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生霊 (4)

「ねえ華……嫌だよ」


 兼房の言葉が終わるより先に、葉太が身震いをした。見れば、葉太の金色の毛が逆立っている。

 足元にまとわりつく葉太の身体から、細かな震えが華へと伝わってくる。

 ほう、と兼房が目を細めた。


「その狐は今すぐここから離れたほうがいいな。慣れていないとちと厄介だぞ」

「おじさんはどこに行くの?」

「儂はこれからひと仕事だ」


 華の問いかけに勝ち誇ったように笑って、兼房はさらに奥へと向かう。


「何だ? 狐は負けてんのか?」


 兼房の後を追う余鬼は、双子を振り返って笑った。


「すんげえ面白いもんが見れんのによ」

「生意気な小鬼ですね」


 華の襟元から顔をのぞかせる鈴の式神が怒りをあらわにするが、葉太の毛皮にもぐりこむ式神は余鬼の言葉に全く反応しなかった。

 それどころではない様子で、ひたすらに葉太に声をかけ続けていたのである。


「葉太!」


 慌てて触った葉太の毛並みはじっとりと濡れていた。

 さらに覗きこんだ華は、葉太が涙を流していることに気づいた。体を小刻みに震わせて嗚咽をかみ殺している。


「ねえ、どうしたの葉太?」

「華……辛いよ、悲しいよ……」


 呟いて、あえいで、涙を流す。

 言葉になっていない。

 呆然と言葉をなくす華の一方で、鈴たちは、りんりんりんりんとひたすらに鳴りつづける。


「華あ! 狐をここから出しておけえ!」


 余鬼の声が風に乗って聞こえてくる。


「ここ、から?」


 森の中に入ったときから感じている寒気。

 それが葉太の変調の原因だろうか。


「ねずみも同じようなことを言っていましたね」


 華の襟元から顔だけを出した状態で、鈴の音が言う。

 強ばった表情ではあるものの、葉太さま葉太さまとひたすらに叫び続ける金色の鈴と違って、まだ余裕があるのかもしれない。


「変な感じ……する?」

「ええ、多少ですが」

「葉太、とりあえず外に出よう」


 言って、華は葉太を抱きあげた。

 葉太は体中の力が抜けてしまったかのように、ぐったりと四本の足を投げ出し、華にされるがままだ。


 兼房が言った通り、出口に近づくにつれ葉太の震えも、浅く速い呼吸も落ち着いてきた。


「あたし、中を見てくるね」


 森の外に葉太を横たえると、華はもと来た方へと踵を返した。


「どうするおつもりですか?」


 鈴の音が華に問う。

 誰よりも、何よりも、双子の身の安全を願う鈴の式神である。かけらでも危険があるなら近づかないに越したことはないと考えているに違いない。

 どうにかして説得しようとする鈴の音には返事をしないで、華は嫌な雰囲気の濃くなる方へと向かう。


 単なる好奇心からではない。


 何が葉太をあんな目にあわせたのか、葉太の不調の原因をこの目で確認したいというのももちろんあるが、あの空気をそのままにしておくのは、良い結果を生まないだろうと直感していた。

