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慎之介斬人帳  作者: 伊右衛門
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第三話~兄~

二人は蓮の生家、慎之介の実兄が医師として働く屋敷にたどり着いた。慎之介の兄は大抵は往診するのだが稀に患者をこの屋敷で診る事もある。その為、屋敷は大きく広く造られている。蓮は訪ねてくる患者のための表門では無く家人が利用する裏門に慎之介を案内した。


「ここで大人しくお待ち下さい」


そう云って蓮は兄を呼びに行く。


大人しく待つといっても兄は忙しい。すぐには来れないだろうな。そう思って慎之介は裏庭に出る。ここには何度か来ているので勝手知ったる庭だ。庭には数本の低木以外に特に見る様な物は無い。庭のあちらこちらには慎之介から見ると雑草な様な草が植えられている。もちろん、雑草では無い。これらは全て薬草なのだそうだ。と云っても慎之介には雑草との区別はつかない。これらの根や葉を干したり煎じたりして患者に与えるそうだ。薬草といってもそこらの野原に生えていそうな草ばかりだ。これらが兄の手にかかると立派な薬草として金になるのだ。俗にやぶ医者と云うのは近所のやぶに入って適当な草を薬草として与える医者の事を云う。まさか兄に限ってそんな事は無いとは思うのだがここに生えている草を見るとそこいらに生えている草と見分けがつかない。まあ、大丈夫なのだろう。蓮の実父、兄の養父は立派な医者だ。なんでも蓮の実父はさる大藩の御殿医を勤めた事もあると云う。つまり、慎之介の兄はその正統な後継者となる訳だ。


庭に生えている草を眺めたりつついたりしていると足音が聞こえた。慌てて慎之介は部屋に戻る。


慎之介が部屋に戻って座った途端、いきなり障子がばっと開けられ頭を剃りあげた痩身の男と蓮が一緒に入ってきた。足音をさせてくれたのは蓮だろう。慎之介が部屋に居なかった時の事を考えてくれたのだ。


痩身の男は慎之介をじろりと睨むと部屋に入り腰を下ろした。どうやら蓮の気遣い虚しく兄には慎之介が何をしていたか分かったようだ。蓮も部屋に入り兄のやや後ろに腰を下ろす。蓮も軽く慎之介を睨んでいる。大人しくしているように云ったのに何をしているのかといった目である。


「久しいな」


兄は冷たい目で慎之介を見ながら声をかける。


「ご無沙汰しております」


一応、慎之介も礼を守って返答する。養子に行ったとはいえ兄は兄である。


そのまま、兄は慎之介を黙って見ている。その兄の後ろで蓮が妙な顔をしている。慎之介を見てちらりと兄を見る。それを繰り返しているのだ。


「・・・兄上には格別のご配慮いつもありがとう存じます」


ようやく気付いた慎之介は兄に頭を下げる。


「うむ」


満足げに兄が頷く。慎之介の実兄、玄斎は二親を亡くしてから慎之介の面倒を何かと見ている。その礼を言われたかったようだ。相変わらずケツの穴の小さい兄である。慎之介の実兄 玄斎はその医術や知性には申し分無い男だが真面目で堅苦しく、それ故狭量である。自身の才や努力を自覚しているので他人を受け入れる範囲がえらく狭いのだ。当然、慎之介はこの実兄が嫌いである。辻斬りを行っていたであろう父はもしもの事を考えて養子にやった長男との関係を敢えて絶っていた。辻斬りが露見した場合、兄に迷惑をかけるのを恐れたのだ。だから、慎之介は二親が存命中はこの兄と一度も会った事は無い。慎之介がこの世に産まれた時には既に兄は養子に貰われていたのである。二親を失った後、残された慎之介を憐れに思ったのか、兄から慎之介に使いを出しこの屋敷に呼び寄せたのだ。それから兄は慎之介に住む所を世話したり仕事を紹介したりごくごく稀に小遣いをやったりしている。もっとも仕事の方は慎之介の生来の気性のせいで大抵不首尾に終わっているのだが・・・


「兄上、本日は・・・」


なに用でしょう、そう云いかけた慎之介を遮るように玄斎が蓮に声をかける。


「蓮、確か相模屋さんから戴いた菓子があっただろう。慎之介に持ってきてやりなさい」


慎之介は己の耳を疑った。狭量でセコい兄がおれに菓子?内心で慎之介はうんざりした。これはかなりの厄介事だ。


訝しげな顔をしながらも蓮が素直に席を立つ。当主である兄の言葉には逆らえないのだ。玄斎は玄斎で養父母の実子である蓮には気を遣っている。蓮は蓮で跡継ぎで当主である玄斎に気を遣っている。義理とはいえ兄と妹なのだからもうちょっと仲良くすればいいと慎之介などは思うのだが当人たちにそれは難しいらしい。もっともこの兄では蓮も仲良くしようが無いだろうが。


