玉座へ
それが咆哮だったと気付けたものは、レブナントの中には誰ひとりとして存在しなかった。
ある者は地震かと思い、ある者は城が崩れたのかと錯覚した。
そのいずれでも無いと気付いたのは、亜人達の視線が一様にとある塔に向けられていたからだ。
城の内から溢れ、外から雪崩こんでくるゾンビやスケルトンと戦っていたゴブリンやオーガ達が、その咆哮で動きを止めている。ゾンビに食われ、スケルトンの剣で体を貫かれてなお、動けない彼らを見て、サラがため息を付いた。
「悪い予想ほど当たるものね。貴方の世界にそんな法則があったんじゃなかったかしら?」
「つまりこのオーガは」
「蛮族王ではなかったのでしょうね。視線が城の……恐らく城主の間がある塔へ向かってる」
止まったはずの振動が再び始まったことで、レブナント達も事態に気付き始めていた。
ユーゴは念話で生き残りのレブナント達を西門の外に集めた。
全員が城を気にするなかで、代表して質問したのはエルヴィンだ。
「ユーゴ将軍。これはやはり」
「サラの予想じゃ、あのオーガは王じゃないだろうってことらしい」
「もっと悪いことを考えるなら、この叫び声を上げているのが王であるかも分からないわね」
サラの発言に、流石にそれはないと思いたいという諦めのような空気がレブナントの中に流れた。
すかさずエルヴィンが手を上げて注目を集めながら進言する。
「あとはゾンビとスケルトンの物量だけで押し切れます。ここで手を引いても問題はないでしょう」
エルヴィンの発言に全員が頷いてユーゴを見た。
リリアーヌと約束したのは亜人の数を減らすことだ。
決して蛮族王そのものを排除しろというものではない。
この戦争は勝利で終わった。
皆の頭の中に浮かんだそのフレーズを、ユーゴは肯定しなかった。
「あとはリリアーヌがなんとかするかもしれない。だけど、俺は蛮族王とやらに挑んでみたいと思う」
「な、なんで!?」
レブナント軍の中でもっともエキセントリックだと思われているエクセレンが、真っ先に素っ頓狂な声をあげて反応していた。
「なんでって、試しに挑戦してみるくらい良いだろ」
「試して死んだらどうすんの!?」
「もう死んでるんだけどな」
ガクンとうなだれたエクセレンの後をエルヴィンが引き継いだ。
「ユーゴ様。私は貴方に一軍の将、一国の主として立っていただきたいとお願いしたはずです。その貴方が、軽々と命を投げ出すのですか」
「投げ出さねーよ。なぁ、リリアーヌ?」
は?と全員が拍子抜けした顔をするので、ユーゴは踵で自分の影を踏んだ。
「……この状況で私に気付くようならば、まだ頭は冷静なようじゃな」
声がユーゴの影の中から答え、声だけではなく体もずるりと現れた。
金髪の美女。それは紛れもなくリリアーヌだった。
「既に私が戦う下準備は整ったようじゃな。死にかけたら助けに入るくらいはしてやらんでもない。好きなだけ挑んでみるが良い」
「そ、その助けに保障はあるのですか?」
「賢しい小僧よ。私は好きでボーヤを助けてやるだけじゃ。打算や計画を立てるならば、蛮族王を弱体化させた今、お主らは殺すべき存在じゃからな」
リリアーヌの発言に場が凍りついた。
「当たり前じゃろう。仕事は果たした。個人的な好意を除けば、お主らは私の砦を荒らしたエサにもならん死体共よ。今も私の好意で生きておるのじゃから、助けられる好意も信じられるじゃろう?」
信頼が重い。
内心で通じ合った部下たちはトップに視線を戻した。
だがユーゴに動揺はない。彼は自分達の立場も、リリアーヌにとっての利用価値も分かった上で協力を得られると考えていたからだ。
意見が翻ることはないと察したのだろう。サラとエクセレンは揃って溜息をついた。
