遭遇戦
戸を叩いていたのは金髪を短く刈り上げた戦士だった。
腰に下げた剣。鍛え上げられた肉体。普段着の下にしっかりと着込んでいる帷子。
ユーゴはそれらを一目で看破してなお、余裕を保っていた。この男より自分のほうが強いという自信があったからだ。
だが余裕はこの男が呟いた一言で警戒へと変わった。
「おっさん……いや。だが」
ユーゴの体を見て何事かをつぶやき、顔を見て否定し、そしてテーブルの上に置かれた魔剣を見た。
バナンが声を掛ける間もなく、戦士の体はテーブルを超えてユーゴに迫る。
ドワーフ達でさえ知らない工房を知って訪れたのだとしたらバナンの知り合いではあるのだろう。だが彼が誰とユーゴを勘違いしたのか考えるまでもない以上、粛清隊の人間が相手ならば迎撃する以外に選択肢はない。
テーブルについた右手を軸にして回転し、体を地面と水平にしながらの飛び膝蹴り。
全力で叩き込まれる膝にはプラーナを集中させて硬度を上げているのが分かる。今まで素手で戦った人間が居なかったので気づかなかったが、これがバナンの言っていた生属のプラーナの使い方なのだろう。
悠長に状況を分析するだけの余裕がユーゴには有った。となれば、迎撃が難しいはずもない。
ユーゴは敵よりも多いプラーナを肘に込めて、膝を受け止める。ぐしゃ、と骨の潰れる音がした。バランスを崩して床に落ちたのは金髪の戦士の方だった。
「待て、ユーゴ!ダレン!」
「"初めまして"、ダレン」
「黙れよ!」
ダレンと呼ばれた戦士は砕かれていない方の足で床を蹴り飛ばし、壁へと避難した。
ユーゴと距離を開けて紡ぐのは当然神聖魔法。
使うのは当然『浄化』の魔法だった。
(そうくるなら)
だが、ユーゴからしてみれば何百回と見てきた魔法である。魔法の骨子を構築する言葉は自分で実験できないので分からないが、魔法の肝を抑えることにおいてユーゴの右に出るものはいない。
ユーゴはバナンを警戒して貯めていた右手のプラーナを発射し、そのままダレンの頭部を穿った。
物理的な欠損は無い。だが大量のプラーナで構築途中だった神聖魔法を消し飛ばされたダレンの衝撃は尋常ではなかった。
「くっ……!」
視界が揺れ、敵の姿を捉えきれない。
このままでは殺される。
そう覚悟したダレンだったが、彼の想定に反してユーゴはとどめを刺さなかった。
「なぜ、俺を見逃す!?」
「こんな閉鎖された街で神聖教会の人間を殺してみろ。たちまち指名手配犯だ。俺達が街を出るまでの間はお前を生かしておいた方がいい」
だけど。
「場合によってはその後も生きられるぞ、ダレン」
相手の年齢は自分よりも上だったが、あえて上から目線の発言をユーゴは突きつけた。
その態度と声音は、慣れない大将扱いをされていた時とは違う。本物の威圧が自然と籠もっていた。
ダレンが息を呑んだが、当然ユーゴはそれには気づかないない振りをして言った。
「クラウドの仇を取ったという栄誉が、欲しくはないか?」
■■■■■
「で、私がいない間に話はまとまっていたということね?」
「それについてはバナンに言ってくれよ。粛清隊の奴が来たのも俺のせいじゃないし」
「申し訳ないとは思っているが、正体不明の怪しい旅人二人をいきなり工房にあげるわけにもいかん。すまなかったな」
「……もういいわ」
サラが帰ってきたのはユーゴがダレンと話をつけた後だった。
バナンがユーゴとサラの素性を知っていて。
実力差を見せられて抵抗心を失っているとはいえ部屋の中には拘束されていない粛清隊の隊員がいて。
ため息を一つはいてすべてを飲み込んだサラは、さすが最も古い仲間なだけあった。
とはいえ殺気を隠さないのも、ユーゴと一緒に生き抜いてきた彼女の用心深さの発露だった。
諸々を話してようやくサラが殺気を解放したとき、既にダレンは体中の水分を緊張の汗で出し尽くしていた。
