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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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20/70

本性




「ちょっと面貸してよ」

 猿渡が羊谷にそう声を掛けたのは、二時限目が終わった直後だった。


 万引き指示は昨日の今日だ。それが失敗に終わった以上、何か「こと」が起きるかもしれない。起こされるかもしれない。

 朝、そう戦々恐々として席に着いた羊谷だったが、無視するように視線が合わなかった彼女らは平然としており、一時限目は平穏に終わった。続く二時限目に繋がる休み時間も。

 どうにかしてまた話すべきだろう。そう考えていた羊谷も、そのことにはホッとしていた。今度は何を言われるのかわからない。今度も何かを言われたら、『いやだ』と言えるかわからない。問題の先送りでしかないとも思いつつも、安堵の溜息を内心ついていた。

 

 そして今。

 二時限目の歴史の授業に使った教科書を鞄に詰めて、次の英語の授業のための教科書を鞄に出していた羊谷に、猿渡と犬上が見下ろすように詰め寄っていた。


「え、今? その……」

 羊谷はちらりと教室の壁に掛けられた時計を見る。二時限目と三時限目の休み時間は十分しかない。その間で済む話とも思えないし、面を貸すということは移動をするということ。どこか他の場所へ行って、また授業が始まるまでに戻ってこられるとも思えない。

 そんな逡巡も、猿渡は鼻で笑った。


「いいじゃん。ね?」


 そして犬上が、ちらりと自分のスマートフォンの画面を見せる。

 ストラップとしてつけられたぬいぐるみが画面を隠すが、それを犬上が払いのける。

 そこに表示されていたのは写真。被写体は羊谷。その羊谷が夕方、商店街の駄菓子屋で飴を恐る恐ると一つ手に取った場面。

 何のことはない普通の写真だ。買い物。単なる日常の一風景。事実その飴はその数秒後総一の手できちんと代金を支払われ、また羊谷の胃に収められた。何のこともない、普通の。


 だがその写真は、羊谷の罪悪感を刺激するのに充分なものだった。

 その写真に収められた瞬間、まさにその瞬間に、羊谷は窃盗を決意していたのだから。


「いいの? これ教員に見せちゃうけど」

「…………」

 小声で犬上は羊谷に囁く。

 犬上としては、羊谷の内心は意図に外れていた。

 何せ、万引きの事実はない。この写真からしても、羊谷はただ単に飴を手に取っただけだ。

 けれどもその怯えるような表情に、開き掛けの鞄。

 加えて素行不良という()

 その様にきっとこれを見せた教員は信じるだろう。ああ、こいつは『やった』のだ、と。


 万引きの有無などどうでもいいとすら犬上は思っていた。目的は写真、この仕草、表情。

 羊谷はきっと従うだろう。パパやママに心配を掛けさせたくない、優しく哀れなこの同級生は、と。


「……どこに」

「いつもんところ」


 血の気が引いたような顔色で、羊谷は猿渡に行き先を問う。

 羊谷が従うのを確認し、犬上は近くの女子生徒に「センセーには早退したって言っておいて」とにこやかに告げた。





 鐘が鳴った。それは授業が始まる合図であり、つまり今ついに自分は授業を抜け出してきてしまったのだ、と羊谷は思った。

 端的に言えば、授業をさぼってしまった。即ち明確な悪い事。大抵の素行不良者が最初に『悪事』を行ったときに感じるのは高揚感だったが、羊谷にはそれはなかった。

 通り過ぎた教室からは、教員の授業の声がする。その張り上げるような声で喋る歴史の教員は、新入生からは授業中に発する『えー』の数を数えられるのが恒例となっていた。

 そんな声も、羊谷にはどこか遠くからの声に聞こえる。

 感じているのは、不安。今はどこも扉が閉まっているが、どこかの教員が気まぐれに扉を開けて自分たちを発見しないだろうか。気まぐれでなくとも、廊下を歩く足音に不審に思い確認をしないだろうか。

