アシッド砦攻城戦(中)
夕刻に突如として大量発生したスケルトンとの戦闘で、アシッド砦はあっという間に地獄へと早変わりしていた。
しかし砦の防衛に当たるランス隊のメンバーもさるもの。粛清隊の中でも堅実さに秀でた部隊だけに、見慣れぬモンスターであるスケルトンにも素早く対応している。連携した神聖魔法で足止めに成功し、押し返し始めてすらいたのだった。
侵攻してくるスケルトンに防衛部隊が対応し、ランスがユーゴを足止めしている。あとは増援を待つばかりだ。ルーリエと彼女の率いる部隊を。
だが、増援はなかなか現れない。
なぜなら彼女らもまた敵と戦っていたからだ。
「オーガのゾンビ……いいえ、レブナントね?」
ルーリエはランスの予想通り、爆発事故の現場に向っていた。だが、途中で下手人を見つけていれば彼女もわざわざ犯行現場に足を伸ばしたりはしない。
それが例え日頃世話になっていた冒険者であっても、爆発の方角から武器を抜いてやってくる者など信じる必要があるだろうか。一団の中にオーガが混ざっていればなおさらである。
ルーリエは冒険者たちの正体を見抜いて浄化の神聖魔法を放った。駆け込んできた冒険者達は次々に廊下へ倒れ込み、すぐに動かなくなる。
唯一彼らを壁にして難を逃れたオーガと通路で睨み合った。
レイキは人間の言葉で読み書きも会話も出来るが、それをこの女に教える必要はなかった。レイキは他のオーガがそうするように、問答無用で体内のプラーナを高め武器を構える。
レイキが構えたのは両手斧だ。柄の先に括弧が付いているような形状だが、一方の刃が大きくもう一方は小さくなっている。そして昨今では見るものが見ればひと目で分かる白銀色。
レイキは足にぐっと力を入れる。敵の女はどこか泰然としていて、戦闘力の差は明白だろうにこちらを恐れていなかった。
訝しみながらもレイキにできることは一つしかない。
右手に握った剣を床に向けたまま、ルーリエは左手を上げた。
「オーガとは言えども、注意深ければ多少は生き長らえたものを」
レイキはただの鼓舞ではなく、全身をプラーナによって強化している。通常のオーガでは考えられない速度で跳んだレイキは、ユーゴから与えられたアドバイスを思い出して更に全身のプラーナを賦活させた。
「消えなさい。浄化!」
ルーリエの放った魔法が通路を埋め尽くし、レイキを襲う。
だが、浄化の魔法は空中で飛んでいる物体を止めたりしない。ルーリエは軽く身を引いて死体を避けようとし、
「そんなっ!?」
レイキがそのまま武器を振り下ろすを見て驚愕に襲われていた。驚いた、という表現では済まない衝撃だ。彼女が瞬時に立ち直ったのは戦闘慣れというよりも、頭を働かせて他の可能性に思い当たったからだ。
ルーリエは縦に振り降ろされる両手斧を、半身を引くことで避けた。巨体を躱すために動き出していたのが幸いした形だ。レイキの斧は床を打ち、壊れるのでは無いかと思うほどに床が振動する。
「なんて力、このぉ!」
「フン!!」
ルーリエは右手に下げていた剣を突き出した。両手斧を振り回せる間合いでもないし、横に薙ぎ払えるほどの広さはこの通路にはない。
だが、レイキは斧の先端を床に突き立てたまま柄を時計の針のように回転させて剣を弾き飛ばした。自分の手からも武器はなくなるが、狭い廊下ではマイナスにはならない。
レイキの右の拳を床に転がりながら避け、追撃のローキックに炎の矢を放った。
浄化を弾くほど強固なプラーナに覆われた肉体が、詠唱によってプラーナを固める時間もなく放たれた魔法ごときで傷つくはずもない。
炎を突き破ったレイキの臑を避けられる体勢ではなかったルーリエは辛うじて両腕を交差して顔面への直撃を避けたが、焼け石に水だった。
両腕の骨が砕け、顔面の骨にヒビが入る。背中は石の壁に叩きつけられ、強打された全身の感覚がない。
混乱の最中で単独行動をしていた運の尽きを嘆くばかりだ。ルーリエは瞼を閉じて、襲い来る死から目を背けた。
だが、彼女が死を覚悟しても一向に追撃が襲ってこない。
疑問に思ったルーリエが目を開くと、そこに不満げに顔をしかめるオーガの姿があった。
(不満?一体何に?)
ルーリエがいくら考えたからと言ってもわかるわけがない。
レイキは不満だったのだ。自分を歪に育てた人間の女。それと戦える機会だったのに、相手は苦し紛れの攻撃を多少繰り出しただけで諦めてしまった。
(母さんは人間の中でも異常に辛抱強かったのか?)
