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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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馬鹿みたい




「ショウゴがさ、また馬鹿やってさぁ……」


 登竜学園の放課後、図書館に、一人の女子生徒の話し声が響き渡る。

 特別大きな声を出しているわけではない。少女の声は声質がやや高め故に元々響きやすい声だったが、話し声としては至って普通の声量だ。

 他に人がいないわけではない。ここ登竜学園の図書館は蔵書も五万冊を超える大きなもので、休み時間や放課後は多くの生徒たちが調べ物で利用する場所だ。期末テストが近いという時期もあり、当然、今日も六十人ほどが座れる席がほとんど満席となっている。


 だが響いているのは一人の話し声だけだ。

 残る音といえば、参考書をノートに書き取るシャープペンの音。ページを捲る音。本を探す生徒たちが絨毯を歩く足音。それに、生徒たちの小声での話し声。


 ここは図書館。

 通常は、騒がしいことを禁じられる場所。



「……そうなんだ」

 羊谷は、小声で相槌を打つ。構ってはいられない、だが、無視するわけにもいかない。隣にいて、今まさに周囲の迷惑を顧みず喋り続けている悪友は、自分に話しかけているのだから。

「カラオケでさぁ。飲みホ頼もうとして店員に止められてんの。うちら制服だって事忘れてたんだよね、ウケる」

「はは……」

 

 愛想笑いのように笑い、それでも参考書からは目を離さない。

 微分積分、因数分解、数式の羅列。覚えるべき事はまだ山ほどある。

 使う数式をノートの一番上に書き、参考書の例題をその下に書き写す。数式に例題で現れる数字を当てはめて、計算し、答えを導く。そんな何の創造性もないつまらない単純作業を繰り返し、数式を覚え、その使い方に慣れていく。

 

 慣れぬ作業に頭が沸騰するような感覚を覚える。

 勉強には小学生の時から乗り遅れ始めた。中学生では成績は底辺を彷徨っていた。親にはいくらか苦言を呈されていたが、それでもいいと思っていた。

 何せ、勉強の仕方がわからないのだ。親に聞いても、教師に聞いても、彼ら自己流の勉強法を教授されるだけ。『教科書を読めばわかる』『授業を聞けばわかるはず』。そんな、羊谷には縁の遠い『出来の良い』者たちの方法論が、役に立つわけもなかった。


 動画サイトの勉強動画は訳のわからない呪文でしかなく、今更塾に通いたいなど親にも言えない。

 今現在行っているこれも藁をも掴む思いで行っているお勉強だ。

 参考書に載っていた勉強法。書店でどの本がよいかも判断が出来ず、闇雲に買った本ではあるが、それが今の羊谷にとっての唯一の情報源だった。



「さっきも呼び出しくらってー」

「…………」

 裏側に煌びやかなビーズとリングを貼り付けたスマートフォンのロックを解除し、悪友が通知だけをちらりと確認する。彼女猿渡(さるわた)七瀬ななせも、羊谷と共にレッドブック(退学予備軍)に載っている女子生徒だ。

 高校に上がったと同時に茶髪に染めた羊谷と違い、中学生のときから髪の毛を染め、耳にはいくつも穴が開いていた。


 高校に入ってから、三ヶ月ほど。彼女らはたまに共に遊ぶ仲となっていた。

 共に素行不良者。同じように成績も悪い三人と共に、夜遊びに出かけることもあった。


 

