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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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ライラック




 小さな駅の改札前。無人駅ではないが駅員もほとんど改札前に出てこない上、自動改札ではないこの改札口は大抵の人間が素通りする。

 次の電車まではあと10分ほどある。切符を買った奏多は、待合室の椅子に腰掛け、時計を見上げてまた溜息をついた。


 奏多がホームに移動しないのを気にせず待っている総一は、揃って何の気なしに時計を見上げた。特に何の音も立てずに、秒針が滑るように移動する。

 ポケットの中でスマートフォンが震える。

 隣の妹を窺ってから画面を見れば、兎崎からのメッセージ。またいつものような意味のないだる絡みだろう、とメッセージを後で確認することにして総一は画面を暗転させた。


「兄貴さ」

「おう」

「学校、楽しい?」


 久しぶりに会った家族からの何気ない世間話。総一はそう理解したし、そういう話も世間一般では普通のことだろう。

 だが、総一は思う。また何か、『青春十五時』の時間だろうか。

 視線を総一に向けようともしない奏多に、総一も向けない。


「どうだろうな。暇つぶしにはいいところじゃない?」

 これからの人生何もない自分。そこに強制的に多少の『やること』と『いる場所』を作ってくれる施設。登竜学園に入った当初の総一は、学校をそう捉えていた。そしてその認識は、最近までも。

「登竜学園って調べたんだけど。特待生っていうの? ものすっごい優遇される制度があるんだってね?」

 どうせそれでしょ、と奏多は思う。登竜学園の特待生になれる基準は厳しいらしい。成績は極高水準を保たなければならず、そして保たれなかった場合は退学になるという覚悟までも持たなければならない。

 しかしその分特典は素晴らしく、授業の出席免除……自由な出席に、学費の免除。辞退を希望しない限り、成績優秀文武両道のこの兄がそうならないとは思えない。

「優遇、ね」


 だが、本当にそうなのか、と総一は最近になって思う。

 特待生になれば自由に出来る。好きな授業を受けてもいいし、嫌いな授業を受ける必要もない。無料で図書館や体育館、保健室など学校の施設を使用できる。

 しかしそれでも、自由なのだ。

 授業を受けるも受けないも自由。だから、教員たちは自分たち特待生を気にもしない。総一や兎崎のように授業を全く受けずとも、教員たちは何も言わない。


 自分たちは高校生。まだきっと幼い子供だ。

 親や大人たちに、あれをやれ、これをやれ、と強制されて、それに従いまたは反発し、それでようやく人並みに似た『何か』が出来るような。


 そんな中で、自由にやってよいとされる。

 特待生は選ばなくてはならないのだ。全てを。

 他の人間と同じ扱いを受けるには、同じことを『自分から』進んでやらねばならない。自分で嫌いな教科を選択して受けて、受けずともよい授業という苦痛を自らに課さなければならない。

 兎崎のような天才や、糸子のような優等生ならばそれも甘受できよう。

 気にせず苦痛を回避して、また自身に苦痛を課すのも当然と自制心を持てる。

 

 しかし凡人の自分はたまに思う。

 これは本当に、優遇なのだろうか。


「面倒くさいことばっかだよ、特待生ってのも」

「あー、やっぱそうなんだぁ」

 

 「自虐風自慢乙ー」、と呟いた奏多に、総一は返さない。

 背もたれに腕を回し、ふんぞり返るようにして首を反らして伸ばす。

「屋上で昼寝して、たまに図書館行ったりして、つまんないって思ってたけど」

 何となく恥ずかしくなってきて、総一はまた奏多の顔を見られなかった。

「でも」

 興味もない時計の文字盤の秒針を追う。追っていた針が分針と重なった。


「……最近は何か、楽しくなってきた気がする、かな」


 秒針を見送り、追い越された分針が一つずれる。




 列車が入る、という放送が響く。けれどもそれは奏多の乗るものではなく、故にあと7分か、と時間の再確認に変わっただけだった。


 奏多は溜息をつく。総一の真似をするように、気怠く。

「まあ、あれだけ女子が周りにいればねー?」

「…………」

 それからにやにやと顔を歪めて隣にいる兄を見れば、兄の口元は嫌そうに歪んでいた。

「中学の時までは何の気配もなかったけど。さっきの白鳥さん? 彼女じゃないっていうけど、じゃあ兄貴彼女いるの?」

「………………どうかな」

「この反応、いないけどそれっぽい人はいるとみた」


 ふふん、と笑いつつ、奏多は少しだけ楽しくなる。

 推測するに、仲良くなった女子……はいるようだが、しかしそれ以上の彼女未満もいる反応に思える。もしくは好きな人か。

 中学時代、勉強や何かしらの練習に没頭していたあの兄が。根暗な真面目馬鹿とも思えていたあの兄が。あの、兄が!


