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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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34/70

白い鳥

 



「ちょ、凄くない? あの鳳ってやつ」

 続けて二点を取られた白鳥の様子に、彼女の評判を知っている皆がどよめく。

 隣から聞こえた女生徒の声を聞いて兎崎だけは『あいつなら当然』と見守っていたが、しかしそこまで驚くことなのだろうか、とも思った。

「……そんなに驚くことなの?」


 今目の前で、総一相手に一点を取り返した白鳥。追いつけなかった総一は「くそー」と僅かに悔しがる様子を見せたが、しかしそれでも白鳥は喜ぶ様子を見せずにボールをただ受け取った。

 そんな様子を見ながら、先ほど驚きの声を上げた女子生徒に兎崎は問いかける。

 兎崎から話しかけられることなどそうそうなかった女子生徒は、少しだけ驚きながらそれに返した。

「そりゃそうだよ。私同じ中学だったけど、中学の時にも無敗の女王って有名だったんだもん」

「ふうん」

 テニス班と聞く。兎崎は総一と違い白鳥のプロフィールに目を通したことがなかったが、しかしその二つの事実でおおよその必要な情報は把握した。

 要は、テニス選手として有名だったのだろう。そして公式で無敗か、もしくは目立った負けがなかったほどの。

「中学の時から目立っててさ。何か近寄りがたくて、でもテニス部ではもう有名で、追っかけみたいなやつらもテニスの練習見に行ってるくらいでさ」


 まあ極端な反応ではあるが、そうなるだろうか、と兎崎は思う。

「ハーフらしくて髪は金っぼくて背も高くて綺麗じゃん? 大人びて見えてたし、それであだ名までつけられて」

「あだ名?」

「『二中のお(ちょう)夫人』って」

「それ本人怒ったんじゃない?」

 中学生に夫人とは。

 そこまではやりすぎではないだろうか、とも兎崎は思った。



「ゲ、ゲーム、チェンジサイズ」

 兎崎が目を離している隙に、1ゲーム目が終わったらしい。兎崎にとっては順当に総一が1ゲーム先取という結果で。

 いつの間にか主審や線審までいる、ということに驚きを隠せなかったが。しかし主審の教師やテニス班員らしき線審があまりにも堂々としていて、気付くまで兎崎は違和感を覚えられなかったというのも不思議だった。


 コートサイドを交替した白鳥は、負けているにも関わらず悔しさなどない不思議な感覚だった。

 それよりも何故だか感じていたのは、興奮。それに、高揚感。


「レディ」


 主審の教師に促され、サーブ権が移った総一は静かにボールを投げ上げる。のびのびと優雅に、それでいて力強く。

 それから打ち出されたフラットサーブは、白鳥が今まで感じたことのない速さで伸びてきて。

(!!)

 打ち返すのにも一苦労。

 この腕のだるさはなんなのだろうか。痺れに似た感覚はなんなのだろうか。

 返ってきた球を打ち返そうとして、伸ばしたラケットの先にボールがかすった。目測を誤るというよりも、目測すら付けられない球が隣のコートに飛んでいき、白鳥自身は転びかけてつんのめる。


 片膝をつくようにしてしばし立ち上がれず、大きく息を吐いた。




「怪我した?」

「してないと思うわ」


 見守っていた女生徒と兎崎は呟きを交わす。心配するほどでもないだろう、と見守っていた兎崎だったが、しかしそれ以上に白鳥の様子がおかしく感じた。

 立ち上がった白鳥は静かにポジションへと戻り、真剣な目で総一を見る。

 だがその姿に悔しさなどは感じない。ただ真剣に、そしてどこか、楽しそうに。


「それに、苛々もしてないみたいね」


 何だったのだろうか、と兎崎は言いつつぼんやりと雲を見上げた。




 向かい合う総一は、その変化をはっきりと感じた。

 先ほどまではそれでも白鳥も本気ではなかったのだと思う。どこか恐る恐るのプレイだったと思う。けれども、立ち上がった今、何かが変わった。視線が真剣にこちらを見ている。

 サーブのために掲げたボール。それに足の置く位置、ラケットの角度、その他全てを見られている気がする。呼吸が合っている気がする。こちらが合わせているとも思えないので、向こうがきっと合わせているのだ。いつ動くか、どう動くか見計らうように。


(こわ)


 軽口を叩かず内心にしまいつつ、総一はボールを投げ上げてまたサーブを打ち込む。

 登竜学園テニス班の誰よりも力強く速い球は、しかし白鳥には通用しない。


 ダン、と重々しい音と共にレシーブが行われる。

 半歩遅れた、と白鳥は反省しながらも、総一の近くへと返した球の行方を追った。

 総一の構えに反応するように、自然と白鳥の足が動く。右か左か、ネット際か奥か、どこに返ってくるのかも考えつつ、しかしその考えも放棄して身体の反応するままに。


 返せる。

 総一の山なりの球を奥で迎え撃ち、また中央へダッシュで戻る。

 返せる。

 振られるようにして左右に打ち分けられた球を丁寧に追う。

 そしてその最中にも。


(もっと強く、もっと別の場所へ!)


