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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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遠回り




 遠回りになるが構わないだろう。

 総一の着替えを待っていた糸子は、そう言葉にまではしなかった。


「なかなか見事な指導だったぞ」

「そりゃどうも」


 糸子の褒め言葉に、へえへえ、と総一は軽く応える。

 校門から出て、横へ曲がれば桜並木。今は花もなく豊かな葉が茂る木々の道。

 帰り道、二人並んで歩く姿は珍しい。


「しかし、すぐに失神させようとしてたのはいただけないな」

「だって怖いじゃないですか。あいつ結構強かったから俺だって危ないし」

「ならばそれを危なげなく出来るよう、お前のほうもレベルアップすべきということだ。指導を受けるほうだけではなく、する方も得るものがあるというのが素晴らしい鍛錬というものだぞ」

 こういった乱取りでは自分のほうが熟達している。そう自負している糸子は、隣を歩く総一に対し得意げに顎を上げた。

「また頼むと学園長も言っていたことだし、ではそれが次のお前の目標だ」

「やですよ。俺そういうの向いてないんで」

「丑光の方はレベルアップしてくるだろう。あの意気ならそうならないほうがおかしい。そのときにお前が殴り倒されても知らんぞ」

「そしたら学園長は喜んでいいんじゃないっすか? 弟君に勝てるかもしれないってことで」

「まあそうだな。理織にいいライバルが出来たということで私も嬉しいな。だがお前は嫌だろう?」

「…………ま、痛いのはね」


 鞄を持ったまま頭の後ろで手を組んで、総一は応える。

 痛いのはたしかにごめんだ。そもそも特殊な趣味でもなければそれを喜ぶ人間も少ないだろう。

 しかしそれをあの場にいた全員は自ら好き好んでやっているのだと考えれば、不思議にも思えてくる。

 殴られ蹴られ投げられ固められ、痛みに苦しみに喘ぎながらも逃げずに立ち向かう。

 自分には考えられない話だ。やはりあの武道場にいた自分を除く全員は、どこかおかしくなっているのだろう、と総一は思う。きっとあの場にいた中で、自分一人だけが常識を持った一般人だったのだろう、とすらも思えて笑える。


 しかしまあ、糸子の考えるレベルアップ。

 手加減して拳を振るい、相手をいたぶる能力を身につけろということ。

 それも無理だろうと総一は思うのだが。


「では、会長、お疲れ様です」

 総一は立ち止まり脇道を見る。横断歩道の先に伸びる道は、いつも糸子が帰る道。

 だが糸子は立ち止まらず、総一の脇を抜けていくように先へと歩く。

「構わん。たまには遠回りもいいだろう」

「女子の帰り道は短い方がいいらしいっすよ?」

「たまに女性扱いするんだな」

 含み笑いを浮かべつつ、糸子は振り返らずに歩を進める。それから数歩、総一が着いてこないことを確認すると、歩調を緩めて待った。

 総一は、ごくごく小さく溜息をつきつつそれを追い、肩を並べた。

「……んで、俺に何か用事です?」

 またお小言か、と総一は渋い顔を浮かべる。その顔を見ずとも、声音からそうだろうなと糸子は口元を緩めた。

「さっきの丑光の話だ。正直なところどう思った?」

「どうって?」

「理織と比べてということだ」

「…………」


 糸子の言葉に総一は戸惑いを浮かべ、そして正直な言葉が頭をよぎった。

 けれども、それを言っていいのかと一瞬悩んだ。きっと同意見だろうに。

 だがきっと同意見だ。ならば口にしても構わないだろう。


「全然でしょ。一本取れれば奇跡みたいなもんじゃないっすか」

「だろうな。…………」


 糸子は、歩きつつ総一の横顔を見る。

 間違いなくそうだろう、とは糸子も思うし、学園長とて考えていることだ。

 しっかりと練習を積んだのだろう。少し前に辰美理織に勝負を挑んだときよりは、僅かだが恐らく強い。けれど、やはりそれは僅かだ。虎に挑む赤子だったものが、精々虎に挑む幼児になった程度。

