最期の冬
二度に渡る粛清隊の敗北はビッグニュースとしてラトナム国内に広まった。
一般人の中にはバッドニュースとして。ただし冒険者たちの間にはグッドニュースとして。
冒険者というのは要するに日雇い労働者のようなもので、人によって目的や目標は様々だ。その中には金と名誉にはとんと興味はないが、己を鍛えることに腐心する者もいる。
腐れ谷のゾンビは人間の世界に侵攻してこない。国に数人しかいない第四位階の冒険者は人里を襲う敵で手一杯で見向きもしなかったが、その座を目指す野心家たちはこぞって腐れ谷へと向かった。
この情報を人間社会に送り込んだスパイから聞いたあとのエルヴィンの多忙ぶりはレブナントの中で後々に語りぐさとなるほどだった。
エルヴィンは第二位階までの冒険者対策でレブナントを配置していたのに、第三位階のパーティーが雪崩込んできたのだから、焦らずにはいられない。休養中のユーゴにまで出撃命令を出したほどだ。
冒険者をすべて倒してしまっても良かったが、ユーゴ達はあえてパーティーを半壊させるに留めた。
腐れ谷が修練には割が合わないことを広めてもらうためだ。
慌ただしくアシッド砦を防衛し、元粛清隊のレブナントの調教を終えて、マレタ市の拠点整備が終わって安定したモンスター狩りが出来る頃。
気付けば腐れ谷の秋はあっという間に終わっていた。
■■■■■
『なるほど。それじゃ、冒険者達の間では腐れ谷での腕試しは下火なんだな?』
『はい。基本的には非推奨、ですね。冒険者側でまとめている危険なエリアがありますので、お送りします』
『引き続きよろしく頼む』
ユーゴは念話を切るとアシッド砦の司令室から外を眺めてホッと溜息をついた。人里に潜入している仲間からの報告がようやく朗報と言えるものになったからだ。
アシッド砦を拠点にして第一区画の広範囲に戦力を配置し、レブナント達の領土として防衛するという計画は早い段階から頓挫していた。
冒険者を手厳しく返り討ちにすれば逃げていくかと思いきや、ラトナム全国各地から腕を上げたい冒険者達が集まってきてしまったのだ。おかげで第一位階や第二位階のレブナントの数が減少していき、ゾンビの数も枯渇し始めてしまった。
『リオン・オブライエンが単独で敵主力と交戦するも撤退』という情報を人里でばら撒き、神聖教会もそれを肯定したのだが、「パーティーを組めば大丈夫だろ」と考えた冒険者が跡を絶たなかったのだ。ユーゴはそれらを駆逐し、多くは戦力として取り込み、少数をあえて逃して世論をコントロールできないか試みていた。
実力者のパーティーが次々と瓦解することで発生する影響が、ようやく顕在化するまで三ヶ月。季節を一つ使ってしまった。
腐れ谷以外の各地で今まで討伐されていたモンスター達が跋扈を始めたことで、冒険者達もようやく腐れ谷から本来の拠点に戻っていったようだ。
「それじゃあ、そろそろ私達もマレタ市に戻るのかしら?」
テーブルに置かれた遊技盤でリリアーヌと差し向かいに対戦をしていたサラがそう質問した。念話はサラも聞いていたので、質問というよりはこれからすべきことの確認だったが。
「そうなる。砦の防衛にはランスとルーリエを配置するから、サラもリリアーヌも一緒にマレタ市に移動してくれ」
「……のう、ユーゴ。一つ相談があるんじゃが」
遊技盤でサラ相手に詰みまでもっていったリリアーヌが神妙な顔でそう言った。
無論、ユーゴは首を縦に振る。
「私の居城を放棄する」
「……それはまた」
「もちろん理由がある。お主らが粛清隊とやりあっておる間に、西のアーヴィアンからの侵攻を食い止めていたおかげで城の戦力はすっからかんなのじゃ」
これについては、ユーゴ達レブナントは感謝をするしかない。
ラトナムはアーヴィアンとの戦争で領地を拡大できなかったために、新たな領土をもとめて腐れ谷に侵攻した。もちろんアーヴィアンも同じことを考える、と推測して然るべきだったのだ。