「……で……ねえ、麦聞いてるー?」

「…………あ、うん」

 参考書を食い入るように見つめている麦の視界に無理矢理入るように、猿渡が隣から顔を覗き込む。

 だが、羊谷は生返事で返した。

 試験勉強に忙しいだけではない。ここは図書館、通常、騒がしい者は敬遠される場所。少々の会話や討論程度ならば許されていても、それも周囲に漏れない程度のことだけだ。

 騒がしいわけでもないが、普通の話し声でも図書館では響き渡る。

 現に、近くに座る勉強中の生徒や、遠くに座る司書教諭がちらちらとこちらを見ている気がする。更に本すら開かず、ただただ話し込む生徒など迷惑でしかない。


 静かにしてほしい。黙ってほしいとは言わないが。

 けれどもそれを猿渡に直接言うことが出来ない。

 ただ、それを願いながら、シャープペンを止め、牽制するように猿渡を見る。猿渡にとってはそれは、ただ話を聞く準備が整っただけにしか見えなかった。


「つーかいきなり勉強なんてさ、何があったの?」

「……何も、ないけど……」

「授業終わって急いでるからどこ行くのかって思ったら、図書館? 何? いい子ちゃんにでもクラスチェンジしたの?」

 猿渡は笑う。羊谷が急に勉強を始めたということが可笑しくて。そして周囲を見渡し、更に笑う。

「やめときなって。私らには向いてないんだよベンキョーなんて」

 ケラケラと笑い声を止めずに、そして殊更に周囲にその声を聞かせようとした。


 見渡せば周囲には、本を読むというよくわからない謎の儀式を行っている連中の他、近い期末テストのための勉強に精を出している奴らがいる。

 勉強など何を頑張っているというのだろうか、そう猿渡は思う。

 どうせ自分たちが勉強したところで、世間で言う『天才』にはなれない。ならば勉強などする意味はない。落第点ギリギリ上等。落第しなければいいし、成績が悪かろうが卒業してしまえば、学業なんてものからはおさらばだ。

 

 猿渡はその考えを、ここにいる全ての人間に聞かせてやりたい気がした。

 参考書を破り捨て、笑ってやりたかった。ものの道理もわからない愚か者どもに、賢い自分が見い出した真理を耳元で叫んでやりたい気すらした。


「努力したとこで無駄だしー、私らJKは遊ぶのが正義っしょ。一度きりしかない青春をこんなとこで浪費して馬鹿みたいじゃん」

「…………でも」

「早く切り上げて遊びいこうよ。今日はダイキのバイト仲間の先輩が来るっていうからさー」



「……ちょっと」


 得意げに話し続けていた猿渡が、呼びかけられて顔を上げる。「あん?」と小声で呟きつつ見上げれば、そこには名も知らぬ司書教諭が腰に手を当て立っていた。

「いいですか、貴方たち。ここは図書館です。皆さんの迷惑になるので、私語は小さな声でお願いします」

「は? ……あー、すみませーん。私声大きいんでー」

「では、少し黙っていただいてよろしいですか?」

「はーい」


 司書教諭の言葉。教育的指導。

 そういうものを受けたとき生徒は、すみません、の一言と、反省しているらしき態度を見せるのが普通だ。そう司書教諭は思いつつ、しかしそうでなかった猿渡の態度に眉を潜める。

 謝罪の一言はあったものの、反省の態度はない。了承の声は発したものの、明らかに視線は自分が立ち去るのを待っている。

 これは、自分が少しでも離れれば、すぐにでも会話を再開するだろう。そう簡単に予想が付くほど。


 苛立ち紛れにもう一人の方を見る。見れば参考書を開き数学の勉強をしているようだが、その茶色く傷んだ髪の毛に、隣にいる女子生徒と仲良く会話しているということから、内心が透けて見える気がした。

