蛮族王の戦争(下)
鱗でびっしりと覆われた腕に飛び乗ったユーゴは、腕を駆け上がりながら鱗の隙間を目掛けて魔剣を振り下ろした。走る勢いを乗せて鱗を引き剥がそうと力を込めるが、鱗は微動だにしなかった。痛みはあるのだろう、ドラゴンはリリアーヌを解放して腕を振り回し、ユーゴをふるい落とした。
失敗だ。鱗を引き剥がして魔剣を突き立てればあるいはと思ったユーゴだったが、着地しながら次の狙いを探す。
空中のユーゴをドラゴンの逆の腕が狙ったが、そちらはリリアーヌの弾丸を撃ち込まれて動きを止めていた。
『サンキュー、リリ』
『たわけ!ボーヤの魔剣で霧にしてしまってはせっかくのこやつのプラーナが無駄になるじゃろ!』
感謝の言葉は遮られて叱責が飛ぶ。
『教えてやれ、サラ』
『ドラゴンの肉体は捨てるところが無いくらい有用よ、ユーゴ。余裕があるなら死体を残しておいて』
『クジラじゃないんだから……ってことは、ドラゴンの肉って食えるのか?』
『高価だから食べたことはないけど、食べられるらしいわ』
ユーゴは直接クジラ肉を食べたことがない。ベーコンのようでそこそこ美味と伝え聞いていたが、ドラゴンの肉なら味はともかくも食べてみたいと彼は思った。ファンタジーの肉である。
『ドラゴンの体は有用な素材だらけ。しかしその優秀な骨や鱗で守られたドラゴンを殺すには、その素材をいくつも壊さねばならん。ボーヤにそれが出来るのか?』
『出来る。それをやると、あいつをレブナントには変えられないんだけど』
『……さすがの私でもドラゴンをレブナントにする死霊術は持ってないよ』
エクセレンが白旗を上げたので、残念ながらこのドラゴンは倒し切るしかなくなってしまった。だが倒してしまってよいのであれば、ユーゴには思い当たる魔法がある。
目に力を込め、プラーナの流れを探して周囲を見回す。リリアーヌのプラーナが真っ黒なおかげで、竜に流れ込むプラーナがハッキリと確認できた。
ドラゴンの体内はプラーナに満ち満ちている。小さな流れなど判別できないほど、濃いプラーナの存在に目を凝らした。流れではなく濃さを見る。濃淡の違いを見つけるという初めての手法だったが、ユーゴは特にプラーナの濃い場所を見つけた。
『喉元のちょい下に、大きな反応が二つある。どっちかが火炎袋で、どっちかが心臓だと思うんだけど』
『火炎袋は特に貴重じゃ。どうにかして見極めい』
ドラゴンの巨大な腕を掻い潜り、時にリリアーヌの援護をもらいながら、ユーゴはドラゴンの喉元を凝視し続ける。しかしそこに違いはなく、目に集中していてはそろそろ限界だ。
『片方が火炎袋なら、試しに火を吐かせて見ればいいんじゃないの?』
『ナイスだ、エクセレン!』
リリアーヌの弾丸で攻撃を止めたところに、ユーゴは特大のソニック・バレットを叩きつけた。まっすぐぶつけるのではなく、下から上に向かって押し上げるような形で発生させた強風がドラゴンにたたらを踏ませる。
その一瞬で接近するかと思われたユーゴは、逆に後ろに下がってリリアーヌの隣に立っていた。
ユーゴは剣を背中に戻すと、両手にプラーナを手中させる。魔法だ。しかも周囲の温度を奪っている。ドラゴンはユーゴの狙いを看破し、大きく息を吸い込む。そして、吐いた。
高温の炎から身を守る用に、ユーゴは目の前に氷の盾を出現させた。
ドラゴンは舐められていると判断した。これまでのブレスは切り裂かれていた。まともに炎を受け止めていなかったのに、ここに来て氷の盾とは。炎を吐ききって、火炎袋に溜め込んだプラーナも全てを吐きだした。
氷の盾どころか床石まで赤熱するほどの高温の中から、黒い弾丸が飛び出す。今までの弾丸とは比べ物にならない巨大な弾丸だ。これを打ち出すための時間稼ぎだったのだろう。だがドラゴンは己の鱗がこの程度のプラーナには負けないと確信していた。
だから、黒いプラーナの幕の中から剣を持った戦士が飛び出した時、ドラゴンは苛立ちと、そして危険を感じて一歩を退いた。
空中ではたき落とされなかった幸運を感じながら、喉元に飛び込んだユーゴは左手の剣を鱗の間に差し込んで、右手をプラーナが濃い位置に当てた。
