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勝者からの挑戦状




「ねえ、あの人誰?」

「ちょ、かっこよくない? 明美、声かけてみなよ」

「いやいや、どう考えても彼女待ちっしょ」


 下校時間、彼氏のいない女生徒たちが門をくぐりながらひそひそと話す先にいたのは、精悍な男子だった。

 百七十五センチメートルというやや高めの身長に、短く刈られた短髪。色白の肌に黒い髪が映え、制服が押し隠しているにもかかわらず筋肉質の体が目に見えてわかった。

 門の前、壁により掛かり下校する生徒を見ている。これが学生らしい見た目でなければ単なる不審人物で終わったところだったが、そうではない美丈夫な彼に周囲の関心は集まっていた。

 

 遅いな、と彼は心中で呟く。

 姉の話では、待ち人はいつも下校時刻近くには昼寝をしており、目が覚め次第帰るという。ならば、もう出てきてもよさそうなものだが。

 しかし、出てこない。少しばかり苛立ち眉を寄せ、腕を組むがそれも絵になる。それによりまたしても集まった衆目に、出ていく生徒たちの目が険しくなったと、今のところ女性に関心のない彼はそう勘違いした。

 

 

 仕方ない。

 迷惑はかけたくなかったが、と彼は心中で一人言い訳をしてからスマートフォンを取り出す。

 その画面の下にある三つだけのボタンの真ん中を押せば、すぐに姉に繋がるようになっていた。

 耳に当てればわずかな呼び出し音が響く。あの真面目な姉ならばすぐに取るだろう。そう思った通り、すぐに繋がった先で艶かな女性の声が響いた。

 ただし、息を切らせた声が。


理織(りお)! 何の用だか知らんが今忙しいから後でかけ直せ!!」

「いや、姉さん、朝言った話なんだけど」

「後で聞く! 今後輩の指導ちゅ……あ! こら待て総一!!」


 電話越しの声と実際の耳に聞こえる声が重なる。どうやら声の主は校門に向かって走ってきていたらしい。そして一際大きな、ダン、という地面を蹴る音とともに、見上げる高さの塀とそこに寄りかかる理織をまとめて飛び越える影が見えた。


 舞い降りた影は振り返り、そして塀の上に立った糸子を見て得意げに笑った。

「へへ、もう学校外ですからねー! 会長の威光もそこまでってことで!」

「ぬぐぐ……!」

「いやぁ、奉仕活動なんてごめんですし。そもそも俺の場合は……、あれ?」

 そして総一は、その視界の中にいるもう一人、理織を見て目を丸くする。それから一瞬懐かしい顔を見たように目を細め、いつもの笑顔を作った。

「あれ、久しぶり。姉ちゃんならそこだよ」

 軽い挨拶。それで済めばいいのに。総一はそう思いながらも、そうではないことも察していた。

「ああ、はい、知ってます」

「理織、来てたのか」

 それから音もなく糸子も着地する。スカートの裾を全く揺らさずに、それでいて羽のように着地するその様は、体操班の者でなくてもとても優雅に見える仕草だった。

「朝言ったじゃん……」

「そうだったか? いや、毎朝弁当を作るときには何も耳に入らないからなぁ」

「……あれ、作ってたんだ……」


 理織は朝の光景を思い出す。

 炊かれたご飯がまだ残っているお釜に、水道から水を流し入れている姿。あれは、残飯を処理しているのかと思っていたのに。


「それで? 何の用だ?」

 そして、本当に何も覚えていないのか。今日、通っている学校に出向くと、目の前の姉にたしかに説明したはずなのに。

 だがまあ仕方ない、理織はそう考え直す。姉は、こういうところで嘘をつく人ではない。

 咳払いを軽くし、理織は呟くように口を開いた。

「大会の、案内をしに」


 それから革の鞄を開き、薄いパンフレットを取り出す。それは、拳道班がある学校であれば都内全ての学校に一部ずつ配布される、大会への参加申込書だった。

 それを見て、糸子は首を傾げる。

 そのパンフレットなら、もちろん登竜学園にもある。さらに、そもそもその大会を主催する全国拳道連のトップがこの登竜学園の学園長ということもあり、一部とは言わずに何部でも学園に保管されているものだった。

