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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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ひょこひょこ




 ベルを鳴らそうとする手が震える、と白鳥叶は思った。


 休日、午前、きっと多くの若者が街へと遊びに繰り出す時間。

 ここは総一のアパートの前。とうとうここまで来てしまった、とも思った。

 

 今日の服は気合いを入れて、薄緑のシャツにジーンズのスカート。

 私服でいつもは出さない白い肌を半袖で出して、それが精一杯の『いつもと違う』場所。


 焦りがあった。

 一昨昨日聞いた話では、羊谷が総一に告白をしたらしい。それが理由で総一が道場破りを行い怪我をした、ということだそうだが、道場破りなど白鳥にとってはどうでもいいものだ。

 それよりも重要なのは、まさにその『告白』。

 この二日間、伝聞でしかない羊谷の言葉を、恋や愛の告白扱いされてはいないのではないかと解釈して心を落ち着けてきた。だが、しかしよくよく考えてみればそうではないだろうと思えてならない。

 そもそもに羊谷が『そういうつもり』の告白をしたということは明白だ。ならば総一の側は置いておいても、羊谷側からはそれこそ『恋や愛のもの』なのだろう。

 

 そして一昨昨日の、辰美会長の一幕。

 もはや明白だ。

 総一は幾人もの女子に好かれている。ならばあの二人だけではない、クラスメイトや他の学年で関わっている者たちも怪しい。隣近所の同年代女子や幼馴染み、中学の時の知り合いや昔入っていたというサッカーや野球のチームの関係者に至るまで。もしかしたら兎崎やよく二人でいるところを見られているという里来という先輩も。

 恋敵はきっと多い。多いに決まっている。


 だが。

 だが。


 まだ総一からの相手は定まっていない。

 羊谷は告白した。しかし返事をもらえてはいない。

 辰美会長はまだ伝わっていない。来週学校で会ってしまえばそこでしてしまうほどの勢いだったが、まだ今ではない。

 

 まだ、まだ自分にもチャンスはある。

 まだチャンスはあるから!

 今しかチャンスはないから!


 と白鳥はそう自分を奮い立たせてここに来た。

 

 深呼吸をして指先の震えを抑える。

 在宅の確認は出来なかったが、しかし気配はある。

 ここでベルを鳴らせばきっと扉が開くだろう。そうしたら、そうしたら。


 唾を飲み、喉を湿らせる。発声練習は家で散々してきた。父親に見られて怪訝な目をされたがどうにか誤魔化すのに苦労した。

 頭の中で予行練習は繰り返してきた。

 ベルを鳴らし、出てきた彼に、『どうしたの』などと聞かれて、それから……。



 ガチャ、と扉が開く。

 白鳥は一瞬それが理解出来ずに、そして理解した瞬間飛び上がるかと思った。


「しっかし一人暮らしはいいねー、自由気まま。私もやりたいな」

「お前がやったら三日で餓死すんだろ」


 扉に手をかけたまま、誰かが総一と話している。そして誰かは、……女!