そんなことに今更気づいたレイキだったが、戦い足りないのは事実だ。
『大将。女の戦士は倒した。まだ生かしているが、好きに使っても構いませんね?』
『よく分からんが、砦の攻略に役立つなら好きにしていい』
向こうも戦闘中であることはユーゴの返事にゆとりがないことからも分かった。それなら、手間を取らせず掩護になるような手を打とう。
レイキは拾い上げた両手斧の刃にプラーナを集中させた。
岩をも砕くクリスタルドラゴン製の斧にプラーナを込めたそれは、もはや武器というより重機といって差し支えない破壊力で、砦の壁に大穴を開けた。
呆然と外を見るルーリエを、レイキは無造作に放り投げた。穴の先は中庭だ。砦のどこからでも見えるだろう。
レイキはルーリエの隣に立つと、人間語で叫んだ。
「この女を死なせたくなくば、私と立ち会え!!!」
三度も繰り返していれば、砦の通路を走り回っていた兵士達が嫌でも気付く。
敵に包囲されたレイキは両手斧を握りしめて笑った。
ここからが真の戦いだ。人間の知恵を絡めてオーガとしての武勇を絞り尽くす、レイキにしかできない戦いだ。
アシッド砦の中庭で誰一人想像していなかった激闘が始まり、その結果を見ることができなかった壁上の隊員も、徐々に強まっていくオーガの咆哮で悟っていくことになる。
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ルーリエが通路で敗北する少し前、同じく通路でレブナントと遭遇して戦闘に入っていたランスは、後ろから声をかけてきた女が先日全滅させた群れを率いていたレブナントであったことに気付いた。
「何故貴様が生きている」
「あら、死属に"生きている"だなんて素晴らしい皮肉ね」
サラに答える気は無かった。
今すぐ二対一で仕留めようとナイフを構えたのだが、それをユーゴが止めた。
「なぁ、おっさん。アンタが本気の技を見せてくれたら、気になっていることを答えてやるよ」
「ここで死ぬ私にそれが必要だとでも?」
「俺を足止めしておきたくないのか?」
ユーゴはまだルーリエがレイキと会敵している事を知らない。これは単純で答えの分かりきっている問いかけで、取引だ。
そして時間を欲しているランスがこの取引に応じないはずがない。
ユーゴの狙いは的中した。
「……良かろう。ではまず、この女が消滅していない理由を教えてもらおうか」
ランスは今までよりも深く踏み込んで先程と同じ三段突きを放った。だが同じ型の技を選んだのはユーゴの油断を誘うためだ。ランスは槍を高速回転させながら魔法を操り、型の更に先にある技を見せた。
槍の回転は一段目より二段目、更に三段目と加速する。最大まで回転させた槍はユーゴではなく、魔法で圧縮させた空気を力任せに破壊した。
制御を失った高圧の空気が噴出して通路の中を暴れまわる。
ユーゴは咄嗟に全身をプラーナで覆った。イメージするのはリリアーヌだ。カマイタチが通路を削って通過していく中、ユーゴには傷一つ付いていない。
魔法で壁を作るのではなく、プラーナを直接操作して壁にするなど死属ではない人間には理解できないだろう。
何をされたか分からないままに攻撃を防がれたランスが、ここまでの戦闘で初めて動きを止めていた。
「浄化も魔法だ。プラーナを操作する魔法には共通の弱点がある。何らかの手段で魔法を遮断してしまえばいい。
浄化は肉体ではなくコアに働きかける魔法だ。コアに届く前に遮断してしまえば効果が出ない」
ユーゴはその実例を何度も見てきた。
オーガ・キュイラスに仕掛けられていた魔法を弾く仕掛け。
リリアーヌが自分のプラーナを膜のように纏って張っているバリア。
ガラトナムを始めとするドラゴン鱗のように物質自体が分厚くて魔法のプラーナが貫通しない場合。
あえて説明はしなかったが、魔法で作った風の刃を防いだのも同じ理屈だ。魔法のプラーナが持つ強度よりも強固なバリアを、魔法は突破出来ない。
「神聖魔法は物質を貫通しない。だからあんたらも街中で無造作に浄化を放つのではなく、敵を目視して使っているだろう。死体の壁も同じさ。
ゾンビの軍団と戦ったことがあるやつなんていないから気付かなくても仕方ないだろう。気を取り直して次に行こうぜ」
ランスはユーゴの説明をほぼ理解していた。
