奇策奇襲
日課であるゾンビ退治を終えてねぐらにしている教会へ戻ると、先頭を歩いていた女偵察兵のアーノが大声を出して教会内部へと突撃していった。
「ちょっと、アーノ!?」
いくらセーフハウスとはいえ、この腐れ谷に安全な場所などない。
教会には結界を貼っているのでゾンビ達は入り込めないとはいえ、単独で行動するのは危険な行為だ。
彼女の後ろを剣と杖を手にした女戦士と女魔法使い(ウィザード)が追いかけた。
見ると荷物置き場でアーノがナイフを振り回していた。
戦闘かと思って駆けつけると、彼女が切り刻んでいたのはネズミだった。
「まったく、焦らせないでよね!」
肩の力を抜いて、近くのイスに座りながらウィザードのルツェがため息をついた。
彼女の横に立って剣を鞘に収めたファイターのネッガーもまた、無言だが同じ気持を込めた視線をアーノに送る。
アーノはパーティーの中でも最年少の12歳だ。子供故の器用さとスカウトの修練のためにパーティーに加えられているが、ムードメーカーでありながらトラブルメーカーでもあった。
だが、振り向いた彼女の表情に子供っぽさは微塵もなく、悲痛な顔をしていた。
二人して顔を見合わせると、ネッガーが口火を切った。
「何があった?」
「うぅ、その……」
「私達はパーティーだ。ミスを咎めないわけではないが、お互いのミスをカバーしあう必要がある。一番困るのはミスを隠したり、ウソをつくことだぞ」
ネッガーは年少のアーノを諭したかったのだが、硬い口調は彼女をますます緊張させただけだった。
口を真一文字に引き絞ってしまったアーノをどうやって懐柔しようかと考え始めたネッガーに助け舟を出したのは、遅れてやってきたスカウトのエンリだった。
「……アーノだけの責任ではない、私から謝らせてくれ、ネッガー」
「エンリは悪くない!昨日の食事当番はボクだったじゃないか!」
食事、という言葉で全員が問題を理解した。
「ネズミにやられたのか」
食料袋を覗き込んで見るが、そこには何もなかった。
「ごめん、なさい」
アーノを殴るつもりではないが、ネッガーは不安と苛立ちで思わず拳を握りこんでしまった。
教会から与えられた正式な任務だ。冒険者を困らせているこの区画のゾンビを大量に駆逐する。目標数を達するのに順調なペースを守っていたというのに、食料が無くては予定していた期間まで滞在することが出来ないではないか。
そのネッガーの怒りを収めさせたのは、最後にやってきた金髪の女性だった。
他の冒険者然とした見た目のメンバーとは違い、彼女がまとっている鎧は教会のトレードマークである十字矛が描かれていた。
十字の左右と中央から、上方向に槍の穂先を伸ばしたこのデザインは、人間の街ではいたるところで目に出来るマークだったが、粛清隊のメンバーでこれを纏うのを許されているのは教会内部でも僧位の高い者に限られる。
つまり、彼女……金のロングヘアーを揺らす彼女こそがパーティーのリーダー、リィンだった。
ウィザードと軽戦士を高いレベルで兼任するマルチタレントな彼女は、パーティー内でも認められている。
リィンがネッガーの肩にゆっくりと手を置き、力を架けずに椅子へと座らせた。
「結界も貼っていたし、ネズミ避けをちゃんと仕掛けてもあるわ。出来る対策はとってある。誰が悪いわけでもありません。起こるべくして起こった試練だと考えましょう」
凛としたその一声、特に試練という言葉に、全員の不安が静まった。
リィン以外の4名は冒険者としての側面が強い。信心深さから神の声を聞いて神聖魔法を扱えるものの、本職の僧ほど神に自らを託せていなかった。
しかし、それも威厳に満ちた声で我を取り戻せば話は別だ。
焚き火を熾して全員がそれを囲むように座り込む。
火の温かみが身にしみて心の緊張が緩み始めた頃合いを見計らって、リィンは斥候達に質問した。
「アーノ。エンリ。この土地で任務は続行できそうですか?」
彼女たちが今回受けている任務は、信仰している神に仇なす存在への裁き。
具体的には昨今増加しているゾンビ達の駆逐だ。
