言ったもん勝ち
総一と理織の試合の次の日。
放課後の生徒会室は、少しばかり緊迫した空気に包まれていた。
「さて」
ごほん、と糸子が咳払いをする。
それから机に肘をつき、組んだ手で口元を隠すように支えて前を見た。
じと、とした目つきは尋問に似て、また詰問するための自身への鼓舞でもあった。
その視線の先、向かい合うようにして長椅子に、膝を揃えてちょこんと座っているのは羊谷麦。向かい合っているだけで冷や汗が垂れるような糸子の迫力に、瞬きの回数が倍以上に増える。
「……詳細を、聞かせてもらおうか」
「へ、へへ、詳細ったって……」
羊谷は助けを求めるように、近くに座っていた兎崎を見る。
だが兎崎はそれに取り合うこともなく、またその横に座っている白鳥が饅頭を頬張るのを呆れるようにして見つめていた。
「総一と何を話して、どうして総一が試合に出る気になったんだ?」
「いや、ほら、昨日話したじゃないっすか。ちょっと、その、格好悪いって馬鹿にしちゃったっていうか?」
冷静になってみれば、羊谷はその事情を糸子に話すのは躊躇われた。糸子だけではなく白鳥にも。もちろんその他大勢誰にも正直話したくはない。
誰が自分の告白を人に話そうと思えるだろう。……その場にいた兎崎は置いておいて。
糸子はふむと眉を上げる。
「それだけではないだろう? それだけであの総一が動くわけがない。馬鹿にされてもへらへら笑っているタイプなのはお前も知っているとおりだろう、な?」
「…………」
まあそれもそうだ。羊谷は内心それも同意し、頷きたかった。
しかし誤魔化すためにはそれに頷くわけにもいかず、ただ曖昧にへへ、とまた笑った。
「……『羊谷は俺のこと大好き』?」
「!!」
そして、昨日の総一の言葉を繰り返され、羊谷はびくりと跳ねる。
横で白鳥が、まだ口に入っているにも関わらず饅頭をまた一つ頬張った。
どうしよう、とまた無意識に兎崎を見るが、今度は兎崎は羊谷を見て無反応を返した。ただ、その口元を隠した文庫本の下の唇は、きっと両端が吊り上がっているだろう。
兎崎のその態度に頬をひくつかせながら、しかし発奮したように、羊谷は糸子を見返した。
「その、それこそ、総一……先輩に聞けばいいんじゃないでしょうか? あたしは、その、……」
「私は羊谷の口から聞きたいんだ」
羊谷からは、糸子の細めた目に怒りは見えない。けれども、その平坦な声音に、懇願するように顰めた眉に、何故だかわからない恐怖があった。
横で無言で頬を膨らませ続けている白鳥にも、同じように。
「……なあ、羊谷。昨日も言ったが、私は別に怒っているわけじゃない。むしろ、よくやってくれたと思っている。私の説得じゃ無理だったことが、お前には出来た。うん、すごいと思う。だから、その手口、じゃなかった、その手法を是非とも知りたくてな。今後も総一と付き合ってくために」
つらつらと、独り言のように糸子は口にする。
優しげな声に言葉。だがその顔に影が差したように、そしてようやく機嫌が悪いようなそんな機微が読み取れた。
「いや、手法って、……ていうか、手口って」
「『大好き』?」
「…………」
饅頭を覆っていたビニールを、白鳥が無表情でくしゃりと丸める。
誰もが黙った室内で、その音が大きく響いた。
「…………う、いや、その、ほら、それは」
冗談で言ったこと。世間話などの合間の雑談で、そういうことを言った。
もしくは、そういう『ノリ』なのだ。総一のいつもの悪ふざけの。
そう言ってしまえればどれほど楽なのだろう、と羊谷は思った。
事実、たしかにあの場で口にされたのは『ノリ』だろう。あの場を僅かでも盛り上げるための、もしくは会話を終わらせるためにオチをつけた。そういうことだろうと思う。
そこまで考えて、わずかに羊谷の胸にモヤリとしたものが浮かぶ。
『ノリ』。もしくは、盛り上げるための冗談だったのだろうか。
総一はただ茶化しただけ。だったとしたら、失礼な話だ。乙女の勇気の一言なのに。
少なくとも自分は、嘘や冗談にはしたくないのに。
「…………」
「どうだ? 正直なところ、……もしかして……」
俯き黙り込んだ羊谷に言葉を重ねようとして、糸子は口ごもる。冗談だった、と羊谷から聞きたかった。出来れば何かしらの雑談で出たものか、もしくは総一が羊谷をからかっただけだ、と聞きたかった。
聞きたくない言葉があった。そしてそれは、自分では言えず。
唾を飲む。鉄の塊のように感じる唾を。
言えなかった糸子の言葉を羊谷はきちんと聞き取り、そして思う。
自分は勇気を出した。あの場の勢いがほとんどだったが、しかしその中に僅かでも勇気はあっただろう。
言ってしまえば全てが変わってしまう。だから言いづらかったその言葉を口に出した勇気に、また言ってしまった恥ずかしさにもここ数日は耐えてきた。
「そういや……」
きっとこちらから充分に対価は支払った。
だがあの先輩は、その支払いを踏み倒してはないだろうか。
糸子から、もしくは白鳥から今感じている恐怖は、本当に自分が受け取るべきものだろうか?
