敗者の尊厳(上)
アシッド砦を出発してから十日目の昼。
ユーゴ達はここまで支配下においてきたゴブリン達を使い、大森林地帯西部中央にある簡易砦への攻撃を開始した。
朝一に狩りを終えた亜人たちは現在食事の準備中だ。亜人たちが上げた炊飯の煙を狼煙代わりにして、砦の周囲に潜めさせた部隊を一斉に立ち上がらせる。
最初に攻撃を開始したのは砦の西側の部隊だ。砦は東西南北に門があり、どこを主攻としてどこから突破するのかが鍵である。その一手目はレブナント達の魔法攻撃だ。マリベル、エルヴィン、エクセレンの三人が火の玉を雨のように降らせる。
『ユーゴ様、西門部隊は予定通り攻撃を開始しましたが、木材は引火しないように工夫がなされているようです』
『魔法か?それとも素材か?』
『おそらく前者です。砦の上に杖を持った個体がきました!』
エルヴィンからの通信が途切れ途切れになる。交戦が始まったようだ。西門には魔術師達と人間のゾンビを配置させてある。彼らの目的は魔法で敵の守りを突破できるか確認すること。そしてもう一つは、囮である。
ゾンビたちは弱い。動きはのろまなくせに体は脆い。神聖魔法を喰らえば一撃だ。だからユーゴたちの基本戦略はいつだって本命を敵の意識の外から滑り込ませることだった。
その為に一番の武器となるのはなにか。それをユーゴは熟知していた。
ユーゴは南門を攻めるために配置したゴブリンゾンビ達を立ち上がらせる。
ゾンビたちの一番の武器はレブナントの指揮ではない。その証拠に、砦からは魔法で襲撃された驚きと飯時を邪魔された怒りの声が上がっていたが、それらを見た瞬間に悲鳴に変わっていた。
『ユーゴ様。砦の中は予想通り恐慌状態に陥っております』
『レイキ。お前も暴れてくるか?』
『……砦の主であるオーガが現れれば。しかしヤツがこちらに顔を出すことはないでしょうよ』
ユーゴがレイキと呼んだのは、隣に侍らせたオーガである。体躯は二メートルにやや満たないくらいだがオーガらしく肉厚なボディだ。特徴といったらレイキが女であることと、唯一自らの意思で降ったオーガであることだろう。
彼女以外の亜人は一人も従わなかったのでなぜ彼女だけを引き込めたのかはユーゴたちも分かっていない。彼女がオーガにしては珍しく魔術を扱えること。そして高い知性を宿していることが理由だと思っていたが、彼女の亜人に対する戦意は確かだったので、語りたがらない生い立ちについては聞き出さないことになっていた。
彼女の有用さと優先度は誰もが認識する所だ。今も彼女は砦の中で打ち鳴らされる鐘の暗号文を聞き取り、砦内部の動向をレブナント達に伝達していた。
『残念です。やはりヤツ自身は西門に出向いたようです』
『やっぱり"残念"か?』
『失言です。お忘れ下さい』
レイキはこちらに敵の大将が現れないと言っていたが、内心では己が手を下したいと考えていた。そしてそれをユーゴ自身も把握していた。
彼女の望みを果たさせて本格的に仲間に引き込めれば、今後の戦略は飛躍的に広がる。
その為には回りくどくも一計を案じるつもりでいた。
ここでレイキを西門に動かせれば事は容易いが、現在のレブナント達の中にはもう一人戦意を燃やして手を付けられない奴がいた。
あちらを立ててこちらも立てなきゃならない。リーダーの辛いところだが覚悟はできている。
『サラ、レイキの予想が当たった』
『好きにしていいのでしょう?』
『条件がある。敵のリーダーだけは見逃せ』
『私の要望にそぐわないじゃない。私に言うことを聞かせる条件をあなたが出しなさい』
むっ、とユーゴは考え込んだ。
サラと意見が合わないのは始めてだ。目標を定めて彼女と方針がズレたことはない。彼女の譲歩を引き出せる趣味趣向を全然知らないことに気づいて、ユーゴはため息を付いた。
