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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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33/70

見つけた?




 一年生、羊谷麦の席は、校庭の見える窓際にある。

 窓から見下ろせる校庭には、付属のようにテニスコートやサッカーコート、幅跳び用の砂場や陸上競技場が存在する。どこかのクラスがそこで体育の授業を行っていれば、座学の時間にも窓越しにそこからの声がよく聞こえてきていた。


「下人がここで髪を――」


 現代文の授業中。集中力が途切れたその隙間、頬杖をついてふと外を見た羊谷が、テニスコートを視界に入れる。

(あ、総一先輩……)


 人が豆粒のようにしか見えない遠くから。

 羊谷はそこで誰かと話す総一を発見した。


 特段彼の後ろ姿に特徴があるわけではない。

 背が人より高いわけでも、太っているわけでも細いわけでも、髪の色が変わっているわけでもない。ジャージの色は二年生共通の緑。

 

 けれども、羊谷にはそれがわかった。

 何の根拠もあるわけではない。

 羊谷の視力は人並みの両目1.0前後。遠くのものがよく見えるわけでもない。


 だが、そこに総一がいるのがわかった。

 それは最近羊谷が見つけた特技の一つで。

 彼以外は特別わからないのだから、何の意味もないもので。


 しかし彼女にとっては、特別意味があることだ。





 テニスコートでは。

 割って入った男子の声に、白鳥と兎崎、それにいくらかの級友が視線を向ける。

 その先にいたのは、ジャージ姿の特待生。2年A組の鳳総一。

 予備のラケットを携えて、へらへらと笑いながら。


「あれ? 俺なんか不味いこと言った?」


 それはそうだろう、と級友たちは思う。先ほどまで姿を見せなかった男子生徒だ。そして自分たちの組ではないこともよく知っている。

 もはや二人の口喧嘩に発展しそうだった『お誘い』の場はほとんど冷え込んでいて、聞いていた級友たちは『不味いことになりそうだ』と気まずい思いをしていたというのに。


「……総一さん」


 白鳥の胸中に、驚愕と、それになんとなしの後ろめたさが浮かんだ。

 何故だかこの場にいてほしくなかった、と感じた。彼がこの場にいて、先ほどまでの意気は吹き飛んで、兎崎を前にしてもこの場を立ち去りたいとすら思った。

 そもそも何でこんなところにいるのか。わからずに、戸惑い声が止まった。


 そして沈黙を破ったのは、兎崎。

 噴き出すように小さく笑いながら。


「総一、それだとあんたがこいつを好きってことになるけど」

「え、ああそういやそうだ! じゃあなし! 今のなし! 兎崎GO!」

 兎崎の言葉に総一は大きな身振りで身体の前に×を示す。だが鼻から息を吐き出し、得意げな様子で兎崎はつんとそっぽを向いた。

「残念ね、もうあんたがやることになってるわよ」

 

 この場でその言葉に気付いたのは兎崎だけだった。

 総一が引用し、名前をすげ替え発したのは昔読んだ文学小説の一節。

 無名というわけではないが、教科書に載ったことはない恋物語。主人公の親友が、自らも思いを寄せている主人公の思い人に対し、不得意な主人公の代理として卓球の相手を買って出た場面だ。

 それに当てはめるならば、総一は兎崎を親友とみなしているということになるが。


 二人だけで通じている会話。

 一瞬だが蚊帳の外になった白鳥は、ほんの少しだけ自覚した。自分が苛ついているのだということを。先ほどとは違う理由、ということにまでは気付かぬまでも。


「……では、総一さん、やりましょうか」

「おうよ」


 白鳥は自分の声が少しだけ冷たく、そして固くなったことがわかった。

「…………仲良く出来ると、思ったのに……」

 背を向けてぽつりと呟いた言葉が誰にも聞こえぬよう吐けたのは、羞恥心と、意地。




「スムース? ラフ?」


 総一がラケットヘッドをネット越しにコートに付ける。そのまま白鳥に問いかけると、白鳥は静かに「ラフ」と選択する。

 目の前の男子がルールを知っている、ということに驚くこともなく淡々と。

 そして落とされた総一のラケットを白鳥が持ち上げて示せば、グリップの向きはスムースを示していた。

「じゃ、俺こっちのコートねー」



「今何やったの?」

 兎崎の近く、フェンス際まで下がった女子生徒が、兎崎に問いかける。

 兎崎はその顔を見ることもなく、無感情に口を開く。

「サーブ権を決めたの。貴方たちがさっきまでじゃんけんでやってたあれよ」

「え? じゃあ、あの鳳は負けたってこと?」

「そうじゃなくて、勝ったからコートを選んだの」

 女子生徒は兎崎の言葉に「ふうん」と納得する声を上げたが、しかし首を傾げた。

 先ほどの教師のルール説明を聞いていなかったのか、と兎崎は思ったが、しかしその上で『サーブ権はコインかラケットの裏表で決める』程度にしか口にしていなかったな、と思い直した。



 総一にとっても白鳥にとってもコートはどちらでも構わない。

 選んだ総一は両手を飛行機のように広げて旋回し、今いたコートのポジションに着く。白鳥はそれを見送り、ボールを二度地面について、握りしめた。


 嫌だ、嫌だ、と白鳥は思う。

 先ほどまでの苛立ちはどこかへいってしまったのだと感じる。

 それから感じているのは、後悔。

 目の前で見ていた程度の低い試合に苛立ち、ついつい手を出してしまった。そして誰も白鳥のプレーについては来られなかった。


 それでも皆の態度にあまり悪いものが見られなかったのは、きっと彼らがテニスに対して真剣ではないからだろう。勝とうとしていないからだろう。

 不真面目さが功を奏した、ということなのかもしれない。だからまだ自分は疎ましがられていないのだ。だから。だが。


 白鳥も線まで下がり、ボールを顔の前で構えて総一を見る。


 総一は自分のポジションで、しっかりと前屈みに構えていた。堂に入っている、と思う。

 彼は運動神経が良いのだという。そして自分をテニスに誘うということは、きっと自信があるのだろう。テニス班の皆、もしくはテニスクラブなどで自分と競ってきた皆と同じように。


