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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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24/70

途中式

というわけで再開です。

捨て子も終わったので、きっと最後まで。




 理解してしまう、というのは苦痛なのだ。

 そう、兎崎玉緒は考える。


「何度言ったらわかるんですか? 途中の式がないと減点だって」

「……見ればわかるから……」


 小学生の時分。まだ数学ではなく算数と呼ばれていた科目のテスト。

 兎崎玉緒はそのテストの後、教師に呼び出されて注意されるのが恒例だった。

 理由は簡単だ。算数の科目のテストで出される計算問題の途中式、それを兎崎はほとんど書かずに提出するからである。

 

 教師としては、正当な説教である。

 算数の試験、問題を解くというのはただ答えを出す力を問うているのではない。その答えを出すまでに至った途中の考え方を見て、授業をきちんと聞いていたか、理解出来ていたかを確認するための試験なのだ。

 故に途中式というのは必ず書かねばならず、それも配点に含まれるものである。

 それを書かない兎崎は、毎度算数のテストでは大幅な減点を受けるのが常だった。


 更に、すべて答えはあっている、というのが教師としては憎らしい。

 おそらく彼女は理解はしているのだ。だが、その途中経過を書かない。

 一度目は、悪い癖だと思った。教師もやんわりと注意だけした。

 二度目は、直すべきだと決意した。教師も少しだけ厳しくした。


 しかし何度も続く答案用紙の欠落。

 答えの欄に正答を書き、見直しもせずにテストの時間を暇そうに空中を見つめていた兎崎を見て、そこに存在しない悪意を感じた。



 幼い時分の兎崎としては、ただ単に面倒だったからに過ぎない。

 そこに書かれているのは単純な計算問題。もっとも細分化すれば四則演算、少しだけ複雑にしたところで公式を使った虫食い算のようなもの。

 つまりそれは、見ればわかるのだ。問題文を読んだ瞬間に脳がそれを理解して答えを出す。

 兎崎にとっては途中式などメモ書きよりも不必要な程度の存在でしかない。特別な場合を除き、誰が1+1の答えに途中式を書くだろうか。それは少々複雑な問題であっても、同じことだ。

 プロのスポーツ選手が、ボールの行方について一々考えずとも体が動くように。プロの棋士が、ほぼ無意識に盤上の最善手を指すように。兎崎の頭脳は学校の勉強程度であれば全てに『答え』を出す。


 さすがに中学に入り、周囲と合わせるという社会性を身につけざるを得なくなってからはそのような癖もなくなった。途中式を書くという手の運動も甘受出来るようにはなった。

 しかしそれでも兎崎にとっては、『考える』ということはほとんど不必要なことで、学校の勉強程度のことで『考えさせられる』ということは甚だ苦痛なことだった。



 そして、覚えてしまう、ということも兎崎にとっては苦痛に近い。


「誰がそんなこと言ったんだよ! 何時何分何十秒? 地球が何回回ったときぃ!?」

「去年の2月8日。場所はロータリー理科室裏の室外機の前。その時に理科室の中に見えていた時計は、言葉が終了した直後午後1時15分29秒を指していたわ」


 ほんのわずかな諍い、それも小学校の時である。

 よくある煽りの一つだ。言い争いの中、以前の言動と矛盾を指摘されたときに、少なくない子供が返す一言。

 言った本人としては、それを尋ねられて黙るというのが期待する効果である。黙り込んだ相手に向けて、『ほら、お前だって覚えていないだろう』と続けるのが正しい使い方。事実その時言った男子とてそうだ。

 けれど、兎崎はそれについて出来るだけ正確に答えた。彼女も適当に答えているわけではない。単に、覚えていたのだ。その時の視界、聞いていた音、嗅いでいた匂い、風向き、温度などの五感に覚える全てのことを。