「この男が本当に私達のことを黙っているなら、即席にしては素晴らしい計画だと思うわ」
「ありがとう。だけどその前提は絶対に保証できるものじゃない」
「……粛清体の仲間が、クラウドが死んだというのに復讐を諦めるなんて。そんな奴信用出来るかしら」
「出来ると思うよ」
サラの疑惑にユーゴは即答した。サラよりもダレンの方が即答する速さに驚いていたほどだ。
「なぜそこまで断言する?」
「お前は俺の頭しか狙っていなかった。この胴体を傷つけるつもりが無かったんだろう?」
椅子に座っていた隻腕の男を攻撃するのに、左側面の胴体ではなくカバーする範囲の少ない頭を狙うのは愚の骨頂だ。
ではこのダレンという戦士が弱いかと言えばそんなことは無かった。勝負は一瞬で決してしまったが、戦闘技術だけで言えばサラをも凌いでいるだろう。上手く翻弄出来ればサラが勝つだろうが相手には神聖魔法が有る。
トータルで考えればユーゴ以外ではレブナント軍で勝てるものがいないほどの猛者だった。
「それだけの実力者ならば、今まで腐れ谷の討伐に遣わされてもおかしくないはずだ。それなのになぜお前はドワーフの街で駐在官なんて職務についているんだ?」
それこそがダレンの中で、復讐心よりも深くに根を張っていた問題であり、だからこそダレンはユーゴの言葉に耳を傾けて動きを止めてしまった。
「……なるほどね。それで、あなたは何を彼に約束したのかしら?」
そしてサラにとって最も重要な情報は、取引の重さだ。
重ければ重いほど、それはダレンを縛る枷になる。
ユーゴは自信を持って言った。
「霧の魔剣を手土産にくれてやることにした」
「バカじゃないの!?」
サラが珍しく大声をあげて怒鳴った。
ユーゴは目を丸くしていたが、ダレンは首を縦に振っている。
「この魔剣は、どんな条件がついたって他人にあげてもいい物じゃないの!」
「取引条件はそうかもしれないけど、俺達にはもう必要ないだろ」
サラは相変わらず気炎を上げているが、ユーゴにももちろん考えがあった。
レブナント軍の最大の武器は倒した敵を接収することだ。敵を接収してゾンビを作り、同種族にぶつける。心理的なダメージも大きい、ゾンビという存在を最大限に利用した戦い方だ。
だがこの戦術と霧の魔剣は、すこぶる相性が悪かった。
「ドラゴンをゾンビ化する死霊術はエクセレンでも音を上げるほどだ。というか術者がドラゴンと同じくらいのプラーナを持ってないと無理らしい。
空飛ぶライオンくらいは手駒に出来るはずだ。となれば、敵は普通に倒したほうがいい」
しかもバナンに言わせれば霧の魔剣は剣としては三流も良いところな作りらしい。
その話をしたところ、バナンは二つ返事で義腕に合う武器まで作ってくれることになった。
「この世に二つと無い高性能な義腕に合う武器など、有るはずが無かろう」
だから自分が作る、というところは生粋のドワーフであった。
細部が詰められていない大雑把な計略だったが、筋が通っていないわけではなかった。
『……魔剣を手放してもそれ以上の戦力で居続けられる自信はあるの、ユーゴ?』
それは間違っても敵に聞かれてはならない確認であり、そしてサラの中では有り得てほしくない可能性だった。
かつての仲間であり恋仲でもあったクラウドが、終生で最後に頼みにしていた魔剣である。
クラウドへの恋慕が過去のものであっても。
ユーゴへの信頼と思慕が現在最も強いものでも。
乗り越えてほしくない、高い壁であってほしいものだった。
『大丈夫、約束するよ。魔剣が無くても俺はしっかり皆を守ってみせる』
裸一貫から一緒に成り上がってきた彼は、その全てを超えられると言ってみせた。
『……そこはせめて、"君"と言うべきじゃなくって?』
胸をしめつけられた八つ当たりを会心の口撃に乗せる。
ユーゴの反応に満足して、サラもついには首を縦に振った。




