いけないことの付き合い方
昼過ぎに学園長から呼び出された総一と糸子は、学園長室の机を挟んで学園長と向かい合う。
学園長は座り、重厚な机に肘をつく。組んだ手に顎を乗せるようにして、上目遣いに総一を見ていた。
その前に佇む総一と糸子はまるで説教をされている構図だな、と二人ともが思った。
もっとも学園長のその目つきには、どちらかというと哀願のような申し訳なさが浮かんでいたのだが。
白い髭を纏った学園長が、重々しく口を開く。
「午前にお前たちが起こした乱闘事件の聴取が済んだぞ。……ご苦労じゃった」
「それはどうも」
無言でぺこりと頭を下げた糸子と、軽口を口にした総一。だがどちらに対しても、学園長は反応を示さなかった。
組んでいた手を解き、学園長は椅子を回して二人に対し斜に腰掛ける。
「まず、あの四人は二週間の停学処分にすることにした」
「退学ではない? 軽くありませんか?」
糸子が声を上げた。量刑の多寡を論じる気にもなれなかったが、しかし彼らのしたことはそんなに軽くはないはずだ。
簡単な事情は総一から聞いている。羊谷は四人の嫌がらせの末、万引きまでもさせられそうになり、今回は集団で暴行まで受けようとしていた。
その他彼ら個人の素行として、喫煙や飲酒などもある。
いじめ、と簡単に言えばそれまでだが、つまりそれは犯罪でしかないのだ。決して短期間の停学などでは済むものでもないし、警察を呼べば即ち警察沙汰にもなる問題行動。
許してはならない、と糸子は思う。
もっとも、学園長のその意図も、糸子は何となく知っているのだが。
学園長は頷く。
「教員たちからも、退学にせよと意見が上がった」
昼に行われた緊急の職員会議。その中で、そのような意見がいくつも上がった……主に、ここ数年に入ったこの学園の経験の浅い教員から。
だが、学園長の意図を知っている教員たちは決してその意見に頷かず、そして学園長も容れることはなかった。
罪に対して甘いわけではない。むしろその罪を見つめているからこその意見。
「じゃが、儂は教育者じゃ。あの四人を見捨てるわけにはいかん」
「見捨てる、ですか」
「おう。お前たちもじゃが、全員がまだ未熟な十代の若造じゃ。鉄は熱いうちに打て、というが、まだ四人は熱い鉄じゃ。まだまだ叩けば無駄な火花も出るし、丁寧に折り重ねれば層を作って頑丈になる真っ赤な鉄なんじゃ」
ギイ、と学園長は椅子を揺らす。
「退学処分、簡単じゃのう。彼奴等四人を放り出してしまえば、どこぞでまた悪いことをしても儂らは知らんと手拭い被って知らんぷり出来るのう。じゃがな」
「…………」
「儂ら学園のもんは教育者なんじゃ。誰にどう思われようとも、見捨てることは出来ん。悪ガキが悪いことをしたら、頭にげんこつ落としてやらんといかん。それが儂らの務めなんじゃ……古い考えとも思うがなぁ」
学校は勉強を教えるところで、情操教育の場ではない。
躾を行うのはご家庭で、学校では試験勉強さえ出来るようにしてやればいい。
そんな考え方があるのは学園長も認めていた。
けれども、ここは自分が治める学園だ。
海馬源道学園長が、その意を以て治める場所。ならば、自分の考え方を貫くのみ。
誰にも、もしくは目の前の二人に理解されなくとも。
「それに儂はな、学校というものは、他人との付き合い方を学ぶ場だと思うとる」
「みんな仲良くは無理でしょ」
「そうじゃ、無理じゃろう」
総一は学園長の意を汲み、相槌を打った。総一とて無理だとは思っているし、そうする気もない。そして学園長がそれを強制しないということに関しては、総一は僅かに好感を覚えていた。
「社会には色んなもんがおる。性格の良い奴嫌な奴、頭の良い奴馬鹿な奴。全員と仲良く出来るか? んなわけなかろう、反りが合わない全く結構。じゃが、仲良くないなら仲良くないなりに、付き合い方を選ぶべきじゃ。学ぶべきじゃ。それは強制的に子供たちを集めた、『ここ』でしか出来ない貴重な経験じゃろう」
七歳で小学校に入ってから、社会に出るまでの猶予期間。
人生では、多くの場合その期間だけだ。同じ年齢というだけで、違う目的を持った様々な人間が強制的に近くに座らされ、同じことを強制させられるのは。
「彼奴等四人は手のつけられん悪ガキかもしれん。じゃが、彼奴等が隣にいれば、彼奴等のような悪ガキとの付き合いを皆が学べるじゃろう。話さなくとも全然構わん。遊べとも言わんし仲良くしろとも決して言わん。それでもその経験は、この学園を出たときに何かしらの力になると儂は思っとる」
「腐ったミカン、という言葉を昔のドラマで聞いたことがありますが」
一瞬途切れた合間に、糸子が反論を投げ込む。彼女も、そのドラマをきちんと全て見たことはないのだが。
たしかに学園長の言う通りかもしれない。彼らは彼らで、他の生徒たちの生きた教材にもなるかもしれない。
けれども、『教材』というものは良い影響しか与えないわけではない。
彼らに影響を受けた誰かが、素行を悪くしていくかもしれない。真面目だった生徒が、不真面目さを学んでこれからの人生に暗い影を落としていくかもしれない。
ミカン箱に入った腐ったミカンは、他のミカンを腐らせていく。
それに今回は、実際に嫌がらせを受けた羊谷がいる。何の教訓も得られず、ただ傷を負った彼女が。
