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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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23/70

今はまだ




 薄緑のカーテンに囲まれ、シーツがひんやりとした保健室のベッドで、羊谷はぼんやりとしつつ横になっていた。

 昼休みまでに聴取はほぼ終わっていた。担任の女教員には、ここ三日ほどで起きたほとんど全てを話した。

 嫌がらせが始まったこと。それを止めるために話をして、そしてその結果万引きを行おうとまでしてしまったこと。それを総一が止めたこと。しかしその万引きの画像で脅されて、授業をサボり、今回の諍いまで起こしてしまったこと。

 

 そこまでを、横向きに横たわり、焦点の外れた視界の中でボンヤリと羊谷は回想する。

 しかし、その原因まではやはり伝わらなかった、と羊谷は改めて思った。


 言葉を尽くせたわけではない。そのための説明をするための力が自分になかったからだろうとも思いつつも、伝わらなかったことには落胆した。

 教員には、単純な喧嘩だと思われていたのだと思う。素行の悪い五人組の中で何かしらの諍いがあり、その結果嫌がらせから喧嘩が起こり、今回の事件が起こったのだろうと。

 むしろその横で聞いていた保険医のほうがよほど親身だったと思う。それに、何故だかそこにいた図書館教諭も、頷きながら自分の話を聞いてくれていたようにも見えた。


 今回の件で、教員たちの心証は更に悪くなっただろう。

 当たり前だ。学業は振るわず、髪を染めて着崩した見た目もいわゆる『真面目』ではなく、更に悪い仲間と仲良く遊んでいた生徒だ。

 問題を起こしても可哀相ではない。単なる自業自得の結果。そんな視線が絡みつく。

 親や教師が、大人が『良い子』に見てくれるわけがない。


 そう卑下しつつ、納得しようにも、羊谷はその落胆が抑えられなかった。



 これで全部失った。

 そんな気がした。

 勉強などをしても無駄。きっともしも態度を改めようとも、自分を見る目は色眼鏡。友達だと思っていた相手からは、そうではないとはっきりと告げられた。


 学校など、つまらない場所だと思っていた。

 毎朝早起きを強いられて、つまらない話を大人しく聞くことを強いられて。話の合わない同級生に囲まれて、誰とも話せない時間を放課後まで過ごす。

 同じことの繰り返し。同じところをぐるぐると回って、どこにもいけないまま、何も出来ないまま時間だけが過ぎていく。


 でもきっと、それは友達がいても同じだったのだろうと羊谷は改めて思う。

 毎朝早起きを強いられて、つまらない話を大人しく聞くことを強いられて。ノリを遭わせてくれる友達と駄弁って、意味のない話を合間に放課後までを過ごす。それから放課後は、カラオケやボウリング、遊び疲れて夜になるまで。

 それも、同じことの繰り返し。同じところをぐるぐると回って、どこにもいけないまま、何も出来ないまま時間だけが過ぎていく。 


 そうだ。

 どんなことをしても学校はつまらない。

 つまらないどころではない。嫌なことばかりが起こる。教員には叱られて、友達……だと思っていた同級生とはすれ違って。

 

 羊谷はベッドの上で手を伸ばし、枕元においてあったスマートフォンを手に取ろうとする。しかしその途中で止めた。それをして何になる。もう自分に宛てたSNSのメッセージはきっとこない。このスマートフォンが誰かと繋がることもないのだ。