「……そういや、ねえな?」
ぷちん、と何かが切れた気がする。
ここ数日で落ち着いた心が、また別の力を帯びている気がする。
自分は返答は求めていなかった。それは覚えていて、そして知っていても。
でも、……一応、返事くらいはしてもいいのではないだろうか!?
羊谷の言葉の種類が変わった。
それを感じた糸子が、大きく息を吸って吐く。何となく覚悟が必要な気がした。それも乙女の勘。
「……何がだ?」
羊谷が大きく息を吸う。
「告白の返事!! 返事とか、じゃなくても、なんか言ってくれてもいいじゃん!! すよね!?」
そして噴出したような羊谷の言葉に、糸子が目を見開く。
羊谷も、言ってから顔を真っ赤に染める。本番の時に負けぬほどに。
「……そ、そうか」
なるほど、と小声で言って、また糸子は咳払いをした。
その内心は、戸惑いと、焦りと、そして後悔。一瞬で頭の中を占領した混沌とした感情は、気が遠くなるように目の前を真っ白に染めた。
やっぱりな、と思った。脈絡もない羊谷の言葉で、ようやく確信が出来てしまった。
やはり、彼と彼女の間には、自分よりも一歩進んだ何かがあるのだ。
急激に羊谷が遠くにいるように見える。先ほどまでは萎縮させていたはずが、今では自分が萎縮してしまっている様な気がする。気がするだけではない、事実、そうなのだろう。
「でもほら、総一にも、事情、事情があるから……」
自分で出している声に現実感がない。まるで譫言のようで、喉に力も入らない小声だった。
ぱたん、と兎崎が文庫本を閉じた音が響く。
「というわけよ。その場にいた私がご説明しましょうか?」
「最初からそうすればよいのでは」
呆れるように白鳥が言うが、兎崎は鼻を鳴らしてそれを無視した。
代わりにからかうように羊谷へと口を開く。
「格好いい総一先輩に告白した羊谷ちゃん。 ……でも、格好悪いのよね?」
「いやそれは……」
「優しくて何でも出来て格好いい先輩は大好き。でも戦わなくてうじうじしてる今は格好悪い……って吐き捨てたのよね」
「たしかに、そんときは言いましたけど……」
たしかに言った。羊谷もそれは認めて、だが違うと内心反論した。
その反論までは口に出来ず、ただ顔を赤く染めるだけに留まったが。
兎崎は続ける。
「羊谷もあいつを戦わせるために、結構努力したみたいですよ? 『自分が数学のテストで満点を取れば心変わりしてくれ』、なんて勝手に約束して。それで出来なくて。そこで、その大告白をしたのよ。いつもの総一は格好いいけど今は格好悪いって。その言葉にあいつも大分ショック受けてたみたいで。……それで、その言葉で気が変わった、ってところですね」
ふふん、と笑みを浮かべながら兎崎は糸子を見る。
目を伏せ、そのまま頭を抱えて顔を伏せてしまいそうなほど消沈した様子の糸子を。
「……あら」
そして今までの話を聞いていて、白鳥はわずか光明を見出す。
羊谷が総一に何かを言った結果、総一が戦った、と聞いていた。
その『何か』は、所謂告白というものなのではないだろうか、というところまでは糸子がここに自分たちを集めた時に理由を聞いて察した。そして今羊谷の言葉でそれが真実だったと聞いた。もしも総一がそれを受けていたら、と焦りがあった。
しかし、まだなのだ。
「それは告白扱いされていますでしょうか?」
「え?」
「だって……いえ、ニュアンスまではわかりませんけど、今聞いた限りでは、……そう、好きというのは、恋愛的な意味ではなく、……こうなんというか、人間性的な意味にも聞こえますわ」
願望も混じり、白鳥はわずかに頬を綻ばせる。
総一が誰かと付き合う。誰かを彼女にする。誰かが総一を彼氏とする。そんなことが起きるのであればそれはとてもとても嫌なものだが、けれども、まだ、それがまだならば。
まだ光明がある。自分にも。自分だから。