 そしてそれはいつもと同じだ。


 辰美理織は中学の時から、拳道の地区予選で苦戦したことなどない。

 対戦相手には丑光よりも優秀だった者もいるし、彼らの中では現在でも理織と同じように全国高校生大会出場は確実視されている者もいるにも関わらず。

 そして全国大会で苦戦したこともほとんどなく、苦戦したとしてもそれは本人が謙遜をしているだけ。本人の謙遜でもなく傍目にわかるものは、僅かに一度だけ。


 それは、今糸子の目の前にいる、鳳総一相手だけ。


「今のお前は理織に勝てるか?」

「無理っしょ」


 総一は即答する。

 勝てるわけがない、と思う。六歳の頃から中学卒業前まで活動し、全国大会決勝敗退と同時にやめた無才の自分。

 対して相手は、生まれたときから鍛え上げられてきて、更に今なお鍛え続けてきた才能の塊。

 生まれてこの方、同じステージに上がったことすらないのだ。拮抗出来ていたとするならば、まだ修行期間の差が少なく、また『あちら』が発展途上だった一時期のみ。

 そして拮抗はもはや破れ、天秤は大きく傾いた。

 少し前の試合。理織に一本だけ取られ、あとは勝負無しになったあの試合。あの一本は偶然でも奇跡でもなく、そのまま実力の差なのだろう、と総一は知っている。


 世の中には才能というものがある。

 才能とは様々な分野で各々の能力レベルに関係し、レベルの上がりやすさ、そしてレベルの上限に関係している。

 そして、自分のレベルアップは既に終わった。既に上限なのだ。それは中学校三年生で総一は感じていて、更に理織の才能はまだまだレベルの上限を見せていない。


「…………」

「だから最低俺程度に勝てるようじゃなきゃ問題にもならないっすからね」

 むしろ今の自分は大会に出たとして、どこまで粘れるのだろうか。総一はそこまで考える。理織以外も同じことだ。大会に出ている者は最低限の能力を持ち、それを実現する才能を持つ。更に、現在も必死に練習に励んでいるのだ。彼らに今でも勝てる思えるほど、総一の心根には無礼さはなかった。

「戦法も違うから一概には言えないが……」


 『ならお前も大会に出てみないか』という言葉を糸子は言えずに飲み込んだ。

 個人の部の出場者は各校二人。もう一人には遠慮してもらうとして。

 そして丑光は優勝候補。だから少なくとも今の丑光よりも強い総一ならば、きっと地区予選の決勝まで難なく辿り着けるだろう。そしてその途中か、最後かに理織と当たり……。



 エアコンのファンベルトから異音を発した車が、一台横を通り過ぎる。

 横断歩道を横目に二人は歩く。横断歩道の先は、糸子の家へと向かう道。



「……なら、逆にどうすれば丑光は理織に勝てると思う?」

「無理って結論は駄目っすか」

「無理矢理にでも考えろ」

「えー」


 冗談で終わらせようとした総一だったが、糸子に促され文句を言いつつ頭の中で丑光の姿を描く。

 渋る声を上げ、同じく渋い顔を浮かべて。

 思い描くのは丑光の姿。前には倒れた理織の姿。そこから映像を逆再生するようにその過程を逆算してゆく。

 だが、映像のほとんど全てがすぐに止まる。それ以前を思い浮かべられないために。

 打撃、駄目。全部防がれる。投げ、駄目。持ち上げられずに逆に投げられる。関節技、駄……一部あり。絞め技……。


「絞め技とかどっすか。裸締めとかすれば五秒で一本でしょ?」


 拳道も柔道と同じく絞め技にはみなし一本がある。

 危険な絞め技は形に入り五秒解けなければ、それで一本だ。二度は使えない手だが、奇襲としての一手なら。

「いい手だとは思うが、下手に入れようとすれば頭突きが返されるぞ。鼻血で勝負ありだ」

「三角締めとか」

「そこまで理織の体勢を崩せるか?」


 それは糸子としても考えづらい。

 三角締めに入るならばまず寝技か、またはそれに近い程まで体勢を崩さなければいけないだろう。

 だが他の対戦相手ならばいざ知らず、自分の弟がその体勢に置かれるとは思えない。裸締めならば背後を取れば入れるが、しかしその場合も無防備に背後を取れるかという問題がある。

 そもそも辰美流柔術は実戦的な流派だと糸子は自負している。たとえば背後から羽交い締めにされるなど実戦の場では致命的なことであり、だからこそ防ぐための技術も特に網羅されている。