 そして自信がある者は。テニスに対して真剣な者は。

 自分と試合をした皆は、皆一様に同じような反応を示す。テニスクラブのエースだった者も、テニス班の班長も、プロテニスプレイヤーだった両親も。


 『もう叶とは出来ないなぁ』


 父に苦笑と共にそう言われたのは、小学生の頃だっただろうか。





「っ!」

 白鳥がサーブを放つ。白鳥からすれば手加減をして、緩く打ったサーブ。

 だがそれすらも、両親からしてもほとんど追いつけぬ球。

 鋭い打球がネットの上を越える。最近知り合ったあの男子も、まだ反応出来ていないように見える。


 これで終わりなのだろう、と思う。

 わざと失敗することは出来ない。それはテニスに真剣に打ち込んでいた自分の性で、そして修正出来ない身体の型。

 

 もはやわかる。

 この四球で、きっと彼もテニスプレイヤーの自分を疎ましく思うはずだ。

 自信があった何かを打ち砕かれることは、きっと皆が嫌がることなのだろう。

 だから誰も打ち返してはくれない。自分が打つのは打ち返せない球なのだから。


 ボールが総一のコートを叩く。

 自分のコートの中に戻り、とりあえず構えてそれを見守っていた白鳥。


 どうせ返っては来ない球。

 待つだけ無……。




 ポン、という何かが弾けた音がやけに近くで白鳥の耳に入った。

 その音の出所は、自身の横。

 そして、その音が放たれた原因もわかっている。

 わかっていて、脳がそれを一時理解することを放棄した。


「……!?」


 背後で金属フェンスが鳴った。

 白鳥が、中途半端にラケットを出した形で固まる。

 まさか、打ち返してきたのだろうか。

 目の前の男子が。テニス班の選抜メンバーでもなく、またそもそもテニス班でもないただの男子が。

「聞き忘れてたけど-、ちょっと長めにやりたいし3ゲームマッチでいいー?」

 レシーブされた球が、後ろの金属フェンスに跳ねかえって白鳥の背後にまで転がってくる。もはや勢いのなく転がるだけの球。

 それを拾い上げ、小さく白鳥は答える。


「……そうしましょうか」

「よしよし」


 もう少し強めに打ってもいいのかもしれない。

 もしかしたら。


 期待を込めて、白鳥は先ほどよりも高くボールを投げ上げる。

 そして、打つ。


 それから、やはり、とどこか納得する思いで返ってきた球を受ける。

 重たい。記憶に残る今までの誰よりも。感覚としては、まだ未熟だった頃に父の球に感じていた重さ。

 だがその程度なら。


「っ!!」


 短く小さい息を吐きながら、白鳥がラケットを振って球を打ち返す。

 この程度ならばコントロールは失わない。ボールは総一の近くへと落ちて、フラットな回転のまま素直に跳ねて、そして。


(ふひゃー、やっぱ力あんなぁ)


 また球を打ち返した総一は思う。

 こういったスポーツごとで、上級者を相手にしたとき大抵の場合に共通する印象。

 ボールを伝うか身体直接伝うかはわからないが、相手から感じる力と見た目の印象の乖離。

 糸子やその弟理織なども顕著だが、細身に見えて伝えられる『何か』にはそれ以上の筋力を感じるものだ。見た目なりの筋力ではなく、見た目以上の筋力。

 それは身体の本来の力のどれだけを扱えるか、という話。無駄なく効果的な身体の使い方により、女の細腕でも筋骨隆々の男に勝てるし、筋肉質程度の腕で筋肉の塊の大男に勝てる。

 無論、鍛えることが無駄、というわけではない。

 その競技における身体の使い方が上手であれば、その上で筋肉や腱の強さが重要となるというだけの話。


 

 総一の返球を、腕を伸ばして白鳥が受ける。

 今までこんなことはなかった、と思いながら。久しぶりに相手の一挙手一投足に注意を払い、球を追いかけているというような感覚。


 まさか。


 それから二往復のラリーが続き、白鳥がまた追い切れずに球を逃す。

 ガシャンとフェンスの揺れる音。久しぶりの感覚だった。自分の後ろから聞いたことなどほとんどなかったのに。





「羊谷ー。羊谷ー!」

「……はい! はい!!」

「ボーッとしてんなよー!」


 教員の声に羊谷は我に返る。

 テニスコートで小さく動く総一を見ていたはずだが、しかし教師が何か自分を当てていたらしい。

 トントンと教員がペンで白板を叩く。今日の講義内容は『羅生門』。今はその登場人物、『下人』の人となりを示す描写に関する語句をまとめていたところらしい。指している語句は……。

「このニキビはどういう意味だ?」

 それならたしかどこかで見たことがある、と羊谷は唾を飲んで納得する。たしか総一から予習として軽く聞いたことが……。

「えっと、あ、はい、まだ子供だって意味……で……?」

「……まあいいだろう。そう、この下人はまだ若く、故にまだ判断能力が低いのと、――」


 続く教員の授業に、助かった、と羊谷は息を吐く。

 それからテニスコートから意識して目を離すように、ペン軸を顎に当てつつ授業を聴く体勢に戻った。





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白鳥メイン回なのに目立つ羊谷のヒロイン力よ。
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