「総一さんもそう思っているのではなくて?」
「うっそ……」
高笑いをするように口元に手をやる白鳥に対し、顔を青くして羊谷は口元を押さえる。
もしや、そうなのだろうか。だから総一は、告白の返事をくれないのだろうか。そう信じそうになる。
無論、そうではない。
兎崎もそれを知っており、だがそれは黙って見ていた。勘違いも面白い。
白鳥の抵抗。また空回り。それが空回りだと気付かない間はいいのだけれども。
(……でもね、白鳥。こういう勝負は、ちゃんと言った奴が勝つのよ)
行動を起こさない限りは無駄に近い抵抗。自身へと流れを呼び込もうとする白鳥に対し、まあ頑張れ、と兎崎は目を細めた。
「なるほど」
ふと呟かれた糸子の言葉に、なんとなしに注目が集まる。
大きな声だったわけではない。嘲るようでも、悲しむようでもない。
ただ、決意の冷たい響きに。
羊谷の言葉に、白鳥の言葉に、兎崎の補足に、糸子の真っ白になっていた脳内に何かが満ちていく。
なんとなく白鳥の言葉に、白鳥の内心を感じた。彼女も恐れ、焦っていた、のだと思う。
そしてだから、白鳥の解釈は誤りなのだろう、と感じた乙女の勘。
「羊谷、頼みがある」
「……なんすか?」
「そこにバットがあるだろう」
指し示した先の壁、部屋の隅。総一や誰かが持ち込んだのだろう、野球の金属バットが一本立てかけてあった。
「あ、はい」
「それで私を一発殴ってくれ」
「は!?」
す、と机に手をついて立ち上がる。だがその言葉に羊谷は慌てるように身を引いた。
「頼む」
「え!? 嫌ですよ!!?」
「じゃあ白鳥」
「出来ませんわ!?」
「……ならいい」
この生徒会長は何を言っているのだろうか。
そういった奇行は総一の役目ではないだろうか。いや、総一とて自傷のようなそういうことはしない。そう糸子以外の全員が考えつつ、糸子の行動を見守った。
バットに歩み寄った糸子は、それを徐に掲げるように持ち上げた。剣道でいうところの上段の構えに似て、しかし真正面に腕を伸ばしバットの先を前に向けて、構える。
それから短く息を吸って、糸子は、バットを自分の額に向けて振り下ろした。
ゴ、という重たい音が生徒会室に響く。
「なな、なにやってんすかっ!?」
もう一発、と糸子は額に向けてまた振り下ろし、それから気が済んだようにバットを隅に戻した。
「会長!?」
「バットが曲がってますわ!!!?」
慌てる羊谷と白鳥に視線を向けず、ふう、と溜息のように糸子は息を吐いた。
「けじめだ」
「けじめ……って……」
「これで気合いが入った」
無意味に左肩に右手をやり、腕をくるくると回してまた糸子は席に戻る。だが座らず、立ったまま。
ジンジンとした痛みが額に響く。心地よい。
「羊谷」
「へい」
「言いづらいことを言わせてしまい、悪かった。問い詰めるようなことをしてすまん。お前も勇気を出したんだな」
にこりと糸子は羊谷に笑いかける。
満面の笑み。だが決して明るくはなく、羊谷もそれは不思議に思った。
糸子は机の上に置いていた自らのスマートフォンを手に取る。いつもの動作で、その手つきに淀みはない。
「だから、私も勇気を出すよ」
決めていたこと。
もしも総一を理織と戦わせることが出来たのならば、と。
戦わせることは叶わなかったが、しかし、戦ったのだ。
だから。
総一の名前がディスプレイに表示され、呼び出し音が響く。
総一は理織と戦った。羊谷に促され、そして自分の意思で。
ならば自分も戦おう。決めていたことだから、ではない。自分の意思で。
「勝負だ、羊谷。私はまだ負ける気はないぞ」
「……? どういう?」
首を傾げる羊谷に、に、と凜々しく糸子は笑い、それ以上応えなかった。
そして電話口の向こうで、若い男性の声が響く。今日はまだ療養のため休みだったが。
『はいはい、お疲れ様です、総一っす』
