吉報と凶報
ガラトナム城の中で真っ先に補修された執務室の中で、エルヴィンが猛烈な勢いで書類にペンを走らせていた。まだまだ補修の続くガラトナム城だが、高い尖塔は直さずに作業を進めているので城と言うよりは直方体の砦のようになっていた。
外壁の修理が終わり、現在は内部の生活区域に手を付けている段階だ。当然城の中はうるさく、書類仕事など落ち着いてできるはずもない環境だったが、そこはレブナントの便利な能力が役に立つ。聴覚をカットして念話だけを受け入れるように肉体の機能を調節して、エルヴィンは仕事に集中していた。
彼が今書き殴っているのは資材の数を管理している表だ。資材にはゾンビやスケルトンの数も含まれるが、現在コロコロと数字が変わっているのはレブナント達の使う戦闘用消耗品である。
ユーゴ達は順調にマレタ市を攻略しているらしい。届くのは吉報ばかりだ。
送り込んでいるのが精鋭ばかりなのだから犠牲者の数が少ないのは当たり前だが、シャドウキマイラとやらに小隊一つが潰された以外に目立った被害がないのは想定以上の戦果である。
だが良いことばかりではない。人員が減らぬまま戦闘を続けているため、物資の消耗速度も当初の想定を超えていた。
もちろんそれを何とかするのがエルヴィンの役目だ。ガラトナム城に駐在しているメンバーへの物資を絞り、ドワーフの国から密輸してもらっている資材の中に消耗品を追加できないか密偵へ無茶振りをする。
てんてこ舞いだがこの忙しさが続くのもあと少しだ。
地下道に配置された意志なきレブナント達(ユーゴ達に逆らって意識を奪われた死体達だ)が伝えてくる情報から推測すると、マレタ市のプラーナサーキットは順調に広がっているらしい。
シャドウキマイラのような敵が現れなければ、攻略戦も終わりが見えてきていると言っても過言ではない。
「それにしても、ドワーフの装備だけでここまで劇的に状況が変わるとは」
一通りの情報を整理し終えたエルヴィンは一枚の紙を取り出して、残りのクリスタルドラゴン素材や武具がどれだけ残っていたか確認する。自分に渡されたナイフは上着の下につけたホルスターにしまわれて左胸の上にあるが、一つたりとて無駄にできない貴重な物資だ。
クリスタルドラゴンの素材は人間たちの間でも非常に高値でやり取りをされているらしい。
日を追うごとに噂が広がって値段も上がっているようだが、一方で悪い噂も広がっている。この素材を持ち帰ってきた冒険者は生属の人間ではなく死属だったという噂だ。
これ関しては完全に事実だが、問題はそれを流しているのが教会だという点だ。残った品も呪いをかけられている疑いがあるので教会へお持ち込みください、というお触れが出ているのである。
その意図をエルヴィンは測りかねていた。
本気で武器を集めるには謝礼金が安すぎた。実際に回収の成果は芳しくない。
粛清隊のメンバーがクリスタルドラゴンの装備で身を固めて襲撃をかけてきたらと思うと無視はできないが、ゆっくり武器を集めた数年後を目指しているのだろうか。
(そんな気の遠い作戦のために人手を費やしているとは思えないけど、なにか他に狙いがあるのか?)
この件については近いうちにユーゴにも伝えなければ、とエルヴィンは手元のメモに嫌な予想を書き残す。
今のところ、レブナント軍の運営は順調だ。神聖教会が多少の謀を仕掛けてきても跳ね返せるだろう。
今のエルヴィンには確証のない不安よりも先に考えねばならない問題がたくさんあった。
レブナント達の勢力はすでに軍と胸を張って公言できる。エルヴィンは武力で実家を見返すことを目指していた。今のレブナント軍であればその程度は容易く成し遂げられる、つまり他国の貴族が抱える一領地くらいは攻め落とせるということだ。
エルヴィンが号令を出せば願いは叶うだろう。
だが、彼がそのために指揮の腕を振り上げることはなかった。
(いいえ。たぶんきっと、もう)
もしかしたら、いずれその時は来るかもしれない。
だがエルヴィンは今、かつての願いがちっぽけだったと感じていた。
結局、国を揺るがしたいとかそういう願いではなく、個人としての復讐でしかなかったのだろう。より高い視座にたって考え直した彼にとっては、通信班の定時連絡よりも価値のない思いでしかなかった。
『エルヴィン、定時報告です』
『リリアーヌさんとの通信は回復しましたか?』
『依然変わりありません。第一区画へ向かったメンバーからも返信がありませんし、砦を取り戻してプラーナ回路を手中に収めないと無理そうです』
『………早馬でも出したほうが良いかも』
『本当に何かあれば、あの方はこちらにくるのではないでしょうか?』
そうできるのならば、リリアーヌは既に顔を出しているだろう。リリアーヌはガラトナムに並ぶ強者だが、無敵ではない。
ガラトナム城とアシッド砦のプラーナが途切れている以上、彼女は自分を影に溶かして移動することができない。
『エルヴィン様』
『あぁ、すいません。切りますね』
『いいえ、南からの吉報です。ユーゴ将軍達がマレタ市のプラーナサーキットを完成させたそうです』
『本当ですか!?』
エルヴィンは声に出して快哉を叫んだ。
マレタ市のモンスター分布は数匹のシャドウキマイラが頂点でそれ以上は居なかったらしい。
キマイラゾンビに加えて他の生物も次々ゾンビ化することで、制圧速度がどんどん上がっていたようだ。
新しく加わったマレタ市の戦力を、新しい紙に書き留める。
『以上で間違いないですか?』
『確認します………………はい、間違いありません』
