失くしたもの
「このたわけものっ!」
「そうだそうだー!」
「そんなことないと思うけど……」
三者三様の声が、夜のガラトナム城の屋上で交わされていた。
無論、全員の息に酒精の匂いが混ざっている。
(どうしてこうなった……)
言われるがまま、なすがまま。
そもそもリリアーヌと話し合うはずだったのに、なぜ女性陣が大集合しているのか。
何もかも分からぬままユーゴは考えることをやめ、エクセレンと同じようにアルコールの分解を制御せずに酔うことにした。
レブナントは肉体の機能をプラーナで制御できる。レブナントにとっては常識なので、酒に酔ったりするような不利な状態は意識すれば避けることができるのだが、ユーゴは一人だけ素面で悩むほうが不利益だと判断したのだった。
もう少し冷静であったなら今も活動しているレブナントに念話で話しかけることで、なぜサラとエクセレンがこの場に現れたのかを聞くことが出来たのだが。
「情報を仕入れる前じゃったというから許すが、あのラトナムの麒麟児を相手に挑発行為じゃと?くるっとる!」
「リオンっていうんだろ。貴族なのに教会に出家して粛清隊の長をやってるってのは知ってる」
「甘い、甘すぎる。お主らも人間の領域近くにスパイを送り込むならもっとしっかりやらんか!
リオンという人物の名前はラトナム国だけではなく隣国のアーヴィアンからも聞こえてきおる。つまり国を超えた教会という組織を使って、貴族たちが国家間で連携を取る要がリオンという男なのじゃ」
「へー!やばいねー。じゃあラトナムとアーヴィアンの間の戦争が終わったのもリオンって人のせいなのかなー?」
エクセレンが適当に発言したが、リリア―ヌは機嫌よくその背中を叩いた。
「明察じゃ、死霊術の娘!」
「エクセレンだよー」
「うむ、エクセレンの言うとおり。神聖教会がとりなしたことで国家間の戦争は収まったそうじゃ」
「……で、肝心の実力はどうなんだ?」
肝を冷やしながら聞いたユーゴの間を、リリアーヌは正確に読み取っていた。
「名実ともにトップだという話じゃ。それが本当なら、その男よりも強かったじゃろう」
「ありえるのか、サラ?」
「まぁ、彼も歳だったから。それでも私と旅をしていたときよりは強かったけれど」
「つまりアーヴィアンとの関係が落ち着いたら、いつこっちに矛先が向いても……」
どれくらいで関係が落ち着くのか調べなければならない。酔った勢いでサラはエルヴィンに指示を出して念話を遮断した。エルヴィンとしてはとばっちりだったが、いずれやらねばならないことである。頑張ってもらおうと酒の勢いで丸投げされることになった。
「一年あったとしても、あっという間だろうなぁ」
「ここまで半年とちょっとで来れたのよ。なんとか出来るわ」
「あれ、サラにしては前向きだね?」
「もっと長い間、この体で守ってもらっていたもの。頭の方も信頼しているし」
サラがユーゴの二の腕を撫でると、空間がピリッとしびれた。
ユーゴが何一つ反応できないまま、リリアーヌが沈黙した場に本題を切り出した。
「肉体の方はともかく、頭の方の過去は知らんのじゃろ?
