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生霊 (5)

 無数の藁人形に取り囲まれながらの二人と二体の式神たちの会話は続く。


「おれなら余裕で打ち込めるけど、普通は空を飛べねえだろ? だから、少なくとも死人の世界に足を突っ込んでいるだろうって、主人は言ってんだよ」

「おじさんは呪いを解けるの?」


 華の問いに、「無理ですよ、無理」と鈴の音がささやいた。

 兼房は髭をしごきながら、しばし思案にくれる。できるに決まっている、と返してこないのが兼房らしくもなく冷静な対応だ。


「そうだな……このままではちと厳しいか。呪いは完成してしまっておるから、断ち切るためには相当の業物、悪しきものを両断するほどの力を持つ刀が必要だな。伊信作などはまさに理想だが、数年前に京を追われて以降、行方が知れないというからなあ」

「鉄ってのはそれ自体、聖的な力を持つんだ」


 こっそりと囁く余鬼の言葉に、「当然です」と、“金”への同族意識からか、鈴の式神が胸を張る。

 余鬼は微かに唇を尖らせ、続ける。


「だから、陰陽師の仕事には刀が入り用なんだけど、あいつはなんだかんだで売っちまったからなあ。こういうときにどうしようもねえってのに」


 本当に金には縁のない男らしい。余鬼のあまりに情けない表情を見て、華と鈴の式神は顔を見合わせて笑った。

 ただ一人、式神たちを見ることのできない兼房は、華に訝し気な視線を送る。


「どうして、伊信っていう人の刀だと呪いが解けるの?」

「伊信は非常な名人だ。名人の売った刀と、金に目のくらんだ者の売った刀とでは、鉄の持つ魔よけの力の純度は桁違いだ」


 鈴の音がころころと転がる。金のことばかり考えている兼房が、金に目がくらんだ者、と自分を棚に上げた発言をしたのが面白かったのだろう。

 ふん、と余鬼が鼻息を荒げた。


「呪いを解くのは人形を斬って?」

「……そういう場合もあるが」


 兼房は言って、目を細めた。


「見たところ、これは直接的な呪いではないな」


 首をかしげる華に、杉の木にはりついた人形のひとつに触ってみるように言う。鈴の音の制止を振り切って、華は手を伸ばした。

 藁の手触りはない。華の指先が感じるのはざらついた杉の樹皮だ。


「偽物……?」


 自分の感覚が信じられずにもう一度、華は指を藁人形へ強く押しつけた。皮膚に当たるのは樹皮の感触だが、目に映るのは藁人形にめり込む自分の指だ。


「なかなかの度胸だな」


 兼房が華に言う。

 押しつけた指先を見ると、樹皮の模様がくっきりと写っている。


「あれ、どうして?」

「この人形は、現世のものではないのだよ。お前たちには見えるようだが、普通の人間にこの藁人形を見ることはできない」


 道理で、と華は後ろを向いた。

 いくら離れているとはいえ、こんなものが木に打ちつけられているとあっては、大騒ぎになりそうなものである。


「思念だな」


 面白くもなさそうに杉を見上げていた余鬼が言った。

 華はそちらに目を向ける。


「要するに、呪いをかけている奴は、肉体を使ってこの人形を打っているわけじゃねえ。憎いと思う心だけが呪っている――言ってみれば、魂だけの状態で呪いにきているってことだ」

