね」

 そんな声が聞こえた。

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