 飾り気のない運動靴の爪先をトントンと地面に押しつけ、寄りかかるようにして扉を開く女。その女性は、開いた先で固まっていた白鳥を見て目を丸くした。


「あれ、白鳥」

「…………ぅ」


 総一が名前を呼ぶが、しかし白鳥は固まったように声を出せなくなった。

 誰だ。目の前の女は。見たことがない。きっと同年代だが、学校で彼女のような者をみたことがないし、噂にも上っていないはずだ。


 頭の中で、『誰?』を連呼する白鳥。

 奏多は、そんな固まった白鳥と総一を交互に見て、なんとなく何かの『気配』を察した。


 総一は狭い玄関で奏多の奥から、頭をつつくように指さす。

「すまんな、ちょっとこいつ駅まで送ってくるからさ。多分15分くらいかかるけど用事あるなら上がって待っててくんない?」

「あの、あのあの、総一さん!? その女……女性は!?」

 仲良さげですが!? と声に出さず表情と全身で表し、白鳥は尋ねる。総一はその様子に、そんなに驚くことかと思いつつも、しかし話したこともなかったな、と思い直す。

「ああ、こいつは……」

「あ、お友達ですか? いつも()()がお世話になってます」

 ニコ、と奏多は笑い、そして靴を履きかけていた総一を見て、また悪戯気味に笑う。


「いいよ、総一。私はここで」

 そして見せつけるかのように、静かに総一の首に腕を回す。

「じゃ、またね」

「はいはい、そういうのやめろって」

 ぐい、と肩を押して総一は引き剥がすが、奏多のそのらしくない態度に何となく悪戯心が湧いた。何の気も無しに。


「……ま、送ってくよ。それくらいはしなきゃな」

 言いつつ、総一がポンポンと奏多の頭を撫でるように叩く。

 妹は総一が今まで聞いたことのない嬉しそうな声で、「そっか」と静かに応える。


 留守番頼む、と総一は奏多を伴い歩き出す。

 中の良さげな二人の姿に愕然として、白鳥は開いた扉の前で二人を見送った。






 駅への道中。歩く二人にはほとんど弾む会話はなかった。

 けれども、少しだけ、昔はなかった話題なども。

「兄貴、さっきの、彼女さん?」

「ん? 違うよ」

「へー」


 やっぱり、と笑う奏多は、先ほどの白鳥の表情を思い出してまた楽しくなる。

 自分がいて驚いていた。

 一人暮らしのはずの総一の部屋に『誰か』がいて、驚いていた。そうだろう。この兄の交友関係は今は知らないが、しかし以前は多めに見ても大分狭かったはずだ。

 きっと今でも変わりなく、部屋の中を見た限りでは、総一以外の誰かの影もほとんど見えなかった。無彩色のがらんとした部屋に一つだけ、似合わない色鮮やかなクッションがあった程度で。

 そしてあの白鳥と呼ばれていた少女は、『誰か』というよりも『女』がいることに驚いていた。


 ……やっぱりあの女性は彼女やそれに類するものではなく。

 だが、きっとそうなることを望むような少女だったのだろう。

 愕然とした顔、思い出しても面白い。


「よくテニスとか誘われてやるんだけどな。めっちゃ強いんだよあいつ」

「ふうん? 兄貴と試合出来るの? あの人?」

 この兄はなんでも出来る。なんでも出来ると信じている。

 専門でもないテニスでも誰かに負けるとは思えず、そして試合が成立するとは思えないのに、あの女性は。

 目を丸くする奏多に、総一は誇らしく頷く。

「俺より強い」


 そんなに、と奏多は驚きつつ、その兄の涼しそうな顔を見た。

 負けても悔しくなさそうな、悲しくもなさそうな闘争心のない顔を。

 二年前は見せなかった、楽しそうな表情を。


 奏多は空を見上げるように鼻から息を吐いた。

「常勝無敗の兄貴の神話がどんどん崩れていくなぁ」

「そろそろ若いもんには勝てんのじゃよ」

「それ本当に年取ってる人が聞くと苛つくらしいよ」

「まじで」

 ケタケタと笑う総一。

 そんな総一を見て、やはり二年前とは違うのだな、と奏多はもう一度溜息をついた。

 


 遠くから踏切の音が聞こえる。

 商店街近くの石のタイルの地面は、誰かが吐いたガムが黒くこびりついていた。

 微かな音で電車が来たことを察した総一は、小さく「ありゃ」と呟いた。


「急ぎゃよかったか」

 最寄り駅の電車はおおよそ20分おきに来る。今駅に来た電車を逃せば、つまりは次には20分ほど待つことになる。ここからまだ少しだけ歩くものの、家から急げば充分今の電車には間に合ったものを。

「別に暇だし、いーよ」

 それに、早く帰りたいわけでもない、と奏多は自分の中だけで付け加えた。



「総一」


 そして曲がり角から出てきた顔に、総一は背筋を正す。

「あら、会長。おはようございます!」

 勢いよく下げた頭は腰よりも低い。

「おはよう……だが何だ? その必要以上にわざとらしく怯えるような仕草は?」

 どうにも周りの目が気になるがな? と意図まで読んで小声で付け足して、糸子は腕を組み総一の頭を見下ろした。

 誰だろう、と奏多は思う。

 先ほどの白鳥と同様、また兄の知り合いらしい。だが兄は先ほどの白鳥に見せていた気安さはなく、まるで目上のように丁寧に接している。


 格好良い女性だ、と奏多は思った。

 背筋をピンと伸ばし、総一よりも幾分か背は低いが自分よりは高い背。凜々しい眉の形。

 少しだけ厚めの生地の黒いワンピースもよく似合う。ベルトで絞られた腰は細く憧れそうなほど。長袖かと思ったが、薄いアームカバーは日焼け対策だろうか。


 だが。

 糸子の言葉に奏多が周囲を見れば、近くにいた二人連れの年配の女性が総一たちを見てひそひそと話をしている。なんだろうか、この反応は。


 顔を上げても、揉み手をするように腰を低くし、総一は笑みを作る。

「とんでもございません。この度は大変ご迷惑をおかけしまして……へへっ」

 それを見下ろし、困るように睨む糸子は眉を顰めた。

「……いいからやめろ。ご近所からまたどんな目で見られるかわからん」

「あっ……」


 そして奏多はなんとなく気付く。

 目の前の女性が、総一の怪我に関わっていると。

 ……しかし、兄に怪我をさせたのは辰美理織ではなかったか?


