苦難の季節
溶けるように暑い夏の日が続いていた。
土地全体が盆地であるために冬の日没が早い腐れ谷だが、夏の猛威は等しく訪れる。直上から降り注ぐ日光は地を照らし、ゾンビを照らし、レブナントを照らした。
整体活動を停止している肉は腐敗を早め、腐臭に釣られた蝿と蛆虫が増える。腐れ谷を訪れる冒険者は、冬はゾンビの、夏は絶え間なく襲い来る腐敗臭への対策が必須だった。
そして死体の軍団を引き連れるユーゴも、同様に夏への対策を迫られていた。
腐れ谷で幾周もの季節のめぐりを経験したサラは、常日頃警告していた。
夏は腐れ谷にとって試練の季節だと。
手駒のゾンビはあっという間に減っていく。肉がドロドロに溶けて人体の構造を維持できなくなり、プラーナコアが肉体を動かせなくなるのだ。しばらくはコアも残留するが、食事によってプラーナを摂取できなければ死滅するしかない。
だというのに、夏は最も冒険者が増える季節だったりする。春の農作業と秋の収穫期の合間である夏と冬は、手持ち無沙汰になった農民が冒険者として日銭を稼ぐ季節なのだ。ちなみに冬は凍死する危険性と雪に包まれた地域が身動きを取れないことが多いので、冒険者の数だけで言えば夏が最もアツいシーズンだったりする。
増える敵。減る味方。
その中でユーゴの取った作戦は……。
「将軍。全部隊のガラトナム城への収容、完了しました」
報告するエルヴィンはどことなく不満な顔をしていたが、ユーゴが黙ったままでいることに気付いたので報告を続けた。
「運搬中に奪われた物資はありません。サラ隊長の率いるスカウト部隊が追跡の形跡がないか確認していますが、人間たちはこちらの移動に気付いていないようです」
「ゾンビの数はどうなった?」
「東進する前から数えると三分の一ほどまで減っているようです。第一地区はほとんどもぬけの殻ですよ」
「この戦力で防衛しようと思ったら大変な事になってたな。サラ様々だ」
苦笑しながら立ち上がると、ユーゴは机の上に広げていた地図上の旗を動かしていった。
第一地区に残っているのは偵察任務についた僅かなレブナントだけだ。代わりのスケルトンやゴブリンゾンビなどは森林地帯に配置したまま動かさず、ユーゴは第一区画を完全に放棄していた。居住用に整えた砦も含めて、全てをありのままの姿にしてきたのだ。
「どうした。不満か?」
「将軍の作戦が理にかなっていることは理解しています。ですが、多少のスケルトンを投入すれば守ることのできた領地をみすみす手放すというのは、どうにも納得し難いです。あの土地には将軍達が作り上げたプラーナサーキットなどもあったのに、そう簡単に手放せるものだったのですか?」
「エルヴィン、一つだけ勘違いをしているみたいだから訂正しておく。俺達レブナントが支配するのは生き抜くための領域であって、土地そのものじゃない」
便宜上は領地って言うけどな、と言ったユーゴはあえて続きを説明しなかった。
彼の取っている戦略は前世の知識からくるものだが、彼自身はただの読者であり軍人ではなかった。奇抜な戦略がこの世界の人間の裏を取れても、細かなミスは必ず発生するだろう。そこを繕うのは現場に出ているレブナント達だ。
ユーゴが答えを教えるつもりがない、ということを分かっているエルヴィンはそれ以上の質問を投げかけなかったが、それはあくまで先程の不満の前半部分だけに限った話だった。
「ではプラーナサーキットなども放置してきたのはなぜなんです?さすがにあれを人間に知られるのはまずいと思うのですが」
「なぜまずいんだ?」
「プラーナの循環を意識した建築物は、今の人間国家には残っていません。あれは失われた偉大な技術なんです。それをみすみす……」
「そうだ。だからこそ人間達は勘違いするだろう」
きょとんとして首を傾げるエルヴィンの様子をみて、ユーゴも今度は説明を続けることにした。
領地や防衛戦術については自分でも思考できるだろうが、ゾンビの生産に関する概念などはいくら考えようとも思いつくものではないからだ。
「冒険者達は、第一地区に強力なモンスターが生まれたと認識していたはずだ。現に粛清隊もやってきたし、アシッド砦にも多くの冒険者がやってきていた」
「その通りですけど、勘違いではないですよね?」
「だが、奴らは自分から違う推測を持ち始めたらしい」
ユーゴは腐れ谷の外に出した偵察隊からの報告書をエルヴィンに開示した。他のレブナント達には他言無用だという命令を下しながら。
そこには神聖教会が国家間でやり取りしていた書簡の内容が写し書きされていた。
「教会の上層部は死霊術の研究成果から、死体がゾンビになる理屈を知っている。そんな奴らが国家間で協調して死体を増やさないように連携を取ろうとしている」
「生を尊ぶ教会としてはおかしくない発言ですが」