そうじゃ、元々それを聞きにきたんじゃ!ユーゴが異世界の知識を持っているのは分かった。その知識は必要な時に晒せば良い。それよりもユーゴが過ごしていた世界はどんなところじゃったのか、教えるべきじゃろ!」
「べきなのか?」
「……そういえば、私達は自分の過去を話したことがあるけれど、あんまり細かく聞いたことなかったかもね」
「べきだよー!」
話すべきだとして、ではいったい何を話したものか。
酒を口につけながら、ユーゴは自分の記憶を探った。
■■■■■
なぜ異世界の別人の肉体に宿った自分が、前世の記憶を持っているのか。
今までに何度かユーゴは考えたことがあったのだが、論理的な答えが導けるはずもなかった。
レブナントは脳ではなくプラーナ・コアに記憶が受け継がれているのだから、脳以外の何かが記憶を司り、世界を渡ったのだろう。そこには証明不可能な魂という存在を仮定するしかない。ユーゴは専門家ではなかったが脳科学で解決できる問題ではないだろう。答えの出ない思索に耽るような時間の余裕がユーゴにはなかったという事情もある。
そもそもこのような事を考えているのが、この世界ではユーゴだけだった。科学の発展していない世界ではプラーナ・コアと脳と記憶の関係など、考えも及ばない。
科学の世界。魔法のない世界。
そんな前置きを置いてから、ユーゴは酒の勢いのまま、思い出したことをパラパラと語った。
学校。法律。国家。惑星。宇宙。科学。学問。
湯水のように出て来る知識の山を、ユーゴのでっち上げだと疑う者は居なかったが、夜が明けるまで話し込んでも三人は不満げだった。
「のう、結局それはお主の知識にすぎんじゃろ」
「うん?そうかな?」
「そうじゃ。その争いのない世界で、お主にはどんな友が居た?どんな親じゃった?」
親兄弟から平和な世界で何を教わり。
どんな友と切磋琢磨して成長したのか。
剣と魔法のない世界で何を争いあったことがあるのか。
「あとはほら、嫁とかはおらんかったのか。宇宙とやらの話が面白くて聞き惚れてしまったが、そういうのがあるじゃろう!」
「嫁はいなかったけど、彼女はいたことがあるよ」
「どんな娘どんな娘?」
「ちょっ、乗り出すなよ、エクセレン!えーと、」
中学の時の彼女とはキスもしなかった。高校の時の彼女は、
「あれ?」
体内の機能を整えたがすぐに酔いは消えない。
だが頭がフラついているのとは関係なく、彼女の顔が全く思い出せなかった。
「どうかした、ユーゴ?」
「うん。初めて出来た彼女は17の時だった。髪は黒くて、サラみたいな長い髪をポニーテールにまとめてた、と思う」
「思う?」
ユーゴの話し方を不審に思ったサラが問い返した。
「彼女が居たってことは覚えてるんだけど、記憶が曖昧なんだ。親も……居たし、弟が居たんだ。だけど」
顔が。声が。何を話したのか。どこに行ったのか。
手からこぼれ落ちていた記憶があることに、今ようやく気付いた。
「ポニーテールは、こういうやつだったかしら?」
サラが髪を後ろでまとめて持ち上げる。
これが自分の好みだという認識はあるのに、やはり"彼女"の顔は思い出せなかった。
「うーん。それが好みだったのは覚えてるんだけど」
「そう。まぁそれが分かれば、無理に昔の話を思い出さなくてもいいわ」
「そうなの?」
先程までの食いつきようがなくなった三人を見て、ユーゴの方が逆に不安になっていた。
彼女たちが何を追求したいのか。自分がそれに応えていないことも分かっていたからだ。
「あなたの人となりを知りたかったのよ。記憶が思い出せなくても、今のあなたが分かればそれでいいわ」
「………そっか。そう言ってくれるとありがたい」
「転生者などという前例はないが、プラーナが認識されていない世界からやってきたのなら魂が削れてもおかしくなかろう。自分が失われていないだけでも御の字じゃと思わねばな」
「リリアーヌも。フォローサンキューな」
ユーゴは二人に軽く頭を下げた。
だが最後の一人は今だ酔いも抜けていない暴走娘である。
「いやー、剣も魔術も実戦も初心者でここまで上達するなんておかしいと思ってたんだよね。記憶が無くって常識とかブレーキが壊れてたならアタシは納得かな!」
「エクセレン……もうちょっと褒めるとか慰めるとかないのか!」
