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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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42/70

悪いところ




「はーい、というわけでね、今日の練習も終わったんですけども」

「何か漫才でもやってんのか?」

「お、いい突っ込みだねー。君一緒に漫才で天下取らない?」


 まだ号令もかからず、掃除が始まらない最中。

 もうそろそろ、という総一の言葉で丑光の今日の練習試合は終了した。

 立っていられず座り込んだ丑光の前で、総一は元気に整理体操をしながら言葉を続ける。


「今日の反省点とかある?」

「……反省点……かぁ……」

 総一の言葉に丑光は口を開けて視線を宙に漂わせた。反省点ということはきっと今日出来なかったことを聞かれているのだろう。しかし出来なかったことなど無数にある。

「結局一本も取れなかった」

「はい、仕方ない。他には?」

「軽く流すなって。ってホワイトボードに書くほどじゃねえだろ」


 武道場に備えられたキャスター付きのホワイトボードに、キュッキュと音をさせながら総一は『・一本も取れない』と書き込む。

「屈辱的だな」

「だから仕方ないって。で、他には?」

 頬杖をついた手で丑光は顔半分を隠す。尖らせた唇を隠すように。

「……他に何かあんのかよ」

「あると思うけどなぁ」

 へらへらとからかうように総一が言うが、その顔を不機嫌な顔で丑光は見つめた。この突然始まった検討会はなんなのだ、と視線で訴えるように。


「投げられとったじゃろ、丑光」

 わかりづらい、と溜息をつきながら学園長が助け船を出す。

 けれどもその言葉の方がわかりづらいよ、と総一は目を細めた。

「投げられ……ああ」

「二回目くらいで、あ、気付かれた、と俺は思ったんだけど」

「ジャブが遅いってか」

「遅いっていうよりも戻すのが遅い」


 総一は目の前で軽くジャブを打つ。総一はボクシングの経験はないが、しかし基本故にほとんど堂に入っているものだった。

「ジャブの基本は、まっすぐ打って、すぐ戻す、じゃん」

「で戻せなかったから全部投げられたってことか?」

「そう。多分意識してたんじゃない?」

「まあ」

 ジャブが一発一発丁寧になっていた印象。総一にとってそれはそこからだ。

 ホワイトボードに『投げられた』と書きこみつつ、総一は続ける。

「反省点ってのは、『思い通りにいかなかったこと』もしくは『予想と外れたこと』、そしてそれが『どうしてそうなってしまったのか』だからね。……投げられまいとしてたっしょ」

「そうだけどさぁ」


 はぁ、と丑光は溜息をつく。

 その通り、最初にジャブの手を取られて投げられて以降、丑光はそこに気をつけていた。

 懐には入られないよう、また腕を取られないよう、気を遣ってきたというのに。


「でも俺ことこどく投げられてんだよ、お前にさ」

「だから、そこで次だよ。どうすれば投げられないと思った?」

「だから、俺だって色々やってだろ」

「うん。フットワークが変わったり、引き手もちょっとだけ速くなってたね」


 改善された点でもあった。総一はそう思う。

 今日の最初よりも、最後の方が投げづらいのはたしかだった。取ろうとした腕が速く引っ込み、また懐に入りづらくなっていた。


「でも、辰美理織なら簡単に投げてくる」

「…………」


 それはお前もだろう、という言葉を丑光は飲み込んだ。

 やはり勝てる気がしなかった。目の前にいる怪物には。改善出来ている気がしなかった。何かを変えても、あまりにも変わった手応えがなさ過ぎて。


「いやまあ、他にもちゃんと合気道らしく摺り足に近い重心操作してたり、対策としてはちゃんと真っ当に出来てた。俺がちょっとズルしてるから通用しないだけで」

「ズル?」

「俺が習った道場のやつでさ。辰美理織にも通用すると思えないし、真似出来ないから気にしなくていいよ」

「なんだ? 普通の一本背負いじゃなかったのかよ?」

「まあそんなところ」


 さらりと総一は嘘をつく。

 総一の言う『ズル』は投げ技のことではない。

 それは総一の学んだ咋神流の基礎であり、秘奥に関わる話。

 そしてそれが丑光には真似出来ず、また辰美理織に通用しなくなったのは本当のことではあるが。


「さて、他にも挙げてってみようぜ。今日の丑光君の失敗談」

「その言い方なんか腹立つな」

「反省って結局そういうことになるからねー」


 物事を上手く回すコツというのは簡単だ。

 上手く出来ているものを伸ばし、出来ていないものを改善する。時には出来ていないものを切り捨てる、ということもあるだろうか。

 だがその過程で必要なものがある。それは、『出来ていないもの』を認識すること。

 出来ているものを見つめるのは簡単だ。それは成功であり、得意であり、利益であるのだから。けれども、出来ていないものは違う。それを見つめることは、自身の欠点を見つめること。自身の失敗や不得意や損失を見つめるのは誰でも辛い。

