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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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32/70

友情




 何の因果か、と白鳥は溜息を吐いた。

 週に二度ほどある体育の時間。数日前のソフトボールを乗り越えて、今日の体育の競技を確認して。


 二年B組の生徒がテニスコートに集まる。

 登竜学園が誇る整備されたコートは、八面ほどが並ぶごく普通のものだ。

 基本的なルールを最初に学び、基本的な打ち方や戦術をいくつか教えられ、あまりにも出来ない者は体育教師からの集中指導へ。出来なくはない生徒はその後自由な試合や練習へ。そうするのがいつものことだ。

 

 その日もコートに持ち込まれた白板と、実際のコートを見ながらの簡単なルール説明を終えて、残りの三十分ほどを試合に使うという恒例の流れだった。


 無論白鳥にはテニスの練習など必要ない。

 ルールは熟知しているし、ラケットやボールの扱いも手慣れたものだ。

 故に自然と試合組に入ることになり、そして既にいくつかのコートで試合が始まっている。

 もはやここからは生徒の自主性に任された自由行動だ。

 シングルでの試合、仲の良い友達と組んでのダブルスの試合。審判は適当に近くにいる生徒が行うもので、ラインズマンもなく全て自己申告で行われるものもある。


「白鳥さん、やりませんかー?」


 級友が白鳥に声をかけてくる。

 だがそこでは、「いえ」と首を横に振るだけが精一杯だ。

「……私は経験者なので、審判をやりましょう」

「えー? 白鳥さんの試合が見たいのにー」

「ワンゲームマッチでいいですよね」

 

 出来る限りの笑みを浮かべて白鳥はコート横の点数表示の後ろに下がる。

「ほら、皆様どうぞ」

 しぶしぶと、という風に、しかし何も気にしないように、級友の女子生徒が組を作って向かい合う。じゃんけんでサーブ権を奪い合い、そしてサーブ権をとっても何の感慨深さもなさげに。


 サービスエースもなく、白鳥の目の前で静かに試合が始まる。他のコートの声に紛れるように声援を受けながら、二人が辿々しい動きでボールを打ち合う。


 弱い打球、鈍い返球、追いつけずに、または目測を誤り返らぬ球。

0-30(ラブサーティ)

 一方的だが、それはまだただの偶然だろう、と白鳥は思う。

 お互いに実力と呼べるものもなく、そして実力があるとすれば伯仲している。低いレベルでの戦いが、じりじりと進んでゆく。

 テニス班の練習よりもなお質の低い試合。

 大丈夫、仕方ない、と白鳥は深呼吸をして目の前の試合をなるべくフラットに見ようとする。仕方がないのだ。彼らはまだ素人で、ここで初めて球を触ったということすらあるかもしれない。

 ラリーが続く、だけでも上出来だ。上出来なのだ。


 だが、白鳥の目からすれば、酷くつまらない試合。



「15-45、ゲームセット」


 静かに白鳥は宣言する。

 ありがとう、と互いにおざなりな挨拶をし、試合をしていた二人がコートから出た。

 それから、ふと試合をしていた二人が白鳥を見る。そこにあったのは、先ほどまでの、級友に対するものと違う何か異質な目。その目がどういう意味かわからない。しかし、酷い違和感を覚えた。


「やっぱり、やりましょうか」


 誰か審判を、と白鳥がにこやかに促し、そして先ほど試合に使われていた共用のラケットを一つ受け取る。

 まだ試合をしていなかった女子生徒三人は、皆が目を交わしあい、自分がやりたい、という意思を伝え合った。




 パン、と小気味のいい音がコートに響く。

 今日の白鳥の打球は相手にかすらせもしない。相手の女子生徒は素人同然。全く反応出来ずにボールが後ろの金属フェンスに当たってからようやく動けるような始末で。


40-0(フォーティ……ゼロ?)

「0はラブと読むものよ」


 受け取ったボールを、また容赦のない力で相手のコートに打ち込む。

 いつもはラケットを持った案山子に向かって、今日は無人のコートに向かって。ただただボールを打つ。返ってくるわけがない、と思いながら、そしてそれは今日も真実になった。


 迫力の打球がコートを叩く度、わあ、と感心するような声が上がる。

 ただ白鳥がコートにサーブをするだけで終わる試合。中学までに出ていた試合とほとんど同じだ、と白鳥は懐かしくも思う。決勝や準決勝、もしくは強豪と当たれば少しばかりの打ち合いは出来ようが、しかしほとんど全ての試合はこうだったな、と。

 何が楽しいのか、と白鳥は思う。こんな競技、楽しいわけがない。ただ規定の場所に球を打ち込むだけのスポーツ。

 何が楽しいのか、と白鳥は観客と化した同級生たちのやや興奮するような表情を見る。

 うるさい。見世物じゃないのに。



 冷めてゆく白鳥の内心と反対に、次は自分、と同級生たちが白鳥の前に立つ。

 白鳥もそこに無感情に頷く。何一つ疲れず、何一つ無理をしていない試合。ただただ四球ほどを極度に緩く手加減して打っただけ。この程度ならいくらでも出来る。

 男子生徒まで混じり、「うわ、まじか」と白鳥の打球を体験して笑う。こちらは少しも楽しくないのに。


 手加減しても、手加減しても、返ってこない球。

 一通りの手が空いていた生徒の相手をし、また溜息を吐いて白鳥は苦々しく周りを見回す。その視線から『真剣さ』しか読み取れず、他の生徒は囃し立てるように「すげえ」と褒める。