「じゃあもう関節技で。合気道をもっと上手く使ってもらって」

「合気道か……」 


 合気道とは、現在日本で武道とされるもののうちトップクラスで幻想化されている武道の一つだろう。

 触れるだけで相手を崩し、指一本で相手を投げる。創作物の影響で、『気』を飛ばし時にはバリアのようなもので相手の攻撃を反射するようなものを想像する者すらいる。

 その幻想を利用し自らを神秘化する活動家もいるし、実際に体系の中には宗教化されるような思想もある。

 またそんな活動家を見て、逆に全てが演技とはったりで出来ている演武と型稽古特化の『やらせ』武道だと見ている者もいるだろう。


 無論、エンターテイメントと化した『やらせ』を行う者もいる。

 けれどもその内実は、自分の身体を最大限効率的に使い身を守り、相手の反射を利用し体勢を崩し、身体の構造を利用して相手を制する高度に理論化された武道の一つだ。

 つまり、熟練すればその他の武道と同じく実戦でも充分使える技術である。


 問題は。

「やってたのは中学二年までだそうだが。理織に通用するか?」

「じゃ多分まだしないっすね」

 熟練のためには、他の武道と同じく時間がかかるというだけで。


 ボクシングも合気道と同じだろう、と総一は思う。そのどちらかだけでももっと上達してくれていれば、まだ勝機があっただろうに。

 現状、丑光が使っている二つの技術は競合していないが故に相乗効果もない。場面場面で使えるかもしれないが、基本的にはそれ専門の者には劣るだろう。

 まだいいとこ取りを出来るレベルに達していない。それが実際に何度も打ちのめした総一の感想だ。


 ならば、あとは辰美理織自身への対策。


「あとは、会長が試合の朝下剤を弟君に盛ってくれるとか」

「話にならんな」

「ちょーっとでいいんすよ。朝の味噌汁とかに粉をちょちょっと」

「そうかそうか。今すぐげんこつをちょちょっと食らいたいか」

「うぇい」


 体調不良での棄権を狙う、という盤外戦術。もちろん海馬学園長にバレれば説教では済まされないが、しかし効果はあるだろう。

 棄権でなくても構わない。人は、体調を崩せばベストなパフォーマンスは発揮出来ない。

 弱った辰美理織と健康の丑光雷太。ならば天秤は……それでも辰美理織の方が若干重そうだが、と総一は考えつつ。 


「でももう、そんくらいしかないんじゃないっすか? 丑光を勝たせたかったら」

「ままならないな」


 ふう、と糸子は溜息をつく。

 現状の実力の差は明らかで、万に一つもないとはいわないが、けれどもまぐれを願うにしても分が悪い。

 今年はまだ勝てないだろう。そう予想するのは関わる三人共通の意見。もしくは四人の。


 だが近づくとすれば、総一とすれば最後の手はある。

 総一は暗い空を見上げてパカリと口を開く。

「あとは、せめてちゃんとしたスパーリング相手を見つけるとか」

「お前じゃ駄目なのか?」

「目的は強くなることじゃなくて、打倒辰美理織でしょ?」

 

 総一は思う。自分には効果はわからないが、専門家の二人が言うのだ。自分とのスパーリングは、強くなるのには有効かもしれない。

 けれども、対辰美理織を考えるならば、自分は不適格だ。強くなる、というのは打倒辰美理織という目的からすると遠回りで、考えなければいけないのは強くなる方策ではなく打倒辰美理織の方策。

 ならばマストリンクをカット(手っ取り早く)するには。


「休みの日とかに、弟君(辰美理織)にスパーリングパートナー頼めません?」


 それが一番わかりやすい近道ではないだろうか、と総一には思えるのだが。


「…………」

 悩む素振りも見せずに、無視するように糸子は無言で総一の隣を歩く。

 それから数秒のあと、静かに口を開いた。

「たしかに、合理的な選択なのかもしれんな」

 ウェイトリフティングの成績を伸ばすのに必要なのがウェイトリフティングの練習だということと同じように。野球の成績を伸ばすのには筋力トレーニングよりも野球の練習が有効なように。


 商店街へと続く角が見える。

 人通りが少しだけ増えて、奥からは総菜のコロッケの揚げた匂いがした。


「ま、弟君じゃなくても、会長のお家の道場から何人か借りられればその方がいいでしょ。俺なんかが相手するより」

 もしくは丑光が道場に出向くか。どちらにせよ、出稽古、と考えれば彼らにも理解しやすいだろうし。

「…………お前、学園長はな」

「ところでもうすぐ俺んちですけど、まさか家まで来ます?」

「…………」


 商店街の曲がり角。さすがに、糸子の家まで帰るのであれば、これ以上は遠回りも過ぎる。言葉を遮られた糸子はそれ以上続けられなかったが、総一はそれを気にもしなかった。

 そして糸子自身、それ以上言えなかった。学園長の口にした『仮想辰美理織』が、誰にとってのものかということも。


 苦笑で濁しつつ、糸子は目を伏せる。

「そういえば、羊谷は何度かお前の部屋に上がってるんだったか」

「遅くなると学校しまっちゃいますからね。さすがに羊谷ん家にまでは行きたくないし」

「勉強会ということは信じるが、不純異性交友はまだ早いからな」

「あらま。たまに見せるお堅い委員長ムーブ」


 んなことしませんよ、と総一は呆れたように言って、立ち止まった糸子から一歩離れる。

 総一はそもそもそんな気は起きないと自分で思っているし、また起こす気もない。

 だから、目の前の生徒会長を誘うこともしない。


「お疲れ様でした」

「ああ、お疲れ様」


 去って行く総一を見送り、横を見れば明るい商店街通り。

 遠回りは終わりだ。遠回りしか出来なかった今日の帰り道も。


「……ままならんものだ」


 暗い帰り道へと消えてゆく総一をもう一度見て、糸子は一言呟いた。





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