 兼房の姿はさほど奥まで行かないうちに見つけることができた。


「よう」


 と、いち早く華を見つけた余鬼が片手を上げる。

 ひときわ薄暗い場所である。天高く伸びた数本の杉が、太陽の光を独占し、昼でもその光量は夕方に等しいだろう。そびえる杉の木は圧巻と言えば圧巻だが――


 乱れた呼吸を急いで鎮めながら、華は両腕を抱き合わせた。

 その肌にはびっしりと粟が浮いている。


「何、これ……」


 あたりを見回しながら吐いた華の呟きに、兼房はわざとらしく咳払いをした。


「狐は置いてきたか。しかし、まさか狐のほうが邪気にあてられるとはなあ。普通、獣は気配は感じても共鳴はしないものだが――まあいい」


 華は無数の人形に取り囲まれていた。

 藁で頭と胴、そして手足を模しただけの、単純な人形である。人形の胸に当たる位置に打ち込まれた長い釘が、人形を木の幹に固定させていた。


 何を意図した人形なのか、それ自体に対する知識を華は持ち合わせていなかったが、それが誰かの幸せのためにやったものではないことは、直観的に分かった。

 ――むしろその逆だということも。


「華、お前これ何だか知っているか?」


 楽しそうに笑顔を浮かべてたずねる余鬼に、華は首を振った。


「――見事、というほかありませんね」


 鈴の呟きはどうも華にはピンとこない。

 見事では褒め言葉だ。


「何をしているの? これ」

「……丑の刻参りだな」


 華の問いかけに答えて、兼房は言う。ことさら落ち着きを見せるためか、口を横に結んで、髭をしごいた。


「余程、精神を鍛えている者でないと、ここに立っているのは辛いぞ。下手をすると、呪いの感情に呑みこまれてしまう」


 それから、えへんと咳払いをした。


「ねえ、丑の刻参りって?」


 華が問うと、首をかしげて申し訳なさそうな表情を浮かべる鈴の式神に代わって余鬼が答えた。


「要するに、呪いの儀式ってことだよ。夜中に憎い相手を思い浮かべながら、藁人形に釘をぶっさすんだ。正式な作法があるらしいけど、それはまあどうでもいい」

「自己流でいいの?」

「作法に則るのは、感情の切り替えの意味合いが強いからな。思いを昇華できりゃあ何でもいいんだ」

「昇華って、恨みを?」

「それ以外にねえだろ」


 華と式神たちの会話にも全く動じる様子なく、兼房は何ごとかを呟きながら、人形の打ちつけられた木を見つめている。


「何だか、ねずみっぽくないですね」


 確かに鈴の音の言う通りだ。

 真剣な表情を浮かべた兼房は、なるほど、確かにこの道の第一人者に見えた。

 余鬼は嬉しそうににやっと笑う。


「呪いってのは儲かるんだぜ。これだけの強い呪いなら、かなりついているな。まさか相手のところに行っていないとは思えねえし、呪われたほうは相当参っているだろうから、金も簡単に出すだろうぜ。厄介には厄介だけどよ、多分、主人は喜んでいるぜ」

「厄介……?」

「ああ、下手なことをすると、呪いが全部こっちに来ちまうんだ。呪いを解こうとした術師のほうにな」


 言って、余鬼は兼房をかえりみた。


「最悪、とり殺されるっつーこともあんだ」

「そんなにまでして、金が欲しいの?」


 華は唖然として呟く。命を危険にさらしてまで、金とは重要なものなのか――


「まあな、金がねえだけで、悲惨な思いをしている奴だっているぜ。金さえあれば幸せを取り戻せたりな」


 でもまあ、と余鬼はつづける。


「一応よ、おれの主人も腐ったって京で名を馳せていた奴の一人だぜ、そこいらの呪いにゃ負けねえよ」


 余鬼の口調は何故か誇らしげだった。

 華は兼房の近くまで歩いていく。


「……誰が、呪っているの?」

「ふむ」


 藁人形の敷きつめられた木から顔をはなして、兼房は華を見た。


「はてさて生きた者か死する者か。それにしても、相当の量だな。一朝一夕などでは決してないぞ」


 華は藁人形で飾られた木の幹を眺めた。根元から、枝の先まで余すところなく打ちつけられた藁人形は、物言わずとも強い威圧感を与えてくる。


「あれを見ろよ」


 兼房の言葉の意味を測りかねて首をひねった華に余鬼は、杉の上部に張り出した太い幹を指した。

 華はほぼ真上を見るような格好になる。そこにも例外なく藁人形が鎮座している。


「あれはどうやって打ちつけんだ?」

「どうって、玄翁とか……」

「……違いますね、小鬼の言いたいことは」


 華の無邪気な返答に、鈴の音がおさえた声を出す。


「華さまは、どのようにしてあそこまで行かれますか?」

「えっ、梯子を使って――あっ」


 途中で華も気づいて、言葉をなくした。

 余鬼の指したところは、華のはるか頭上である。


 藁人形ははるか頭上の枝にも例外なく打ち付けられている。

 危険をかえりみずに木に登る以外、空を飛べでもしない限り枝に手を触れることもできない。


 木に登るほどの恨みを抱えた生身の人間か、空を飛ぶことのできるヒトではないものか――

 いずれにしも常軌を逸している。

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