 目の前を歩く二人には、そんな不安は見えない。ただ楽しそうに、短くしたスカートを翻して階段を昇っている。


 羊谷は囚人のように彼ら二人の後に続く。

 いつものところ、と彼女らが言うときには行き先は決まっている。

 登竜学園実習棟の階段、屋上に繋がる踊り場だ。


 そこは既に煙の匂いが漂っていた。

「連れてきたよ」

「おう」


 返事と共に煙を吐いたのは、猿渡、犬上とよく遊ぶグループの一員、ショウゴ。サッカー班所属という運動量の多い境遇ながらも、ややふくよかな頬にその練習量が窺い知れる。

 そして横にいた男子、猪狩もまた、野球班ながら対策もなく日に焼けていない無精髭の頬がその性根を語った。


 ショウゴが煙草の灰を空き缶に落とす。

 そしてじろりと羊谷を見た。無関心ではなく、何かの粘つく感情の込めた視線を向けて。


「……何?」


 羊谷は一歩後ずさる。昨日の写真を見せて、連れてこられた。だがここで何が起きるのかは知らない。何をさせられるのかも知らない。

 けれど、何かが起きるのかもしれない。何かをさせられるのかもしれない。また何かを。

 そのことに改めて恐れが起きた。


 猪狩が無言で階段を降りて、手すりに腰の後ろをつける。まるで包囲するかのような圧迫感に、羊谷は唾を飲んだ。

 犬上が羊谷の顔を覗き込む。

「麦さ-、昨日私たちの言ったことやってくれなかったじゃん?」

「言ったことって」

「ま、ん、び、き」

「だって、あれは……」

 

 羊谷は反論をしようと口を開く。

 だが、その反論に詰まった。『あれは、鳳総一のせいで出来なかった』。そう脳裏に浮かんだ言葉が、どうしても言えなかった。

 

『せい』ではきっとない。


「わかってるよー。鳳先輩が邪魔したんだもんねー?」

「邪魔って……」

「でもさあ、せっかく私が七瀬ちゃんに許してもらうチャンスを作ったのに、失敗したってどういうこと? 私に対する謝罪もないのはどういうこと?」

 人差し指を咥えて、犬上はあどけなく首を傾げる。

「せっかく私たち友達に戻るチャンスだったのに」


「……っ……あれは……」

 羊谷は顔を背け、俯きながら目を伏せる。その様を笑うように、だがその笑みを隠しつつ犬上は涙を拭う仕草を見せる。

「もう私、七瀬ちゃん説得出来ないよ」

「…………」

 羊谷の心中に、また罪悪感が募る。

 もう、既に察しはついている。犬上は自分と猿渡の間を取り持とうとなどしていない。万引きはさらなる嫌がらせの一環で、前回の猿渡の態度すらもどこからか演技だったのではないかと疑うほどに。

 けれども、この罪悪感は無視出来ない。

 窃盗をするという罪悪感と、『友達』と反目した罪悪感。

 

 二つの罪悪感はほとんど相殺されて、もはや羊谷は正しいことを見失っていた。

 しかしただ一つだけ、残るのは『友達』への罪悪感。

 