 どうせ同類だろう。中途退学や転校の多いこの登竜学園では、一年を終わる頃には消えているような。


「貴方も、気をつけなさい」

「はい、すんません」


 素直に頭を下げた羊谷に、司書教諭は一瞥だけで返す。

 最後にもう一度猿渡を見れば、猿渡はばつが悪そうに目を逸らしていた。



 貸し出しカウンターに戻る司書教諭を見送り、猿渡は目を細める。

 それから、知るかよバーカ、とほんの口の中だけで呟いて横にある机の脚を軽く蹴った。

 勿論反省などなく、横にいる羊谷を向く。

「……でさあ、もうダイキたちに麦も連れてくって言っちゃってんだよね」

「あ、えっと、あたしは」

「いいじゃん、どうせ予定もないっしょ? それともまたあれ? 鳳って先輩と遊ぶ約束でもしてんの?」

 ぎくりと羊谷は肩を竦める。その話はあまり蒸し返したくなかった。

 少し前に猿渡たちの誘いを断るために吐いた嘘。総一の家に泊まったという作り話。実際にはその日もごく普通に家に帰ったのだが、猿渡たちの話に出てきたそのことは、既に事実として広まっていた。

 女子が男子の家に行く、もしくは男子が女子の家に行く。その程度今時当たり前で、広まるような話ではない、と羊谷は気付かずに。


 だが好機だ。それならば遊びを断る口実になるし、事実総一の家に寄っても構わない。おそらくあの先輩ならば事情を話せば受け入れてくれるだろうし、元々特待生の中でも素行不良という噂が立つ人だ、またそこに噂が一つ加わっても構わないだろう。

 甘えのような希望的観測。猿渡の言葉に俄にそれが浮かび上がった羊谷は、すぐに「うん」と頷いた。


 もっともそれは、猿渡を止められるような言葉ではないのだが。

「じゃあいいじゃん、鳳先輩も誘いなよ。ダーツバー案内してくれるって言ってたけど、一人増えても変わんないっしょ」

 私も麦の彼氏気になってんだよねー、と猿渡はうきうきとしながらぼやく。

 

 鳳総一。生徒会書記。

 特待生の権限により、授業にはほとんど出ず、専ら屋上で目撃されることが多いという。

 普段の態度も良いとは言えず、よくその態度を叱ろうとする生徒会長と鬼ごっこをしているという光景も一種の名物らしい。

 特待生というこの学園の特権階級にもかかわらず、素行不良と紙一重。羊谷と一緒にいるのを見かけてから、実際に猿渡も気になっていた。

 

 まずい、断れない。

 羊谷はシャープペンシルの尻を噛んで、僅かに焦る。

 

 遊びに行きたくないわけではない。羊谷も、カラオケやファミレスで彼らと駄弁るのは楽しかったと思う。中学まではそういった事をしたことがなかった羊谷には、高校に入学して二ヶ月の間彼らと遊ぶ日々はたしかに『青春』という感じがしていた。

