人魚 (6)
「もしかして――」
怯えたように人魚を見ながら、葉太が口を開いた。金色の毛が全て逆立った葉太は、いつもの倍の大きさに見える。
「お姉さんも、死なないの? お姉さんはいくつなの?」
人魚は目を細めた。
「鋭いねえ」と呟き、逆立った葉太の毛を優しくなでつける。
「あたしたち人魚には寿命なんてない。だいたい二十歳の誕生日を迎えた頃に、成長がぴたっと止まる。数十年後も、数百年後も、数千年後も、ずうっとこのままの姿で生きる――まあ、言ってみれば不老不死だね。ただし、人魚にはひとつだけ自由が与えられている」
「それは……」
「死ぬ自由さ。あたしたちは死にたくなるまで生きて、死にたくなったら死を選べる。いい能力だろう? あたしはさ、きみたちくらいのころは、絶対に死なない、と決めていた。千年くらいたつと、周りがみな死んでいくのを不思議に思っていた。だけど、だんだんと生きることに意味を見出せなくなるんだ。はじめは無限に広がっているように感じられた海も、今ではちっぽけな水溜まりさ。そう、あたしにはこの木桶と大差ないね」
言って眺めた木桶は、桶にしては確かに大きいものの、風呂にするには小さすぎる。人魚は下半身を人間で言うと丁度膝のあたりで曲げ、窮屈そうに座っている。
「……八百年、あたしは生きてきた。そろそろ生きるのも嫌になるさ。ただね、海にいたんじゃ、誰もあたしを殺してはくれない。みんな利口だよ、人魚の肉が毒だってことを、不老不死になることがどんなに恐ろしいことかをちゃあんと知っているのさ。だからあたしは人間に捕まることにした」
「捕まる?」
「聞いただろう? この村が貧しいわけを、網を壊して回っているという化け物の話を」
双子は神妙な表情でうなずいた。ごつく、不器用そうな手で、ため息交じりに破れた網を直す漁師の姿が思い浮かぶ。
「あれはあたしがやったことだ。網にかかった何十、何百という魚を全部逃がしてやった」
ひゅう、と余鬼が口笛を吹く。
「すげえな、そんだけ恨みを買ってりゃ、殺されるはずだぜ」
「でもそれは、お魚さんを助ける――」
「違うよ」
人魚はきっぱりと言う。それでも、口元が笑っているところをみると、葉太の解釈を好意的に受け取っているようだ。
「むしゃくしゃしていたから……要するに気晴らしだな。いや、違うか――嫉妬だ」
「誰にだよ」
「決まっているじゃないか」
余鬼の言葉に、人魚は薄く笑ってみせた。
「捕まった魚にだ」
「それって」
「死ねるから」「うらやましいから」
華の絞り出した声に交互に答えたのは、二体の鈴の式神だった。
「そんなっ……」
葉太の上げた半ば悲鳴に近い声を、人魚は口元に人差し指を当てて制した。表にいる見張りの存在を、双子に思い出させるように目配せをする。
心なしかひそめた声で、人魚は言葉を続けた。
そこに、笑いが含まれているように感じるのは気のせいだろうか。
「正解だよ。だってずるいじゃないか、あたしが死にたくて、でもどうしていいかわからないで悩んでいるのに、魚たちは何も考えないうちに死んでいける――気がついたら、網を破っていたんだよな。あたしの考えを知らない魚たちは感謝していたけどさ」
「すげえなお前、仲間が殺されるのが嫌なんじゃなくて、自分が殺されないのが嫌だってことかよ」
「……仲間にしては、付き合いが短すぎるな」
魚たちの生涯など、あたしにとっては一瞬の出来事だ、と付け加えて人魚はふう、と息を吐いた。
「で、今度は捕まってみたってことね?」
次に、葉太の首元から顔を出している鈴が尋ねる。
双子は唖然とするばかりで、言葉が出ない。
「まあ、一番手っ取り早いからね。今の今まで、その発想が出なかったのはやはり、どこかで死に対する恐怖――いや、生に対する執着、か――があったからだろうな」
「他の人魚はどうやって、死ぬの?」
「仲間に頼んで殺してもらったり、自分で喉を突いて死ぬこともあるな。でも、それじゃあつまらないじゃないか。あたしの一生が先細りになって、消えるだけだ。最後にもう一度、盛り返して終わりたい。あたしはどんな殺され方をして、どんな奴に食べられるのか、それを考えるだけでわくわくする」
楽しそうに口にする「死」という単語は、双子の口を重くさせた。
華は人魚の顔をのぞきこんだ。美しい顔には皮肉な笑みが浮かび、白い肌も赤い唇も、どこか実体を失っているように感じられる。
その中でとりわけ特徴的なのは、目だった。
深い色をした目には、その深さゆえに何も感じることができなかった。見ていると、吸い込まれてしまいそうな、吸い込まれたら最後、二度と這いあがることのできなそうな、底知れない深さがあった。
それはまるで、双子と父親とを隔てる深い深い溝の奥底に広がる死という名の闇のように。
「――坊やの好きな食べ物は何? にわとりかな?」
唐突に人魚がたずねた。
「ううん、にわとりが好きなのは、華だよ。僕はね、木いちごが好き」
「ふん?」
人魚はいぶかしげな表情をしたが、すぐに笑顔になった。
「木いちごだって、いっぱい食べると嫌になっちゃうだろう。もう少し食べたいってところでやめるのが一番幸せなんだ。あたしは少し、食べ過ぎたみたいだ」
「お姉さんは何が好きなの?」
「なんだろうなあ……前までは好きなものだらけだったけど、今は全部、嫌いになった」
ひどく平坦な声だった。




