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覚醒の日

 上空を去っていく巨大な鷲を見送って、ユーゴとサラは屋根の上に伏せながら頷き合った。

 ネズミのような小動物ではなく大型の生き物を念で誘導するのには、二人が全力で集中する必要があったが、高空からのゾンビ爆撃は大成功だ。


『行くぞ、サラ』

『任せなさい』

『頼りにしてるよ』


 掛け合いは言葉少なに、二人は切り札が成功したタイミングに合わせて屋根上を走り始めた。

 リィンを押しつぶしたまま食らおうとしているゾンビへ、アーノが『浄化』を唱え始める。

 神聖魔法の発動には間に合わなかったが、そのがら空きの背中を目掛けてユーゴが屋根から飛び降りながら斬りつけた。

 落下の勢いも加わった剣は、アーノの右肩から左の脇腹まで、脊髄を折りながら深々と切り裂いた。


「そん、な」


 アーノは自分がどんな攻撃を食らったかを瞬時に把握し、しかし理解を拒んだ。

 ゾンビは生者に群がることしか知らないケダモノだ。生属のプラーナを求めて彷徨う、動く死体。脆弱な爪か、歯による噛みつきしか攻撃手段は無い。

 そんな存在が、武器を持って襲い掛かってくるなんてあり得ない。

 であれば、結論はひとつしか無い。


「レブ、ナン、」


 つまり、自分たちが本来倒すべき相手はゾンビではなかったのだ。


「大正解。ご褒美に、後で丁寧に食ってやるよ」


 彼女の最後の言葉に律儀に返事をして、ユーゴは彼女の首を半ばまで切断した。

 予定通り一人目を葬って、ユーゴは自信を取り戻していた。

 ここしばらくの敗戦も、全てはこの日、彼らが帰還する日の奇襲のためにあった。

 彼らに削られたのは文字通り腐るほど湧いてくるゾンビであったが、戦力がじわじわと削られていく持久戦は、ただの民間人だったユーゴには苦しい戦いだった。


 この鬱憤を晴らすべきは、今。

 ゾンビに押し倒されたリーダーと思しき女性は、ちょうど浄化された死体を横にどけている最中だった。

 ユーゴは一息でリィンへ駆け寄り、喉元に鉄剣を突き出した。


 手には重たい感触……しかしそれは人間の肉の感触ではなかった。

 目を凝らせば、剣先には凝縮された水のクッションが突き刺さっている。


「水の盾かよ、小癪だぜ!」

「黙れ。消えろぉ!!」


 両足が折れているリィンに逃げの手はない。かろうじて上体を起こした姿勢のまま、ユーゴへと右手を向ける。

 マズイと直感したユーゴは目にプラーナを集中させ、剣を前に突き出して盾とした。


「『浄化』!!」


 プラーナを集中させたユーゴの腐った眼球は、彼女の手の平から放たれた虹色の球体を確かに見た。


(これが浄化の魔法の正体か!)


