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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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キャッチャーインザ商店街




 今日こそ言わないと。

 羊谷はそう決意した。きっかけは朝の出来事。

 今日も上履きはなくならなかった、けれどもその代わりに、履いた上履きの中で変な感触がした。

 

 慌てて中を見てみれば、そこに入っていたのは丸められた紙。

 ノートの紙を使ったのだろう。薄い色の罫線が見える。

 また嫌がらせか。そう思いつつ、捨てようとして紙を手に取るが、その丸められた紙の端、黒く濃く太い線が掻かれているのが見えた。

 

 開くべきではなかった。

 見なければいい、と開いている最中にすら思った。けれども無意識のその行動を羊谷は止められず、そしてやはり見てしまい後悔した。


 開いた紙には、ただ一言『キモい』と大きく記されていた。

 シャープペンを力強く使い、何度も何度もなぞられたそれを見て、ほんの僅かに羊谷の目にも涙が浮かんだ気がした。


 自分が何をしたというのだろう。

 いいや、嫌われた原因はわかっている。最近遊びの誘いを断り続けていたからだ。彼女らの好意を何度も何度も無下にしてきたからだ。

 でも、仕方ないではないか。そうしなければ自分には時間がない。教科書を読んだだけで、授業を一度聞いただけで理解できるような頭が自分にはない。

 学生の本分は勉強のはずだ。その勉強の時間を捻出するために、少しでも『まとも』になるために、自分は頑張ってきたはずなのに。


 ずしりと鞄が重たくなる。

 昨日の夜、そして今朝早くに使った教科書とノートが、今は重荷になっている。


 彼らと遊びに出ることが楽しくなかったわけではない。ボウリングやカラオケ、ゲームセンター。きっとそれが『青春』なんだろうと思った。

 別に彼らのことが嫌いになったわけではない。なのに。


 羊谷は下駄箱の前で蹲り、しばし動けずにいた。

 しかし何もしないわけにはいかない。まずは彼らとの関係を修復しなければ。

 そう決意し、立ち上がるまでそう時間はかからなかった。





「で?」


 昼休みに羊谷が向かったのは、使われていない空き教室が多い実習棟。その中の一つの階段の、屋上へ出る一歩手前の踊り場だった。

 ほとんどが空き教室のために人は来ないし、屋上へ出ることが出来るのは生徒会役員のみ。そのため人が来ることも少ない僅かなスペース。屋上に繋がる扉までは開かずとも、その横の小さな窓を開けば、煙がこもることもない。