「な、適当に言ってるだけだろ!!」

 無論、言われた男子はそのことについて信じない。

 兎崎は答えに窮してそれっぽくそれなりに通じそうな適当なことを言っただけであろうし、それでこちらが黙ってしまうというのも悔しいものだ。

 そのために、強引に言い返そうとする。

 目の前の、自身の記憶に確信を持って口にしている兎崎に、僅かに気後れをしながらも。


 ほんの僅かな諍いだ。お互いに小学生で幼いということもあり、両者の間にも、ほとんど禍根は残らない。

 だが、諍いだけではない。万事常にそのようなことが起こってしまえば、幼い彼らの間には簡単に溝が生まれていく。

 一度読んだ教科書を暗記しページ数まで含めて暗唱する兎崎を、授業で教師が口にした言葉全てを記憶し級友に問われれば答える兎崎を、皆が疎外するのにそう時間は掛からなかった。




 理解できるということ、覚えてしまうということ、それらは苦痛なのだ、と兎崎は思う。

 中学の頃から、仲間はずれにならぬよう兎崎は学んで一つ癖をつけた。それは、『普通である』というフリをすること。

 問題に対し悩むフリをする。思い出すために考えるフリをする。

 それだけすれば、生来の運動神経のなさという欠点も加わり、意外にも皆は兎崎を受け入れた。『ちょっと頭がいいけれど、運動神経がないどんくさい女子』。能力値はその程度。性格も、人付き合いの悪さと気の強さを気にする者はそういなかった。


 彼女が登竜学園に入ったのはたまたまだ。

 たまたま家が近かったから。どの高校であっても構わないという傲慢に近い適当さから。

 特待生になったのはたまたまだ。

 入学試験を全て満点でこなし、その点数から特待生の資格があると言われたからの。一応、そのメリットとデメリットを聞いて、維持には体育の点数は関わらないと確認はしたが。



 そして特待生として入学し、生徒会には学園長の命令で同じ特待生の男子とともに入ることになった。


「初めまして、兎崎玉緒さん? 俺、総一っていいますぅ。気軽に総一君って呼んでね」

「……兎崎よ」


 同じ特待生とはもちろん聞いていた。

 自分と同じく入学試験を満点で突破したのだとも教師から聞いた。

 

 だがその軽薄さは、そんな生徒にはとても見えない。寝癖のついた髪、着崩してはいないが着崩れてしまった制服。自分がそうだとも思わないが、特待生とは真面目な生徒がなるものではないのだろうか。

 たとえば、既に生徒会にいた辰美糸子。同じく特待生で、そしてその様は兎崎の考える『優等生』そのものだった。

 背筋を伸ばし、アクセサリーは髪留め程度、校則通りの制服もきちんと着こなす健康的な美少女。言動からも真面目で、武道をやっているという自己紹介通りの力強さもどこか感じる。


 だが、と思考から総一の姿に視線を戻しても、特待生という印象はない。せいぜいが、クラスの内の人気者グループの腰巾着程度の印象だろう。おどけて笑いをとり、明るさを売りにしてどうにかして一軍の端にしがみつこうと努力している程度の。


 しかし兎崎にはどうでもよかった。

 どうでもいいのだ。同じ特待生だからと仲良くする必要はない。嫌な男なら関わらなければいい。

 あとは出席日数だけに気をつければこの学園も卒業できる。

 勉強に不安はない。新しい法則や解法などの発見などをしろと言われれば兎崎とて難しく思うが、学校の勉強など等しく暗記と公式の応用だ。特待生でいるためにこなさなければいけない定期試験も難しくはない。兎崎にとっては1+1を限りなくこなすだけのこと。



 特待生として彼女がこなさなければいけないのは、特待生共通の試験順位維持。

 それともう一つ、一日一冊本を読むこと。


 つまりあとは難しくない。学園長の仰せのままに、後の三年間は本を読んで気楽に過ごせばいいのだ。

 物語の世界は辛くない。

 読んでいる間は、理解してしまうという苦痛を鈍磨させ、覚えてしまうという苦痛を誤魔化してくれる。


 この三年間は、きっと自分にとって人生の休日のようなものなのだろう。

 登竜学園に入学したばかりの兎崎は、そう考えていた。




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