 学校なんてつまらない場所。

 家なんて苦しい場所。

 なら自分はどこにいればいればいいんだろう。こんな苦しい世界で、楽しい場所なんてあるんだろうか。


 どこに。






「おっす羊谷開けるけどいいよねー」


 ざあ、とカーテンが開けられる。

「ちょっと、女子が寝てるんだからもう少し気を……!」

 そしてその開けたカーテンの隙間に、見知った男子の顔が見えた。その後ろから保健医に叱られながらも、悪びれもせず「さーせん」と返す総一の。


「えっ!? はっ!? なんで!?」


 驚愕に目を開き、羊谷が勢いよく起き上がる。

 外のことを全く気にしていなかったという一番大きな理由に思い至らず、突然現れた総一が瞬間移動でもしてきたように感じた。


「起きれる? ならちゃっちゃと起きて帰るよー。学園長が家まで送ってってくれるってさ」


 親指で指しながら、顎をクイ、と曲げて総一は後ろの方を指し示す。

 気取ったような仕草。その仕草に反応したわけではないが、羊谷は乱れた髪の毛がやけに気になって慌てて手櫛で整えにかかった。


 それから、長い溜息をついて息を整える。

「……わかり、ました」

「んじゃ、レッツゴー。おじゃましましたー」


 はい、これお前の、と総一が羊谷の鞄を手渡す。

 そのずっしりとした感触に、羊谷は『重たいな』と内心思った。





「あたし、停学なんですよね」

「らしいね」

 二人は廊下を歩く。保健室から玄関に繋がる廊下には教室はなく、さらに既に授業が始まっている時間故に二人の声は静かでも響く。そのために羊谷は声を潜めた。

「まあ明明後日まではゆっくり休んで……いいな、俺もそうなりたい」

 総一は呟く。だが、総一の場合はそうも言っていられない。特待生である彼は数々の特権が付与されている以上、その罰則も厳しいものとなる。

 彼の場合、仮に彼が停学になる場合、その時には停学などという甘い処置は執られない。一発で退学になる。それが特待生の決まりだった。

「……先輩は、いいっすよね。いつも休みじゃないっすか」

「そうでもないよ。学校に来ないと出席にもならないし。一日一善とかいう面倒くさいノルマもあるし」

「いいっすよね、勉強が出来るから。こんな風に授業にも出ないでいいし」

「まあそれは? 今までの努力の成果? 的な?」

 総一は簡単に言うが、勿論簡単なことでもない。たしかにそれは努力の成果でもあり、そして今でも結果を出し続けているからだ。

 定期テストの順位を保つという学生にとっての試練の連続。それを順調にこなしているからこそ。


 そしてその涼しげな表情が、羊谷の癇に障った。

「いいっすよね、学校が楽しそうで」


 癇癪だ、と羊谷は自分でも思った。駄々をこねるような八つ当たり。

 それでも止められなかった。


「もう嫌っす。こんな学校なんてつまんない場所。あたしなんてやっぱり悪い子だし、勉強しても馬鹿なまんまだし、友達なんていなかったし」

「…………」

「停学なんてならなきゃよかった、いっそ退学になっちゃえばよかったんだ。あたしなんて」


 真剣だった。

 思春期に往々にして起こる、ほんの僅かな気まぐれのような感情の波。

 1か0かの極端な思考。自暴自棄の波が、羊谷を覆う。


 仕方ないな、と察した総一も頭を掻く。

「別に届け出だけ出せば退学にはなれるけど」

 恐らく止められることはあるまい。学園長に直接出すならばまだしも、教員に出す分には。

 そして総一も止める気はない。

「俺は結構楽しかったけどな」

 ただ、そう思っているだけで。


「だって先輩は……!」

「学校なんて面倒くさいだけだけど、友達と話してる間とか」


 だってお前は成績が良いから、特等生という身分と特権まで持ってるから。教員には評価され、生徒には一目置かれる存在。ならば学校が、楽しくないわけがない。

 自分が砂を噛むような思いで必死に留まっていた学校でも、楽しくないわけがない。

 総一の言葉を無視して、そう羊谷は続けようと思った。続けるべく声を出した。

 

「俺は結構楽しかったけどな。炒飯全部食われたのは未だに許してないけど」


 だが総一の言葉に違和感を覚えて、その声を口の中で止めた。


 炒飯を全部。その言葉は、いつかの夜の出来事のことだろう。

 そしてそれを覚えているということは、それは間違いなく自分がやったことだ。


 ならば、その『友達』とは。


「辞めるんなら止めないけど、停学明けに友達に挨拶くらいしてけよ。俺とか」

「……友達っすか」

「友達っす」


 言い切られて、羊谷の目に涙が浮かぶ。

 それが何故だかわからなかったが、その事実を知られるのが癪で鼻を啜るフリをして目の周りを擦った。

「…………楽しかったっすか」

「そっすね」

 総一としても嘘ではない。

 楽しかったのだろう、と思う。後輩羊谷との交流。このつまらない学校生活の中で、新鮮で、色鮮やかなものだった、と。

 