 

 しかし、その理織の視線の先を見て、糸子は「ああ」と納得する。

「総一に、か」

「うん」

 一歩踏み出した理織。それを見て、総一は顔をしかめる。真面目な話は苦手だ。そしてそれ以上に、その話題に触れたくもなかったのに。

「鳳さん」

「呼ぶなら総一な。いや、じゃなくて俺はそれ出る気ないぞ」

「……では、総一さん。出てください。そして、二年前の決着をつけましょう」

「二年前なら、お前の勝ちで終わってるさ。ファールや判定でもなく、二本先取でお前の勝ち。誰も文句は言わないだろ」

「僕が、認めません」


 ざわりと背後の並木の枝が揺れる。

 ただの風であるはずなのに、総一にはそれが理織の感情の揺れだと感じた。


「あれは僕の勝ちではありません。勝ちを譲ってもらっただけ。万全の貴方に勝利しなければ、勝ち取ったとは認めません。他の誰が認めようとも、僕が」

 その眼光に、本気だ、と総一は思った。けれど、その意見には正直否だとも思う。

 先日屋上で子門が言っていたこと。それは、たしかに正しいのだ。

「人間ってのはいつも調子が違う。風のせい、光のせい、朝食べたパンのせい。理由なんざ無限につけられる。『今日は調子が悪かったから負けた』なんて言い訳は、勝負の結果には何の関係もないさ」

 だからこそ、それに備えておかなければいけない。調子を悪くなったときにどうリカバリーをすればいいのか考えて、そして怪我や病気などを出来る限り防がなければいけない。

 自分は、それを怠ったのだ。その敗北に、文句など言えようはずがなかった。

「……総一……」

 そして、その原因となった糸子は何も言えない。だが、その敗北が総一を変えてしまったのだと、そう思っていた。

 それは半分正しく、そして半分間違っているのだが。


「では、大会でなくてもいいです。本気の、万全の貴方と勝負がしたい。そうでなければ、僕は一生苦い思いを引きずることになる」

「それは弟君の勝手な判断だね-。俺には何の関係もないよ。それに、負けたらどうするんだよ」

「鍛え直します。勝てるようになるまで」

「ハッ、勝手な話だ」

 過去に勝利した試合の結果を認めず再戦を申し込み、そして負ければ同じように再戦をせがむ。きっと、実力で勝つまでこの男は諦めないのだろう。

 本当に、勝手な話だ。

 『自分のために、本気で戦って、そして負けてくれ』などとは。


 溜め息をつき、総一は首を振る。

「大丈夫、弟君は強い。たしかにあの時は実力は拮抗していたけど、きっと今の俺が全力でやってもきっと勝てない。それは保証する」

「口では、何とでも言えます」

「弱い者いじめはやめろよ」

 自分は勝負にたしかに負けているのだ。負けた側が再戦を申し出るのであればまだしも、勝った側が『あの勝ちは納得いかない、もう一度』と言うのは弱い者いじめの良い一例だろう。総一はそう言い返した。