玄斎は蓮が充分に離れてから慎之介にずいっと近寄る。他人の礼儀作法にはうるさいが自分の礼儀作法には甘い兄なのだ。


「富沢町の上総屋を知っておるか?」


富沢町といえば古着問屋が集まる町である。この当時、庶民の着物は古着が一般的であった。慎之介の着物も当然、古着だ。古着といっても仕立て直しされた物も多く着るのに不都合は無い。中には死体から剥ぎ取った衣服を売る店もあるので注意が必要だ。


「いえ」


着る物にあまり頓着しない慎之介だ。知る訳が無い。


「うむ。そうか。そうであろうな。上総屋は古着屋とは云えそれなりに値の張る店だからな」


ちょっとカチンとする慎之介だがこの程度で腹を立てていてはこの兄とは付き合えない。


「その上総屋がなにか?」


「うむ。それが・・・」


玄斎が語るところによれば上総屋はこのところ体調が優れず兄に往診を頼む様になったと云う。だが、玄斎が診断したところ上総屋には肉体的な問題は無かった。少々、肥えすぎてはいるが年齢を考えればまずまずの肉体である。しかし、上総屋は徐々に痩せていった。やや熱はあるがそれほどでも無く腹や胸に張りやしこりも無い。玄斎の見立てではどうも上総屋は気鬱の病であるらしい。今も昔も病の原因はストレスである事が多い。しかし、その気鬱の原因が分からない。上総屋の倅は真面目な男できちんと商いを学び貞淑な嫁もおり孫にも恵まれている。商売は繁盛しているし評判も良い。端から見ている分には上総屋の人生は順風満帆である。だが、気鬱である事は間違いない。気鬱であるならその原因を探して取り除けば治る筈だ。そう考えた玄斎は上総屋に詰め寄った。それで気鬱の原因となりそうな事を洗いざらい吐かせたのである。


「・・・兄上」


慎之介は頭が痛くなりそうだった。医者にとって患者とは客である。その客に詰め寄って無理矢理口を割るとは・・・


「なんだ?」


玄斎はしれっとした顔をしている。なにも悪い事はしていないと思っているのだ。医者にはこういった者が多い。客である患者より一段高い所にいると思っているのだ。


「いえ」


兄に説明しても決して理解出来ないのでそこは無視する。


「それで原因は分かったのですか?」


慎之介が聞くと玄斎は何ともいえない顔になった。不味い物を飲み込んだような歯が痛いような妙な顔である。それをしばらく見てようやく慎之介は玄斎が困っている事を察した。


「それで原因はなんだったのですか?」


玄斎の困り顔はなかなかの見世物だがいつ間でも見ていられない。慎之介は玄斎に問い質す。


「・・・どうも上総屋は蓮に懸想したようなのだ」


どうも兄の声が遠くから聞こえるような気がする。


「・・・・・はあ?」


「だから、上総屋は蓮に懸想しておるのだ」


「・・・なんでまた?」


蓮に懸想するような物好きが本当にいたとは驚きだ。


「うむ」


事の起こりは数ヵ月前に遡る。商いの大部分を倅に任せていた上総屋はその日、亀戸天神に藤の花を見に行った。そろそろ倅に店を譲って隠居でもしようかと考えながら歩いているとごろつき浪人に絡まれてしまった。折り悪く供に付いてきたのはまだ幼い丁稚の小僧一人だけだった。


「盛り場にはそういった浪人が多いんです。酒代でも恵んでやれば礼を言って立ち去りますよ」


人が多ければ稼ぐ機会も多い。ごろつき浪人はそういった盛り場で待ち構え獲物を探している。小僧一人を連れた上総屋はいいカモに見えたのだろう。


「・・・えらく詳しいな」


玄斎が慎之介をじっと見る。


「・・・おれはやっていませんよ」


「・・・まあ、いい」


信じたのか信じていないのか玄斎は話を続ける。


浪人の酒代ぐらいは惜しくは無いがここで上総屋は躊躇った。昨年ぐらいからこういったごろつき浪人たちが徒党を組んで大店を脅すという噂を思い出したのだ。一度、金を出すと何度も店にやって来ては金をせびる。断ると始終、店の前に立って店に来る客を睨みつける。睨むだけなのでなかなか捕らえるのが難しく奉行所も手出し出来ないという噂だ。この浪人もそういった浪人ではないだろうか?そう思った上総屋は金を出すのを渋った。そうこうしている間に丁稚は泣き出しそうになるし浪人は怒鳴り出す。上総屋がおろおろしているとそこに現れたのが蓮だった。