 そこは登竜学園における『あまり素行のよくない生徒』が連綿と受け継いできた場所であり、喫煙やその他、人に見せられない行為をする際よく使われる隠れ家的な場所だ。


「あんた今頃また仲間に戻れると思ってんの?」

「そういうわけじゃ、……ないけどさ……」


 そこにいたのは猿渡と犬上、それに今日はショーゴと呼ばれている男子生徒のみ。

 階段に腰掛けて、短くしたスカートの中が見えることも気にせず、煙草を吹かしつつ猿渡は羊谷を見下ろした。


 何故、と羊谷は思った。

 自分は、嫌がらせを止めてほしいと言いに来ただけだ。けれど猿渡の中では、それは『また遊べる仲間になりたい』ということらしい。

 それが論理、または話題の飛躍ということにも気付かず、猿渡は続けた。

「そもそも何? うちらがやったって証拠でもあんの?」

「ない、けど……」

「そんな私たち疑っといて、それでまた友達になりたいって? ウケる」

 ケラケラと猿渡は笑い、犬上もそれに追従する。むすっとした顔で、ショーゴはただそれを眺めていた。

「だって、友達……じゃん」

「は? おベンキョーに生きてるあんたと私たちが? 馬鹿じゃねえの?」


 冷たく猿渡に睨まれ、羊谷は身体が硬直したように感じた。

 おかしい。間違ったことを言っているつもりはない。正しいのは自分だ。そう思いながらも、何かが違う、と全身の細胞が口にしていた。


 しばし、睨み合うように二人の視線が交わる。

 煙草の灰が落ちそうになり、猿渡が灰皿代わりの空き缶に視線を移すまで。



 そして二人の間に大きな溜息が流れた。羊谷と同じく、煙草を吸わずにここにいた犬上の。

「まあまあまあまあ、喧嘩はなし! 七瀬もそろそろ許してあげなよ」

「……しおり」

「ほらほら仲直り! ね?」


 二人の仲を取り持つように、犬上が羊谷と猿渡の腕を引く。猿渡は強引さに立ち上がりかけ、羊谷も引かれた腕に前につんのめった。

 強引に交わせられた握手。

 けれどももちろんのように、猿渡は羊谷から視線を外した。


 それを見て、犬上も僅かに眉を顰める。

「んー、駄目ー?」

「駄目に決まってんじゃん。なんであたしがこいつなんかと……」

 頑なな猿渡。犬上は優しく彼女を眺め、それから羊谷に視線を向ける。

「まあたしかに、このままってわけにはいかないと思うんだけど……」


 そうだ、と犬上が手を打つ。

「じゃあさ、麦には放課後あれやってもらおうよ。あれ」

「……あれ?」

 私たちの仲間に戻るために、と、それ以上の説明もなく犬上は自分だけで納得し、その顔に猿渡もしたり顔で頷いた。





 なんで、こんなことに。

 放課後。いつもの四人と学校を出た羊谷は、商店街でまた一人になっていた。

 猿渡たち、いつもの四人は遠くから自分の姿を見守っている。夏の熱い空気に、がやがやという商店街の声が混じって羊谷の身体に吹き付ける。

 八百屋の親父の客引きの、唸るような声が耳に障った。


 羊谷の目の前にあるのは、小さな商店。

 子供向けの十円や二十円程度の菓子や玩具を売る。いわゆる駄菓子屋だ。


 そこの店主は腰も曲がり、耳も聞こえない老年の女性。割烹着に白髪頭の『いかにも』という風体が子供たちの間でも話題だった。


『ま、万引き?』

『そう、万引き』


 先ほどの犬上との会話が脳内でまた鳴り響く。

 この店で、万引きをすること。彼らの仲間でいたいのならば、そうしろというのが彼らの意向だ。


 羊谷は目の前のプラスチックケースに目を向ける。ほんの小さな棒付きの飴。青や赤、緑などの原色に染められた駄菓子が差され、開口部を横に向けて縦に積まれた蓋付きのケース。

 商品の更新も追加もほとんどない店で、賞味期限の書かれたものはほとんどない。イカの足を棒に刺したお菓子などは、商店街の年寄り曰く『自分が子供の時から置かれていたもの』とされるほどだ。


 これを。

 そう考えた羊谷の、目の前が霞む。飴は一つ十円。当然、その程度の小遣いは羊谷とて親からもらっている。買えないわけもなく、また盗んでまでほしいものではない。

 なのに、これを盗めという。仲間たちは。


 老眼も酷い老年の店主だ。店先に誰かが立ったことまでは認識しても、その細かい仕草は把握できない。

 そっと蓋を開け、むしろ他の店の店員に気付かれないようにしながら、飴を引き出し自分の鞄に入れる。

 それだけだ。それだけで、また昔のように仲良く楽しく過ごせるのだ。そう、犬上は口にした。



 なるほど、簡単そうだ、と羊谷も思った。

 飴が置かれた場所は、奥に座る店主の死角。遠い耳に物音を気にすることもない。ものの数秒でそれは出来るだろう。

 簡単だ。飴を持って、鞄に入れる。たったそれだけの二つの動作。それだけで、また、自分は……。



 なんでこんなことに。


 羊谷の視界にまたじわりと涙が浮かぶ。

 こんなことがしたいわけではない。自分は今日、ここ数日続いた嫌がらせの抗議に猿渡たちに話しかけただけだ。

 けれど、そこからの妙な流れで、こんなことをすることになってしまった。


 今自分の行動は、遠くの角から観察されている。

 これを万引きしなければ、また仲間に入れてもらえない。あの楽しかった数ヶ月がすっかりなくなってしまうのだ。


 何でこんなことになってしまったのだろう。

 どうしたのだろう。どこで間違ってしまったのだろう。


 自分はただ、少し勉強をしたくなっただけだ。また一度だけ、次のテストだけ頑張ってみようと不意に思って。そうしたら、少しだけ時間がなくなって、それで遊びに出られなくなっただけだ。

