蛮族王の戦争(中)
ついに出会っちまった。ユーゴはそう思った。
ファンタジーと言ったらドラゴンだ。この世界にドラゴンが存在していることは知っていたし、いずれは見てみたいと思っていた。
しかし、敵として目の前に現れたドラゴンの威圧感ときたら。想像と比較にもならない眼光の鋭さに思わず背がぶるりと振るえた。
寝そべった状態で数メートルはある巨躯。背後の壁に空いた巨大な穴。差し込む陽光を反射する赤の鱗は鋼など容易く弾くだろう。そして何より、睨みつけてくる銀の瞳と縦に割れた黒の虹彩。
異世界で自分よりも巨大な体格の敵とは戦って来たが、それはいずれも人型だった。まったく別種の、しかも人間よりも力を持った種族を目の前にすることのなんと恐ろしいことか。
わざとらしく自分の感じている恐怖を分析しながら、しかしユーゴはどこか心が弾んでいることも理解していた。
背なから剣を抜き、相手の目線にしっかりと正対させながら、ユーゴは問いかけた。
「あんたが蛮族王で間違い無いか?」
口頭と同時に念話を送ると、ドラゴンの瞼がピクリと反応した。
『戦士のくせに魔術による会話を嗜むか。思ったよりも多才だな、人間よ』
『お生憎様、人間じゃなくて死属だがな』
ユーゴが言い返すと、ドラゴンはがっかりしたように大きく息を吐いた。閉じた歯の端がチリチリと光っているのは炎のブレスだろうか。だが、それよりも溜息が気に食わなかった。
『レブナントか。我の配下を倒してきた人間の肉を楽しみにしていたと言うのに、腐っていては楽しめんではないか。もう一人は吸血鬼ときたものだ』
『勝手にすればいいさ。あんたが蛮族王でなければ見逃してやってもいいぜ』
ユーゴが挑発すると、間髪いれずに広間は火炎で埋め尽くされた。ドラゴンの口から吐き出された火炎が床一面に広がる。
リリアーヌは空中に浮いて逃げ、ユーゴは飛び上がって壁に捕った。
『いかにも、我が蛮族王だ』
『だがアンタは亜人じゃない』
亜人というのは人間が分類した生物学的なジャンルだとユーゴは聞いていた。そこには人型という前提がある。そして人間は四足歩行をしないものだ。
亜人を率いる王が、蛮族という名前を使っているだけではなかったのか。このドラゴンが成りすましており、本命がまだ他にもいることを心配して問いかけたユーゴだったが、蛮族王は眼を開いてユーゴを睨みつけた。
『食事にもならんゴミが、全て台無しにしおって。貴様はここで』
死ね、という雄叫びと同時に、ドラゴンが勢い良く"二本の後ろ足"で立ち上がった。人間用のサイズの城で、体長が5メートルはあろうかという生き物が立ち上がる。
するとどうなるか。城は崩壊する。
「くそ野郎!!」
「生き延びろ、ボーヤ」
リリアーヌは言うが早いか瓦礫の影の中に消えていった。反則だとユーゴは思ったが愚痴のために吐く息すらも惜しかった。今はない天井を見上げながら、ユーゴは落ちてくる瓦礫の上を駆け登る。
落ちてくるものは瓦礫だけではない。城に残されていた家具に、ガラス片。塔の上層部に控えていた亜人まで落下してくる。それらを躱しながら、できるだけ巨大な瓦礫を踏んでユーゴは上昇する。上へ、上へ、ひたすらに足を動かしながら、真横に開かれた竜の顎を見た。
(噛まれる?瓦礫ごと?)