 そして、羊谷も。


「そっすか」


 考えてみれば、楽しかったと思う。

 この先輩に巻き込まれ、勉強を頼み、努力する日々が。図書室で、総一の自室で、空き教室で勉強を教えられ、時折挟む雑談が。


 毎朝早起きを強いられて、つまらない話を大人しく聞くことを強いられて。ノリを合わせてくれる友達と駄弁って、意味のない話を合間に放課後までを過ごす。

 同じことの繰り返し。同じところをぐるぐると回って、どこにもいけないまま、何も出来ないまま時間だけが過ぎていく。

 だがそんな日々の中で。

 どこか、前に進んでいた気がする。鬱屈した空気が、少しだけ涼しく巻いていた気がする。


「……あたしも、楽しかったっす」


 手放したくない。全てを手放すべく極端に振れた思考の中でも、そう思えるほどに。

 そういえば、楽しかった。



「それともう一つ」

「なんすか?」

 総一が指を立てて、その人差し指の先をそのまま羊谷の鞄へと向ける。

「その鞄、誰が持ってきたと思う?」

「…………誰?」

「俺」

「……叩いていっすか」

「駄目っす」

 冗談、と笑い飛ばすように総一は言って、一つ咳払いをした。


「俺がその鞄を親切にもお前のクラスまで取りに行ったときにさ、中の女子がその鞄持ってくるついでに俺に声かけてきたんだよね」

 先ほどの話。

 ここに来る前の休み時間。保健室へと向かう前に寄った一年生の教室で、外から羊谷の同級生に鞄を寄越すよう頼んだときのこと。

 その女子生徒は、総一に鞄を手渡しながら言ったのだ。

「『麦ちゃん、大丈夫でしたか』って」

「…………誰が?」

 

 羊谷は、誰がそう言ったのか見当がつかない。

 猿渡と犬上、その二人以外のクラスの人間と話すことなどほとんどなかった故に。


「秘密」

 総一も、名前は知らない。名前を聞けば名簿からプロフィールまでも記憶を辿れただろうが。

 知らぬ顔で一歩前に出て顔を背けた。


「でも実はお前、友達って簡単に作れると思うよ」


 羊谷が猿渡たちに連れて行かれた、ということを総一に密告したのも『彼女』だった。

 教員に早退を連絡するという嘘をつくことは出来ても、猿渡たちのことを話すのは報復が怖かった。だから羊谷の彼氏と噂のある総一に、急ぎ連絡したのだと。

 ……その話に、生徒よりも信用のない教員ということで総一は僅かに呆れていたのだが。

 

「休み明けに探してみたら?」


 友達がいないことに悩んでいたのならば。



 下駄箱に辿り着く。

 立ち並んだ金属製のロッカー。その向こう、鉄の枠で囲まれた硝子のドアのその先に、白い車が止まっているのが見えた。

 相変わらずボコボコだ、と総一は内心呟き、上履きを下駄箱の中で揃えていた羊谷に、咳払いをして注目させた。


「……?」

「学園長の車に乗るのは初めて?」

「当たり前じゃないですか?」

 きょとん、とした顔で羊谷は聞き返すが、総一はその顔に哀れにも思った。

「アドバイスだけど、首には出来るだけ力を入れておけよ」

「なんすか?」

「あと、耐ショック姿勢はこうだから」

 総一は首を丸めるようにして、頭の後ろで手を組む。実際には座りながら行わなければならないのだが、それでも乗車中にやればそうなるだろうし、要旨は伝わるだろうと簡潔に。


「あの、なんかあるんですか?」

「んにゃ。なにもないといいけどね、って話」


 バタン、と車のドアが閉まる音がする。学園長が降りて待っている、という様を見て、総一はその話題を早急に打ち切った。

 羊谷もそれに気づき、履いた靴の爪先を地面で叩きながら急ぎ準備した。


 急がなければ。

 そうは思いつつも、羊谷は言っていなかったことに今更気が付く。

 人と人とが付き合うとき、一番と言ってもいいほどに大事なこと。


「総一先輩」

「ん?」

「ありがとうございました。助けてくれて」


 言いながら、そっと手を出す。握手のための手。自分でも、何故そうしたのかはわからなかったが。

 雰囲気のままに総一はふと笑い、その手を取った。

「俺何にもしてねえけど」

「してくれました。あいつらぶん殴ってくれたの生徒会長ですけど」

「仕方ねーじゃん。あの人俺より強いもん」

 握り返す手の温度は違う。二人の体温。羊谷にとっては温かく、総一にとっては冷たいもの。どちらにとっても心地の良い。


「あたしたちは、友達なんですよね」

「? そうだよ?」

「……ありがとうございまっす」


 そして手を離し、羊谷はぺこりと頭を下げて踵を返す。

 学園長が待っている。そして今から親と会わなければならない。

 その緊張と、握手の緊張。そのどちらに今心臓が震えているのかはわからない。

 

 けれど車まで足早に駆ける羊谷は、先ほどの総一の言葉に、『ちょっと嫌だな』と思う。

 せめて『まだ』であってほしい。

 だから、休み明けには。休み明けからは。



 結局、羊谷の手で退学届が出されることはなかった。

 羊谷の停学明けの日、生徒会室で。

 総一とそれに糸子がそれを聞いたのは、羊谷から直接のことだった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 甘すぎず苦すぎず、この話の空気感が好きです。 続きを期待しつつお待ちしております。
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