 自分はまだ無意識に手加減しているのだ、と白鳥は思う。

 まだ無意識に手加減して、自分は総一が『打ち返せるであろう場所』に緩い球を返している。


 でも大丈夫だ、と思う。

 彼ならば大丈夫だ、とどこか思う。


「っ!!」


 続くラリー。全力で、力一杯に球を打ち返す。

 大丈夫。もっと厳しい場所へ。もっと強く打ち込んでも。


 きっとこの人ならば返してくれるから。



「でっ!?」


 追いつききれなかった総一が、かろうじてラケットで弾いて白鳥のコートへと返球する。

 緩く上がったチャンスボール。

 それを強打し打ち込む。総一の背中側、取れそうにもない場所へ。

 それでも。


「ににぃ!」


 声にならない声を発し、しかし総一は燕のように切り返し、バックハンドでそれを拾う。その球すらも、かろうじて返せたような威力ではない。それはまるで、常人の行うサーブのような速度で。

(ほらっ!!)


 だからね、と皆に見せつけるように、また白鳥はその球を返す。

 体勢を立て直しつつあった総一はまたラリーの続きとばかりに白鳥へと返した。


 そして総一としても。

(今度はどうだ!)

 打ち返す度に、白鳥の隙を探りつつその場所を探す。白鳥の構え、視線の向きなどから、統合して最も打ち返しづらい場所へ。


 超高校生級の総一の球。

 白鳥としても、簡単に返せるわけではない。

 だが。


(返せる!)


 総一の技巧による、回転のかかり不規則に変化する球。バウンドが素直ではなくなり、また軌道もねじ曲がるような球でさえも。

 白鳥は懸命に食らいつく。どこからどこへと考える余裕もなくなるが、その余裕のなさが心地よい。


 白鳥の手が届かぬ場所へと逃げてゆく球。

 追いつけない、と皆が思った。白鳥すらも。

 けれども白鳥は懸命に手を伸ばす。


(届く……届け!!)


 コートの内ならばどこであっても、届かない場所ではないと白鳥は信じている。

 そのために練習してきた。そのために鍛えてきた。

 だから。



 ラケットの端で拾うように飛ばした球が、総一の意表を突くようにネットを越えてコートへ入る。

 総一はそれを拾いきれず、前向きに転がってボールを見送った。


「っっしゃあ!!」


 拳を握りしめて思わず叫んだ白鳥は、自分で自分が叫んだことに驚いて周囲を見回す。

 少しだけ恥ずかしかったが、それから、何事もなかったかのようにまた構えた。

 それよりももっと重要なことがある。いまこのゲームを取らなければ。試合が終わる。

 だから取りたい。絶対に取ってやる。


 気合いを入れ直すように大きく頬を膨らませて深呼吸をしてから、総一がボールをついて弾ませた。

 その仕草すらも見逃せない、と白鳥は改めて思う。


 今目の前のコートには人がいる。

 そこに立つのはボールを当てる的代わりの案山子ではない。ボールに誰も触りもしない無人のコートではない。

 今までの練習は無駄ではなかった。

 目の前の男子に勝つためには、全精力を振り絞らなければいけない。今まで培ってきた技術を、鍛えてきた身体を、重ねてきた努力を、全部使ってそれでも届かないかもしれない。

 それでも。

 だから努力してきたのだ。練習を重ねてきたのだ。


「レディ」

 審判に促され、総一がまたサーブに入る。

 その様を見つつ、白鳥の顔に熱の籠もった笑みが浮かぶ。


 楽しい。


 目の前のコートには人がいる。

 打ち返してくれる人がいる。


 嬉しい。


 父でもなかった、母でもなかった。彼らが連れてきたプロの選手でもなかった。

 今までの人生で、見たことのない人が。

 日本中、世界中を探してもいないと思っていた人が。


 こんな近くに。





「ゲームセット」

 3ゲーム目までもつれ込んだ勝負。主審がコールをして、選手の動きが止まる。

 二人共にハァハァと息を切らせて、夏場としても多すぎる汗をかきながら。

「……参りましたわ」

「どーも」


 結果は総一の勝利。

 軽い気持ちでやるんじゃなかった、と総一は思った。彼としてはただ単に、暇潰しの一環で他組の体育の授業に途中参加しただけだ。そしてそこで、兎崎が困っていそうだから受けて立っただけだ。

