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ガラトナム(上)

 ドラゴンという存在の本当の恐ろしさをユーゴは一瞬で痛感していた。

 ブレスが強力すぎることは自覚していたのだろう。ガラトナムはブレスではなくその腕で敵を屠ろうと、力任せに城の床を叩いたのである。

 床が割れ、弾け飛んだ破片がぶつかった壁に穴が空き、戦場そのものがあっという間に崩壊していった。


『レイキ。あの状態になると、防御力も上がるよな?』

『もちろん。そうでなければ自分の体を痛めます』


 だよなぁとボヤキながら、ユーゴは全力を回避に傾けていた。攻撃にかけられるパワーは全く残っていない。ガラトナムは床下に沈み込みながらも次の攻撃を放っている。ユーゴは落下してくる瓦礫を足場にしたり、ソニック・バレットの反動で移動するなどして、ひたすら攻撃を避け続けた。

 一階にあったホールまでドラゴンは落ちていった。ユーゴは粉塵が巻き上がって視界のきかない階下を見下ろしながら、城中に念話で指令を送った。残っているゾンビ達をドラゴンに群がらせたのだ。


 無論ユーゴにも無意味であることはわかっている。おそらくは近づけすらしないだろう。近づいたところで鱗に守られた体に歯は立てられない。気を引くだけの囮にしかならないが、今はその僅かな時間が欲しかった。


「どうする、ボーヤ」

「ここで倒すしかない」


 ここでガラトナムを倒さなければ、外にいるレブナント達が全滅する可能性は非常に高い。逃げ込めても西の森までだ。炎のブレスで火事が発生してしまえば、熱源に弱いゾンビやレブナントは火に巻かれて逃げられなくなるだろう。

 だが、レブナントが全滅してもユーゴだけ生き延びる方法はある。

 ここから南か東に逃げれば、レブナント達が囮になって逃げ延びられる。

 しかし、これからどれだけ続くか分からない人生の間、ずっとガラトナムに怯えながら暮らすことになる。そんな生き方はまっぴらだった。


「逃げたボーヤを私が匿ってやってもよいのじゃぞ?」

「そんで、リリアーヌに飼われろってのか?」

「……ボーヤ。言うておくが、私とて人間の領域では生きてゆけぬからこの土地に隠れているにすぎん。どこでどう生きようと、必ず何かしらの制約のなかで生きるしか無いのじゃ」

「分かってる。そういう人生は俺も歩んできた。だけど、そういうのはもう疲れたんだよ。剣と魔法を頼みに自分の力だけで生きていける自由ってのは、貴重なものなんだ。だからこの自由だけは手放したくない」


 ユーゴが熱に浮かされたように語った内容に、リリアーヌは問を返さなかった。ゾンビ上がりのレブナントが、他にどんな自由を知っているというのか。それを知っているのならば、この男は何者なのか。