 まっすぐ向き合えない。誤魔化し開き直る。

 だから大抵の物事は上手く回らない。皆目を背けるから。見えなくなるから。

 

 そして、嫌なことは少しでも減らした方が物事は上手く回る。

「じゃ、ここからは海馬先生に代わってもらお。お願いしまーす」

 へらへらと笑い、そして腰を鋭角に曲げて頭を下げる。笑顔を向けたまま、まるで名刺を差し出すサラリーマンのように総一は海馬学園長に水性ペンを手渡した。


 しぶしぶと学園長はペンを受け取り、総一に向けて小言を放つ。

「なんじゃ。最後までお前がやらんか」

「俺から色々言われたらさすがに腹立つでしょ」

 たとえば総一が何かしらの先輩というのならば構わないだろう。三年生の総一が二年生の丑光へと指導する。何も問題なく丑光はその指導を受け取れる。

 けれども総一も丑光も高校二年生。同学年かつ、更に彼らは別に同じ班の先輩後輩でもなく、また何かしらの上下関係があるわけでもない。実績があろうとも、何も。

 ならば人間というものは、指導という形であっても指摘があれば鬱憤がたまっていくものだ。


 だが、学園長ならば別。

 拳道の創設者という先達であり、超一流の武道家であり、そして丑光の所属する拳道班の顧問なのだから。



 そして学園長による丑光への詰問のような指導。それによりホワイトボードが真っ黒に染まる頃。

 チャイムが鳴る。放課後も終わり、そろそろ生徒も完全に下校せよという終わりの鐘が。


「じゃ、俺帰りますわ」

 飽きて座り込み、壁の汗と血の染みの数を数えていた総一が、すくと立ち上がる。

 これから拳道班員は掃除の時間だろう。参加していたとはいえ、頼まれてここにいた身。ならば掃除はしないでも、と考えつつ。

「おう、じゃあ明日は」

「明日はすみません、先約があるので」

「ほう?」

「テニスのね-、方がねー」


 ついに気がつかれた、と総一は思った。

 昨夜から、スマホに二時間と開けず届き続ける通知。猫の写真を共有するために何の気なしに交換したメッセージアプリの連絡先で、届き続ける白鳥からのメッセージ。テニスの誘い。

 今までその用途として思い浮かべていなかったのではないだろうか。

 更に、今日の昼間は直接ベンチで昼寝している自分を起こしに来た。メッセージを見ておらず返信していなかったことも悪かったが、けれどもテニスの誘いにあれだけ必死になるとは。


「なるほどのう」

 ふむふむ、と口髭を歪ませて学園長は頷く。

「まあなら仕方ないな」

 仕方ない、と内心でも改めて呟いた。


「んだよ、モテモテだな」


 からかうように、また苦々しく丑光は吐き捨てる。

 テニスには興味のない丑光とて軽く聞いていた。この学園には白鳥叶という有名なテニスプレイヤーがいて、そして目の前の男子はその女子生徒に度々テニスの試合に誘われているのだと。

 たとえそれが恋愛的な意味ではなくとも、女子に何かを誘われている、というのは平均的な思春期男子である丑光にとっては何となくの羨望の的だ。もしくは嫉妬の。

 自分は憧れの女子生徒とろくに話も出来ないのに。

 