 けれども。


「待ち合わせしてんの? それとも直行(ちょっこー)?」

「えっと、直接部屋に」

「スマホ」


 貸して、と猿渡が手を差し出す。

 もうこれは埒があかない。猿渡は何故だかそう判断できた。羊谷は、今日は一緒に来たくないらしい。気分が乗らないのか、それとも総一と二人で過ごしでもしたいのか。

 わからないが、ならば自分が総一を説得してしまえば問題は解決するだろう。


 最近の羊谷は猿渡たちが遊びに誘っても来ないことが多い。

 多い、というのも少々違う。はっきり言ってしまえば皆無だ。

 あの鳳総一の部屋に泊まったという頃を境に。


 羊谷は焦り、ポケットのスマートフォンに手を伸ばせなかった。

 総一の家に行くというのは勿論嘘。そして総一と羊谷が親密だというのも猿渡の勘違い。

 実際には連絡先など知らない。学年も違い、三度しか話したことがない先輩の連絡先など、彼女が知るはずもない。

「いや、あたしが直接」

「いいから私が話してあげるって!」

「そういうのはちょっと……!」


 やめて、と羊谷は叫ぼうとして、はたと気が付く。

 ここは図書室。静かにしなければいけない場所で、自分たちは今騒いでいるのと相違ない。

 反射的に見渡した先。いくつかの視線が集まっている中、その中で最も強いものを向けている司書教諭。

 彼女が、大きく咳払いをする。羊谷と猿渡、二人を睨むように。



 明らかなアピールに、猿渡もそちらを向く。止まった追求に、これ幸いと羊谷は参考書とノート、それに筆記具をバタバタとまとめ、相手が誰ともなく頭を下げる。

「お騒がせしました!」


 それから、出るよ、と猿渡に一声かけて、椅子を蹴るようにして立ち上がる。

 鞄に荷物を押し込みつつ歩き出す羊谷の逃げるような仕草に、猿渡は渋々と立ち上がり、その後を追う。



 司書教諭の突き刺すような視線を受けつつその前を通り、図書室から足を踏み出した羊谷は、深く溜息をついた。

 振り返れば猿渡。悪びれる様子もなく。

「また怒られるとこだったじゃん!」

「ごめんって」

 唇を尖らせつつ抗議する羊谷に、苦笑いしつつ猿渡は謝罪する。

 内心猿渡は、そんなに怒ることだろうか、と疑問に思いつつ。


 羊谷は肩にかけた鞄の位置を直す。その中で参考書が揺れる感覚に、先ほどから覚えようとしていた数式がこぼれていく錯覚を覚えた。

 こうしてはいられない。

「……じゃあ、ごめん、私今日は行けないや」

「またべんきょー?」


 やっぱりおかしい。

 羊谷の態度に、猿渡は囃し立てるように聞き返す。

 やっぱりやめた、と言ってほしい。そう願っていた。


 だが羊谷は、何かに逡巡しながらも頷く。

「うん。今日、おお……総一先輩のところで試験範囲教えてもらおうかなって」

 そんなことは思っていない。実際にはこのまま帰ろうと考えている。けれどもその口実はきっと使えるものだろう。羊谷はそう信じ、口にしてから猿渡の顔色を窺う。

 猿渡といえば、半笑いで自分の爪をいじっていたが。

「馬鹿みたいなことしないほうがいいってー。ああ、あれ? この前タコ頭の小テストでいい点取ったからその気になっちゃった、的な?」

「そういうわけじゃないんだけど……」


 否定できずに羊谷は言い淀む。

 そうではない。そうではないが、それも否定できない事実だ。

 一度上がってしまった表彰台。その快楽は、たしかにある。

 けれども。


「ま、とにかく、期末テスト終わったらパーッとやろうよ。それまではあたしは勉強に生きるから、よろしく」

 羊谷は敬礼するような仕草で軽快にそう宣言する。やっと言えた、という開放感がどこかにあった。

「なに、それ」


 猿渡は羊谷の態度を笑い飛ばそうとして笑い飛ばせず、それでも懸命に笑みを作った。

 笑えなかった理由は自身でもわからない。けれども、じわりと背筋に何かが走った気がしたのは、気のせいとも思えなかった。


 猿渡のスマートフォンが、短くしたスカートのポケットの中で微かに震える。

 何かの通知か、それとも友人からの連絡か。わからないが、その『何か』に引かれている気がする。

 そしてその感覚は、目の前の友人には伝わっていない、とも。


 猿渡はスマートフォンを取り出し、一時的に灯った画面をちらりと見て、それから羊谷に視線を戻す。

「あー、じゃあしょうがない。今日は麦来れないって言っとくから。次にはちゃんと来なよー?」

「行けたら行くし」

「それ来ない人のやーつ」


 ケラケラと笑い、「じゃ」と階段を下っていく羊谷を見送り、猿渡はスマートフォンのロックを解除する。

 そこにあった通知、SNS経由での連絡の内容は、今日遊ぶ男子大学生からの人数の確認。

 一人減った。そのことを伝えなければ。もしくは今から女子を一人見繕わなければ。


 猿渡から、羊谷の姿が見えなくなる。


 馬鹿みたい、と思う。勉強なんて意味がないのに。将来の役になど何一つ立たないのに。

 


「ほんと、馬鹿みたい」


 猿渡は呟いて、長い爪でかつかつとスマートフォンの傷だらけの画面を叩いた。





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