それ故に敵の賢さに頭が痛くなりそうだったが、今は一刻でも時間を稼ぎたい。
ランスは質問を変えた。
「先程の爆発は冒険者達が引き起こしたものだな。彼らに何をした?」
「さぁ?冒険者が依頼を受けて離反したとか?」
「ありえん。彼らはそのようなことを起こさぬ。粛清隊とも繋がりの深い冒険者だ。つい数日前にも同じように荷を運んできたが祈りを捧げて帰っていったよ」
ユーゴが試すように素知らぬふりをしたが、ランスは冷静にそれを論破した。
「なるほど、気を付けよう。お察しの通り俺らは彼らに命令を聞いてもらった。方法については、命を握らさせてもらったとしか答えようがないな」
「脅しで屈するようなヤワな冒険者たちではない。何をした」
ユーゴがのらりくらりと逃げる。理由はもちろん、答える駄賃を貰っていないからだ。
それを分かっているランスはようやく次の技を練り始めた。再び槍の先端にプラーナが集中する。
対するユーゴはプラーナの守りを固めるだけで、ランスの動きを邪魔しないように微動だにしなかった。
ランスは槍を突き出すのではなく振り抜くために右腰に巻きつけるように横を向けた。風の刃でも打ち出すつもりかと剣にもプラーナを込めたユーゴだったが、ランスが踏み込むのと同時、槍先からプラーナの鎌が現れる。
しかしそれがプラーナで作られた刃である限り、ユーゴには届かない。
ユーゴに触れたと同時に鎌が音もなく砕け散った。硝子のように飛散するプラーナの輝きにランスが目を見開いた。
「……魔法の新しい使い方を見せてもらったお礼だ。知らなきゃ良かったと後悔するかもしれないが教えてやろう」
それまではフレンドリーな声音で会話を続けていたユーゴが、声のトーンを落とした。
ランスは慌てて槍を引き戻して武器を構える。対するユーゴは剣を右腰の剣帯に吊るした鞘へと仕舞うと、腰の裏に手を回して手斧を取り出した。
短剣のようなサイズの手斧だ。顔よりも小さい刃は取り回しは良さそうでも破壊力が疑わしい。素材がいくら優秀でも、質量はごまかせない。
だが、この手斧が見た目通りのサイズではなくなっている事にランスは気付いていた。斧の先端に感じる気配。プラーナを集めているのだ。ランスと同じように。
「彼らは今朝、我々の味方になった。
たしかに彼らは忠誠心と責任感を持った良い冒険者だったが……教会は彼らのような殉教者を再利用する研究をしていた。知っているかな?」
ランスの顔から焦りが消えた。
否、消えたのは殉教精神以外の全てだった。
ランスは会話の代価も投げ打って全てを終わらせるつもりで後退しながら槍で宙を突く。
遠当ては防がれ、ユーゴの口を塞ぐことすら叶わない。だが距離さえ開けばそれでよかった。
「まさかソレがお前の奥義か?」
「……っ!三龍っ」
「もういい。諦めろ」
ランスが時間差で発動するように空中に溜め込んでいたプラーナごと、ユーゴはウォーハンマーの先に形作った巨大なハンマーで叩き潰した。
右から左へ振り払ったハンマーが、壁に巨大な大穴を開けて中庭に大量の石片を撒き散らす。
「諦めろ、ランス。諦めるがいい、粛清隊の戦士たちよ」
ユーゴは声を砦全体に拡散させながら話を続けた。
「ルーリエ……っ。全員、コヤツを殺せ!!」
中庭で倒れ伏したルーリエと、死体の山と、そこに屹立するレイキ。
そこに歩み寄りながらユーゴは勧告を続けた。
「教会は蘇生の神聖魔法を都合良く利用するため、解析と冒涜を続けた。魔法が体系立てられるには組織の力が必要で、死霊術にとってのそれはお前達の教会だ」
「出鱈目だ!戯言を許すな!」
ランスが突撃し、砦の上から矢が射掛けられ、魔法が準備される。
「"命の輝きを、神よ"。"もう一度捧げる機会を彼に、彼女に与えん"」
神聖魔法としてはチグハグな祈りを唱えながら、ユーゴはウォーハンマーをランスに向かって全力で投擲した。心臓目掛けて回転しながら発射された手斧が見事に左半身に突き刺さる。
ランスが顔を歪ませた。
痛みに、ではない。
「"彼に命を"、与えられずとも、我に"尽くす為の力を与えん"」
ユーゴは矢の射掛けられていないランスに急接近すると、頭を爆破しようとした彼の右手を抑え、突き刺さった斧を握ってプラーナを流し込んだ。
「ランス。抵抗するな、自死するな、諦めるな。