「んにゃ」

 総一は溜息をつきつつ軽く首を横に振る。

 モテモテ、というものではないだろう。ましてや羨ましがられるような恋愛的なものでも、と。

「なんつーか……仲間が見つかったって感じじゃね」

「仲間?」

「そ。テニス仲間」


 そのテニス仲間も、もってあと数年で消えるのだが、と総一は内心自嘲する。

 彼女はきっとこれからも上へ行く。テニスを続けていけば、きっとプロも、世界大会も。……自分は、そこまで着いてはいけまい。



「まあ、こんど一緒に映画見に行く約束もしたし、犬猫好き仲間ってとこも」

「あ、総一先輩いた」


 会話の最中声が響いた。

 その場にいた三人全員が、どこからだと一瞬視線を巡らせ、交わし、首を捻った。

 そして座り込んでいた丑光が一番に気がついた。視線の先、武道場の壁の下にいくつも並ぶ換気のための横に細長い窓の先に、一人の女生徒がいることを。

 丑光の視線を追い、総一と学園長も気がついた。

「あん? 羊谷?」

「なんか先輩が武道場で暴れてるって噂聞いたんですけど、マジだったんすか?」

「マジじゃないっす」


 鉄格子の向こうで、身体を横に曲げて覗き込んでいる羊谷。

 その初めて見る顔に、しかしまた女子か、と丑光は何となく心にざらりとした感触が浮かんだ。

 自分は憧れの女子生徒とろくに話も出来ないのに。


「えー、でもなんか-、拳道班員をぼっこぼこにしてるってうちのクラスの子が怖がってましたよ」

「ひっでえ風評被害だ。学園長だってやってんじゃん」

「ぼっこぼこにはしてたんすねー?」

 へええー、と羊谷はからかうように笑う。だったら風評被害でも何でもないと。その目の前に、『ぼこぼこ』にされていた男子生徒がいて、その男子が苦々しい顔をしているとは知らずに。


「はーん、たしかにぼっこぼこだよ、ぼっこぼこにされたよ」

 それから丑光が嫌みを吐く。

「え、あ、……あー、ああ……すんません」

 丑光の姿を見て、そして言葉に羊谷は察して謝罪する。スカートをふわりと揺らしてしゃがみ込み、目線を窓に合わせながら。

「別にいいけどさ」

「そこは本当のことだしな」

「てめえ……」


 そして丑光の軽い怒気が自分に向いたことを確認し、それも冗談で終わりそうだと胸を撫で下ろし、総一はもう一度伸びをする。

「まあ、もういいよね-。じゃあ俺帰るんで、学園長あとよろしくお願いしゃっす」

 視線の先は真っ黒になったホワイトボード。今日丑三が改善しようとし、そして改善出来なかった、もしくは改善に至らなかった試合の反省点。勿論それが全てではないが、改善点が書き出されたのだ。あとはこれを全て改善すればいい。必ず強くなれる。

「何日かボクシング班のほうで指導受けてもいいと思うけどね。独学じゃ限界あるし」

 そう言って総一は丑光を見る。やはり、求められる全ては技術の向上で、丑光はその格闘スタイルの柱をボクシングにしている。ならばまずは、ボクシングの上達を目指すべきだろう。

 丑光も、海馬学園長とのやりとりでそれはわかっていた。

 今日上がった反省点三十五個のうち六割以上の解決に手っ取り早いのは、基本的な打撃技術の向上、またフットワーク技術の向上。つまりはボクサーとしての練習だ。ここ拳道班でも出来ないわけではないが、経験のある専門の指導者がいないというのは厳しい。


「羊谷、一緒に帰ろーぜー」

「ぇゃった、じゃない、仕方ないっすね! 付き合ったりますよ」

「おー」


 窓の外の羊谷に声をかけて、軽く会釈して総一は歩き出す。

 羊谷も失礼しますと中に頭を下げて、武道場の出口まで小走りで立ち去っていった。


 見送るのは二人。

 学園長は微笑ましく、そして丑光は苦々しく。



「……なんであいつあんなに女子と仲いいんすか?」

「さて、のう」

「あいつ欠点とかないんすか?」

「まあ、強いて挙げるなら……性格かのう」


 丑光の心に、怨嗟のような感情が浮かび上がる。

 考えてみれば、特待生だ。体育以外の成績の良さはそれだけで保証されていて、そして体育の成績も悪いわけがない。こちらは成績は並かそれ以下。体育すらも全て得意とは言い難いのに。

 そんな高みにいる人物が、昨日も今日も自分を『ぼっこぼこ』にしている。その事実に今更ながら何となく腹が立ってきた。たとえ拳道の練習といえども。

 そして彼の周囲に女子生徒が多いというのも何となく気分が悪い。

 自分は憧れの女子生徒とろくに話も出来ないのに。

 考えてみればあいつは、自分の憧れの女子生徒といつでも話せる位置にいるのに!


「畜生次は絶対勝ってやるからなぁ!! 今度はこっちがやってやらぁ!」


 その意気じゃよ、と学園長は言おうとして、そして言えずに曖昧に頷いた。





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― 新着の感想 ―
>自分は憧れの女子生徒とろくに話も出来ないのに これは辰巳会長のことだったっけ? まぁ、怨嗟とか嫉妬でもモチベになるならいーんじゃないかね……
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