久遠の魂
新しい体の性能でクラウドの戦闘力になんとかついていきながら、ユーゴは改めて黒い霧の実力に背筋をしびれさせるような興奮と恐怖を感じていた。
"黒い霧"の巨剣が一度振り回されれば、古びた石柱ごと全てが薙ぎ払われる。
人間を片手で捕まえて持ち上げるだけの馬鹿力で振り回しているのだからある程度の威力があるとは思っていたが、それにしてもこの破壊力は異常だ。
剣自体のサイズはどうみても、それほどまでに重たい代物には見えない。
せいぜいが十数キロ。両手持ちで使うほどの重さが見た目に無いのであれば、その剣は異常なのだろう、とユーゴはすっぱりと考えるのを止めた。
魔鎧と戦ったあとにつけたとある知識が、ユーゴに閃きを与えていたのだ。
「それが噂に聞く、魔剣ってやつか?」
「ゾンビー如きが博識だな」
「いやぁ、魔剣ならぬ魔鎧と戦ったんで、ちっとお勉強したんだ、よっと!」
その名の通り、魔の力が付与された剣。
見た目以上の質量と、斬った相手を霧に変えるのがこの魔剣の能力だろうかとユーゴは推測していたが、クラウドも強敵との戦闘に心が踊っているのか、口数が増えていた。
「貴様の考えている通りだ。霧の正体はこの魔剣さ」
「だろうよ。あの魔法をただの人間が思いつくとは思えねぇからな」
「なに……?」
まるで魔剣の仕組みを理解しているような言い草だったが、ユーゴはそれ以上そのことについて言及しなかった。
むしろ気になっていたのはその異常な質量のようで、粉になった石柱の残骸を蹴って宙に巻き上げながらそれをしげしげと眺めていた。
「分かんないのはそのむちゃくちゃな破壊力だよ」
「人間用じゃない金属でな、重さは見た目の何倍もある。まぁ、こいつを人間が握ると更に三倍以上の重さになる呪いが掛かってるんだが……」
クラウドは全身の筋肉をみなぎらせるとフルスイングで剣を床に叩きつけた。
脆くなっていた床が割れ、ユーゴは慌てて後ろに跳んだ。
「不足があるかい?」
「上等さ。殺し甲斐がある」
二メートルほどの恵まれた肉体と、第4位階にまで上り詰めた能力でなおこれ程の力みを必要とする魔剣だ。
彼以外にこれを扱える者など当然、居なかった。
「なるほど、黒い霧ってのがアンタの固有名詞なのも納得だね」
「そろそろ体でも味わって理解してみないか?」
「一回こっきりで十分だぜ」
しゃべりながらも、2人の剣戟は再開され、続いていた。
クラウドが筋肉に力を込める兆候を見て取り、ユーゴは攻撃を躱してから二度三度と斬りつける。
さすがに粛清隊が副隊長の葬儀で贈る剣だけあって相当な切れ味だったが、位階の差を埋めきる事が出来ているかといえば、役者不足だ。
浅く斬りつけることはできるが、一瞬間合いをとられて治癒の魔法を使われてしまえばかすり傷は塞がり、うかつに近付けば絶対に食らってはいけないカウンターが絶妙なタイミングで飛んでくる。
腹の傷は重傷なようで、それを治されように絶え間なく攻撃を続けるしか、ユーゴに出来ることはなかった。
「いつまでこのイタチごっこを続けるつもりだ、レブナント」
「もちろん、あんたの魔法力が尽きて、出血多量でヘロヘロになって死ぬまでさ」
「それまでレナの体は保つのか?」
「……試してみるか?」
嫌なところをついてくるものだ、とユーゴは舌を巻いた。
お互いギリギリで戦い合っているつもりだったが、相手にはまだまだ余裕があるように感じられてならない。
さっきは強気で敵を煽ったが、プラーナ・コアから送り出しているプラーナで無理やり体を動かしている以上、膝が割れても動き続けられるが、筋が切れてしまえば肉体は動かなくなる。
実際、最初に比べて肉体の反応が遅れている部位がいくつかあった。
足元の混戦はどうやらゾンビ側の方がやや優勢のようだ。しかし決着までは今しばらくの時間がかかりそうで、たとえ援軍が来たとしてもこの男の前では壁にすらならないだろう。