「よくないの?」

「馬鹿、まずいに決まってんじゃねえか。生きてる奴なら死ぬ予行練習、死んでる奴ならもう止められねえ、暴走して鬼におちるだけだ」

「……相手があの役人だといいがなあ」


 兼房が呟いた。


「そこいらの庶民じゃ、金にならん」


 本心からの言葉なのだろう、雰囲気が再びねずみのそれに戻った。



 丑の刻参りに関するひと通りの講釈を終えて、森の外に足を向けた華と鈴、兼房と余鬼の耳に飛びこんできたのは、悲しそうな葉太の鳴き声だった。


「なんなの!?」


 叫んで駆けだしたその視界の先には、すでに人だかりができていた。ざわざわと揺れる人の壁の中央から、葉太の声は聞こえてくるようだ。


「あいつ、変な野郎に捕まっているぜ!」


 大きく伸びあがって、中を覗き込んだ余鬼が怒鳴る。


「お願い、通してっ」


 小さな体を必死に人ごみに押し込んで、華は声をあげた。人々は眉をひそめて、華を見てそれからうごめくように体をよける。

 どんよりと濁った眼を向ける人々は、どうやら神社で働いていた人たちのようだ。


 どうにか最前列近くまでやってきた華は、五人ほどの男たちに囲まれ、逆さづりにされてきゅうきゅうと鳴き声を上げる葉太の姿を認めた。


「この狐、ずいぶんといい毛並みじゃねえか」


 葉太を持ち上げている男が呟いた。


「そうだ、せっかく国司様がいらしているんだ。この毛皮を献上するのはどうだろう」


 言って、男は後ろでその様子を眺める、ひょろ長い男を振り返った。国司と呼ばれたその男は軽薄な笑みを浮かべて、小さくうなずく。

 男の一人が、懐から小さな刀を取り出した。葉太は身をよじって逃げ出そうとするが、男は尻尾をしっかりと握って放さない。


「おいおい、今さばくのかよ」

「汚すなよ。何せ献上品だ。血の染みでも付こうもんなら、価値は半分以下だぞ」


 衆人環境にあるということが、男たちを過激な方向へと駆り立てたのかもしれない。皆が同調し、軽口をたたきはじめた。腕組みをした国司は、男たちを止めるでもなく煽るでもなく、口元を歪めたまま、ただ眺めている。


「葉太さまに何をするのです! やめなさい! やめなさい! やめて!」


 鈴の音が悲鳴を上げる。葉太の首につけた鈴が鳴り続ける。恐ろしい光景に、華の息が詰まる。目の前がぐらぐらと揺れているようだ。


「おっ?」

 小刀を握った男が、いぶかしげに小刀を持つ自分の手を見た。


「どうした?」

「いや……これが急に震えて」

「はは、そりゃお前の手が震えたんだろう。狐を一匹殺すだけなのに、びびってんのか。俺に貸せよ、代わりにやってやる」

「ばかやろう、こんな面白いこと、誰が譲るかよ」


 男は言って、小刀を握りなおした。それでもまだひっかかることがあるようで、幾度か握った手を緩めたり強めたりしていたが、納得したらしく葉太を再び見た。

 仲間の手前もあるのだろう、わざとらしく舌舐めずりをする。


「……やめ」


 叫びかけた華の前に兼房が立った。手の平を華の顔の前に出し、葉太と男たちの姿を視界から隠す。


「おまえた」声が裏返った。

 二度、咳払いをして顔を上げる。

 華の視界の隅に入ってくる兼房の膝が、細かく震えていた。


「お前たち、その手を」

「待って下さい!」


 甲高い兼房の声をさえぎって、高く澄んだ声が聞こえてきた。

 男たちの注意がそれた一瞬の隙に、葉太は男の手から抜けだし、人々の足の間にもぐりこむ。


「あっ、畜生」

「おい待て」


 男たちは慌てて葉太を追おうとするが、幾重にもなった人垣が邪魔をして、思うように動けない。葉太の姿はあっという間に消えた。

 危機を脱して、華がほっとするのもつかの間、怒鳴り声が鼓膜を刺激した。


「お前、何をでしゃばってるんだ。お陰で逃げられちまったじゃねえか」


 葉太を逃がしたことへの怒りをぶつけるその先は、一人の少女である。


「あれは、国司様への献上品だ。言ってみれば、お前はそれをかすめ取ったと同じだぞ」


 激しく恫喝する男たちの体は頑強で、取り囲まれた少女が今にも潰れてしまいそうに見える。


「何とか言えよ!」


 少女の正面に立つ男が右手を振りあげた。

 高い衝撃音とともに、少女は横に飛んで倒れる。少女の転がる方向だけ、人垣がさっと割れる。男の平手が少女の頬をたたきつけたのだ。もうもうと上がる土煙が、勢いの強さを表している。少女の汚れた着物が、路上の汚物でさらに汚れていく。


 痛みに耐えながらも、少女はまっすぐに顔を上げた。


「あっ……」

 男が小さく声をあげた。

「こいつ、美子じゃねえか?」


 その声に、男たちは少女の前に回って、顔の確認をした。

 美子という少女に違いない、というのが彼らの結論であった。それまで上機嫌だった男たちは、あからさまに舌打ちをする。


 後ろで男たちの傍若無人な振る舞いを黙って見ていた国司が、ずいと前に出た。


「あ」


 小さく声を上げて、すぐに華は口元を押さえた。


「華さま、華さま」

 と鈴がせわしなく、それでいて控えめに鳴る。

「見えた?」


 誰もが新しく主役に躍り出た男に気を取られているのを確認して、華は手首に結んだ鈴に向かってたずねた。


「あの男ですか? ええ、見えましたよ。ですが、関わりを持とうとしてはいけませんよ」

「そういう意味じゃないのに……」


 つれない鈴の式神の言葉に、華は唇を尖らせて国司を見た。


「――よい眺めだな」

 国司は楽しそうに言って、薄く笑う。


「顔だよね」

 我慢できずに華が呟いた。

「顔ですね」


 信用ならないという表情で鈴は華に答える。

 今、注目を集めるということは、すなわち、華が危険な目にあうと同義だ、と考えているのである。


「本当に、無茶はやめてください」


 泣きだしそうな鈴の音にうなずき返して、華は国司の痩せた肩に視線を注いだ。

 ――そこには、顔が浮かんでいた。


 青白い人の顔。

 明瞭には見えないが、女の顔であることだけは分かった。

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