 遊びに出られなかったから、彼らは怒った。

 だから嫌がらせをされて、そして事実嫌な目に遭った。鞄の中の掃除は大変だった。全てのものを出して、中を拭いている姿は親に見られて怪訝な目もされた。


 わかってる。全部これは自分のせいだ。

 親への反発に、高校に入って髪を染めたから。だから親は自分を信用してくれない。『出来る人間』には信じられないほど、勉強が出来なかった。だから教師は自分にはやる気がないと思って話を聞いてくれない。

 だから、彼らの仲間に入った。彼らだけだった、曲がりなりにも自分の話を聞いてくれて、そして愚痴を共有できたのは。


 ならばもう一度。


 す、と羊谷の手が伸びる。

 もうどうでもよくなった。勉強なんてしても、精々『落ちこぼれの上澄み』程度になれるだけ。親からはずっと文句を言われるだけ。

 友達だっていなくなる。猿渡たちとつきあい始めてから、他の誰も羊谷には話しかけなくなった。もう友達なんて他にはいない。でも、友達は必要だ。きっと。


 どうでもいいのだ。

 何となく、悪いことをしている気がする。こんなことをしてはいけない、と頭の中で誰かが叫んでいる。

 けれどもそれがどうした。

 これを盗むだけで。……いいや、老店主はあまりにも無防備すぎる。彼女のせいだ。彼女のせいで、この飴を一つ鞄に入れるだけで自分は悪いことが出来る。ならば盗むのではない。ただ、鞄に入れるだけだ。そして金を払わずに店を立ち去るだけだ。


 それだけで、嫌がらせがなくなる。友達が出来る。

 楽しく話をして、親や教師への文句を共有して、ケラケラと笑い合う。心が通じ合った友達が、また。


 やればいい。

 プラスチックケースをそっと開けて、羊谷が緑色の飴を掴む。一つでいいのだ。一つあれば充分で、店主もきっとその方がいい。


 飴を引き出し、鞄のジッパーを開ける。ほんの一瞬、その覚悟さえあれば完了するつまらない仕事。けれども、熱に浮かされたように羊谷はほとんど無意識に腕を動かしていた。


 これで、万引きは出来る。


 これで……。







「なに? お前メロン味好きなの? 俺はイチゴ味ー」


 羊谷の腕を、軽く掴む手があった。その少年は、羊谷の手から飴を奪い取ると、自分もプラスチックケースから赤い飴を取り出す。

 呆気にとられ目を見開いた先にいた少年の顔に、羊谷は何故だか罪悪感を取り戻した。


「喜べ、奢ってやろう。おばちゃん! 飴二つね!!」


 総一が店の奥に大股で歩み入り、そこに座っていた老店主に飴と十円玉を二枚見せる。

 はいはい、と何も知らない老店主は頷いて、その金だけを皺だらけの手で受け取った。

 

「総一、先輩……」

「はいお前の分」


 既に自分の分の飴を口に含み、口から紙の棒を突き出させながら総一は羊谷に飴を差し出す。

 受け取っていいものか。躊躇しつつも、羊谷が長い袖からちょこんと出した細い指でその飴を受け取った。

 だが、それを舐められず、しばし見つめるだけで。


 涙で視界が滲む。

 緑の飴がアスファルトの地面と混ざって見えなくなる。


「え? そんな? そんなに嬉しかった?」

「違、そんなんじゃ、なくて……」


 涙を拭きつつ羊谷が反駁するが、その声も辿々しい。

 総一も、泣いている女子の扱いなど知らない。ケタケタと笑いつつ、慌てるように総一は取りなすようにおどける。



 それから視線を外し、遠くの角からこちらを見ていた影を、冷たく睨んだ。





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