これは神聖魔法を起源にした魔法だ。恐れ、怖れる必要はなく、お前の教義を捨てる必要も無い」
「はい、ユーゴ様」
ランスの口から漏れた言葉に砦の時が止まった。
砦の外で骨を打ち鳴らしながらスケルトンが迫っているというのに、全員の視線が中庭に突き刺さっていた。
「だがお前は街には戻れない。ここで生きる事こそが、お前が教会の教えを示す方法だ。納得しろ」
「………っ、は」
「まぁいい。質問に答えろ。お前は死霊術の研究を知っていたな?」
「はい」
「教会が表向きの教義とは裏腹に死体を弄び、失敗作は神河にも戻さず始末していた事を知っていたな?」
「はい」
「………ランス。これは俺の推論だが、教会の闇を知り、それでも教義に尽くしていたお前の智謀に問う。答えを聞かせてほしい」
「はい。なんでしょう」
「神聖教会の教義は死属を腐れ谷に増やすためにあると思わないか?」
死した戦士は神の元へと流し、プラーナを還元する。
国をまたいでも変わらぬ、唯一不変の教え。
「………真意は、分かりませんが」
ランスには否定することは出来ない。
肯定ではなく答えを濁すことができただけでも彼の精神力は他のどのレブナントよりも強靭だった。
だが、粛清隊に選ばれるのは農民ではなく、教養のある人間達だ。
「そうだな。だが死したお前がここで死属になることは教義に外れない。今はそれだけを認めろ」
ランスのプラーナコアの波動が安定する。
握った斧からそれを感じ取ったユーゴは勢い良く引き抜いた。
「聞こえたかな、諸君。君達は知らないかもしれないが、死してこの地でゾンビになる事は"自然"の成り行きだ。
安心して受け入れるといい」
ユーゴは剣を鞘から抜くと、己のプラーナを全力で注ぎ込んだ。
地面に顔を叩きつけているルーリエを仰向きに転がすと、彼女の顎を掴んで動きを止める。万力のように骨を締め上げる痛みに頭が真っ白になるが、それでも彼女は叫んだ。
「違う、違う違う違う!教会は死属を滅ぼすために私達を」
「それは粛清隊の教えだ。そして粛清隊が出来たのはつい最近だ。お前の爺さん婆さんが生まれる前には無かったんだ」
粛清隊がサラの"生前"には存在しなかったという証言がある。
どんどんと出て来る反証に、ルーリエの目から光が消えていく。
「ルーリエ。腐れ谷に相応しい目になった君は美しいな」
「死体風情が………」
「君がレブナントとして蘇るのか。はたまたそれ以下なのか。知性ある会話をできることを楽しみにしている」
ユーゴは彼女の心臓に白銀の剣を突き刺して、アシッド砦の中心点にプラーナを流し込んだ。
先程と同じ詠唱を繰り返す。サラが念話で総攻撃の指示を出し、呆然としていた粛清隊の命の灯が消えていく。
たがそれも、力ある者にとっては一時の夢のようなものにすぎない。
そして命失くした者には最後の自由な一時だった。
ユーゴの死霊術が砦の中心点から地下水路のプラーナサーキットへと流れていく。
命懸けの権謀術数で生き延びてきたユーゴが、タダで砦を放棄するはずもない。
街から遮断され、プラーナを溜め込んだ砦の回路を魔法が走る。砦のプラーナに良く馴染んだ心臓にコアが形成される。
「ああぁぁぁっっ!!」
ユーゴが命を削りながら砦の戦死者を蘇らせていく。
降り注ぐ魔法はレイキが撃ち落とし、雨あられと宙を走る矢はサラが全て叩き落とす。
地下では同じように蘇っていたマリベルとカイエンを始めとした魔法使い達もプラーナを回路に流しこむ。
『襲え』
『喰らえ』
『渇きを癒やせ』
『仲間を増やせ』
プラーナが足りていない者はゾンビに。
そうでないものはレブナントに。
悲劇だったのは粛清隊に後者の隊員が多く、誰一人としてユーゴの命令に疑問を抱くことすら出来なかったことだ。
パニックは激しくなり、レブナントに抵抗できる力ある者だけが、夜を前に虚しい抵抗を続けていた。
出来の悪い鎮魂歌が砦に響き、そのフィナーレまで数分もなかっただろう。
だがその時、一人の男の声が諦めと悲しみの歌を鎮めた。
「そこまでにしてもらおう。死者の指揮官よ」
砦の外から、ユーゴと同じ拡声の魔法で。
それに気付いた瞬間レイキがユーゴの前に立ち塞がり、僅かに遅れて砦の門が外から爆破された。
夜闇に閉ざされる直前の夕日の瞬きように、粛清隊の希望が絶望の坩堝に射し込む。
粛清隊総長、リオン・オブライエンが現れたのだった。