違うと瞬間的にユーゴは悟った。こいつは強い生き物の肉を楽しみにしていたグルメだ。まさか石は食うまい。ましてや腐肉に噛み付くなど
答えは一秒後にやってきた。
「焼け死ね、死体めが!!」
「うおおおっ!?」
反射的に剣へと流し込んでいたプラーナを、剣閃と同時に放った。
数ヶ月の間に馴染んだ剣気の刃がブレスを裂いてドラゴンの喉元に迫る。しかし割れていく炎が口内に至る直前で、竜は顎をガチンと閉じた。剣気が鱗を強打したが、斬れた後はどこにも無い。
だが、収穫はあった。
(口の中は避けた)
プラーナを多く取り込むと肉体は硬化する。体を守る筋肉より柔らかい口内の肉に攻撃が効かないとしたら、魔剣の力も通用しない。霧の魔剣は対象を切り裂かないと魔法を発動できないからだ。
そうであったら撤退しようと考えていたユーゴだったが、勝機は見出せた。彼の思考は十割が交戦に傾いている。
瓦礫を駆け上り、ユーゴは空中へと飛び出した。いつの間にか塔を登りきっていたらしい。もっとも上から崩れてきたので高度はほとんど上がっていないが。
大地を見下ろせば、こちらを見上げる仲間たちの姿があった。否、ユーゴを見上げているのではないだろう。彼らの視線はユーゴの頭上を通過している。
『逃げなさいよ、ユーゴ!!』
エクセレンの念話がうるさい。返事をせずにカットした。
振り返りながら再び遠当てを放つ。呼吸をしようとした敵の口を塞いでいる間に、ユーゴは瓦礫の上に着地した。
『ユーゴ、ドラゴンのブレスは魔法に近いわ』
サラからの念話は苦言ではなくアドバイスだった。
『だけど、あれは物理現象だろう』
『竜の喉にある火炎袋は高価な素材として取引されてるの。ただし着火剤ではなく、炎の魔法具につかうコアとして』
原理を飛ばして実用例を示したのは成功だった。ユーゴは火炎袋なるものがどのようにして炎を生み出すのか検討をつけ、そしてそれは正鵠を射ていた。
つまり酸素を取り込んで着火するような仕組みではなく、プラーナを変換して炎を発生させる魔法なのだ。
ファンタジー生物だからどのような構造をしているのか気になっていたが、種を明かされてしまうとそれはそれでがっかりであった。
『ありがとうサラ。エクセレンも心配してくれてサンキュな』
返事は聞かずに、ユーゴはドラゴンに正対して向き合った。
これ以上は思考を割く余裕はないだろう。
四足歩行をするトカゲが、目の前で立ち上がっていた。当然寝そべった状態で全高よりも全長のほうが遥かに長い生き物なので、先程よりも頭の位置は高い。
「弱点を守りやすくするために立ち上がったのか?」
返事はない。ドラゴンは口を開くことの脅威を認識していた。
ユーゴも返事が欲しくて聞いたのではなく、元々独り言のつもりであったので、ユーゴの言葉に答えを返すものはその場に居なかった。
「そうではないだろう。奴が立ち上がるほうが先だったぞ、ボーヤ」
「あ、そうか。それじゃこの姿勢がドラゴンの一般的な戦闘形態なのか?」
影からするりと姿を表した金の吸血鬼は首を横に振った。
「竜は器用さを嫌う。後ろ足で立って手を使うという発想自体がイレギュラーじゃよ」
ユーゴはドラゴンが口を開いたら遠当てを放とうと身構えて観察していたが、蛮族王は微動だにしなかった。
だが、その全身から放たれる威圧感はどんどん強くなっていた。
敵の気配を感じ取るなんてバトル漫画のような能力だが、この世界ではそれほどの特殊技能ではない。怒りという感情で暴れてこぼれ出たプラーナが周囲に放たれているのだ。つまり物理的に蛮族王はプレッシャーを掛けていたのである。
「竜は強いものだ。腕を振るえば脆弱な動物は絶息して餌になる。ブレスの熱の中で生きていられる生物などほぼ存在しない。むしろ慢心するほど気が大きいものほど竜らしいのさ」
「詳しいな、リリアーヌ」
「もちろん。私は龍を直に見たことがある。しかも北のラトナム山に住む、原初の赤龍をな」
それに比べて、
「蛮族王とやら。貴様は確かに強いが、北からやってきた割には小さな存在じゃ」
リリアーヌの挑発にブレスが応える。
ユーゴは素早く剣を振るったが今度もまた防がれてしまう。
蛮族王の反応距離の内側に入らなければ致命傷は与えられないだろう。
「貴様、どうやって生まれた?」
「黙れ!!!」
蛮族王の極太な左腕が瓦礫の積み上がる床を勢い良く薙ぎ払った。
ユーゴは間一髪で空中へと避難する。交錯する瞬間に魔剣を叩きつけたがあっさりと弾かれる。
やはりどうにかして口内を狙わなければと考えながら着地したユーゴは振り抜かれた腕の行方を追う。しかしドラゴンの腕はリリアーヌが立っていた位置で静止していた。ドラゴンの腕は彼女を覆う黒いプラーナの球体を握りつぶすように掴んでいたが、内部のリリアーヌは動揺した素振りなど微塵も見せずにドラゴンを見上げている。
「図体ばかりが大きくて、力の大きさに比例して浅はかになる。人の血が入っても賢さは得られなかったか?」
『これが同じ亜人なのか?』
ユーゴの念話に鼻で笑って返した彼女は、右の手のひらを空に向けると黒い弾丸を生成した。
手首を振るだけで発射された弾丸は矢のような速度でドラゴンの腕に衝突する。
空気は震え、ユーゴは膝を落としてやり過ごしたが、ドラゴンもまた微動だにしていない。
『人型であるかどうかは人間の分類じゃが、人間との混血という意味では間違いなく亜人じゃよ』
『つまり、ドラゴンと子供を作った人間がいた、ってことか?』
『トカゲの交尾などどうでも良い。くだらん考察はこいつを殺した後に使役してしまえばよかろう。問題は私もこやつも、互いに防御が優れていて相手を傷つけられないことじゃ』
分かるな?とリリアーヌは目線で問いかけた。
つまり、ユーゴに楔になれと言っているのだ。
『俺はこいつの攻撃食らったら死ぬんだけど』
『私が協力するんじゃから、上手くやれい』
言うが早いか、リリアーヌは両手に黒い弾丸を作り始める。
ユーゴは捨て台詞を吐きながら、彼女を掴むドラゴンの腕に飛びついた。