生霊 (15)
「……結局、あれは美子どのの夢の出来事だったのだ」
尻についた土を払い払い、兼房は言う。
どうにもまぬけな様子に思わず鈴の音が笑うと、兼房は苦々しげに目を細めた。
藁人形の消えた森の中は、空気が一変し、心なしか、差し込む光の量も増しているようだ。
元気を取り戻した葉太は、兼房の話に真剣に聞き入っている。
「鬼の姿を彫りながら、いや、鬼を彫ることで、怨みを深めていく――おそらくそのまま、いつしか眠っているということが多かったのだろう、深まった思いはここまでやってきて、呪いをかける」
美子は知らず知らずのうちに、鬼へと通ずる道を作っていたのだという。
一度足を踏み入れてしまったら二度と引き返すことのできない恐ろしい道を。
藁人形が全て消えたことが、道が完全にふさがれた証左となる。
「正直なことを言うと、危ういところだった……美子どののみならず、この場にいた者、もちろん儂も含めて、みな鬼と化すところだった」
主人たちを危ない目に合わせたことに対し、鈴がちりちりと同時に抗議の音を上げるのを、兼房は押しとどめた。
小首をかしげて話に聞き入る葉太に目をやって、相好を崩す。
「それを防いだのがほれ、そこの狐だ」
「葉太が一生懸命唱えていた呪文って何だったの?」
よどみなく葉太の口にした文句が、状況を打破する決め手となったであろうことは、華にも理解できた。いや、兼房との協調か。
ただ、その呪文を葉太はどこで知ったのか。
「魔方陣に書いてあったよ」
葉太は言って、今もまだ兼房が中央に立つ五芒星を鼻先で示した。
「ほら、あの円の周りに文字が書いてあるでしょ?」
「そっか……葉太は読めるんだ」
白犬と会った時にも、葉太は余鬼にかけられた呪術を、その文字を読みとることで解いたのだと華は思いだした。
「うん、兼房おじちゃんの言葉をよく聞いたら、地面の文字を読んでいるって分かったから、美子ちゃんの感情が流れこんできたとき、助けようと思って必死にまねをしてみたんだ」
「よくぶっ倒れなかったな」
「……美子ちゃんを助けたいから」
はにかんだように葉太は言って、寂しそうにうつむいた。
「いやしかし、子狐の助けがなければ、ちと厳しかったからな。修行不足かのう?」
いたずらっぽい兼房の視線の先にいるのは余鬼だ。
普段は不機嫌そうな蓬髪の下の顔が、珍しく紅潮する。
「ねえ、どうして美子ちゃんの呪いを解いてくれたの? お金がもらえないと困るんじゃないの?」
華の問いに、兼房はにやりと笑って、背中に背負った袋を下ろした。
「金ならほら、ここに沢山あるぞ」
中を覗きこんだ双子は言葉をなくした。
袋いっぱいに銅銭やその他、金銀に光る仏像や食器が詰まっていたのである。量を見る限り、華が命がけで手に入れた分よりも多そうだ。
「――いつの間に」
葉太の毛の中で声をもらす鈴に目をやってから、兼房は胸を張り髭をしごく。
兼房は髭をしごく動作を、威厳を示す良い仕草と考えているのではないか。
「だから儂が早く逃げろと合図したではないか」
華が手にしたのは、国司の財産の四分の一。兼房もそれと同じかあるいはそれ以上の金品を奪う――いや、かすめ取ってきたのだから、合わせると先程の騒動で国司の家から半分以上の財産が消えたことになる。それにしても、どうやって。
華が尋ねると、兼房は愉快そうに目を細めた。
「人間というのは面白いもので、悪いことは二つ同時に起こるはずはない、と思いこんでしまいがちだ」
「華さまを利用したの?」
「はじめから、華さまをおとりに使うつもりだったのね!」
「利用、とは言葉が悪い。協力だな」
激昂する鈴の音をよそに、兼房は涼しい顔である。
「向こうで騒ぎが起こっている間に、儂は裏口から中に入って、金目の物を拝借する。あのような気取った場所には、正面から堂々と入るのではなく、裏口から入るほうが得策、いや、常識だろう?」
「――拝借、盗んできたってこと?」
「ああ……いや、誤解を招くな、その言葉は」
兼房はわざとらしい咳払いを二、三度した。
「ただ貰ってくるばかりじゃない。代わりに素晴らしい儂の薬を全ておいてきたぞ。全財産をはたいたとて、あれだけの品は手に入るまい。儂としても、身軽になるし、双方ともに満足だ」
最後に本音が出た。
とはいえ、商売道具であるインチキ品の全てを手放してしまって、兼房にはもう商売をするつもりはないのだろうか。あれだけの金を手に入れてた今、人々をだまして小金を手にするのはばかばかしくなっているのかもしれないが。
ただし、よく聞けば、人魚の肉だけは手元に残しているらしい。その理由が、実際に効果のある値打ち物だからか、悪事を働かせる恐れがあるからかは双子には分からない。
「お前たちは、その金を全て、美子殿に渡すつもりなのだろう」
双子はうなずいた。全て、不遇な状況におかれている美子を救う手立てになれば、と考えた末での行動だ。
「それだけの金は、一般庶民は生涯でただの一度も見ることはできんだろうな」
兼房の呟きに、双子の目が輝く。
「じゃあ、美子ちゃんは辛い思いをしなくてもよくなるんだね」
今にも跳びはねそうな葉太と対照的に、小さくため息をついて、兼房は小さな袋に盗んできた金を移しはじめた。