「リリー。ユーゴを任せるね」
「ユーゴも無茶しないで、適当なところで諦めて頂戴」
分かった。
ユーゴとリリアーヌの声が揃い、同時に振り向いて城を見上げた。
◆◆◆◆◆
城の中は惨憺たる有様だったが、ユーゴにとっては見慣れた光景だ。リリアーヌからしてみると汚れが激しくて近寄るのも避けたいとのことだったが、足を止めるほどではないようでユーゴは文句を聞き流すだけでよかった。
「人間ならばまだしも、亜人。とりわけゴブリンやオーガの血では、彩りも悪かろう?」
ユーゴにはどちらも同じ赤い血に見えるのだが、ノーコメントで走り続ける。彩り"も"ということは、味ももちろん悪いのだろうけど。
リリアーヌは霧の魔剣に露払いを全て任せることにしたようで、ユーゴの後ろを追いかけるように浮遊しているだけで一切手を出さない。出すのは口だけなので、ユーゴは適度に会話を成立させながら亜人を霧に変えていく。
その中でユーゴはぽろりと口を滑らせた。
「リリアーヌ、あんたは蛮族王の正体を知らないんだよな?」
楽しく会話をするだけだったリリアーヌの目が静まり、口元がニヤリと歪んだ。
あぁ、まったく。ユーゴはため息をついた。彼女は同盟相手であっても、教師や保護者ではないのだ。もちろん、ユーゴ自身もそれを望んではいないが。
「あんたは腐れ谷の奥に引きこもってた。俺達が冒険者から得られていない蛮族王とやらの情報をどうやって仕入れたのか、気になってたんだ。もちろん」
「スパイはいる。しかしなぜ蛮族王のことを知らないと思った?」
「冒険者たちは急に亜人が移動したことしか知らなかった。その蛮族王に率いられてる亜人たちも、蛮族王のことは見たことがないと言っていた」
リリアーヌは感心したように笑った。
亜人達から情報を仕入れることは彼女にも出来ていなかったのだろう。
人間以外でもゾンビやレブナントに出来てしまえば情報源になるのは考えればすぐに察されることだが、あえてユーゴは情報を晒す形をとった。「言われなくても分かっていた」と後出しをすることは、彼女のプライドが許さないだろう。一つ貸しだ。
「私のスパイが蛮族王の側近でもなければ知り得ない、と。名推理だが、それがどうした?」
「正体を知ってるなら敵の情報くらい共有してほしいと思っただけだ。スパイの種を割るつもりもないし、あんたが情報を出し渋ってるんじゃなければ、それでいい」
敵の正体は知らない前提で始めた会話だ。収穫がないことはユーゴの想定内なので、ユーゴは会話を打ち切った。
彼の想定の外で、雑談でも人の評価はあがったのだがそれを知るすべなど無い。
「ここからは正真正銘、予備知識なしの戦闘じゃ。楽しみじゃの?」
「俺は不安でドキドキするのは好きじゃないね」
一際巨大な両開きの扉に辿り着いた二人は、自然と口を閉じていた。
城の中にあって門のように見えるその先は、恐らく王が座す間だろう。
「開けるがよい、ボーヤ」
「俺が先に入ってもいいのか?」
「私に手で扉を開けるような、下働きや兵士のようなことをさせるつもりか?」
「……はいはい。では、開けさせてもらいますよ」
ユーゴは両手で扉を左右に押し開けながら、玉座の間に踏み入った。
壁の何箇所かは壊れていて、日光が室内によく降り注いでいた。だから、ユーゴは蛮族王の正体から目を背けることが出来なかった。
玉座はなかった。
そこにあったのは平らに均された元玉座であろう直方体の台座と、その上に横たわる巨大な生物だけ。
全身を覆う鱗。背中に生えた翼。太くしなった尾。
「リリアーヌ。初めて見るんで教えてもらってもいいか?」
「ふむ。私も幻覚が見えているのではと疑っている。良いぞ」
「あれって、ドラゴンだよな?」