 理織もそれはわかっている。だが、許せなかった。その勝利を一瞬でも喜んでしまった自分を。


 ならば、他にも説得できそうな材料を。一瞬探した理織が、思わず言葉を紡ぐ。自分でも、言いたくなかった言葉を。

「しかし、あの時の怪我は、姉さんの……」

「弟君」

「…………!?」

 溜め息をつきながら、総一は理織を止める。だが、理織はたしかに感じた。心の臓が裂けそうな程の殺気を、一瞬だけ。

 冷気はその用を足した。波は引き、総一も穏やかな雰囲気を纏ういつものように、軽やかな気配を。

「あんまり言うと、お姉ちゃん化けて出るぞ」

「っ……出るかっ!!」

 その『お姉ちゃん』が吠えるのを見て、理織も気を取り直す。糸子の空元気も感じ取り、そして自分が言ってはいけないことを言おうとしたのだと強く恥じた。


「……すみませんでした。今日のところはこれで帰ります」

「おう。お姉ちゃんによろしくな」

「直接言え馬鹿!」

 頭を下げる理織に、総一は軽く返す。この分なら、今日のところはもう追求はないだろうと安堵しながら。

 今年になってからは初めてだが、一年前はこの手の申し出が多かった。全て断ってきているとはいえ、未だに慣れはしていない。

 このまま帰ってくれればありがたい。ついでに、もう来ないでくれるともっとありがたい。総一の本音だった。

「さて、じゃあ俺もこれで……」



「待った待ったちょっと待ったぁぁぁぁぁ!!」



 帰ろう、と言いかけた言葉を遮るように、塀の上で誰かが叫ぶ。

 見上げれば、袴姿に草履の老人。

 その場にいた生徒たちの、総一を覗く全ての視線がその誰かに集まった。


「お前は誰だと問われたら、答えてやらにゃいかんじゃろ!」

「誰も言っていませんよ」

 勝手に寸劇を始めたその老人に、総一はまた溜め息をつく。またしても面倒ごとだ。その先までほぼ正確な予想をしながら。

「……誰ですか?」

 そして、老人の期待通りに理織が糸子に尋ねる。糸子は、渋い顔をして静かに首を横に振った。



「良い質問じゃそこの他校生! 儂こそは、あ、儂こそはぁ、登竜学園学園長、海馬……」

「通りすがりのお爺ちゃんです」

 学園長の名乗りを無視し、ぬっと理織の前に顔を出した総一はそう邪魔をする。これ以上話を聞かせては本当に面倒なことになる。とりあえず理織を遠ざけなければなるまいという的確な判断だった。


「総一、お主、お主ぃぃ!!」

 だが、塀の上で地団駄を踏む老人に、哀れな目を向ける者はいない。

 この学園では知らない者はいない。この学園の出資者の一族であり、そして現学園長の彼を。

「さ、ほら見ていると可哀想だから。弟君もはやく帰ろう。きなこ棒奢ってあげるから」

「いや、いきなりそんな奢ってもらうわけには」

「総一黙らんかぁ!」

 塀から軽やかに飛び降りた学園長が、総一に背後から足払いをかける。その足払いを総一は跳んで躱し、振り返ろうとしたその瞬間学園長の鉄拳が飛んだ。

「ふぬっ……!」

 すんでの所でスウェーで躱した総一を、理織は驚きの目で見ていた。

 学園長の鉄拳が総一の頬を掠めていた。御年七十は越えようかという老人の動きではないと、そう驚嘆して。


「え、あの総一さんを……、あ、が、学園長?」

 ようやく事態を飲み込んだ理織が学園長を指さす。それに応え、学園長は鷹揚に頷いた。

「うむ。儂がこの学園の学園長。海……」

「さあ、帰ろう。今すぐ帰ろう!」

 その理織と学園長を会話させるわけにはいかない。そう踏んだ総一は、無視して理織の肩を押す。


「のう、辰美理織。そんなに総一と試合したいか?」

 しかし、総一に押されるままに動き始めた理織は、学園長の言葉で動きを止めた。

「ああ、ああー、ほら、ニッキアメとかどうだ?」

「総一、諦めろ」

 それでも未だに抵抗を続ける総一は、糸子に肩を叩かれついに観念し口を閉じた。

 もちろん、理織は学園長の質問に否とは言わない。それを望んで、ここまできたのだ。


「はい。もちろん」


「ならばやろうではないか! 双方ともに、武道場へ入るがよい!!」


 即断の言葉。それに理織は驚いた。

 自分が学園長を務める学校である。少々の無理が利くとはいえ、学内での他校生の自分との試合を簡単に許すとは。全国拳道連の海馬会長は自由な人柄だと聞いてはいたが、双方の学校へ連絡を取りもしないとは。


 だが、ありがたい。

 公式の試合でないことは少々残念ではあるが、総一と試合が出来ればそれだけでいい。

 あの日の決着を、今たしかにつけられるというのであれば文句はない。


「ほら、頑張ってこい!」

「……へーい……」

 総一も拒否はしない。学園の生徒である以上、学園長には逆らわない。それが、彼が自分に定めたルールだった。

 

 理織は唾を飲む。

 突然決まった望外な試合。だが、文句はない。


 重い足取りで歩き始めた総一を見て、理織も意気揚々と校内へ足を踏み入れた。





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