腐れ谷が周囲の各国から死体を流される関係上、ゾンビを絶滅させられないのは教会の宗条上仕方のない問題であった。
しかし、ゾンビが増える事は避けられないが、増えすぎた害獣を減らすことは出来る。
一部隊とはいえ粛清隊の一員として、可能な限りゾンビを殺し尽くすべきだとリィンは考えていた。
数日先までの滞在を見越してコンディションを整えていたため、体は「まだまだ行ける」状態だったが、それも入念な準備あってこそである。
彼女の予想通り、二人のスカウトは表情を暗くした。
「……持ってきた食料は全滅した、ネズミなどを食らえばあと数日は戦えるだろうが」
「でも、こんなところのネズミじゃどんな病気を持ってるか分からない。二三日は戦えるけど、ここで野垂れ死んじゃうかもだよ」
そうだな、とエンリがアーノにうなずきを返す。
つまり、斥候兵二人の意見は一致しているということだ。
リィンは目を伏せて今後の動きを検討し、全員が彼女の言葉を待った。
既に掃除を始めてから10日。
元々の予定よりは早いが、十分な数のゾンビを駆逐している。
表向きの条件は達成できているので、帰還しても任務を放棄したことにはならない。
「明朝に帰還しましょう。神への奉仕は、こんな小さな仕事で終わるものではありません。生きて、帰りますよ」
死ぬまでここでゾンビ退治、という可能性も無いわけではないと思っていた他の面々は、リィンの判断にうなずきを返しつつ、少しだけホッとしていた。
神の名のもとに戦って殉教することが、危険な冒険に身を投げ込むよりも恐ろしい……というわけではもちろん無い。
無いが、ゾンビやネズミに食い荒らされて死ぬというのは、獣に瞬殺されるよりもなまじ酷い死に方だ。聖職者であっても、忌避するのはおかしいことではない。
少しだけ緩んだ空気、けれど冒険者としての緊張感は失わない面々に満足して、リィンは見張りの順番を決めていち早く眠りについた。
◆◆◆
翌朝。
ゾンビ達の唸り声が鳴り止まなかったのはいつも通りだが、今晩は久しぶりに襲撃もなく、家路につけたということで全員の表情は明るかった。
この陰惨とした土地を離れて、しかも任務を成功させて故郷に帰れるのだ。嬉しくないはずがない。
だからこそ、その気の緩みを自覚する彼女たちは、改めて敵を警戒して街道を北へと進んだ。
気が緩むのは自然な反応だ。その弱さを認識し、受け入れ、神に預けることで、気持ちを入れ替えて冒険者の本分へと戻る。
街路を塞いでいたゾンビをものともせず進み、彼女たちは幾度目かの戦闘に入った。
「リィン!前方にゾンビの集団だ!」
「……エンリ、ネッガー、前方の敵を足止めして下さい。ルツェ、魔法で焼き払って。アーノは周囲を警戒。増援は私が”浄化”の魔法で抑えます」
改めて指示は出しているが、ここ10日間ひたすら続けてきた戦術だ。
ゾンビを足止めして、そこに範囲魔法を打ち込んで焼きつくす。
万が一奇襲があっても、全員が死属を消滅させる神聖魔法で対応することが出来た。
彼女たちは焦り一つ見せず、いつも通りの戦闘を開始した。
当初の予定通り、前線は危なげなく敵を殲滅した。
後方のアーノがしっかりと左右の小路からやってくるゾンビを知らせるため、『浄化』で撃ち漏らすゾンビも出てこない。
いつも通りの変わらないルーチン・ワークだが、リィンは気を抜かずに残敵と味方の残り戦力を見極めようとしていた。
戦況を集中して見つめていた彼女は、視界が急にサッと暗くなったことに顔をしかめる。
(雨雲か……? 悪天候の中での走破は避けたいが……)
ただでさえ消耗戦を強いられる集団戦闘に、天候まで気にしなければならないとは。
疎ましさを覚えながら天候に思考を割いていた彼女だったが、決して油断していたわけではなかった。
だから、ユーゴが仕掛けた一手に気づけなかったのも仕方がない。
この奇襲は彼女が警戒できる範囲を超えていたのだから。
「リィン、避けて!!」
高空から落下してくるゾンビを支えきれるはずもなく、リィンは両足を折られ、地面に押し倒されていた。