ユーゴ達がそれを知ったのは、事態が落ち着いたころに報告にきたリリアーヌから直接教えてもらった時である。
「リオンという小僧が何を考えていたのかは分からんが、粛清体を先遣隊として腐れ谷を奪取したうえで、アーヴィアンの連中に引き渡す算段だったようじゃな」
「戦争を講和させた際の条件だったのかな?」
「かもしれぬ。ラトナムが最初に大きく仕掛けたにも関わらず戦況は不利になり、それを講和で戦前と同じ国境に戻したというのじゃから、どこかの土地を差し出さねば釣り合いが取れぬからのう」
リリアーヌの情報網はユーゴ達のそれより優れていたが、それでも知ることが出来ない情報というものはある。そこを推測してはキリがないので、ユーゴは考察を打ち切って話を戻した。
「リリアーヌの協力には心から感謝してる。だけど、城の戦力補充じゃなくてリリアーヌが移動する方針で良いのか?」
「構わぬ。話し相手もおらぬ城に篭もるのも飽いた。それにレブナントの勢力に加勢するならば、あの城は戦略的に価値がない」
リリアーヌの居城は第一区画から南の、山に囲まれた土地に建っている。レブナント達の主力が控えるガラトナム城や、昨今制圧したマレタ市の防衛には寄与できないのだ。
第一区画から東進する勢力を背後から攻撃することはできるが、そのための戦力は既にアーヴィアンを抑えるのに使ってしまっている。
「いま私に出来ることは、一人の戦力として随行することくらいじゃ」
「そうだとしても、どこで腹を満たすほどのプラーナを得るつもり?」
ユーゴは既に納得しているという空気を出していたので、サラがすかさず横槍を入れた。とはいえ、これは重要な問題である。
レブナント達は食事を必要としない。ハイ・レブナントは食事をある程度はとらないと肉体が衰弱してしまう。もちろんプラーナを摂取していれば体は動かすことが出来るのだが、身体能力は落ちてしまう。
リリアーヌに至っては生きるために大量のプラーナを必要としていたから、城と城下町を利用したプラーナの回路を作り、摂取していた。
「ガラトナム城はレブナントの強化やらスケルトン作成やら、やることが多くてプラーナが余ってないわ」
「マレタ市を私に譲るというのはどうじゃ?」
「……最近整えたばかりの拠点をもらおうというのは、虫が良すぎるんじゃないかしら?」
遊技盤で負けた八つ当たりじゃないのかとユーゴは内心考えていたが、客観的にみればサラのほうが当然の懸念をしていると言えた。
リリアーヌもそれは分かっているのだろう。あえて反論はせずにユーゴの返事を待った。
(つまりマレタ市を譲ってリリアーヌを連れて行くか、そうでないのか。ってことか)
選択肢を単純化すればそういうことになる。
ユーゴは即断した。
「分かった。マレタ市をやろう」
「ちょっと!?エクセレン達があそこでどれだけ苦労してると思ってるの!?」
「分かってるよ。だけど首都をねだるのに比べれば安いもんさ。
それにプラーナ回路はメンテナンスしていかなきゃならない。エクセレンの代わりにそれをやってくれるんなら万々歳さ」
ユーゴは季節一つ分もの時間、エクセレンと直接顔を合わせていなかった。ユーゴが砦を離れられなかったのと同様に、エクセレンにもマレタ市から離れられない理由があった。
それは拡張整備したプラーナサーキットを管理できるのがエクセレンただ一人だけだったからだ。
この役割はサラにも変わることはできない。ガラトナム城の回路を担当しているエルヴィンも同様だ。巨大なサーキットの運用を肩代わりできるのは目の前にいる吸血鬼しかいない。
「首都攻略にも協力してくれるんだよな?」
「無論じゃ。私の力の限りを尽くしてやろう」
「約束だぞ。この前みたいな意地悪はもうやめてくれよな」
最初にマレタ市を攻略しようとして失敗した時の罠を引き合いに出されてリリアーヌがぐっと息を詰まらせた。
リリアーヌも首を縦に振り、こうしてユーゴ達は再びアシッド砦を出発して腐れ谷中央部へと向かうことになった。