 それを話すつもりが無いユーゴからいつか聞き出してやろうとリリアーヌは思った。そしてそのいつかは今ではない。


「逃げ出さぬと?」

「もう二回くらい死んでるけど、逃げて心が死ぬくらいなら最後まで戦って死ぬよ」

「良かろう。死ぬ気でやる覚悟があるなら、ボーヤにあれを倒す方法を教えてやろう」

「そんなものあるのか?」


 だったら先に使ってくれれば良かったのに。

 溜息をつきながら、ユーゴは階下に目線をやった。崩れた床の先から聞こえるゾンビ達のうめき声は徐々に小さくなっている。残された時間は、あと僅かだった。


「舌を出せ」

「……は?」

「苦しくても飲み干せよ」


 飲み薬だろうか。だが(にが)い薬だろうが、勝利には代えられない。

 決意を固めたユーゴは一つ頷いてから、空を見上げて舌を出した。

 まさかその舌を吸われるとは思わずに。


「!!??」


 そして流し込まれる何かの液体。否、体液。いや、液体ということにしておこう、とユーゴは思った。そしてそんなことを考えられないほどの激痛が、全身を襲った。


「今飲ませたのは、私のプラーナを固めた黒い泥。本来は眷属へのプラーナの供給のために使われる手法じゃ。他人のプラーナを流し込まれたのだから死んでもおかしくないが」


 リリアーヌは胸を抑えてうずくまるユーゴの尻を蹴飛ばして、階下へと突き落とした。

 ついでにあとから魔剣も蹴落としておく。


「その力に馴染めたのなら、九死に一生を得られるじゃろう。気張ってこい、ユーゴ」



◆◆◆◆◆



 その苦しみは過去二度の死に比べても非常に痛く重かった。

 一度目の死に痛みの記憶はない。首が無くなっても数秒は意識というものが続くらしいという雑学知識はあったが、頭から吹っ飛んだので真っ暗な世界の中で意識が途絶えたのだ。

 二度目にクラウドに殺された時、敗北の悔しさはあっても死の痛みは無かった。

 三度目に霧に変えられた時も同様だ。崩壊の魔法を使ってクラウドを倒し、体を乗っ取った時も痛みはなかった。生の光に浮上するようにしてこの世界に戻ってきた。


 だが、今回の苦しみは本当に死ぬのではないかと危惧するほどの激痛であった。

 痛みで世界は白く明滅し、自分の体の感覚ですらつかめない。そんな世界から浮上するきっかけになったのは、声。


「気張ってこい、ユーゴ」

『ユーゴ、起きて!』

『約束したでしょう、ユーゴ!』


 三者三様の呼びかけに意識が浮上する。

 暗く深い意識の底から浮上する感覚と肉体が落下する感覚に呆然としていたが、景色が上から下に流ていることを認識すると、ユーゴは素早く空中で姿勢を整えた。

 ガラトナムの待つ一階の大ホールへと着地し、頭上から落ちてきた魔剣も手にとる。

 ユーゴは胸を張ってドラゴンを見上げた。

 ガラトナムは頭上から落ちてくる瓦礫を力任せに払いのけ、その瓦礫が壁を壊してまた土埃に塗れるといった様子を繰り返していた。知性を持って王として振る舞っていたなど、その姿から誰が想像出来るだろうか。それはまるで獣のようで、憐れみの感情はユーゴの中に二つの効果を及ぼした。


 一時、ユーゴは己の心が落ち着いたように感じていた。彼は本能のまま、ドラゴンとして生きられればあのようになっているはずだったのだ。それを制御出来てしまっていた人間の血というしがらみが、どれほどガラトナムを呪縛していたことか。憐憫の情が、そういった思慮深さを引き出した。

 だが、それは束の間の出来事だった。

 では、この身に湧いている力はなんなのか。リリアーヌがやったことをユーゴは理解していた。オーガと同じ、パンプアップだ。大量のプラーナをコアに流し込み、コアから全身に供給するプラーナを増加させる。一歩間違えば死にかねない方法をとったリリアーヌを問い詰めるのは確定だとしても、ユーゴの中には熱があった。

 これほどの力を持ってしても、今の自分はあのドラゴンと並ぶだけだろう。だが、彼は半分だけのドラゴンだ。世界にはまだまだ上がある。

 どこまで強くなれば、自由に生きられるのだろう。多分、どこまでも強くならなければならない。

 それが"進みし者"の手前なのか先なのか分からないが、ユーゴは胸の中の熱を自覚し、飲み込んだ。


「終わらせるぞ、ガラトナム」


 もはや彼は言葉を返さなかった。反響したのは獣のような叫び声だけ。

 ユーゴは魔剣を左手に握りしめて駆け出した。


 理性を持たないドラゴンは、己が傷つくことを厭いもせずに息を吸い込んだ。何度も見た動作だ。ユーゴはドラゴンがブレスを吐き出すよりも早く剣気を放って走り続ける。

 ブレスを吐こうと口を開けた瞬間、ドラゴンの口の中を剣気が切り裂いた。ブレスが吸い込んだ息を吐き出す生理現象ならばそれで止まっただろう。だが、ブレスは魔法だ。発動前に息を吸うのは空気中のプラーナを取り込むだけなので、呼気をとめても魔法は止まらない。