(どうあれ、自分で決めるしかないってことね)
トントンと靴のつま先で床を叩いたユーゴは、今までよりも更に素早く動き、自らクラウドに仕掛けに行った。
腕を切りつけ、避けざまに足を切りつける。
隙があれば首を狙い、隙が無くても身を削って肉薄する。
「そろそろ、オタクも奥の手を見せたらどうだい?」
「ガキが……慌てて攻めに回っているくせに良く喋る。だが……」
クラウドは床に魔剣を叩きつけ、石材を霧へと変える。
思わず後退したユーゴだったが何の異常もない。
顔を上げてみればクラウドがやや後退している。距離を開けるためだけの行動だったと理解したユーゴは、腰を落として剣を前に出し、突きの構えを取った。
相手が何か決め手を出してくるのなら、こちらもそれを打ち破れる最大の攻撃で備えるだけ。
「さぁ、後悔の懺悔は終わらせたか?」
「誰に祈るってんだよ」
「それもそうだな、では」
クラウドは"片手"で魔剣を下段に構えると、空いた左手を頭上にかざした。
その手で何をするのか、ユーゴはその結果を確認するつもりなど微塵もなかった。
そうでなくても最大の脅威は、あの魔剣だ。アレから目を離すことなど出来ないし、剣を片手持ちにしているのなら、それは紛れもない隙だ。
「おらぁっ!!」
ユーゴは気合をいれて床を踏み切り、一足で五歩の間合いを詰めた。
走るのではなく、文字通り飛ぶ勢いで迫る。
ユーゴの決め手は「平突き」。
相手に対して左肩を前に斜に構え、両手で持った剣を地面と平行になるように握る。
敵の肉体がどれほど強化されていても、骨の隙間を縫って剣を突きこめば勝負はつく。
逆に、この一撃が肉を通せないのであれば、勝ち目など無い。
逃げ場がない以上、勝てない道筋を考えても仕方がない。
だから、ユーゴは真っ直ぐに勝利を目指し、剣を突き出す。
「そら、プレゼントだ」
だからこそ、ユーゴは避けられなかった。
目の前に突出されたその"盾"を。
「サラ!?」
「か゛、ゆー、ゴ……」
突き出された剣はサラの腹を貫く。
その程度で彼女が即死することはないが、彼女の重みを受けて剣の狙いが逸れた。
「うおおおぉぉっ!!」
大きく姿勢を崩した2人に向かって、片手で振られたクラウドの剣が襲い掛かる。
「ぐぅっ!?」
「きゃあっ!?」
魔剣としては機能していなかったのだろう。
触れても霧になることはなかったが、剛剣はサラとユーゴの体を半ばまで切断して壁に吹き飛ばした。
ユーゴはとっさに壁になってサラを受け止め、剣を引き抜いて立ち上がろうとした。
だが、腹を半分失った状態では真っ直ぐに立つことも出来ず、剣を杖のようにしながらよたよたと数歩だけ前に出るのが、精一杯だった。
(ま、背骨が残ってるだけマシか)
苦笑すると、腹から十分に血がこぼれているのに口からも血液が溢れだす。
どうしようもなくピンチではあったが、クラウドの姿を確認してユーゴの表情は苦笑から笑みに変わった。
サラの重さで狙いは心臓から腹までズレこんだが、敵も無傷ではなかったのだ。
腹を抑えて膝を突くクラウドの姿は、傷が致命傷である十分な証拠だ。
棺桶の中から突き刺さった剣と同じ箇所に、サラの体重を乗せた剣がくいこんだのだ。
内蔵……恐らく腸にまで達している傷の痛みは、失神してもおかしくないほどの激痛だ。
さすがのクラウドでも意識をつなぐのが精一杯で、回復魔法も唱える余裕はない。
勝機はここにしかない。
ユーゴが剣を杖代わりにしながら前へ進もうとすると、彼の背後でずるずると這うような音がした。
上半身を起こして壁に寄りかかったサラが、何かをつぶやいていた。
『サラ……どうした?』
ユーゴは彼女に聞き返したが、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「うぅ……治癒……」
「回復魔法!?」
サラが真言を唱え終わると、ユーゴの肉体は見る見るうちに蘇生し、つながっていく。
