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犬神(10)

「こいつらのためにか……分かったよ、おれだってこいつらを巻き込みたくはねえ」


 余鬼がやけくそ気味に叫んだ。次第次第に風の勢いは上がっていく。


「風――風なのか? 余鬼、これはお前の仕業なのか? お前の兄弟たちと同じ力を持っているのか?」


 天を仰ぐ兼房の声――果たして、それを耳にするものはいたのかどうか。


「余鬼、余鬼――!」


 声を張り上げ、兼房は叫び続けるが、うなる風と乱れる悲鳴の中で溶けあい、次第に声は意味をもたない叫び声へと変わる。

 刺すような、なぎ倒すような暴力的な風の中、男たちも華も自分の体を支え切れずに地面に腰を落とした。


 自分の倍ほども背丈のある男にがんじがらめにされて身動きの取れない華は、それでも葉太のいるところをまっすぐに見た。切れそうな風に涙を流しながらも、双子の片割れの姿を、痛々しい姿を見つめ続ける。


「本当のことを言うとよ」

 風の間に余鬼の声がする。

「賭けなんだろ? 犬神になれるかどうかはよ」


 白犬が小さく吠えた。

 双子の耳にもそれはなぜか白犬の吠え声に聞こえた。

 だが、優しい声だった。

『よくわかったな』多分、そう言ったのだろう。


「賭けに負けても、化けて出るなよ。頼むから」


 白犬は苦笑した。


『化けられなけりゃ、意味がないじゃないか』


 白犬は下あごを地面につけたまま、首を伸ばす。その鋭い目は、開いた口から悲鳴を垂れ流し続ける兼房に注がれている。


『坊ちゃん、嬢ちゃん、目をつむっていろ』


 恥じいるように白犬は言った。


 ひときわ強い音が響いた。同時に聞こえる重い響き。

 吹き荒れたかまいたちが、白犬の首を寸断した。


 血の尾を引きながら、白犬の首は兼房めがけて飛んでいく。


「ひえっ」と声を上げるものの、避けることなどできず、牙を光らせた白犬の頭は兼房の手にぶち当たった。

 風はたちまちおさまっていく、と思いきや、再び強さを増していく。まるで、周囲を全て巻き込まんばかりの暴風である。


 風の音に混じって、兼房の叫び声が聞こえてくる。


「何なのこれ――」


 おさまるどころか、強く不規則になっていく風に、華は目を細めた――まるで、悲鳴だ。その他のどんな苦しみも、悲しみも全て飲みこみ、かき消してしまうほどの、激しい悲鳴。

 びゅうびゅうと吹き荒れる風は、小石をまきあげ、吹き散らす。


「顔を覆え!」


 いずこともなく聞こえた声にしたがって、華は自由な片手で目をふさぎ、口をきつく結んだ。風に乗った小石が、華の顔に当たる。頬や手の甲には鋭い痛みが走ったが、どうやら目は守れたようだ。出血したのだろう、違和感に唇の端を舌先でなめると、鉄の味がした。


 と同時に、華は急に自由になった。「ぎゃっ」という男の叫びが聞こえたところからして、顔をむき出しにしていた男に風で飛んできた何かが当たったのだと思われる。急いで立ち上がった華がちらりと後ろを見ると、男が顔をおさえてうずくまっていた。


「葉太!」


 叫んで華は足を踏み出した。顔を手で守りながら、つんのめりながら、半ば四つん這いの姿で――

 土中に埋められた葉太は、風に翻弄されていた。毛足の長い金色の毛並みは、上下左右へと乱れ、小石が容赦なく打ちつける。首元の鈴も、風にあおられて先程から鳴りっぱなしである。

