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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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バトンタッチ




「若」

 道場にて、高弟に話しかけられた理織は苦々しい顔を隠しつつ振り返る。

「手当を……」

「今は客人が使っています。それに、……構いませんよ、これくらい」

 医務室に、という申し出を断り、また理織は笑った。苦々しい顔を隠さずとも覆い隠せるような満面の笑みで。

「それよりも、稽古に戻りましょう」


 ただ、自分は見稽古になるが。



 道場破りなどなかったかのように、何事もなく高弟たちが乱取りを再開する。各々が寸止め、もしくは軽く当てるようにしつつ行う『殴り合い』に終わりはない。

 威勢のいいかけ声に、床板を裸の足の裏が擦る音。風通しがよくとも充満する汗の臭いが時々香る。

 理織はその中で、壁際に座り、正座をして高弟たちを眺めていた。

 眺めるというよりも、ただ視界に収めているだけ。その脳裏には、先ほどの高揚が満ちたままで。


(勝った)


 本音では、両手を突き上げ大声で快哉を叫びたかった。

 何せ、勝ったのだ。この二年間、追い求め続けてきた男、鳳総一に。

 もはや中途半端なものではない。互いに死力を尽くしただろう。万全の体調で、目突きや金的なども当たりはせずとも解禁し、遠慮なく力をぶつけ合った。

 もはや言い訳など通用しない。

 公正で、公平な闘い。純粋に互いの力を比べ合った。


 これでもはや、互いに言い訳はない。

 俺が見下ろし鳳総一は倒れ伏す。

 俺は勝ったのだ。あの鳳総一に。

 同年代の男子で唯一同格、もしくは格上だと思えたあの男に。


 ようやく、胸を張って言える。

 これでようやく、これで。



 殊更に身を正し、理織は大きく息を吸う。

 俺は強いのだ。あの男に勝てるほど。あの男に勝ったから。


 嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらない。

 目の前の光景などどうでもよくなった。自分たちよりも弱い高弟たちが、蟻が争うように絡み合っている。どちらがよく出来ている、どちらの動きが悪い、などもはや些細なことだ。


 拳道の大会に出るのは今度が最後にしよう。もはや納得した。もう証明は必要ない。これ以上の強者を探す必要もなく、弱者の群れを蹂躙する手間をかける必要もない。

 自分は強いのだから。自分が強いのだから。


 だが。


 じわ、と身体の中で液体が広がる感触がする。

(……この後は、俺も、病院かな)

 熱狂に似た興奮も冷めてきた今。

 この痛めた肘と、腫れ上がりつつある足の甲の痛みは如何ともし難い。


 大きく息を吐く。

 理織の額に、つつと暑さによるものではない汗が垂れた。






「あとで病院で会うとかしたくないなぁ」


 医務室で横たわったまま。未だ戸惑うようにしている二人の少女と、事情を察している一人の少女に見つめられ、ケタケタと総一は笑う。充分かどうかはわからないが、しかし自身の戦果としては上等なものではないだろうか。


「えと? 先輩は、うちの学校の人に勝たせるために……弟さんに怪我させるためにここに来たんすか?」

「んにゃ?」

 羊谷の問いに総一は両手を頭の後ろに回して答える。答える過程で左手が痛んで一瞬顔をしかめた。

「勝負する気で来たよ。でもまあ、多分、そうなるんだろうなぁって」


 無論総一も負ける気でここに来たわけではない。

 だが、そうなるとは思っていた。

 なにせルール無しの真剣勝負だ。その上で自分の身体はごく自然と、ごく単純に相手の急所を自動的に狙う。その過程で、障害に似た傷を負わせることなど容易に予想出来る。流石に目突きや金的などは、理織の技量もあり全て防がれてしまったが。

 もう少し、欲を言えば半身が使えなくなる程度にはやりたかったものだが、そこまでは欲張りすぎだろう。


「予選開始まであと二週間足らず。骨折なんかはそれまでにゃ治るまい」


 付け加えるようにして、クツクツと暗く総一は笑う。

 それに、自分としては肘の動きを奪えたのは大きい。

 以前は自分。そして今度はあいつの番だ。


「うわ、陰険……」

「弱者の知恵と言え、知恵と」

 羊谷の言葉でようやく事態を飲み込めた白鳥が、慌てるようにして瞬きを繰り返す。

 どうやら総一は理織に怪我をさせて、それは総一の目的に適っているらしい。だがしかし、きっとあの会長は、相手の妨害のような戦術は嫌う性格だろう。きっと本当は自分も。

「あの、私はよくわかりませんが、辰美会長がお聞きしたら怒るのでは……」

「うん、まあ、……うん」


 総一もそのことについては反論出来ない。

 以前の帰り道で怒られたことだ。

 だが、けれど。


「でもさ、弟君ってさ、俺にこだわりすぎじゃない?」

「こだわりすぎ?」

「だってたった一回試合しただけだぜ? それ以外にも、何十って試合してるだろうに」


 匹敵する相手、というならば自分以外にいなかったのかもしれない。

 たしかにあの頃は、自分も苦戦する相手などほとんどいなかった。辰美理織以外には無敗だったという記録上もそれを強固に示す証拠の一つだろう。

 だから、自分にとっても辰美理織一人だけだった、ということもわかる。

 しかしそれでも。


 よ、と総一は身を起こす。

 それから白鳥や兎崎に歩み寄るようにふらりと歩く。


「他で一回くらい苦戦でも負けでもしてくれれば、少しは視野が広がるんじゃない?」


 という、言い訳。



 響く何人もの足音を迎えるように医務室から出れば、なるほど、もうこの部屋に到着するだろう。ストレッチャーは玄関に置いてきたらしい。

 その代わりに、担架を持った男性たちと、それを先導するように大股で歩く糸子の顔。


「っ! こら総一!! 立つなと言われてるだろ!!!」

「うへ」


 怪我ではなくその大声に押されたように、総一は壁に凭れるように手を突く。

 突いた衝撃で身体の芯のどこかに痛みが走ったようで、その場所も判別出来ない痛みに顔をしかめた。

 しかめてつり上げた頬に隠したのは、笑み。叱られてそれが湧いてきたというのがおかしなことに思えて、何故だかその感情を理解も納得も出来た自分が恥ずかしかった。


 乗って、と救急隊に促されて、床に下ろされた担架に寝転がる。ベッドとは違う感触に揺らされつつ、見上げる天井は知らない天井。

 歩く救急隊員の服が擦れる音がやけに大きく聞こえる。

 運ばれるということは未経験ながらも、しかし良い気分ではないな、と総一は思う。


「会長」

「なんだ」

 運ばれる担架につつとついて行きつつ、糸子は総一を見下ろして応える。

 その酷く気難しげな顔に総一は笑う。

「すんませんした」

「何を謝ることがある」

「…………」


「はい、いきます、一、二、三!」

 総一としては答えようとして、だが玄関でストレッチャーに載せ替えられたことでそれ以上口に出来ず、そして糸子も聞けなかった。

 『少々意地を張っていた』。そんな簡単な言葉を総一も簡単には言えなかった。それも、ただの意地で。


「ああ、俺の荷物に着替えとか財布とか入ってるんで、お願いしまっす」

「お、おう」


 救急車は、付き添いに一人だけ関係者が乗れる。ならばその誰かを自分が。

 そう考えていた糸子は総一のその言葉に虚を突かれ、そして付き添いのいない救急車を見送ってから思い出して地団駄を踏んだ。





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