リストを見直して嘆息したエルヴィンを誰も責められないだろう。これだけの数が相手ではレブナント軍も壊滅していた可能性が高い。強力な個体がプラーナの濃い奥地から出てこれないおかげで助かっていたのだ。
ともあれ、これからはユーゴ達戦闘要員以外の仕事が増える。まだまだ残党を倒してもらわないといけないが、拠点の設営にプラーナサーキットの改良整備とやることは多い。
(ガラトナム城の中で待機していることが多いメンバーは全部送り込んでもいいかも……ユーゴ将軍に確認しなければ)
レブナントの大々的な配置転換はエルヴィンの裁量の手に余る。
情報をまとめてからユーゴに念話を繋いでもらいたいと思っていたエルヴィンだが、悠長に情報を整理する時間は与えられなかった。
今度は第一区画に向かった部隊から連絡が入ったのだ。
エルヴィンは自分の手に余るその情報を、すぐさまユーゴへと伝達した。
■■■■■
「………全滅?」
「少なくとも部隊は半壊したらしいな」
念話を聞き終えたエクセレンが呆然としている。
対するユーゴは一見冷静だが、二人共内心では気が遠くなるような思いだった。
第一区画には初期から仲間に加わっていたマリベルとカイエンに加えて、サラも居たのだ。その三人ではなく、なんとか撤退してきたレブナントからの連絡という時点で、誰もが最悪の事態を想定していた。
駆け出そうとするエクセレンの肩をユーコが掴んで止めた。
「落ち着け、エクセレン」
「サラがやられちゃったかもしれないんでしょ!?助けに行かなきゃ!!」
「分かってる!俺が行くからお前はここを維持するんだ」
「いやだよ!どうして!?」
錯乱したエクセレンが、ユーゴの首元を掴んで激しく揺さぶる。
アレクとノイッシュの二人が気を使って部屋を出ていった。正確にはアレクがノイッシュをひっつかんで連れ出した。そういうタイミングだと色男の目が口ほどに語っていた。
ユーゴはエクセレンの肩に手を添えて、彼女の目を覗き込みながら言った。
「エクセレン。お前は俺達の生命線だ。連れて行くことはできない」
「それは……。でもっ」
「分かってる。俺も、サラの事は大事だと思ってる。仇討ちじゃなくて、助けに行くつもりだ。
だけど撤退する可能性もある。ガラトナム城でも耐えられなかったら、ここが最後の砦になるんだ。ここならサラが負傷していても十分に治療出来るだけのプラーナがある。
俺達の帰る場所を作れるのはお前だけだ」
不安に揺れていたエクセレンの瞳がしっかりとユーゴを見つめ返す。
納得してくれたことにホッとしたユーゴが手の力を緩めると、エクセレンが彼の胸に飛び込んだ。
「ねぇ、ユーゴ。自分も危ないでしょ。なんでそんなに自信があるの?」
「自信はないよ、敵の情報も何もかもが未知数だ。もしかしたら逃げることすらできないかもしれない」
「……それでもサラを助けに行けるんだね」
声のトーンを落としたエクセレンが胸元から離れかけ、それをユーゴは抱きとめることで押さえつけた。
「なぁ、エクセレン。……俺はお前のことが好きだよ」
「そっ、それ今言うこと!?」
エクセレンの顔色をうかがいもせずに、ユーゴは続けた。
「エクセレンの事は信頼してる。女性としても魅力的だと思う。サラとエクセレンに向けられている感情も理解できる。
だけど……心が動かないんだ。自分がそう思っているっていう認識だけがあって、生き残らなきゃいけないと思っている時のように心が機能しないんだよ」
それは今までずっと彼が抱えていた感情だった。
生き残るための戦友としての信頼や感情は持てるのに、男女の好意については頭で理解できるだけで心が動かない。
クラウドの肉体を奪った時は困惑されたけれど、葛藤を乗り越えたサラからどう思われていたか。
エクセレンに至っては割と初期から露骨に親愛の情を示してくれていたと分かっている。露骨にキスをしたり、隠す気が全く無かったのだろう。
そんな二人が友人として接しながら、反応を示さないユーゴとの立ち位置を窺っていたことも、彼は気付いていた。
「どうなんだろ。私とサラがおかしいのかもしれないし、相手が死体でも女ならオッケーなアレクがおかしいのかもよ」
「ハイ・レブナントになった者たちは多かれ少なかれそういう感情と行動を取り戻してる。彼に応える女性陣もそうだし、君もそうだ。俺だけが、ズレてる」
「……レブナントの常識は私達で作っていけばいいんだよ。ユーゴが自分を壊れていると思ってるなら、私達が治るまでいっしょに居てあげる。壊れてない状態も知らないのかと思ったけど」
「ありがとう。今まで無視してゴメン」
この感謝の気持ちは、まだ壊れた心のままだ。
だけど今の思いのままでも受け取ってくれる感謝を示したくて、ユーゴは彼女の肩を掴んで距離をあけると、彼女の唇をそっと撫でた。
心は動かないが、自分の中で彼女達が大切だという認識はある。だからせめて最後になるかもしれない今、少しでも何かを返したいと思っていた。
だが、エクセレンは次の行動に移られる前にスッと胸元からナイフを取り出し、ユーゴの唇に突きつけた。
「嬉しいけど、その続きはサラが帰ってきてからだかんね?」
「……分かった。すぐ戻ってくるよ」
■■■■■
ユーゴはエルヴィンに念話で指示を送ると、身一つでガラトナム城へと戻った。
エルヴィンと協力してマレタ市に送るメンバーと物資を選ぶと、睡眠も取らずに再び馬を駆って西へと出発する。
先行して出発させていた部隊に合流したユーゴがアシッド砦に到着したのは、日が暮れて月明かりのない新月の夜だった。