「へえ、蓮でも花を見に行ったりするんですね」


よく考えれば蓮も花の名だ。花に興味があってもおかしくはないだろう。


「いや、くず餅を食いに行ったそうだ」


「・・・それで?」


とにかく現れた蓮は上総屋に絡む浪人にそこで騒ぐのは迷惑だと云ったそうだ。蓮に馬鹿にされたと思った浪人は逆上して刀を抜こうとした。しかし、浪人が刀柄に手をかけた時、浪人の手首は刀柄にぶら下がった。蓮が小太刀で一刀の元に斬り落としたのだ。手首を抑えて蹲る浪人を尻目に蓮はその場を颯爽と立ち去った。


「と、まあこんな感じらしい」


「なにをやっているんですか、あいつは」


「うむ。困ったものだ」


「それで蓮は上総屋を覚えてるんですか?」


「亀戸天神に行った事、浪人を斬った事は覚えておるが助けた相手の事は覚えておらんそうだ」


まるで芝居の一幕だ。男女が逆なのが問題だが。こちらに来る途中で現れた浪人はその浪人の兄弟か仲間だったんじゃないだろうな。


「とにかく、上総屋は蓮に一目惚れをした」


玄斎も何かがおかしいのは分かっているのだろう。苦い顔でそう言い放つ。


「それで兄上はどうなさるおつもりで?蓮を上総屋の女房にしますか?」


「馬鹿者!上総屋惣右衛門は六十過ぎの老人だ!妻もおる!」


「なら、妾ですか?それはちょっと・・・」


「そんな事を蓮が承服すると思うか!?」


「無理でしょうね」


「口に出した途端、刀を抜く姿が目に浮かぶわ!」


まあ、蓮ならそうするだろうな。そして、兄は知識では蓮より優れているが剣術はからっきしだ。間違いなく蓮に斬られるだろう。


「・・・兄上、お世話になりました」


「馬鹿者!」


顔を真っ赤にして玄斎が怒鳴る。やりすぎると本当に怒り出しそうだ。


「それでどうします?蓮の説得は無理ですよ」


蓮は未通女だけあって性に関して潔癖だ。六十男に懸想されているなど知ったらそれだけで怒り出す。


「分かっておる。それでな・・・」


玄斎の思い付きは慎之介をうんざりさせる物だった。


上総屋惣右衛門はこれまで商い一筋に生きてきた。本人は蓮に惚れたと思っているがこれまで妾も作らずに生きてきた男だ。女に関しては相当疎い筈だ。そこで女房以外の女を知れば蓮への想いは勘違いだったと気付くだろう。そうすれば気鬱の原因は取り除かれ上総屋は元気となり玄斎の評判は保たれる。


「つまり、吉原か岡場所に上総屋を連れていけって事ですか?」


「そうだ。おぬしならそういった場所で顔が利くだろう」


兄はおれの事をどう思っているのだろう。しかし、吉原はともかく岡場所なら知り合いの女はいる。ああいったところの女は一般の女と違って色々な楽しみ方を知っている。そこに上総屋を連れていくのは案外いい考えかもしれない。少なくとも蓮に話すよりは。


「ふむ、引き受けても構いませんよ」


上総屋に女をあてがうぐらいなら簡単な仕事だ。岡場所の女たちからすれば上総屋はいい相手だろう。若者ほど体力がある訳でも無く遊び慣れた者のような手練手管がある訳でも無い。老人なので多少苦労するだろうがあそこの女たちからすれば上総屋など赤子のような者だ。


「うむ、頼むぞ。病持ちの女はいかんぞ」


「分かっています」


「・・・」


「・・・」


「・・・どうした?」


慎之介はそっと兄に手を出す。


「兄上、ああいったところで楽しむには先立つものが必要です」


「だから、おぬしに頼んだのだ」


「いえ、そうでは無く」


「・・・」


どうやら兄も女遊びには疎いようだ。


「金がいるんです」


「・・・いかほどだ」


「ざっと、十両ほどは」


「・・・高いな」


「これで上総屋が治ると考えれば安いものかと・・・」


「う~む。・・・待っておれ」


玄斎は立ち上がり部屋を出ていく。


慎之介は笑いを堪えるのに必死だった。この当時の岡場所の価格はおおよそ金一分。十両あれば吉原でも遊べる。もちろん、慎之介は吉原になど行く気は無い。あそこは色々な決まりがあって堅苦しいのだ。適当な女に声をかけ心付けをはずんだとしても一両程度で収まるだろう。残りの九両はもちろん慎之介の懐に入る。


「兄上は大丈夫だろうな」


慎之介は少々心配になる。玄斎も上総屋に負けず劣らず女に疎い。年を取ってから女に狂うと男は破滅する。若い時に適当に遊んでおいた方がいいのだ。慎之介は大丈夫だが玄斎は少々不安である。



本日の投稿はここまでです。


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