覚悟は出来ている、と思ったが、それ以前の問題だ。知るべきことはまだまだある。覚悟を決めるのはその後だ。
『分からん。分からんので、とりあえずデートにでも行こうか』
相手の趣味は計画を立てる時に聞き出せば良いだろう。名案である。少なくとも本人はそう思った。
『……良いでしょう。まぁ、うっかり死ぬくらい弱かったらごめんなさいね』
『ユーゴ様!?サラ様が凄い勢いで飛び出して行きましたが』
『あー。エルヴィン達は気にせず威嚇射撃を続けてくれ。予定通り本命はこっちで行くよ』
今後の予定は狂ってきたが、戦闘は予定通りに進んでいる。
ゾンビ達は細かい計略を持っていないし、相手も無知な亜人なので相手の動きを計算して罠をしかけるのも難しい。
となると、ユーゴに出来る選択肢は一つだけだった。
『レイキ。全軍を突撃させろ』
◆◆◆◆◆
ユーゴが下した命令を受信しながら、サラは一人で宙を舞っていた。
比喩でもなく、敵に投げ飛ばされているわけでもない。飛び交う火の玉と迎撃の矢を回避しながら、彼女は文字通り空を飛んで砦の内部に降り立った。
その秘訣は、彼女が右手に持っていた一振りのナイフ。そう、リリアーヌが後生大事に保存し、逃げ出すときも手放さなかった一品だ。ユーゴの霧の魔剣と同じく、特殊な魔法を発動させられる武器である。
だが、このナイフの力は『空を飛べるようにする』というものではなかった。
それを知らないゴブリン達は、わざわざ着地して武器の届く地上に降りてきた彼女のことを笑った。
敵地に一人乗り込んできたのだ、殺さずに捕らえることもできるだろう。久しぶりに手に入る人間の女に下卑た笑いが響き合う。
くすりと笑った彼女が踏み出すと、全ての音が掻き消えた。
加速のために踏み出して一歩。
跳躍のために踏み込んで二歩。
武器を構えたゴブリン達の目の前で空を駆け上がったサラは、上下を反転させた状態でゴブリン達の首を切り落としていく。
「ギギャア!?」
「呆けている間に全部殺せてしまうかしら?」
空を歩いて斬り殺しにくる人間など始めて見た。あまりの光景に何が起きているか理解しようとしてゴブリン達がフリーズする。理解しなくてもこの女を殺すために動かなければならないと判断出来た頃には、既に味方が二桁殺されていた。
近くにいたゴブリンが斧を振り上げて、空中を走るサラを切ろうとする。
「残念」
しかし彼女ステップを踏んで一歩高いところに逃げてしまえば、空振りしたゴブリンの斧は味方の頭に突き刺さっている。かと思えば、逃げ回るつもりかと激昂しかけたゴブリンの正面に彼女は着地した。ゴブリンの体を駆け上がりながらナイフで首を切り裂いていく。足場にされたゴブリンは不可視の力で体を縛られてしまい、相打ちを狙うこともままならない。
駆け上がるための足場を固め、存在をつくること。それがこのナイフの能力だ。魔力を込めて相手を切れば、溶かして霧にするユーゴの魔剣と比べてしまうと派手さはない。しかもこの魔剣の力を使ったところで生半可な運動神経の持ち主ではその能力を活かすことは出来ないだろう。
だが、サラにはそれが出来た。
反転する世界の中で自分の位置と敵の位置を見失わず、縦横無尽に動き回る。足場にされたゴブリンが存在を固定されて動けなくなることまで利用して敵のド真ん中を駆け抜け、西門迎撃のために内部を動かされたゴブリンをあっという間に物言わぬ死体に変えていく。
「50。そろそろ大将が来るかしら。来なければ……いいえ、待ちましょうか」
大多数を相手にした開放的な空間での立体機動の試験が、サラの第一目的だ。ついでに戦果を上げられればなお良いが、最大の戦果である敵大将の討伐は新たに引き込んだオーガのために譲るべきだと彼女も納得している。
彼女からすれば戦う前から大戦果が手に入っているので、焦る気持ちは既にない。