「総一、私だが」
『あら、カナちゃん? 久しぶり。なあに? ATMでお金を振り込むのは全部詐欺よ?』
「違うだろ、お前それわかってて言ってるだろしつこいぞ」
こういうやりとりもまあいいものだ、と苦笑しつつ糸子は思う。
もしも弟にやられたのなら、その日の稽古はきっと厳しく激しくなるだろうが。
「ああ-、なんだ、突然なんだが……ちょっとお前に言いたいことがあってな」
『言いたいこと?』
「聞いたぞ。ちょっと前に、羊谷に告白されたそうじゃないか」
『…………。……ぅっす』
電話口で、総一が口ごもる気配がする。
糸子には、それを責める気もない。きっと自分もそうなるだろうし、今だってそうなりそうで懸命に声を張り上げているのだから。
唇が震える。目を開けているのに目の前が見えない。電話の向こうの音が、映像になって目の前でぐちゃぐちゃに蠢いて見える。
「だがまだ……まだ、答えていないとも! 聞いている」
『そうっすけども』
「だから、……我ながら臆病なことだと思うんだがな!!」
うわずる声を抑えようと、逆に元気よく明るく声を出す。
羊谷は告白した。だが総一は答えていない。ならばまだその関係は成立しておらず、そしてもしも総一が羊谷の想いに応えて成立してしまえば言えなくなることがある。
だから、今だけ、今だから、だからここで勇気を出さなければ。
「…………」
「会長?」
電話口の声が怪訝そうで、だがそれを無視して糸子は大きく息を吸う。
「総一!!!!!!」
名前を呼ぶ。いつも校内で何かしらの注意をするときのように。
だがしかし、いつもと違う感情を込めて。
あと一息に全てを込めて。
『ぅぁ!! ちょっと、声、抑えて、耳が……』
「好きだ!!!!」
絶叫するように糸子が叫ぶ。
生徒会室が震えて、羊谷たちが耳を押さえているのが目に入った。
耳を押さえた彼らが目を丸くしている。何を言っているのだろう、と驚いている。
彼らに勝ち誇るように、むふー、と糸子は余った息を吐いた。
『え? すんません、今耳がキーンってなってて全然聞こえてないんすけどちょっと待ってもう一回』
「…………」
そして勝ち誇った気分が、引き潮のように引いていくのが如実にわかった。
気合いを入れすぎた。そんな察しもすぐについた。
誤魔化すように、糸子は意識して声を抑える。
「あ、ああ、すまん。聞こえなかったんならいいんだ」
『え? いや、気になるからもう一度言ってくださいよ。つか何でそんな興奮してるんすか』
俺なんかやった? と電話口の向こうで小声で戸惑う声が聞こえる。
そう、お前はやったのだ、と叫びたい気持ちを糸子は押さえつけるように笑みを浮かべる。唇からその気持ちが零れていくような。
「来週には、お前も出てこれるだろう? 直接話すよ、全部」
もうここまで来てしまった。ならば、もう迷いはない。
まあ、ここまでの勇気を出せたのならば、すぐ。
…………。
「ああ、あ、ああ、じゃあな、何かきついことがあったら手伝うからな、何でも言ってくれ。気にするな、弟がしでかしたことだから。うん、じゃあな」
それから一言二言の近況報告をして、糸子は電話を切る。身体はまあ大丈夫らしい、と頷きつつ。
電話を切って、部屋の視線が集まっているのを思い出した。
にやにやと笑う兎崎。そして、残りの二人は。
「会長!? なんすか今の!! え? っていうか、何してんすか!?」
「……どどどういうことか説明してくださいますか!!!」
一転して、自分が問い詰められる側になった。
いやまあ、仕方あるまい。今更ながら恥ずかしくなり、はは、と普段はしない薄ら笑いを浮かべながら目を逸らす。
とりあえずここから逃げ出すべきだろうか。扉からか、それとも窓からか。そんなことを考えつつ、二人の詰問を躱すべくその優秀な脳を回転させた。




