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人魚 (4)

「あ、誰かいるよ」


 全く誰とも会わないことで少し落ちついたのか、久しぶりに葉太が口を開いた。


「ねずみじゃないですか」

 鈴の音が愉快そうに転がる。

「やっぱりここに来ていたのですね」


 鈴たちの言う通り、双子の耳に飛び込んできた馴染みの声は、兼房の超音波的な声だ。


「いやあ、お会いできて光栄です。私、鴨兼房(かものかねふさ)と申し、少々術を使う者でございます」


 表玄関と見える立派な門の前で、兼房はしきりにお辞儀を繰り返している。

 双子は思わず足を止めて、しばし流暢ともいえる口上を並べたてる兼房を眺めた。


 腰を九十度ほどに折り曲げて、深々と頭を下げる。立てつづけに発せられる言葉に、対応する者は圧倒されっぱなしのようで、聞こえてくるのは勢いと熱を上げ続ける甲高い世辞だけだ。

 休む間もなく喋り続けながらも、頭をぺこぺこと上下させるのだけは忘れない。


 見事なまでに板についた仕草だ。

 生まれながらにして覚えていたのではないかと思えるほどになめらかな態度からは、余鬼の話していた京での栄光をうかがい知ることなどできない。


「あ、この小指ですか? つい先日、犬神との戦いで負傷しまして――いや、そいつ自体はたいしたことはなく、ほんの三百歳ほどの化け物でしたがね。もちろんそこいらの凡庸な陰陽師であれば、生まれたばかりの犬神でも苦戦はするものですが、私にとっては、数百歳程度ならばさほど脅威ではございません。この傷にしても、うっかり戦いの場に紛れ込んだ、女童(めわらわ)と狐をかばって負ったものでして――」

