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犬馬の労  作者: しまかぜ
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一死報国

 この人は何故、死ぬと分かっていて清洲に向かうのだろうか。


「兄上……」


 何故、殺されると分かっていていてあのような事をしたのだろうか。


「そのような顔をするな、三十郎」


 何故、そのような優しい笑みを浮かべることが出来るのだろうか。


「今の織田家を一つにまとめるには、私が居てはいけないのだ」


 そんな事はない。俺や弟達、妹達には兄上が必要だ。きっと清洲の兄上だってそうに違いないはずだ。


「涙を拭け、三十郎。お前はもう元服を済ませたのだぞ?」


 何故、家臣同士の争いの結果で兄上が死ななければならないの?


「……はい、兄上」

「良い子だ。私の亡き後は、お前が兄上をお支えするのだ」


 今の俺には分からない……。でも兄上が必要と言うならば、必要な事なのだろう……。


「では、行ってくる」

「はい、兄上。良き旅路を……」


 それが理解できなくとも、納得できなくとも、俺にはどうすれば良いのか分からないのだから……。



ーーーーーー



 1556年、織田信長は尾張の半国を支配下に置いていた。しかし北には大国美濃の斎藤家が、東には東海の三国を支配する今川家が存在しており、国力の差は歴然だった。しかも、信長の足元は磐石とは言えず、織田家では内紛の火種が燻っていた。


 まだ嫡男であり那古屋城城主であった時分の奇行により、一部の家臣は不信を抱いていた。領内だけではなく近隣の領外の者にまで、大うつけと言われる次第であった。当主就任後も振る舞いに変わりはなく、当主に就任すれば落ち着くのではとの期待も裏切られることになった。


 翻って二歳年下の実弟信勝は品行方正と評判であり、信長の行いと比べられた結果、信勝を当主に推す家臣と信長を指示する家臣とで家中は割れていた。


 信勝の方が扱い易いと考えたのか、信長の敵対勢力は信勝の当主就任を支持していた。が、しかし斎藤家は信長を支持していたため、今川家は編入したばかりの三河の鎮撫に手をとられていたため、弱小勢力は各個撃破されていき致命的な事態には発展することはなかった。


 ところが、この年に信長の実質的な後見人であり大国美濃の国主である斎藤道三が息子の義龍に討たれてしまう。この結果により最も頼りになる同盟者を失い、また反抗勢力の抑止力を失うだけに止まらず、強力な敵対勢力が誕生してしまった。


 この事態に信勝派の家臣は躍動、遂には挙兵するに至る。四方に敵を抱えていたため、信長が信勝派鎮圧のために回せた兵数は大きく劣っていた。それでも信長は自ら先頭に立って突撃、敵将まで討ち取り撃退する。


 今回は信長・信勝の生母である土田御前の仲介により、誰も咎めを受けずに帰参を許された。劣勢な状況を覆した信長に乱世に必要とされる戦に勝つ当主としての器量を見いだしたのか、信勝派の家臣も態度を改め始めていた。


 ところが信勝は再起を謀り暗躍を続ける。しかし、信勝から心が離れていた家臣の密告により信長に知られてしまう。一度ならず二度までも刃向かう者に寛容な態度を見せれば、家臣の離反を誘発しかねない。さらに身内ということもあり、かえって厳しい処罰を与えなくてはならなかった。


 

ーーーーーー



「来たか、勘十郎」


 伏せっていると聞かされていたが、やはり偽りであったか。確かに寝所ではあるが、こちらに向けられている視線は病人のそれではない。


「はい、兄上。お元気そうで何よりです」

「ふんっ、白々しい」


 どうやら機嫌は悪いようだ。……まあ、それも無理はないか。兄上は一縷の望みに賭けたようだが、分が悪すぎる。その事は良くわかっておられただろうが……。


「これが、最善の手にございましょう」

「わかっておるわっ!」


 お優しい兄上。そして甘い。


「いったい何のお話で……?」


 ……今さら違和感を覚えたか。


「お前達家臣の興奮を鎮めるために一芝居打ったのよ」

「芝居?」


 ああ……、本当に愚かな。良い大人が我を通す為に熱くなったお陰で、弟が泣く羽目になったではないか。時勢の読めぬ愚か者どもが、あの子の方が余程良い目を持っている。


「争いの芽は摘まねばなるまい? つまり私だ」

「な!?」


 何を驚く事があるのか。まさか当主である兄上を死なせる訳にはいくまい。ならば私しか死ねる者がいないではないか。


「見事な舞い振りであった。お陰ですんなりと事が運んだわ」


 私を担ぎ上げるくらいだ、下の身分の者を重用して見せれば憐れな程に踊ってくれた。尾張一国も治められていないにも関わらず、権力争いを始める意味が分からない。四方は敵国ばかりだというのに……。


「望み通り主家の人間を殺せたのだ、良かったではないか」

「なっ、違います! 新五郎殿も某も本気であなた様の方が当主に相応しいとーー」

「ふんっ、それをこの場で言うか」


 己の理想を他者に押し付けるとは何と傲慢な……。いや、それは我々も同じか。


「もうその辺で止めてやれ、勘十郎」

「はっ、口が過ぎました。源六もすまなかった」


 己の理想を他者に明かさず、家臣達も兄上のように察してくれると勝手に思い込んでいた私の落ち度だな……。そうか、三十郎のあの目はこの事を伝えようとしていたのか! 本人も答えが分かっている様子では無かったが。


「何を笑っている、勘十郎」

「いえ、三十郎を思い出していました」


 そうだな、他者に察しろなど傲慢に過ぎる心持ちであった。他者には言葉で伝えなくては、伝わらないのだな……。今、この時に思い至るとは……。


「兄上」

「なんだ」

「言葉で伝えるべきでした。せめて中務丞には。父上や山城守殿のような人は少ないのです」


 父上が重用する程の者だ。お互いの齟齬さえ埋めてしまえば共通の見識を得られた筈だ。


「爺がうつけと言うか!」

「いえ、そうではありません。立場による目線の高さが違います。見通せる距離に差があったのです。その差の説明があれば、中務丞ならば理解したでしょう」


 中務丞ならば上手く家中の纏めることが出来たであろう。まあ、今更な話だが。


「兄上、最後に書を認める事をお許し頂きたく」

「良いだろう」

「ありがとうございます」


 三十郎ならば今の織田家を変える事が出来るだろう。まだ若いからこそ、如何様にも変わる事が出来るからな。もう会って話すことは出来ないが、伝えられるのは言葉だけでもない。


「兄上、この書を三十郎にお渡しして頂きたく」

「三十郎に?」

「はい、三十郎は良い目を持っています。きっと兄上のお役に立つことでしょう」


 兄上は三十郎と共に過ごした時間は少ないからな、三十郎の事を余り知らないだろう。けして知勇に優れている訳ではないが、あの目はきっと兄上の役に立つだろう。


「よく三十郎とお話しくださいませ。三十郎なら分かってくれます。家中の折衝役に据える事が期待できます」


 生まれながらの性分を変えるのは難しい。ならば兄上と家臣の間に三十郎を挟むことで、生じる軋轢を緩和することを期待するしかない。


 頼んだぞ、三十郎。

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