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青空を裂く白球

週一でなんとか……

 


 目の前にいたのは、見上げるほどの大男だった。

 自らの頭は大男の肩程までしかなく、その腕の太さも倍以上違うだろう。


 自らが立っているのは武道場。周囲はよく見えず、だが目の前の男だけがクッキリと見える。

 その不自然さに何ら気付くことなく、総一は拳を固め、そして打つ。


 しかし当たらない。研鑽を続け、身体の構造を変えるほどに鍛練を積み、寝食を忘れて打ち込み続けてきた神速の突きが当たらない。

 心を満たすのは絶望感だけだ。大男からの攻撃も無いが、自らの攻撃も当たらない。

 ただ拳は空を切り、その蹴りは風を巻き起こすだけ。まるで嘲笑われているかのようなその状況に、どうにかして抗おうと打ち込みを続ける。


 だが、ついぞその努力は実を結ばず、やがて腹部に感じた小さな衝撃とともに総一の意識は覚醒するのだった。




 よく晴れた初夏の放課後。

 生徒会のメンバーのみが立ち入りを許可されている屋上は彼、(おおとり)総一(そういち)にとって絶好の昼寝スポットだった。


 頬を撫でる風は夏の始まりにしてはまだ涼しく、鉄柵の下、校庭から響く野球班の練習の音は中々心地よいBGMだ。

 退屈な授業も終わり、急ぐ作業も無い。早く帰ろうと思えば帰れるのだが、ここでの昼寝と比べればそう思わない。そんな程度には気に入っていた。


 見上げれば青い空。

 日焼けなども全く気にせず、顔に容赦なく当たる直射日光にも負けずに、彼は今日も惰眠を貪っていた。

 そう、惰眠を貪っていた。先程までは。


 惰眠といえども良い夢とは限らない。所謂悪夢もあるだろう。今し方見ていたような。

 目が覚めて安堵する。そういう夢もあるだろう。

 だがあんまりだ。この起こされかたはあんまりだ。総一はそう憤慨する。


 腹部に感じた衝撃。その出所を辿れば、傍らに野球に使われている硬球が転がっていた。



「……ってぇ……、何処の馬鹿だちくしょう」

 悪態をつきながら、周囲を見回す。しかし、そんなことをしなくてもわかっている。実は候補は二つあるが、いくらあのお節介な先輩でも、こんな乱暴な起こし方はしないだろう。そう失礼なことを考えながら鉄柵の下を覗き込む。

 そこではもう一つの候補、野球班の練習が行われている。思った通り。頭を起こした総一に気が付くと、外野の坊主頭が帽子を取って頭を下げていた。


 わざとでないのはわかっている。むしろ、校庭の向こう側から飛んできた白球だ。外野の彼に責任は一切無い。責任があるとするならば、ホームランを打った打者と、その打者にホームランを打たせたバッテリー。その三人だけだ。


 総一は校庭の反対側、そのマウンドを睨み付ける。だがそんなものを見てもいないのか、キャッチャーは何事もなく新しい球をピッチャーに放っているし、ピッチャーはこちらを振り向きもしない。バッターに至っては、両手を挙げながらダイヤモンドをダラダラと走っている。


 人の安眠を邪魔しておいて、何事もなく続けていやがる……。そう総一はまた憤慨する。

 安眠でもなかった事も忘れ、別に彼らが狙ってやったわけでもないことを意識の外に放り投げ、総一は白球を握り締めた。



 少し、懲らしめてやろう。

 そう思った総一の腕が自然とあるべき位置に納まる。その姿勢は、教科書通りの正しいセットポジション。見据えるのは、キャッチャーミット。

 百五十メートル以上先にあるその小さな的へと狙いを定め、その腕が軋みを上げる。

 踏み込まれた両足から受け取った力を膝関節、股関節へと伝え、理想的な角度で捻られた脊椎が全くのロスも無く上半身を突き動かす。先程まで緩みきっていた筋肉はしなやかに引き締まり、その力は増幅されながら肩から手首、そして白球へと伝わっていく。


 総一の身体を最も効率的に動かすその理想的なフォームは、その鍛えられた肉体の持つポテンシャルを間違いなく全て引き出し、白球を送り出す。


 白い閃光。その球を受け取ったキャッチャーは、後にそう語っている。





「ドンマイドンマイ」

 そう苦笑しながら予備の球を投げ返して、落胆するピッチャーを慰める。

 そのピッチャー、子門(しもん)たたらはそう悪いピッチャーではない。しかし速球にこだわりすぎるきらいが有り、そして打たれたときのリカバリーが出来ない。その欠点から、未だレギュラーを取れずにいた。



 深い息を吐き出して、子門はもう一度キャッチャーミットを見つめる。

 自分の欠点はわかっている。今打たれただけで動揺している。

 ホームランを打たれたのだ、勿論気を引き締めるべきではあるだろう。だが、今の自分はやり過ぎだ。これ以上打たせてはいけないと思うほど手は震え、脚の力は抜ける。点を取らせてはいけないと思うほど、キャッチャーミットに球が入らなくなる。


 是正せねば。その欠点を一番気にしていたのは、当の子門自身だった。



 落ち着こうと、深呼吸を繰り返す。得意げに笑いながら塁を踏んで走っているバッターを意識の外に追いやり、キャッチャーミットだけを見つめる。

 そしてバッターも戻り、本塁を踏もうかと思ったその時それは起こった。



 何処かから甲高い音が聞こえてきた。


 キーンという、耳鳴りに近い音。それは一瞬だけしか聞こえず、そして次に感じたのは、自らの側頭部を掠めて飛ぶ何か。

 そして見えたのは、轟音とともにキャッチャーミットに突き刺さり、その勢いのまま審判の教師ごとキャッチャーをバックネットに放り込む、白球の後ろ姿だけだった。




「おー、狙い通りぃ!」

 総一は小さくガッツポーズをしてその白球の行方を見守っていた。

 狙いは寸分違わず、白球はピッチャーの頭を掠め、バッターの足を止めさせながら、キャッチャーミットに突き刺さる。


 上々の結果だ。その様を見ていた総一の頭からは先程の憤怒は消え去り、ただ晴れやかな気分で満たされていた。

 もっともその気分はそのすぐ後、騒ぎを聞いて駆けつけた生徒会長の怒号とともに何処かへいっていしまったが。


 頭を下げながら、頭上にある太陽と青空の存在をひしひしと感じる。

 鳳総一。登竜学園二年の夏が始まろうとしていた。

 


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