「くらえっ、消散!!」
エクセレンお得意の、プラーナコアを破壊する死霊術。
ドラゴンの鱗は剣のような物理的な攻撃だけでなく魔法すら防ぐのか、ユーゴは魔法が押し返される反発を右手に感じる。
「ふん、仕方のないボーヤじゃ」
自分の背後で何か恐ろしいことが起こっている。背中で脅威を感じ取ったユーゴだったが、振り返る余裕も勇気も無かった。ひたすら右手に集中して、魔法の形をとったプラーナを流し込む。
あと少しで鱗の先、皮膚の下に侵入できそうだという瀬戸際で、ドラゴンが大きくたたらを踏んだ。突風が数回連続でユーゴを襲い、ドラゴンの鱗に押し付けた。
「行っけぇ!」
腕をねじり込んだユーゴは魔法が届いた事を確信した。
おそらくは心臓の中に存在するプラーナ・コアが暴走し、全身のプラーナが狂わされているだろう。神経の中を電気信号が走るだけのはずなのに、コアを乱されて体をバラバラにされそうになる感覚を思い出す。この世界の神経回路は電気信号だけで動いているわけではないのだろう。
転がるようにして着地したユーゴは、突風で取り落としていた魔剣を拾い上げてドラゴンを見上げた。プラーナを目に集中すれば、体内のプラーナの流れが暴れているのが見える。
だが。
『ボーヤ、何をした?』
『いや、コアを破壊しようとしたんだけど。逆に元気になってる?』
プラーナの流れを目で追えば、先程よりも濃いプラーナが全身に行き渡り、激しく流れていた。
『エクセレン、何が起こってるか分かるか?』
『自分で見てないから分からないけど……消散はコアそのものを消滅させるんじゃなくって、過剰な動きをさせてポンプを壊す死霊術なんだ』
『エクセレン様。つまり、オーガの行う自己強化をもっと極端にしたものなのですか?』
横からレイキも口を挟んでくる。
彼女の発見によれば、オーガが克己心を強化するのはプラーナ・コアの出力を上げる作用の結果だったという。
それを更に過剰にさせることで青いオーガは身体能力を急激に向上させていた。
消散は更にその先、限界を越えさせる魔法だった。
『ユーゴのプラーナが、ポンプを壊すには足りなかった?』
『ということは、あのドラゴンは今、青いオーガと同じように強化されているのですね』
『だめじゃろそれはー!?』
リリアーヌが叫ぶと同時に、炎のブレスが吐き出された。
一目見て直感した。ヤバイ。先程までは赤とオレンジを混ぜたような燃えるような炎だったのに、炎の色が青白くなっていた。
ユーゴは一瞬で可能な限界までプラーナを込めた剣気を放つ。リリアーヌがそれに合わせて連続で黒い弾丸を打ち込むことで、なんとかブレスを打ち砕いた。
『自分の炎で口が爛れておる。貴様らの戦ったオーガがやっていたのはこういうことか』
『冷静に言ってる場合か?』
『ドラゴンとは普段からこれくらい荒れ狂うものじゃよ。半血故の知性で賢しらに立ち回っておっただけじゃ。むしろバカのほうが隙は見つけやすいというものよ』
その隙に攻撃できるかどうかは別だろうとユーゴは思ったが、あえて反論はせずにドラゴンを見上げた。
「まだ、意識はあるのか。蛮族王?」
「あああ当たり前だ、人間め!よく、よく、よくやってくれた!」
ドラゴンの口調が怪しくなっていることは、誰も指摘しなかった。それがこの過剰強化の代償なのだろう。
「これで、よよよよようやく我がが名を示すことが出来る」
「もう一度名前を聞こうか、蛮族王。俺の名はユーゴ。レブナントの軍団の長をやってる」
長という言葉を聞いて、ドラゴンの動きがピタリと止まった。
なるほど、と呟いたドラゴンが静かに押し黙る。
だが事態は急速に悪化していた。ドラゴンの内側のプラーナがどんどん濃くなっていたからだ。
「我が名はラトナムに抗する者。竜にあって竜に非ず、亜人を率いて復讐のために生きる蛮族達の王が、我だ」
ガラトナム。その名を吟味する余裕は無かった。
名乗りを上げた以上、ガラトナムは既にやる気充分だ。戦いで全力を尽くす必要があると、覚悟を決めたからこそ名乗ったと言っても良い。
力の頂点とも言うべき種族、ドラゴンの血を引く亜人の王が、暴虐の嵐となって襲いかかった。