「それに、我慢の限界のようね」
包囲の輪を縮めようとした瞬間にサラは地面と平行になるくらい低く走り出し、ゴブリンの攻撃を躱して空中に逃げ、上から横からゴブリンを切り裂いていく。
既にサラは大暴れをしすぎているくらいだった。砦の外を攻撃する部隊への増援が届かないので、しばらくすれば囮のエルヴィン達でも魔法で打ち勝ち、門を突破してくるだろう。悪化する戦況を止めるなら今しかないのだ。
この戦況を変えるために自分から攻め込んでくる気概があるなら、死なない程度に苛めて追い返してやろうとサラは考えていた。
「けれど、背を向けて逃げるような軟弱が相手じゃ、もう一つの実験にはならないわね」
サラのもう一つの目的は、人間よりも巨大な生物を相手にしたときの立ち回りである。オーガ達を統べる蛮族王については詳しい情報が無いけれど、オーガより小型ということはないだろう。下手をすれば五メートル級のトロルより更に強大なジャイアント種である可能性だって存在する。
踏み潰されたら死んでしまうような体格差で相手の足元をうろちょろするだけでは、サラは役立たずになってしまう。そうならないためにこの魔剣で"高さ"を手に入れて、自由に戦える必要があった。
背を向けて逃げたオーガの姿を目の当たりにして敵の戦意も落ちている。これ以上戦う必要もないだろうと判断したサラは、魔法を打ち込んでいるゴブリン種を狩って外へ逃げることにした。
南から響いてくる巨大な振動を感じて、なおさらさっさと引き上げようと速度を上げた。
ユーゴが南門を突破したのだ。もはや決着はついたも同然だった。
◆◆◆◆◆
いかに魔術的な対策を行っていたとしても、それがユーゴのプラーナコアの出力に勝らなければ塵芥と同じように雲散霧消するだけであった。
近づいてくる敵が人間の死体だと聞いて迎撃していたゴブリン達は、矢を放っていた相手が同族のア人であることに気づいて勢いを鈍らせた。中には知っている顔もあったのだろうか。ユーゴにはそれを知る術はないが、亜人に同族意識を持つ程度の知性があったことに感謝した。同族殺しや、自分も同じように鳴るのではという恐怖こそがゾンビの最大の武器だからだ。
この武器が通用してしまい、十分な数の兵力を有し、なおかつ魔剣で相手の砦ごとぶち壊せるユーゴを止められる存在はここには居なかった。
ゴブリンゾンビの群れに紛れて砦に到達したユーゴは魔剣一閃、門ごと消滅させることで亜人の士気を完全に粉砕した。
『進め』『喰らえ』『腹を満たせ』
この一年ほどで何千何万と繰り返した命令を発信しながら、ユーゴはゴブリンゾンビの群れに混じって砦の中央部に到達していた。
『レイキ。アレが何か分かるか?』
『……分かる。分からいでか!!』
西門の方角から泡を食って逃げ出していたオーガを見つけ、レイキは叫んだ。
その声に気づいたオーガはレイキを指差して何かを喚いていたが、隣に俺が立っていることに気付くと口を噤んだ。逃げ場がないことをさとり、背中にあった両手槌を握りしめて腰を落とす。どうやら、ここまで追い込まれてようやく戦う気になってくれたようだ。
『俺はこの土地を掌握するのに専念する。アレの処分は任せた』
『感謝を。私からも一つ、お願いがある』
『ちょっとなら良いよ』
『あのオーガは、このまま葬らせて欲しい。死属であろうと、魂が無くなろうと、あの男の欠片が残らないことを望む』
『それは俺が最初に命じた処分の範疇だ。好きにするといい』
にやっと笑った彼女は、大きくて鋭い牙を鈍く光らせて駆け出していった。
オーガの凄みに若干びびったユーゴだったが、気を取り直して陣地の中央で座禅を組んで座り込む。
やることは同じだ。
感知。
理解。
浸透。
掌握。
彼は気を沈めて自らの存在をプラーナの中に拡散させていった。