「……友達なら……」

 そしてその『友達』は、目の前の四人ではない。

「友達なら、悪いことなんか、させないだろ」


 上手く言えない、と羊谷は思った。

 頬を無意識に噛みしめるように、もごもごと口ごもりながらの言葉。文章などの問題ではなく、なんとなしにその雰囲気が『幼い』とも思ってしまった言葉。

 だが、それしか言えない、とも思った。

 違うのだ。きっと、目の前にいる彼らが考える『友達』と、自分が考える『友達』とは。



 呆気にとられたように犬上も猿渡も動きを止めた。

 瞬きを繰り返し、その苦し紛れの言葉を反芻するように。


 その次に噴き出したのは、笑いだったが。


「……っは、ははははっ!?」


 猿渡も犬上も、男子二人も程度の差こそあれ笑い声を止めない。

 可笑しかった。彼らにとって、羊谷から強がりのようなその言葉が出たのは。


 猿渡が一歩羊谷に歩み寄る。それから肩を掴んで、突き飛ばすように壁に押しつけた。



「よくわかってんじゃん。そうだよ、あんたなんか友達じゃないよ」



 羊谷は目を見開く。

 吐息がぶつかる至近距離で、目と目を合わせて猿渡が嗤う。

「元々? なんか金持ちの親がいるからってさ、目つけてたんだよね」

「金……持ち……?」

「そう。銀行員のパパ」


 猿渡の言葉が羊谷には一瞬理解出来なかった。

 羊谷は、自分の家が裕福だ、とは思ったことがなかった。もっともそれは生まれてから『そう』だったからという慣れによるものだが。だから。


 猿渡の顔が嗤いに歪む。

「いい財布が欲しくてさぁ」

 だから羊谷には、猿渡のその動機が理解出来なかった。



 猿渡は、嘲りを隠さずに続けた。

「気付かなかったのマジウケる。割り勘だって言えば遊び代全額超簡単に出してくれたし」

「お金……?」

「あんたさぁ、金銭感覚マジないよね。月の小遣い五万って、それどんだけ貰ってんのかわかってんの?」

 猿渡の手がきつく羊谷の肩に食い込む。

「私らが売りやっても未成年(じゅーだい)だからってそうそう客見つかんないしさぁ。見つけてもイチゴ程度が相場だし、毎日なんてやってらんないし」


 ぷ、と猿渡の言葉に猪狩が噴き出す。

 猿渡も、金銭感覚が薄れている一人だろうに、と。


「麦はいいよね。小遣いなんかパパに言えばいっくらでも出てくるんでしょ? そんなお嬢ちゃまが高校入ってさぁ、なんか悪いことしたいなーって顔しててさ、ウケる。せっかく仲間に入れてやったのに結局いい子ちゃんじゃん」

 失望した、とまでは言わないが、猿渡も残念には思っていた。

 金持ちの家に生まれ、親に愛されて明るい顔で道を歩く同じ年の女子が、せっかく仲間に入ったのだ。どうか、自分と同じ道を歩みなおさせたい。親に教師に見放され、誰からも見向きをされなくなってなお自分たちと同じ道を歩むのならば。

 よく出来た者たちを共に見上げて嘲笑い、街の片隅で汚れて生きる。そうすることが出来るのならば。

 それならば、『財布』から『友達』にしてあげてもいいと思っていたのに。


「万引きも出来ない、夜遊びも出来ない、勉強に生きるって何なん?」


 なのに、羊谷は裏切った。そこに静かに怒りが湧いた。

 結局羊谷も、向こう側の人間なのだ。日の当たる場所で正々堂々と真っ当に生きる人間。悪ぶっても自分たちとは違う。

 だから。


「でもさぁ、私もあんたの価値は認めてんの。私たちのためにお金をじゃんじゃん持ってきてくれるクレジットカード。……デビット?」

 猿渡はショウゴに答えを求めて振り返るが、ショウゴも何を尋ねられたのかわからずに首を傾げた。

「まあいいや、だからさ、……」


 ぐ、と猿渡が羊谷の肩を引く。それと同時に、髪の毛を手に絡ませつつ腕をとった。

「……っ」

 振り返りつつ投げたのは、犬上の元へ。犬上は羊谷の背中を受け止めて、脇から腕を通し羽交い締めにした。


 猿渡がカーディガンのポケットを探る。

 そこから取り出したのは、大きな裁ちばさみ。


「これからもお願い聞いてもらうには、万引き未遂だけじゃ軽いよね。今ここで撮影会開こ? 麦ちゃんの生ハメ動画」

 裁ちばさみの刃を開閉させつつ、その刃を猿渡は羊谷に向けた。

「やめ、やめてよ……!」

 身をよじり、羊谷は犬上の拘束から逃れようとする。その犬上は、羊谷の耳元で囁きかけた。

「助けを呼んでみたら? 叫んだら誰か来るかもよ。裸になった麦のところへ」


 それはもう大騒ぎ、と犬上は付け加える。男子に見られちゃうかも、と更に付け加えれば、息を飲むように羊谷は喉を震わせた。

 