「半年とちょっと。さっきはあっという間だと思っていたけれど。ブレーキが無かったにしてもユーゴはおかしいわね」
「ひどくねぇか!?サラってそんなに褒めるの苦手!?」
「ユーゴ」
一人だけまじめな顔をしたままのリリアーヌは、もう酔いが抜けているようだった。
まじめに正面から見据えられ、それを見つめ返したユーゴは思わず身構えかけた。
リリアーヌの右手から伸びた黒い影が、ユーゴの頭に伸びたからだ。
けれど、サラとエクセレンの二人は全く警戒していなかった。
どんな気持ちでリリアーヌがユーゴの頭を撫でているのか、二人は良く分かっていた。
「二人の言うとおり、ユーゴの技術は素晴らしい。しかし何よりも……争いもなく平和な世界で不幸を迎え、恐怖に抗い続けてきたその魂は賞賛に値する。
プラーナを体の内に留めず触れることを許してほしい」
「……こうやるのか」
正面から褒められる気恥ずかしさをそらすために、ユーゴはまたも見よう見まねで技術の壁を一つ乗り越えた。
右手ではなく右手に重なるように通しているプラーナの流れ。
それこそがコアとつながっている自分自身であり、肉体という壁に遮られない自分の存在そのものだ。
それを知覚して操作するのは高度な技術だが、レブナントにしてみれば日頃やっていることと近しい。ユーゴは右腕から伸びる手で、自分の頭を撫でるリリアーヌの手を取った。
それが不躾な行為だと知る由もなく。
そして、それを教えてもらうタイミングは、かなり先になるのだった。
「……おい、エクセレン」
「はい?」
「今すぐユーゴの左腕を調べろ!!」
「無いものをどうやっ、って、えぇっ!?」
一瞬だけ顔を赤くしたリリアーヌをまじまじと見ていたら、その顔は一瞬で青ざめ、エクセレンへ厳しい声で指示が飛んだ。
先程までただよっていた雰囲気は霧散し、触れていたプラーナも既に消えていた。
慌ててユーゴの肩口に手を触れたエクセレンが、冷や汗をだらだらと滝のように流している。
「ごめん、ユーゴ。今まで気付いてなかった」
「左腕は治らないのか?」
「うん。治らないっていうか、"無い"」
エクセレン曰く。
コアが人間の形にプラーナを張り巡らせるから、レブナントやゾンビは人間の形を維持している。亜人もそうだ。死霊魔術はそれを整える補助をしている。故に人間と形が違いすぎる死体をゾンビ化させるのはエクセレンには難しい。ドラゴンなどは特にそうだ。
死体を修繕しているのもこの技術の応用だ。肉体が欠損してもそこにはプラーナが通っている。肉体をくっつけて、くっつけた肉体にプラーナを通せば、自分の肉体だと誤認する。レブナントはそのまま他人の肉でも操作できるし、ハイ・レブナントならいずれ肉体が馴染んで生体反応がしっかり通るようになる。
だがそれもこれも、全てプラーナ・コアからプラーナが伸びていたらの話だ。
「多分ドラゴンの攻撃は、物理現象だけじゃなくって強力なプラーナが篭っていたから」
「肉体だけではなく、プラーナとしても人間の形を欠損したのか」
「意識しても伸ばせないんだよね?」
「……うん、感触が全くない」
先程右手で体得した感覚が、左手には全く無かった。
ユーゴは少しだけ酔っていて良かったと思った。四肢を失っても、頭が斜めに斬り落とされても、恐怖を感じたことはなかった。それは治す方法があるからだ。
治すものすら失って、左腕がない不安感を酔いで誤魔化せて良かったと。既に半分冷静になっている頭でユーゴは整理をつけた。
「……主力のユーゴがこの有様では戦力強化どころではなかろう」
どうする?という水を向けられたサラは地平線を見つめていた。
東ではなく、北の地平線を。それを遮る山脈を。
「腕が治らないなら、違うやり方があるわ」
「本当か?」
「あら、私があなたを騙したことがある?」
「無いな」
「いやいや信じ過ぎだよ、ユーゴ!」
「そうじゃ!騙されてるのに気付いとらんたけかもしれんじゃろ!」
サラからナイフが飛んでリリアーヌのプラーナの壁がそれを受け止めた。
「どちらにしろ、私達全体の戦力強化のために行かなければいけないところがあるの。ちょうどいいから一緒に済ませてしまいましょう」
「行くってどこに?」
エクセレンの質問に答えるように、サラはラトナム山脈を指差した。
「穴蔵に閉じこもっているドワーフの所へ」