 あまりのスピードに反応することは出来なかったが、球体は運良く剣に当たって弾かれた。

 同時に、ユーゴは背中に見えない冷や汗をかいた。

 これは確かに危険だ。何をしても敵わない、抵抗出来ないと思わせるだけのエネルギーが篭っていた。

 この距離では目視出来ても躱すことは出来ない。そう判断して大きく後退してから、ユーゴはどうしたものかと首をひねった。


「諦めて死を受け入れなさい」


 考えをまとめている最中にも、リィンは絶え間なく光球を飛ばしてくるが、さすがに安全なマージンを取れば避けられないことはなかった。

 ユーゴはゾンビとは思えない軽やかなステップで光球をかわし続ける。

 反復横跳びの要領で姿勢を崩さないように左右へ逃げ、リィンの視線と手を向ける先から常に体を逃し続ける。

 相手の魔力が切れるより先に、一発でも当たればゲームオーバーというスリリングな体力測定だったが、ユーゴはそれをこなしながらしっかりと対策を考えていた。


「これなら、どうかな?」


 リィンに向かって片手を突き出したユーゴは、手のひらにプラーナを集中させて、ある魔法を構築した。

 彼が最近ひそかに練習していた魔法の1つを発動させる。

 レブナントという存在だからか、はたまたユーゴが特殊なのか。

 詠唱すること無く直接プラーナに干渉して発動した魔法の効果は、すぐさま現れた。


「な、なに……なんなの!?暗闇!?」


 先程まで足が折れても冷静にユーゴを見据えていた瞳は、ぐるぐると回ってひとところに留まることが出来ずにいた。

 それは(めくら)の魔法。

 正確に言えば、相手の目を見えなくするのではなく、敵の眼球の周囲で光を捻じ曲げているのだが、姿を見られなくなれば結果は同じだった。


「やっぱり、目が見えなければ狙いはつけられないみたいだな」


 リィンはユーゴを狙うために照準をつけていた。

 つまり目で相手の位置を確認し、手を向けるという動作を必要としていたのだが、目が見えなければ狙われることはない。


「なんなの、光を操る魔法なんて、聞いたことないわ……そんなの有り得ない!!」


 リィンは最後にユーゴの声がした方向へ浄化の魔法を放ったが、既にその場にユーゴは居ない。

 足音を殺した彼は、既に彼女の背後に忍び寄っていた。


 リィンは自分自身に回復魔法をかけ続けていたが、暗闇は一向に晴れない。

 魔法は彼女自身ではなく、彼女の至近の空気に発生しているのだから当然だ。


 この世界の科学知識では、光の特性など分かるはずもない。

 ただでさえ混乱しているのだから、自分自身にかけられているのでなければ、魔法に気づくことはできない。

 ユーゴは無言で一言だけ祈った。

 イタダキマス、と唱え、彼女の胸に背中から刃を突き立てた。


 剣先が肉を割っていく感触が手に伝わる。

 激痛に体が震え、胸から飛び出した剣先を覆い隠すほど大量の血が飛び散る。

 そして、生者には見えないプラーナの奔流を、余さずユーゴは吸いとった。


 何度味わっても、止めることが出来ない、プラーナの温かみ。

 自分では温めることの出来ない冷えた死体を、熱が通り過ぎていく。

 慣れ親しんできた快感に身を震わせていたが、この日はいつもと違う変化がユーゴの肉体に起こっていた。


「心臓が……」


 間違いなく、ドクンと強く脈打った。

 それは二度、三度と止まらず続く。


 心臓が脈打ち、液体のない血管の中をプラーナが循環していく。

 全身に広がった熱が指先まで冷気を押しやる感覚。

 体の内からプラーナが湧き上がり、体中を満たしていく全能感。


「あ……は、はは……」


 ユーゴは奇襲であることも忘れ、抑えられない感動に突き動かされ、高らかに笑った。


「はははははっ!!」


 前線で戦っていた三人はゾンビとサラの波状攻撃に足止めされていたのだが、後方を振り向いてようやくリーダーがやられていることに気がついたようだ。

 このままでは彼らがやってきて、浄化されてしまうだろう。

 しかし、ユーゴには欠片ほどの焦りも浮かばなかった。


 分かるのだ。

 勝てる、という未来を確信せざるを得ない、それほどの力が湧き上がってくる。


『喰らえ』