 ただでさえ負傷した口の中で暴れまわる白い炎に、ドラゴンが悶絶する。痛みをやりすごして目を開ければ、既にユーゴは目の前に迫っていた。

 左手を床に叩きつけるが、プラーナを足に貯めることで急加速したユーゴは容易くその下を潜り抜けた。振動をやり過ごすためにジャンプしたユーゴを、ぐるりと体を回転させたドラゴンの尾が狙う。


「ぐっ、ソニック……っ!」


 手の中で魔法(ソニック・バレット)を発動させて、逃げる方向を決めるような時間はなかった。

 ユーゴは己の背後で風に変化させたプラーナを爆発させて、無軌道にその場を脱出した。空中に打ち出されたユーゴを狙ってドラゴンの顎が迫る。

 人間は飛べない。詰みだ。

 どこかに残った理性で判断して、ガラトナムがにやりと笑った。


「おおおおっっ!!」


 悲鳴のような叫び声を上げたユーゴをガラトナムはどう思ったのか。彼の姿を捉えられなかったドラゴンの思いを知るものはいない。

 顎を閉じようと迫った一瞬で、ユーゴはあらん限りのプラーナを己の左手に注ぎ込んだ。

 プラーナを充填すれば、肉体は強化される。命の限界を超えることだってできる。

 だから、超えた。

 ユーゴの左手が自分でも知覚出来ないほどの速度と力強さで突きを放つ。ガラトナムの口内に発射された魔剣が牙を叩き折り、舌を口内に縫いとめる。

 だがこの致命傷でも魔剣の魔法は発動しない。魔剣の能力をガラトナムが大きく上回っているのだ。

 試行錯誤に時間を取られ、舌打ちをした一瞬は致命的だった。

 痛みを堪えるためか、攻撃のためか。ガラトナムの強靭な顎がユーゴの左腕を肩から抉り食った。


 お互いに重傷だ。だが武器を失ったユーゴの方が不利なのは明白だった。

 その時、がら空きになった胸がユーゴの視界に入る。

 着地してから走り出したら間に合わない。ユーゴはもう一度、今度は正確に狙いをつけて背中で風を爆発させた。

 砲弾のように飛行しながら、ユーゴは全身全霊プラスリリアーヌのプラーナを込めた右拳をドラゴンの胸に突き立てる。緑と黒の奔流を叩きつけてユーゴは叫んだ。


 消散。


 ドラゴンに手が接触した刹那、ユーゴは今度こそプラーナが敵の守りを貫通したこと悟った。そうなればあとはコアが崩壊するだけだ。

 ガラトナムがコアに抱えていたエネルギーは人間とは比べ物にならないほど膨大だった。人間に消散を使っても何も感じることは無いのに、窒息してしまうのではないかと思うほどのプラーナが確かにガラトナムから流れ出る。

 それはただのエネルギーでしかないはずなのに、ユーゴはなぜか彼の魂と目があったような錯覚を見ていた。

 彼の記憶、思い、そして最後に思った言葉。それらを投げかけるだけで放置して、ガラトナムという魂は完全に消滅した。


「あぁ、くそっ」


 何に向けたか分からない呟きは、倒れ込むドラゴンの巨体の振動音にかき消される。

 プラーナと知性と魂。すっかり馴染んだ異世界のエネルギーがもたらした奇跡と、まだ知らない可能性についてユーゴは考え込まざるを得なかったが、一人黙考する時間は当分先になりそうだった。


「よくやった、ユーゴ。ひとまず脱出するぞ?」


 影から現れた金髪の美女に抱きしめられながら、ユーゴはドラゴンの影へと吸い込まれていく。


「いつか、機会が有ったらな」


 遺した言葉だけが蛮族王の遺骸に寄り添って、その響きもまた、彼と共に世界から消え去っていった。

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