「僕たちのことじゃないか」


 尽きることのないおしゃべりを聞いて、うんざりしたように葉太は言った。


「犬さんが三百歳だって。犬神になったのはその日じゃないか」

「嘘しか言わないんだね」


 華の同意に合わせて、風が吹いた。余鬼である。


「よう、お前らどこに行くんだ?」

「余鬼くんこそ」


 葉太の言葉に、余鬼は渋い顔をした。


「見りゃわかんだろ、主人の付き合いだよ。早速、この村で一番裕福な奴のところに乗りこみやがった。うまいことだませりゃいい稼ぎになるぜ」

「だませるの?」


 あんな適当な嘘で、という言葉はさすがにのみこんで、華はたずねた。


「意外とな」


 と、余鬼が返すのとほぼ同時に、兼房が家の中へ姿を消した。

「な」得意げに余鬼が言う。


「小指がねえってのも、はったりに使えんだ」

「食い千切られたときはあれだけ大騒ぎしておきながら……転んでもただでは起きないってことですね」


 呆れ果てた口振りで鈴がため息をついた。

 今もまだ兼房の声が響き渡る屋敷を背に、再び足を進めはじめた双子を、余鬼の声が追いかける。


「あんまりうろちょろしねえほうがいいぜ。屋敷の主人はどうも厄介な奴みたいだからよ」

「この村に化け物がいるんだって」

「いるじゃねえか、ここに」


 そう言って余鬼が葉太を指差すなり、鈴の式神たちは抗議の大合唱を始めた。

「冗談だよ」と弁明をして、余鬼はあたりを見回す。


「この屋敷にか?」

「向こうの方からにおうの」


「ふうん」と、余鬼は華の指差した先を見て鼻を鳴らした。

「おれには何もにおわねえけどな」


「鈍感な風の式神には分からないでしょうね」


 笑いを含んだ鈴の声に、余鬼はあからさまに顔をしかめた。


「でしゃばりめ。ちょっとは黙ってりゃいいのに」


その呟きを聞き逃すはずがなく、すかさず二体の式神は応酬する。


「それはこっちの台詞ですよ」

「……で、その化け物ってのはどんな奴だ?」


 余鬼は言って、双子の頭上に浮かんだ。


「主人のところに戻りなさいよ」

「ねずみが待っているんでしょ?」


 一刻も早く追い返そうとする鈴の音に、「嫌だね」と余鬼は舌を出す。


「おれの体が好奇心で人から人に渡るところなんて見たくもねえ」

「おじちゃんのそばにいなくて大丈夫なの?」

「あいつはめったなことじゃやられねえよ。刀は売っ払っちまって武器はねえけど、逃げ足は速いからさ」


 それよりも、と余鬼は華にぼやいた。


「危ねえことすんなよ。周りの奴らにはお前一人しか見えてねえんだから」

「僕は?」

「お前は狐だろうがよ。つーか、犬の奴に言われたのを忘れたのか、不用意に喋んじゃねえよ。そんなことだから、化け物って呼ばれるんだよ」


 しゅんとなる葉太。

 続いて鈴の音がした。


「私たちもいるわよ」

「鈴に何ができんだよ」


 余鬼に言われて、式神二体は顔を見合わせた。


「何ができるのかしら?」「知らないわ」


 困り果てた様子の鈴の音に、余鬼は勝ち誇って言う。


「ほら、役立たずじゃねえか。こいつらが変なことをすんなら、おれがついていかなきゃな」


 余鬼をにらみつけたまま、式神たちは黙り込んだ。反論する材料を探しているのだが、すぐには見つからず次には葉太に当たりだした。


「葉太さま、私たちはどんな力があるんですか?」

「えっ、知らないよ」

「力はないんですか、もしかして。何も? それじゃあ、ご主人さまをお守りできないじゃないですか。私たちの作られた意味がないじゃないですか」


 詰め寄られて、葉太は泣きそうな表情になる。


「少しは黙れよ、役立たず」


 楽しそうな余鬼の言葉を受けて、鳴りだす大音量の鈴の響き――感情的にがなり立てる声が幾重にも混ざり合って、もはや何を言っているのか聞き取れない。

 鈴の音と風の音の掛け合いはそのままに、双子は甘い匂いのあとを追う。


 漁業用の道具は何ひとつ置いていないのにもかかわらず、屋敷の周囲には潮の匂いがねっとりとまとわりついていた。


「ここみたい」


 華が足を止めたのは、母屋と細い渡り廊下でつながる小さな建物の前だ。

 小さな、とはいっても、威風堂々たる屋敷と比べての話である。忘れ去られたように古ぼけたこの建物でも、一般人の家には広いくらいだ。


 細い棒を手にした見張りの小男が入口に見えるが、昼過ぎの陽気に負けて、ゆっくりと船をこいでいる。

「だれてんな」余鬼が鼻で笑った。

 男の目を覚まさないよう遠巻きに、双子は裏手に回る。


 建物の壁のひとつは、村へと続く雑木林に面している。その壁の高い位置に明り取り窓があった。葉太どころか、華にとっても見上げるほどの高さにだ。

 中を覗こうと手を伸ばして何度か跳ねたところで届くわけもなく、途方にくれた華の身体が突然、持ち上がった。


「世話の焼ける奴」と、余鬼の声がした。


 下から吹き付ける強い風が、華の身体を浮かび上がらせていたのだ。

 葉太には、余鬼が下から華を持ち上げているように見えた。


「すごいっ!」歓声を上げる葉太に、「お前もあとでやってやるから、あんまり騒ぐんじゃねえよ」と釘を刺して、余鬼は華を窓枠まで上げた。

 華の懐にいる式神の片割れが、興奮冷めやらぬ口調で余鬼を少しは見直した、とあくまでも上からの立場を崩さない口調で言う。


「あーうるせーうるせー」


 毒づきながら、余鬼は続いて葉太を持ち上げてきた。

 きゃっきゃっと言葉を交わす式神はそのままに、双子は足をぶら下げた状態で中をのぞく。


 建屋の中には海の匂いが充満していた。

 潮の匂い、魚の匂い――そして、甘い匂い。


「この匂いだね」


 嬉しそうに鼻を鳴らして葉太がささやいた。華も同意する。

 双子には想像するすべもなかったが、それは女の匂い――失った母を思い出させる匂いだった。


「誰?」


 差し込んだ光の作りだす暗闇の中から、押し殺した女の声がした。


「こんなところまで潜りこんで、家の主人に見つかったらひどい目にあわされるぞ」


 水のはねる音が合間合間に聞こえる。


「あたしは華」


 言って双子は、軽い所作で建屋の中に飛びおりた。

 闇の中にいる人物が危険な存在でないことを、双子は肌で感じていた。主人の危険を察知すると鳴り出す鈴も、今は転がるような音を上げているだけだ。


「おや?」


 華を見て葉太を見て、再び華を見て女は呟いた。

 外から暗闇に入り込んだ双子はまだ目が追い付いていないが、もとから闇にいた女はすぐに小さな侵入者を認めたようだ。


 再びぱしゃ、と水が鳴る。


「お嬢ちゃん一人だけかい? 何やらにぎやかな声がしていたけど」

「私たちのことかしら」


 式神が小さく囁き合う。

 鈴の音に似た響きが、密やかに鳴った。


「そうだよ、きみたちのことだ」


 女の声はゆったりと答えた。


「――こいつ、おれたちの声が聞こえんのか」

「ああ、その声も聞いたな。そうだよ、ちゃあんと聞こえているとも」


 しだいしだいに目が慣れ、ぼやけた女の輪郭が形をなしていくのに伴って、双子の目は大きく見開かれる。


 そこにいたのは、白い肌をした美しい女だった。


 小ぶりだが形のよい乳房とくびれた腰をあらわに、華を見つめている。

 華でも抱えられそうな小さなの木桶に入った下半身は、二本の足ではなく鱗の生えた尾びれだ。


 ぱしゃ、と女が尾びれで水面を叩いた。

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