 そう念じると、左右の小路や、街路の地下からゾクゾクとゾンビが現れて彼女たちとユーゴの間に壁を作る。

 彼女達粛清隊の生き残りは普段通りにそれに対処しようとしていたが、この日のゾンビはひと味違った。

 正確には、今、この瞬間からのゾンビは、だったが。


 血を失って白濁した腐った眼球に、恨みつらみ憎しみを乗せたプラーナが篭もり、呻き声は叫び声のほうに迸っていた。

 あまりにも苛烈で、普段とは違う荒々しいゾンビの様子に、三人は少しだけ後退して様子を見た。

 その冷静さすら、ユーゴに操られるとは知らずに。


 冷静に状況を把握しようと三人がそれぞれに向いた視界の中で、左右前後、それぞれにタイミングを変え、ゾンビ達は別々の動き彼女らに襲いかかった。

 先ほどまでとは段違いに精緻な操作と、獰猛さを植えつけた念の強さに、ユーゴは確信に加えて理性で現状を把握していた。


 今の自分は、脱皮しかけて外気に触れただけだ。まだ一歩踏み出せる。

 ゾンビからレブナントに成ったように、"進化"できる。


「最後の一歩、あと少しを、いただきます」


 剣を置いて、ユーゴは生前繰り返したように手の平を合わせて感謝を捧げると、躊躇なくリィンの唇を奪った。


「ん゛ん゛っ!?」


 そればかりか、ユーゴは彼女の腔内に溜まった血を舌で掬い、吸い上げて飲み干していた。

 血だけではない。彼女から発散されていく上質なプラーナを、一滴たりとも逃さぬように、吸い上げる。

 たっぷり数十秒続いたキスと食事で、リィンはその命を散らした。


 満足して空を見上げたユーゴは剣を手に取ると、ゆっくり立ち上がって足を踏み出した。


「ユーゴ……」

「やるぞ、サラ。アイツラを喰らえば、きっと君も同じになれる」


 この喜びは、独り占めするには勿体無い。

 以前より軽くなっただろうか。剣を二三振り直し、ユーゴは悠然と乱戦に踏み入って生命を散らせた。

 ゾンビ達を操作して隙を作り出し、丁寧に足を切り落とす。

 浄化の魔法の前にしっかりと壁を作って防ぎ、サラにとどめ譲る。

 あまりにもたやすく、枝に実った果実を毟るかのように、あっさりと戦闘は決着した。


 戦闘が終わり、プラーナの残りカスしかのこっていない死体をゾンビがぐしゃぐしゃと食む音の中で、ユーゴは腕組みをしながらサラの姿に目を奪われていた。

 ユーゴよりも損傷がひどかった彼女の肉体は急速に修復され、生前の姿を取り戻していく。

 脈打つ左胸に両手を重ね、歓喜に涙する彼女の姿は想像していた以上に美しかった。


 剥がれ落ち、青紫に腐れ落ちていた肌の穴がみるみるうちに塞がり、頭蓋骨がむき出しになっていた頭皮は、毛髪と一緒に復元していく。

 しゃがみこんで死体の一つから眼球を抉り出すと、サラはポッカリと開いた左目の穴に嵌め込んだ。

 じっとまぶたを閉じて待ち、再び開いた時、その目は彼女の意思に応じて動くようになっていた。


 腰まで伸びた青の長髪。澄んだ海の底のような明るい水色の瞳。

 切れ長の瞳と彫りの深い顔立ちは怜悧な性格を伺わせるものだったが、今は満面の笑みと、ちょっぴりの恥ずかしさで桃色に染まっていた。


「ど、どうかしら?」


 信じられないと言うように自分の手を見つめてから、サラはその手を差し出した。

 一瞬何のことかと質問しかけたユーゴだったが、その原因に思い当たってその手を握り返しながら微笑みかけた。


「綺麗だよ。おめでとう、サラ」

「ありがとう。アナタもカッコイイわよ、ユーゴ」


 鏡がないので自分でも気づいていなかったが、おそらく同じような現象が自分にも起きているのだろう。

 他に選択肢の無いパートナーとして始まった関係だが、この一ヶ月その関係は少し変わっていた。

 彼女はユーゴにとって唯一の仲間であり、味方であり、友人だった。

 そして今、それ以上の何かを感じた照れ隠しにサラはユーゴの胸に飛び込んだのだが。


「……とりあえず、水浴びでもしましょうか」

「……賛成だ」


 鼻をつまんで苦笑しながら、二人はいつもどおり、残ったリィンの死体を基地に持ち帰り、ゆっくりと体を休めるのだった。


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