 正直、兄が誰かとくっつくのは面白くない。けれども、兄が誰かとくっつきそうになるのは面白い。

 そんな思春期真っ盛りの奏多にとって、今日一番の面白いことかもしれなかった。


 兄は顔を赤らめつつ、長い息を吐いた。

「……残念ながら、……この前告白されたくらいだよ」

「えっ」

 そして、急展開に少しだけ奏多も動揺する。……これは、どっちだ。


「誰に? さっきの三人の中にいる?」


 奏多は今日会った三人の女子を思い返す。

 どれもタイプは違ったが、どれからだろうか。

 おそらくハーフか何かの西洋系の入ったスポーツ系の女子。それに、格好良いと思った黒髪の年上。あとは気弱そうな茶髪のギャル。

 ……最も可能性がありそうなのは、最後の三つ編みだろうか。たしか……羊谷といった。


 総一は表情も読ませぬよう顔を硬くし、唇だけを動かす。

 言わなければよかった、と思った。そう仲の良くもない兄妹でする話ではきっとない、と。



「内緒。まだ答えてないし」

「えー? 教えてよー!」


 奏多の知らない女子生徒ならば、内緒にする必要もないだろう。言ってもわからないのだから。けれども、内緒にするということは、と奏多は推察を続けた。

 もしくは先ほど総一のスマートフォンにメッセージを送ってきた誰かだろうか、と奏多は邪推する。覚えていないが、ちらりと見えた名前は恐らく女性名だったような気がする。


「でもまあ、……夏休みが終わるまでには、きちんと話せたらなぁって思ってんだよ」

 三十歳には、もしかしたら明日にでも死ぬこの身。誰かとそういう関係になるなど思ってもいないのに、すぐに考えるなど無理がある。そう総一は自分に言い訳をする。

 だが奏多はそれを聞いて、総一を真っ直ぐに見て目を細めた。

「……その人が誰だか知らないけど、それはちょっと兄貴酷くない?」

「そうか?」

 聞きつつ、そうだろうな、と総一は自分でも思う。相手は勇気を出したのに、自分はまだ勇気を出せないままでいるということに。


「夏休みってったら、イベントいっぱいじゃん! 彼氏とかじゃなくちゃ出来ないイベントとかだってあるじゃん! それすっぽかすなんて、兄貴それ、夏休みの最後に話する頃には振られてるでしょ」

「…………そうか?」


 それに奏多の言葉に、そうなのかもしれない、と思う。

 まあ、それならそれでいい……と思えているのは内心の強がりだろうが。




 列車がホームに入ってくる。奏多の乗る電車。その案内に急かされるように奏多は立ち上がり、誰もいない駅の改札口を通り抜けてゆく。

 また会おう、という言葉と、クズ系にはならないでね、という言葉を残して。


 去って行った妹の背中に小さく手を振って、総一は立ち上がる。

 降りてくる乗客たちで待合室は一時混雑する。それを避けるために、もう出ようと。


 出入り口の銀色の引き戸を引けば、下に噛んだ砂利がざりざりと音を立てる。

 一歩踏み出した総一が感じるのは強い日差し。先ほどここに来るときには曇っていたのかと今更ながらに気がついた。


 電車が走り去る音がする。

 あれに乗って妹は母の下に帰っていったのだろう。きっと家に帰り、「おかえり」と言ってもらえるような温かい家に。



 青空、それと日差しから感じる圧力に負けずに総一は目を細めて手で庇を作る。

 見上げればもくもくとした入道雲がのしかかるように広がっている。


 まだ夏だ。

 17歳の夏。自分で決めた終わりまで、あと13年。


 それまででも、いつ終わっても構わないと思っていた。

 この人生が明日終わっても、夕日が沈むと共に終わるとしても、もしも仮に5分後に終わるとしても。それでもきっと自分は焦りもしないし、どうでもいいと思っていたのだが。


 しかしとりあえず今は。

 夏が終わるまで死ねないな、と瞼の裏の残像を見つめた。





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