「しかしちょうどよかった。今羊谷とお前のところに行こうと……行こうと思ってたんだが、それは誰だ?」


 口元を緩め、微笑みを湛えた糸子の目が奏多を向く。

 奏多は無意識に総一の腕に自身の腕を絡めるようにして半歩下がったが、何故だか自分でもわからなかった。

 

 下がった奏多を押し出すように、総一が横に立つよう促す。

「あ、妹っす。ほらカナちゃん、挨拶して」

「ええと、あ、兄がいつもお世話になってます。鳳奏多です」

 そしてまた、奏多は自分が緊張しているということに今気がついて意味がわからなかった。

 どうやら総一の側から丁寧に接していた、という印象は総一の演技だったらしい。逆に馴れ馴れしく、そして気安いから出来る演技だったのだろう、と奏多は納得した。だが、その相手に何故自分は緊張しているのだろう。


 糸子の微笑みがまた崩れて、今度は目元まで笑う。それでようやく、少しだけ奏多は動けるようになった、と思った。

 握手のために糸子が差しだした手を、無意識に掴む。


「総一が前に言っていた妹さんか。辰美糸子だ。今回総一に怪我をさせた辰美理織の姉だが……今後とも出来れば末永いお付き合いを是非よろしく頼む」

「……は、はあ……」

 握手の上に右手の肘を糸子にがしりと掴まれて、吐息のように奏多は応える。

 何故この女性はこんなに気合いが入っているのだろう。握りしめられた手がぎしりと鳴っているのだろう。考えつつも、しかし結論は出ずに放された手の先から解放感が溢れた。



 思い出したかのように糸子が「ああ」と声を上げる。

「それでこちらが……」

 言いつつ糸子が視線を漂わせるが、誰かを探す視線は曲がり角の奥へと続き、総一たちからは死角へと伸びた。

「羊谷、何をやってるんだ?」

「え、へあ!! あ、はい! い、妹さんだったんすね!」


 総一にとって見知った声がする。

 だがそこに誰かがいると思っていなかった奏多は、また新しい女性の登場にわずかに『またか』と表情を白めた。

 おずおずと姿を見せた女性は奏多と同年代。目の前の糸子よりも、総一よりもむしろ下の年齢に見える。

 上げた前髪は染めた茶髪。なんとなしに素行が悪そうだと思った。緩いドルマンスリーブの白いTシャツ、オレンジのハーフパンツは活発そうな印象。


「えー、今日三つ編みじゃん、可愛い~!」

「う、あ、……っす」

 総一の言葉に、ありがとうございます、と言えずに、誤魔化すように笑いつつ消え入るような声で恥じるよう目を背けた女子。

「何を隠れているんだ?」

「いや、だって」


 糸子の問いにも唇を尖らせて目を逸らした女。

 なんとなく奏多はその様に苛ついた。

「……羊谷、麦っす」

 こちらを見ろ、と何となく奏多は内心叫ぶ。何故だか頬の肉がひりつくようにぴくりと動いた。

「鳳奏多」

 何故だかわからないが、頭を下げる気にならなかった。同年代だろうしその程度構わないだろうと内心言い訳をし、名前だけ言って、そして目の前の女の反応を窺う。

 

 そして目の前の女が自分よりもむしろ総一から目を逸らしているのを感じ、逆に目を見開いてじーっと見つめた。

 それからふと総一を見れば、こちらも平静には見えるものの、少しだけ……。



「そんで、会長? なんすか? 俺のところにって。何か用事でも?」

 兄は、話を逸らした。そんな気が奏多にはした。

「ん……いや、そうでもないんだが。お前のところに二人で見舞いにでも行こうと思ってな」

 糸子も住所は知っているが、しかし総一の部屋に入ったことはない。

 羊谷を誘ったのはその案内がほとんどだ。少しばかりの牽制と戦意高揚も兼ねた。


「はあ、そりゃわざわざ」

 どうも、まで言わずに総一は返す。

 たまに動作時に痛みが走る以外、特段不自由もない生活ないというのは本心だ。

「しかし二人で? 白鳥とは待ち合わせとかじゃなく?」

「何で白鳥が出てくるんだ?」

「さっきうちに来たんで。こいつを駅に送るんで、入れ違いになって今うちで待ってますけど」

 じゃあ違うのか、と総一は理解する。

 彼女の用事は何だったのか、ちゃんと聞いておけばよかった。

「…………そうか」

 なるほどな、と糸子は納得し、そして総一の部屋のほうを見る。何かきな臭い。乙女の勘。

「せっかくだしこのまま遊びにでも、と思ったが、それでは白鳥が気の毒だな」

「……っす。じゃあ、あたしたちも部屋に先に行ってましょうよ」

 今日の使い方はそれから、と提案する羊谷。こちらも少しだけ、ぴりりとした空気を感じて。

 笑い合うように視線を交わし合う糸子と羊谷の間には、じとりとした何かが漂う。それがどちらかというと悪巧みのように奏多には感じられた。

「ええと、んじゃ、少ししたら戻るんで」

 そんな空気を読まず感じず、総一は奏多を行くぞと促す。

 返事を待たずに歩き出した兄。惜しむように残した二人にぺこりと頭を下げて、奏多は兄の背を追った。




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