「なら、全ての腐った頭に儂等がげんこつを落としていかんとな。儂等教育者はそのためにいる」
どれだけ生徒から嫌われようとも。どれだけ時流からは外れていようとも。
多くの学校で体罰が禁じられた昨今。PTAの声が大きくなった社会。それでも説教の鉄拳制裁を認めており、喧嘩などの『暴力』を容認しているのは、それが海馬学園長の考えだからだ。
「ともかく、今回問題になった四人の停学が明け次第、儂からも『指導』を行う」
「……いつも思うんですけど、何やってるんですか?」
総一は疑問をそのままぶつけた。
素行が不良の者を見つけた場合、大抵の場合総一たちは鎮圧して後のことを学園長に任せる。それから数日間の『指導』を受けた生徒たちは、気持ち悪いほどに真面目な態度で戻ってくるのだ。
学園長は咳払いをする。
「詳しくは話せんが、まずはそうじゃな、今回は椅子に縛り付けて優しい動物の映画でも10本ほど見せてやろうかのう。どんな悪たれでも優しい気持ちになるじゃろう?」
「……もしかして目薬とか差しつつ?」
ぼそりと総一は呟く。さすがに残虐映像などではなく、薬物を使うわけでもなさそうだが、と考えつつも。
「まあ目には悪いからのう。それからクラシック音楽などを聴かせながら、200通りの人を褒める言葉の書き取りでも」
「腐ったというか、時計じかけ?」
「どういう意味じゃ?」
ん? と学園長は首を傾げる。意味がわからなかった糸子も。
総一は、『ここに兎崎がいればなぁ』と、共感出来る相手を恋しく思った。
「いやまあ、続きをどうぞ」
「全部は言えんわ。ともかく、そうすることに決めた。お前たちの手はもう煩わせん。あとは儂等大人の仕事じゃ。じゃが、奴等は自身で退学を望まん限りは戻ってくる。儂等はげんこつを落とす。お前たちは、しっかりと付き合ってやってくれ」
「……学園長がそう仰有るのであれば」
不本意にではあるが、糸子は同意する。
返事は糸子のみ。
学園長は気にせず、もう一つ、と続けた。
「羊谷麦に対しては三日の停学を言い渡した」
これには糸子がまた驚く。
「何もしていないのに、ですか」
羊谷は単なるいじめの被害者だ。嫌がらせの内容も、期間も知らないまでも、被害者が処罰を受けるのは間違っている。
だが、それは学園長も同じ気分だ。その上で、そう選択したのも学園長だった。
学園長が重々しく頷く。
「……羊谷のものは処罰ではなく、心の整理のためじゃな。内々には全ての授業を出席扱いにさせておく。強制的に休ませてやった方がまだ気が楽じゃろう」
「しかし……」
「これで休み明けに出てこなかったら学園長のせいですけどねー」
囃し立てるように総一は言う。納得がいかない糸子とは違い、総一としては学園長に異論はなかった。しかしその上で、そう思った。
「そうじゃな。儂のせいじゃ」
そしてその言葉に、真面目な顔で学園長は頷いた。
異論はなかった。
「今回の件は儂が羊谷のご家族の下に赴いてきちんと説明させてもらう」
もっとも、その結果今回の件で親は転校などを選ぶかもしれない。最悪の場合ではあるが、そういったことも自分の責任だ、と学園長は感じていた。
「二人とも、済まんかった。今回の件は、全て学園側の責任じゃ。今朝総一から連絡を受けたにも関わらず対策が遅れてしまったことも、お前たち二人に乱闘までさせてしまったことも」
「俺何もやってませんけど」
全てはこのゴリラ会長が、と続けようとしたが、察した糸子が総一を睨む。
それを見て、学園長は笑みを浮かべた。
「どうせお前がやりすぎないよう辰美が代わったんじゃろ」
「……そうかもしれませんね」
全員殴り倒してしまうところだった、とは言わないが、それくらいには考えていたかもしれない。
女子も男子も関係なく、この手で。
そう感じていた総一は素直にそれを認めた。
「わかっているとは思うが、一応口にしておく。お前たちにはお咎めはない。誰がなんと言おうとも、お前たちは間違ったことはしていない。五人の親が何か言うかもしれんが、お前たちの親すら出る幕ではない。まず儂に話を通せ」
「いつものとおりじゃないですか」
「そうじゃ、いつも通り。わかったら下がっていい。……それと」
最後に、と学園長は総一を見る。
その目はどこか優しげで、その上で微笑ましさも宿っているようだと見ていた二人は思った。
「総一はどうせ午後の授業は出ないんじゃろう。保健室に羊谷がいる。家まで送っていってやれ」
「……ご家族に心配を掛けると思うので、それこそ学園長の仕事じゃないですか?」
もしくは教員、それも担任辺りの。そう思った総一は、それをそのまま口にする。
学園長は残念さに唇を尖らせつつも、肯定に椅子を鳴らした。
「それもそうじゃな。じゃあ儂はまず先方に連絡してから車の準備するから、お前は外まで連れてきてくれんか」
「あのバンパーベッコベコの高級車で」
学園長の乗りまわしている車は、白い高級車だ。エンブレムの代わりに車の前のボンネットに立体的な飾りがついているような。
そしてそのバンパーはへこみ、ボディの至る所に傷がついているのも総一は知っている。
勿論その傷を作ったのは、その車の持ち主である海馬源道学園長で。
そのまま病院直行とかにならないといいなぁ、と総一は心中でぼやいた。