 近づいて掘りおこそうとするが、強すぎる風のせいで、作業は遅々として進まない。

 涙目の葉太と目があった。華の目にもじわりと涙が浮かぶ。


『坊主、いいかげんにしろ!』


 先程の声が吠えたてる。

 渋い声色はまぎれもなく、白犬のものである。葉太の目が驚きで見開かれた。


『今はそんな場合じゃないってのが分からないのか』


 聞こえているのかいないのか、風の勢いは強まっていく。


「この風、あの子がやってるの?」


 葉太のまわりの土を指先で掻く作業を止めずに、華が尋ねる。今は葉太を掘り出すことで頭が一杯で、誰の声か気づいていないようだ。


『そうだ。あいつ、混乱し切って暴走をはじめたな』

 言って白犬は舌打ちをした。

『坊主の主人とやらは、自分の式神を操ることもできんのか。それとも衰えたか――このままだと坊主は自滅するぞ』


 話している間にも、風はどんどん強くなっていく。理不尽なまでに巻き起こる様々な風に、双子はあえいだ。風の音に混ざって、余鬼の叫びにも笑いにも似た声が聞こえる。

 男たちの恐慌に陥った悲鳴がとぎれとぎれに聞える。声の限りの叫びも、耳をつんざくような暴風の前では、ともし火のように掻き消えていく。


 白犬が怒鳴る。


『紙が落ちていないか。それが坊主の実体だ。紙をつかめば、あいつはおとなしくなるはずだ』

「紙――?」


 華は薄目を開けた。

 なるほど、腰を抜かした兼房からさほど遠くない位置に、小さな紙が転がっている。人型に切り取られた薄い和紙である。吹き荒れる暴風の中、その紙だけはなぜかそよとも動かない。


『坊ちゃんを助けたい気持ちは分かるが、今は坊主を止めるのが先決だ。このまま暴走して、巨大な竜巻にでもなったらことだぞ』


 そうなると、この場にいる全員は空高く舞い上げられ、いずれ地面にたたきつけられてしまう――想像しただけで、華の背筋を冷たいものが流れ落ちていく。


 華は小さくうなずいて、白犬の指し示した紙に近づいた。勢いよく風が吹きつけ、華は後ろに転がり、地面に頭をぶつけた。痛む後頭部に手を回すと、ぷくりと膨らんでいるのが分かった。


 吹き飛ばされちゃうよ――


 そんな泣き言をのみこんで再び近づき、紙に手を伸ばす。ひたすらに鳴り続ける鈴の音は、がんばれ、とも、吹き荒れる風に抗議しているともとれる。

 うなり声のような激しい音を立てて、顔に風が吹きつける。まるで頬が切り刻まれているようだ。痛みに顔をしかめながらも、華は歯を食いしばって手を伸ばした。


「殺すつもりなの、ばか!」


 怒りに任せて華は怒鳴った。開いた口にも容赦なく風が吹き込み、またたく間に舌が渇いていく。

 細く開いた目の間から目指すヒトガタを睨みつけ、華は手を差し伸べる。


 ふと、風が弱まった。かと思うと、これまで以上の強さで風が吹き始め、そしてまた弱まる。まるで、迷っているかのようだ。

 気まぐれな風に翻弄されながらも伸ばした華の指先が、ヒトガタに触れた。一気に手を伸ばして、それをつかむ。

 その途端、風が一瞬にして凪いだ。


「……破るんじゃねえぞ、それ」


 相変わらずの口調に華が顔を上げると、少し離れた場所に余鬼が立っていた。華の手の中のヒトガタをじっと見つめている。


「そんなのあたしの勝手でしょ」

「ばか、それはおれの命なんだぞ」

「あたしたち死んじゃうところだったんだよ」


 華の反論に、余鬼はむっと口をつぐんだ。「……悪かったよ」囁くばかりの声で言う。


「何?」

「悪かったって言ってんだよ」


 今度は怒鳴り声。

 ふふ、と白犬が笑う。


『手を抜いたなあの坊主』

「どういうこと?」


 振り返って華が尋ねる。視線の先には、白犬が穏やかな――先程よりもはるかに穏やかな笑みを浮かべて華を見つめていた。まぎれもなく先程、首を切り落とされた白犬である。気のせいだろうか、少し、目線が高くなっているようだ。


『嬢ちゃんに自分の本体を手に取ってほしかったということさ』

「んなわけねえだろ。余計なことを言うんじゃねえよ、犬のくせに」


 愉快そうに笑う白犬の声にかぶせて、余鬼が声を荒げる。


『おや』と白犬が呟いた。

『坊主、俺の言葉が分かるのか?』

「あっ、本当だ」


 確かに余鬼は白犬の言葉を理解できなかったはずだ。白犬と双子が会話をしているときは、不機嫌そうに双子の言葉に応じていたが、今は白犬の言葉に直接文句をつけている。

 それだけ言うと華は、すぐに埋もれたままの葉太を掘り出す作業へと移った。

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