「これくらい、いいやこんなにはいらないか。いや、でも……」
うじうじと口にしながら、きっかりと二つの袋に分け、一方を華に渡した。
「これはお前たちが持っているといい。京に行くまでに金が必要になるはずだからな」
「え? でも……」
「それから、美子殿に伝えてくれ。京についたら、儂の有能な式神、余鬼の名を呼べと。余鬼は風の動きを察知する。わずかな空気の震えも、言うなれば風だ」
意味もわからずに戸惑う双子を見て、余鬼は心底楽しそうに笑った。
「おれたちはこれから京に行くんだ。伊信と娘の美子って奴の住まいを見つけにな。京を追い出されたっつうことで、敵も多いだろうから、大変なんだぜ」
「あれ、でもそれは兼房おじちゃんも同じなんじゃ……危なくない?」
兼房は伊信に、自らの境遇を重ね合わせていたのではなかったか。
記憶をたどりながら、葉太が問うと、兼房は言った。
「儂には有能な式神がついておるから、心配あるまい」
えへん、と余鬼が胸を張る。
「末世のこの時代、伊信殿の打つ刀が必ずや必要になるだろう。下らん権力争いの結果、逼塞し、朽ちてゆくなぞ、愚の極みというものだ」
「何だかねずみのあいの子じゃないみたい」
鈴が呟いた。双子も同感である。
「主人は伊信の刀をすげえ認めてたからな。自分の境遇にも、鬱々とした気持ちをずっと持っていたみてえだし。義憤、なんていう格好良いもんじゃねえだろうけど、主人の目が覚めたのだけは事実だよな」
「余鬼、あまり要らぬことを喋るでない」
余鬼の補足説明を兼房が止める。
不満げに唇を尖らせながらも、余鬼は話を切った。
「さて、そろそろ行くか。お前たちとも別離のときだな」
兼房は腰をゆっくりと回しながら立ち上がった。
「行くって? 別離って? お別れってこと?」
双子と鈴たちは声を上げた。全くの寝耳に水の発言だ。
「のんびりしている暇はねえんだ。子供と子狐の足じゃあ、間に合わねえしよ」
言葉を失って、双子は兼房と余鬼を交互に見る。よく分からないうちに一緒に行動をするようになり、よく分からないうちに今度はお別れだという。
理不尽な出来事にさえ思えてしまう。
「どうしてよ!」
鈴が金切り声をあげた。意外なことに、泣きそうである。
「華さまに使役してもらいたいんじゃないの?」
「……まあ、そうなんだけどよ」
余鬼が困惑気味に言葉を濁して、兼房を見やる。兼房は微かに眉を動かしただけだ。
「京では主人を狙う奴もたくさんいるだろうから、おれがついていって守ってやらなきゃならねえ――それに」
と、余鬼は双子の体から顔をのぞかせる鈴の式神を交互に見た。
「お前たちがいればどうにかなりそうかなって思ってよ」
「どれだけうまく扱えるかが肝だな」
神妙な顔の兼房が余鬼の言葉を継ぐ。
双子は反射的に、華の背に差した二つの刀に目を向けた。いずれも、名匠伊信の銘が入った正真正銘の名刀だ。
確かに危険すぎるきらいはあるものの、抜き身の剣の乱舞など、身を守る分には事欠かない。
「僕ももっと術を勉強するよ」
葉太が尻尾を振り回しながら言う。
「呪術を使って、言葉をしゃべる狐って、それだけで怖いでしょ」
華は驚いて葉太を見た。
葉太はこの世界で自分が異質であることに引け目を感じていた。
嫌われずに、怖がられずに。
心優しい葉太はそればかりを考えていたはずだ。
「お強くなられましたね」
「いつもに増してご立派でございます」
感極まった鈴の言葉は大げさではあるものの、端も全くの同館だった。
葉太は変わった。
少なくとも変わろうとしている。
「その意気だ」
兼房はしゃがみこんで、葉太の頭をなで、立ち上がりかけに華の頭もなでた。
「達者でな。小さな術師たちと小さな式神たち」
今一度、双子と式神たちを眺めると、兼房は小さく笑って森の出口へと向かった。普段の饒舌な舌先はどこへやら、流れるような足取りで音もなく歩いていく。
双子と鈴の式神たちは、黙ってそれを見送るだけだ。
「京で会おうぜー」
風に乗って余鬼の声が聞こえてきた。
「ねえ」
余鬼の声の余韻が消え、そろそろ動きだそうか、という頃になって葉太が口を開いた。
「兼房おじちゃんって、余鬼くんのこと見えていなかったよね?」
うなずきかけた華は、葉太の言わんとすることに気づいて、口をぽかんと開けた。
「余鬼くんのほうを見ていたし、話もしていたよね?」
「私たちのこともですよ!」
鈴の声も続く。
確かに兼房は、式神たちと会話を交わしていた。以前は、全く話している内容を聞き取れなかったはずではなかったか。式神の姿が見え、話もできる双子には当たり前のことすぎて、兼房の変化に気づくことができなかったのである。
「……前までは見えていたって、余鬼くんは言っていたよね」
「うん、京にいた時は言葉も交わしていたって」
「式神との意思疎通のできない陰陽師など、何の役にも立ちませんからね」
鈴はなかなか辛辣な発言をするが、そのとおりだろうと双子も思う。一方的に命令をするだけでは、信頼関係など生まれるはずもなく、余鬼も愚痴っていたように使い主から離れたいと望む式神が現れてもおかしくない。
だから、余鬼は嬉しかったに違いない。
少し惜しい気もするけれど――と、華は兼房と余鬼の消えた先を見つめていた。