 こんなもの、何が楽しいのか。

 ただ球を打って、たまに返ってきた球を打ち返すだけのスポーツが。

 自分は何故こんなことをしているのだろうか。

 体力を付けるためにランニングをする。瞬発力を付けるために反復横跳びやラダートレーニングなども欠かさない。ラケットの素振りも、壁打ちも、その他反射を鍛えるような様々な練習も。

 辛く厳しい練習の日々。

 もうやめたい。

 なのに、何故自分はこんなことをして、こんなことを練習する班にすら入っているのだろうか。


「…………」


 次は誰がやるか、と話し始めた同級生たちを尻目に、白鳥は一人歩き出す。

 見回すまでもなく見つけてはいた。そして、話しかける気はなかったし、今もまだ何故話しかけようと思っているかもわからない。

 それでも。



 フェンスに背を付けたまま、しゃがみ込んで授業をボーッと見ていた兎崎玉緒。

 彼女も気がついてはいた。自分に向かって歩いてくる誰かがいる。その誰かは白鳥で、何を言うのかと無表情に眉根を寄せて見上げるようにして待っていた。


「兎崎さん、どうですか?」


 やりませんか、と白鳥が兎崎に声をかける。

 顔を顰めるようにして唇の下に一瞬皺を寄せた兎崎は、立ち上がることもなく眠たげな声で言った。


「やるわけないでしょ。あたし苦手なの」

「やってみなければわかりませんよ」

「わかってるから言ってるのよ」


 何だ? と凄むように兎崎は言葉を重ねる。

 今の今まで目を離さなかったわけではないが、白鳥の試合は見ていた。

 一度のミスもなく相手のコートに打球を打ち込む姿。サーブ権が相手にあったときにだけ返球をしたが、しかしその球も返っては来ない姿。

 自分とは違い、運動が苦手というわけではない同級生が相手でもそうなのだ。ならば自分が相手をしたとして、変わらないし、さもなくばもっと悪い何かが起こるだろう。


「そうやって、いつもやらないから」

「兎崎さんやらないのー?」


 他の同級生も、誘いに参加する。兎崎がいつも見学に回っている理由は知らないが、この程度は出来るだろう、という軽い気持ちで。

「私体育はパスって決めてるの」

「まあそっか、いつもだもんね」

 そしてそれでもやらないなら仕方がない。その理由を知らない以上、何か体調不良かもしれないし、何か他の理由があるのかもしれないのだから。

 まさか、と女子生徒はその理由に思い至らなかった。

 兎崎の理由が、ただ『苦手だから』でしかないことなど。


「何故やらないんですか?」

 そして白鳥は、その理由がそうだと知りながらも。


 いい加減にして、と兎崎は顔を改めて顰める。

「苦手だからって言ってるでしょ。しつこい」

「…………」

「貴方は上手く出来るから楽しいんでしょうけど、私には楽しくないの。貴方たちが楽しんでるのは邪魔しないから、私は放っておいてよ」

 

 兎崎とて、皆の邪魔はしたくない。

 空気の読めないとされている自分でもわかる。下手な自分が混ざれば、先ほどまでのある意味熱狂のような皆の楽しさはなくなるだろう。白けた空気を作りたくはない。

 今断った自分に白鳥がこだわり立ち止まっているこの時さえ、空気を壊しているのだと感じる。空いたコート近くではまだ誰も試合を始めずに待っている。今はまだマシだが、このまま自分が駄々をこね続ければすぐにでも。


 仕方ないだろうか。

 仕方ない。たった四球だ。その間皆の笑いものになれば気も済むだろうし、……。

 兎崎は立ち上がろうとして、やめた。そう思っても、嫌なものは嫌だ。


 ふと見上げた先の白鳥の顔。強ばるようなその顔を見て、兎崎としても不思議に思った。

 人に興味のない兎崎とてわかる。皆はそれが何かしらの真剣さだと読み取っているようなのだが。


「……何を苛々してるのか知らないけれど」

「苛々?」


 この前の生徒会室の時と同じだ。

 白鳥は、体育の時間動こうとしない自分に苛ついている。怒っていると言い換えてもいい。

 だが、何故放っておけないのか。それがわからない。


 自分の成績を心配しているわけでもない。人の輪から外れていることを心配しているわけでもないようだ。

 そういった所謂『優しさ』からのものではないだろう。


 彼女に、自分を体育に参加させなければいけない義務はない。

 そういったものは教師の役目で、そして学園長を除く教師も認めている以上別に問題でもないだろう。


「だから」


 声は二人分。

 兎崎の声と白鳥の声。揃った二人は続きを言えずに揃って口を閉ざす。

 互いに相手が、もしくは自分が何を言おうとしたのかわからず見つめ合うこと数瞬。

 そろそろこれは口論ではないかと心配しはじめた級友たちがどきりと肩を震わせる数秒間。

 そこで、一人の男子生徒の声が割って入った。



「『兎崎の代理を僕がしましょう』」





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