敗者の尊厳(下)
「よくも俺の前に立てたな」
「それは私のセリフだ、臆病者め」
両手鎚を持ったオーガがこちらを睨んでいる。先程までの尻尾を巻いて逃げようとしていたのに、いざ戦うと決めると体の震えが消えている。プラーナを制御して意図的に恐怖から目を逸らすその技は、オーガなら誰でも生まれつき使えるもので、私も使える。だが、この浅ましい特技を私はあえて押さえ込んだ。
両手斧を握りしめ、同じように腰を落として精神を集中させる。しかし奴と同じように精神を高揚させる術はあえて発動しないように努める。
生まれつきの種族特性を浅ましいと考えるオーガは、あの母に育てられた私だけかもしれない。
「父親に歯向かうなんざ!」
「失敗だったろうね。アンタにとってはさ」
「あん?何が言いてぇ!」
私を教育した母はオーガではない。
人間だ。
オーガ達が持っていない様々な知識や知恵を、私は母から教わっていた。それらが"さながら"ではなく呪い"そのもの"だと私は理解している。理解しながらも拒絶できない知性を植え付けられてしまった。
その最たるものが、人間がゴブリンもオーガもエルフもドワーフも亜人と呼ぶ理由だろうか。
「母さんは私達を呪ってたよ」
あれは私が言葉を理解できるようになってすぐの頃だった。
亜人は同種族か人間との間にしか子どもを作ることはできない。
人間だけが、亜人の子を孕んで産めてしまう。
単なる知識として教え込まれた山に登り続け、ある時ふと私は気づいてしまったのだ。自分がどんな生き物で、人間としての母がどれだけ踏みにじられてきたうえに生きているのかを。
人間と交配した亜人は何故かプラーナコアの強度が上がる。そのためだけに産まされた子供が誰なのかを。
「魔法の縛りが無ければすぐにでもあんたの首を落としてた」
「だから服従の呪いをかけられたんだろが。その状態の人間の恨みなんざ怖くねーん、だっ!」
上段から振り下ろされる両手鎚を半歩下がって避ける。叩きつけられた地面が揺れるが、両手斧を横薙ぎに振るって反撃する。
「ハァぁっ!」
慌てて両手鎚の柄で受け止めた父親があっけなくバランスを崩す。
普通のオーガなら、もう一発全力で武器を振りかぶり、今度は逆に反撃を受けてしまうところだ。
だが、母さんに教わった人間の戦い方ではそんな隙は生まれない。思いっきり前に踏み込み、短く持った柄で相手の頭部を打撃する。
「ちまちまと!」
「母さんは、復讐を私に任せたんだ!」
教育の中で詰め込まれていく知識と傾向は、間違いなく私を作り上げた。オーガを殺すことに主眼をおいた戦士の出来上がりだ。子供の体格で戦いに出られるためという思いやりの皮を一皮剥いたらこの有様だ。母に仕込まれた私は復讐の道具そのものだった。
「クソックソックソッ!」
「利用するつもりで産ませた子供に殺される。器の小ささを思い知れ!!」
小技を積み重ねて姿勢を崩す人間の技をオーガの膂力で繰り出されては、並のオーガに勝ち目はなかった。
そう、この父はあくまで並みのオーガだった。
泡を吹きながら必死に固めた守りを突破され、武器を弾き飛ばされた父の足を刈る。完全に詰められてしまったことで、己に掛けていた魔法も解けてしまったのだろうか。尻餅をついて命乞いをする姿にツバを吐きかけたくなる。
もっともっと苦戦するような相手でいてほしかった。
ここまで磨いてきた技術は何だったのか。
怒りがふつふつと湧いてくるが、どうやってこの男を殺そうかと何度もシミュレートした結果、決めていた方法だけは忘れないでいられた。
「同じにしてやるっ!」
あの日。私が全てを理解して部屋に引きこもった翌日。
扉を開けたそこで、母は己の首に斧を落として命ごと断っていた。
あのメッセージを、私は忘れない。忘れたい。
だから叩きつけて、殺した。
「……ギャーギャーと、ゴブリン風情がうるさいね」
砂粒ほども達成感は感じられなかったが、私という自我が得ていた目標を達成したのだ。感慨に耽りたいところだったが、この場は今しばらくの間は戦場である。
地面に座り込んで集中している大将の様子を見れば、何か巨大なプラーナの流れと自分を繋げていた。オーガの亜人である私には魔術的なことは分からないが、あれはとても恐ろしい事のような気がする。母一人の思念に染められて育った私程度では触れた瞬間押し流されるだろう。側溝を流れる少量の水と大河ほどに規模が違う。
ゴブリン達も何かまずいことが起こるのは分かっているのだろう。ユーゴに近づこうとしていたがそれは周囲のゾンビ達に遮られている。自分たちと同じ姿をした死体の群れに怯み、食われ、ゴブリン達はその数を減らしていく。
オーガレブナントとなって以降、何度も経験した光景だ。その中で何をすべきかもまた分かっている。
「考え事は後だね」
今やるべきこと、それは死体を増やすことだ。ただし死体はこれから使う道具でもある。決して力任せに壊し過ぎてはならない。
大将の奮闘はそれから一時間ほど続いた。
死体だらけになった砦の中心で一際強く、緑の光が弾ける。一息ついた大将が立ち上がろうとしてよろけ、そばで控えていたサラ副将に支えられていた。
「随分と暴れたみたいだね?」
「そうね、発散させてもらったわ。そんなことより制圧は出来たのかしら?」
サラ副将の言葉に大将は首を縦に振った。
砦の制圧。否、砦を立てた一帯のプラーナの流れそのものを彼は制圧したのだ。
その証拠に、大将が目を閉じて何かを念じると、プラーナが死体に集まり始め、徐々に死体達が立ち上がり始めたのだった。
「レイキ」
呼びかけられたので武器を地面におろして私は彼の前に立った。
「一つ目の拠点でお前の願いはかなったみたいだが、どうする。いや、どうしたい?"素直に言ってみろ"」
「まだだ。足りない。まだまだ」
口をついて出たのはそんな言葉だ。
先程まで戦い続けても自分の中の虚無感に答えは見つからなかったが、見えなかっただけで答えは既にあったらしい。
バカバカしいそれを私は表明した。させられたといってもいいが。
「母の無念はまだ晴れない。まだまだ殺し足りない」
「そうか。根絶やしには出来んだろうが、蛮族王とやらのところまでは連れて行ってやるから、付いて来い」
「期待している、将軍」
私という復讐の道具を、彼はきっと使い切ってくれるだろう。
まだまだ私が終わらないことに安堵した。
オーガとしての私が終わり、オーガレブナントとしてのレイキの私を振り返るとき、私は始まりの日としてこの日の事を何度も思い起こした。