「……ゃ……」

 

 にやにやとショウゴが笑い、羊谷に一歩近づく。

 叫ぶべきだ、と羊谷は思った。それでも声が出なかった。声を出してしまえば、『それ以上の何か』をされそうで。

「大きな声出さないでね。びっくりして手元が狂っちゃうかも」

 猿渡が羊谷のワイシャツの裾が出ることも構わず、スカートを引いて張り、そこに裁ちばさみを当てた。

 羊谷の太腿にヒンヤリと冷たいものが触れる。その刃が腹に食い込んで来ることを想像してしまい、恐怖に身を固めた。


 涙が出てくる。

 今いったい何が起きているのだろうか。

 自分の身に何が起きているのだろうか。

 今の今まで会話まで行い、一部始終を見ていたはずの自分の頭が、現実を拒否しているのを羊谷は如実に感じた。

 ふわふわとした視界に、寒気が身体を襲う。鳥肌が立ち、震える。


「めんどくせー。上は千切っちゃえばいいな」


 ショーゴの手が羊谷の襟にかかる。

 羊谷は蹴ろうとしても足が上がらず、スカートの中が見えることを気にしていることにその後自分で気が付いた。

 プツ、と羊谷の第一ボタンがはじけ飛ぶ。

 性欲に支配されたショウゴの顔。それが目の前にあり、羊谷はそれが醜いと思った。裁ちばさみといっても傷んでいたのか、スカートの生地を切れずに鋏の中に布を巻き込んで不満そうにしている猿渡の顔が不快だった。

 涙が頬に落ちる。

 耳元にかかる犬上の吐息が不快だ。今は自分の鼻息のほうが荒くなっているということを差し引いても。

 嫌悪。不快。負の感情が頭の中でぐるぐると回る。

 友達、なのだろうか? こいつらが。


 こんなやつらが。






「あ、だぇ……っ!?」


 ばん、と床を蹴る音がした。そしてその次の瞬間、見張りを兼ねて一段下の階段部分にいた猪狩の声が響く。吹き飛び、階段の下から突き上げるように宙を舞い突き当たりの壁に激突した音に、その場にいた全員の動きが止まった。


「なるほどな。現行犯だ」

 そして猪狩に代わるようにそこに立っていた女性が、ぽつりと呟く。

 その声は静かでも、滲んだ怒りが空気を震わせていた。


 階段の下からまた足音が増える。

 静かに昇ってくる男子生徒の顔がちらりと見えて、羊谷の目が一層涙でにじんだ。


「あんまり派手にやらない方がいいらしいっすよ」

「手加減はしてる。この程度、道場生なら軽く立ってくる」

「マジっすか」


 そんな道場行きたくねえなぁ、と総一は転がって呻く猪狩を見る。

 糸子の掌底をまともに受け、宙を飛び、背中から壁に叩きつけられて落ちた。交通事故でもあったのかと見紛うばかりの惨劇の瞬間を見てしまい、何となくかわいそうにも見えて。


 それから顔を上げ、そこにいた無事な人間の数を数える。

「でも会長来てくれて助かりましたよ。女子に手を上げると学園長うるさいし」

 見回せば『素行不良』の生徒は残り三人、それもやはり予想通りの三人だった、と。

 そしてもう一人、羊谷を見て、総一は安心させるよう笑みを浮かべた。




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