「大事なのは、やつらは昨年の異常事態を国家間戦争の死体を流しすぎたことと紐付けて考えてるってことだ」
そしてそれは異常事態の真実(異世界者の転生)を捉えていないが、異常事態の事実であるゾンビの大量発生の一因ではあった。
「そこに地下水道のプラーナサーキットという餌を与えればどうなる?」
「なるほど、それが勘違いですか」
「全部が間違ってるわけじゃないから勘違いってのもおかしいかもしれないけど、そういうことだ。そして毎年夏場はゾンビの減る季節だ。戦争もやめたことだし」
「腐れ谷の異常事態は鎮火したと思い込ませるんですね」
納得しました、と顔に書いてある素直さは指摘せずにユーゴは手を一つ叩いて話を終わらせた。
「さて、また誰かが報告に来たみたいだ。エルヴィン、お前は魔法の開発に戻ってくれ。兵数報告はエクセレンに任せろ」
「承知しました」
手駒を連れ帰ってきたうえに、将軍へ直談判に向かって戻ってきたのだ。同じような疑問を持つものには同じように説明をするだろう。ただし死霊術の束縛を受けて、話せる部分だけを。
情報統制を勝手にやってくれるであろう部下を送り出した司令室が迎えたのは傷だらけのオーガ・レブナントだった。
「レイキ、その傷はどうした!?」
「申し訳ありません。南への進軍ルートの開拓に失敗しました」
ユーゴの質問には答えずに律儀な報告をしたレイキは、全身の肌が爛れ落ちている。肉体の感覚をコントロールできるレブナントでなければ死を免れ得ない重症だ。
「開拓なんて失敗するのがほとんどだ。それよりもお前が勝てなかった敵について教えろ」
ユーゴは命令を使わずにレイキを問いただした。
その意図を正確に汲み取れているかは定かではないが、レイキは敗因を語り始めた。
「南の市街へ向かう途中、東に湖がありました。我々はそこを中継拠点にできないか調べていたのですが、湖に襲われました」
「水に襲われたのか?」
「ノーです、将軍。そこには湖の跡地を溢れるほどの巨大なスライムが」
ユーゴは彼女が敗北した理由を察した。
スライムのような肉を持たないファンタジックな敵は、魔法などでプラーナコアを直接攻撃しないとなかなか死ななない。腕力で戦うレイキでは相性が悪いにもほどがあった。
「……何人食われた?」
「三人が。内一人は詠唱中の後衛でした。我々を無視して……いいえ、酸を撒き散らしながらも一直線に魔法使いが飲み込まれました」
それはまたしても、初めて出会うタイプのモンスターの報告だった。
どうやって倒せるか。そのためにかかるコストと他のルートを天秤にかける。黙って考え込むユーゴだったが、レイキはあえてそれを遮った。それと、と続けて。
「あれはおそらく……ゾンビスライムです」
「スライムがゾンビ化したのか?」
「いいえ、逆です。スライムゾンビではなくゾンビスライムです。あのスライムは恐らく、溶けた腐肉で出来ていた」
「……検証はまた考えるか。とりあえずエクセレンの所に行って回復してこい。雪辱を晴らすのはその後だ」
頷いたレイキは足を引きずりながら部屋の外に出るとその場で倒れたらしい。投稿していた者たちが彼女を担ぎ上げて運んでいく音がした。
訪問者がいなくなった部屋は静謐に満ちていた。
ここはガラトナム城の中で最も位置の高かった部屋で、今は司令部として使われている。ドラゴンとの間に作られた亜人であるガラトナムにちなんで同じ名前で呼ばれているこの城は復興の真っ最中だ。
外からは修繕作業の音が聞こえるのに、部屋の中は沈黙で溢れかえりそうになっていた。
それもそのはず。ユーゴはこれまで三度に渡り南下の進軍コースを探索していたが、その全てが無駄に終わっていた。理由は簡単。でてくるモンスターが急激に強くなっていたのだ。
幽鬼はびこる市街。空には大鷲が。そして市街区を迂回しようと東側をぐるっと回ろうとすると山々に遮られ、やっと見つけたルートではゴブリンの腐肉で出来たスライムときた。
手を変え品を変える腐れ谷の歓迎にユーゴは舌打ちを打った。
自分の身が五体満足なら倒しに向かっているところだ。だがドラゴンとの戦闘で傷ついた左腕は一向に回復の兆しを見せていない。
エルヴィンには相手をコントロールしているように伝えたが、実際には印象操作くらいしか出来ていない。
もし今攻め込まれたら。
その恐怖は消えない。
早く、なんとかしなければ。
焦りをぐっと飲み込んで、席を立つ。
サラが帰ってくる前に、エクセレンと情報共有がてらにお茶でもしようか。
フラフラと司令室をあとにしたユーゴは、翌朝にサラが帰還するまで飲んだくれた。
エクセレンと床で寝ていたところをどれだけ叱られたかは、城につめていたレブナント全員が知っているので割愛することとする。