 勝つには勝ったが、しかしそれも白鳥の油断というものがあったからだろう。油断して1ゲーム目を落としてくれたおかげで、どうにか競り勝つことが出来ただけで。

 もう一度最初から、油断してくれなければ恐らく負ける。

 男子と女子という違いもあろうに。さすが、才能ある奴は違うな、と総一は内心苦笑した。


 白鳥が手を差し出す。テニス班の練習では、したことがない仕草で。

「ありがとうございました」

「……ありがとうございました」

 互いに汗も拭わず、湿った手での握手。しかし互いに気にもせず、その手を握り返した。


 試合後に、心から礼の言葉を口にしたのはいつ以来だろうか。

 白鳥はそう考えつつも、どうでもいいのだと思った。

 ありがとうと、今は心からそう言える。

 負けたのに、悔しくはない。いいや、きっと悔しいのだろう。今考えても、自分が失敗をしたところ、もしくはもっと上手く出来たところ、と検討の余地が大量にある。

 しかしその悔しさが不快ではない。今の私ではここまでだった。だから、次は勝てる。勝つための練習を積める。

 もっと上手になってもいいのだ。多分、そう思えるから。


「あの?」


 ぎゅう、と握られた手が離されないので、総一は不審に思いつつ尋ねる。だが白鳥は真剣な眼差しで総一に迫るように距離を詰める。

「もう一度やりませんか? 今度は3セットマッチで」

「いや、そんな時間なくね?」

 そろそろ離してほしい。それに、その申し出はさすがにごめんだ。事実体育の時間としてはもうほとんど時間がなく、一試合など到底不可能だ。

 総一はやんわりと断るが、白鳥は手を握りしめたまままっすぐに総一に視線を向ける。


 だって、まだやりたい。

 まだやりたりない。


 3セットマッチでもきっと足りない。5セットマッチでもおそらくは。

 だから何試合でも、何十試合でも。


 付き合ってもらいたい。

 こんな楽しいテニスの試合なら。


 勝って喜びたい。負けて悔しく思いたい。

 唯一見つけた、それが出来る貴方と。


 いつまでも。いつまでも。




 チャイムの音が鳴る。

「あ、ほら。体育の授業終わるってさ」

 緩んだ隙に総一は手を離し、一歩下がる。時間を忘れていた体育教師はすぐに皆に声をかけて、ひとまずの挨拶をするべく生徒たちを一塊に集めた。

「じゃあ今度、誘ってもよろしいですか?」

「……ま、暇なときなら」

 総一は目を逸らしながら言う。正直何度もやりたくはない。体力的にも厳しい白鳥との試合は、二日に一度が限度かもしれないほどの。

 そして、あまりやりたくはない。

 持ってあと数年。それから徐々に勝てなくなってゆくだろう相手とは。


 解散となり、生徒が散ってゆく。

 いつもは着替えの猶予も取って終わるはずだが、そうでなかった今日は急がねばと皆が足早に更衣室へと向かっていった。


「……あ、あの……」


 総一のA組の体育の時間まではまだ一時限ほど間が空く。

 それまではまたどこかの木陰で涼みつつ昼寝でもしていようか、と思っていたところに声がかかった。無論、白鳥の。

「ん?」

 勿論今から試合をしようなどとは思っていまい。そう軽く考え、総一は振り返る。

 そして振り返られた白鳥は、少しばかり目を逸らしつつまた口を開く。

「連絡先、交換……しませんか? その……猫たちの近況とか……送り……たいので……」

「ああ、うん。やろやろ。今スマホ持ってないからあとでねー」

 辿々しく言葉を発する白鳥に少しばかりの違和感を覚えつつ、総一はあしらうように軽く答えた。


 総一に見えないよう、白鳥は拳を握って喜びを示す。

 何となくその喜びが見えないようにしたのは、本人にすら何故だかわからずに。


 急に気恥ずかしくなって、総一の顔を見られなくなった。

 そんな変化が自分の身に起きていることが不思議に思いつつも。



(あらまあ)


 そんな二人を遠くで見ていた兎崎は、二人に近寄らぬよう、てくてくと教室への道を急いだ。





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