肉体を回復させる神聖魔法は、死属が相手でも正常に効果を発揮する。
しかしそれは回復される側の話だ。魔法を行使する側はまさしく魂を削られることになる。
念話で言葉を送る事もできず、サラは床に倒れた。
『決めてくるよ』
ユーゴの声に、サラは確かに笑みを浮かべた。
それを確かめたユーゴは再び平突きの構えを取る。
クラウドも膝をついたまま両手で剣を握り締める。
「卑怯なマネをしてくれたツケは、払ってもらうぜ」
「……いずれにせよ、斬らねばならなかったのだ。面倒事はまとめて片付けたほうがいい」
「それが彼女に聞かせた最後の言葉になることを、後悔するんだな」
その言葉が動揺を誘えたのか、否か。
確認することなくユーゴは再び、突進した。
「せぇっ!!」
「ハッッ!!」
クラウドは全身に力を込めて鉄剣を振り上げる。
今までの中で、最速最強の一撃がユーゴを狙う。
視界の端でこちらを見つめるサラに内心で謝りながら、クラウドの剣先は確かにユーゴを捉えた。
ユーゴの……レナの肉体が霧散していくが、ユーゴには霧散の魔法が効きにくいのだろうか。
そういえば、と霧にするつもりが生首を残してしまったことを思い出したクラウドは、レナの遺体だけでも埋葬したいと思い、上半身だけで飛んでくるそれを受け止めた。
サラも、クラウドも。
終わったと思った最後の一瞬。
トン、と。
勢いを殺しきれずに突っ込んだユーゴの指がクラウド胸に届く。
それはここに居ない、彼女の秘術を進化させた彼の、彼だけの切札。
「『崩壊』」
「な、に、を、」
勝利を確信したときの高揚感が、胸の内からスッと消えたのをクラウドは感じ取った。
それだけではない。そこにあるはずの物が、無くなっている。ぽっかりと胸に空いたような空虚な感覚は。
その正体を理解した黒い霧は怒りを込めて、そして絶望と恐怖を振り払うために叫んだ。
「うおおおぉぉぉ!!」
返す太刀でレナの肉体を完全に霧に変えたが、彼の肉体はそこで呼吸を止めた。
◆◇◆
一日に二度。
人生で三度目の暗い世界の中で、ユーゴは必死に己を形作っていた。
今にも自分があやふやになってしまいそうな恐怖の中で、仇敵の胸に突き立てているはずの人差し指に己を集中させる。
エクセレンが使う消散の魔法を模倣した、ユーゴのオリジナル。
死して尚、プラーナ・コアを失ってなお、何故か魂が消滅しない彼だけに与えられた、絶死の好機。
消散はプラーナ・コアをただ散らすだけの力技だが、それを身をもって体験したユーゴは、更に丁寧にプラーナ・コアを崩す魔法を組み立てることが出来た。
それが、『崩壊』。
ユーゴは敵の肉体をプラーナごと乗っ取るためにゆっくりとコアを崩壊させる魔法を作った。実体としてどのように作用しているのかは確かめる術がないが、乗っ取りは上手く行きそうだった。
指先にプラーナ・コアの熱を感じて乗り移ろうとしたユーゴだったが、その熱の中にはまだ”彼”が居た。
『これが、お前の奥の手か』
思考だけで存在する刹那の世界で、この男は全てを理解したのだろう。
『霧に変えられても、レナの肉体に乗り移った奇跡の正体が、コレか』
正確にはユーゴの特性と魔法の特性は別なのだが、クラウドは今更ながらに、肉体をプラーナ・コアごと霧散させる霧の魔剣でも彼を殺しきれていなかったのだという事実を思い返していた。
この男のプラーナ・コアは、そこに篭った魂は、何故か消滅しない。
『アンタに殺された"おかげ"で、これに気付いたのさ。理由は分からないけどな』
ユーゴがそう言うと、クラウドは無いはずの臍を噛んだ。
反則ではないか。死属は死んでも動く存在だが、殺すことは出来る。
だが、この男は殺せない。
これでは、死属ではなく……。
『この事実を、なんとか現世に残る仲間に伝えてやりたいが……まぁ良い』
魂と魂で会話をしているからだろうか。
ユーゴは、そこに嘘も虚勢もないことが良く分かった。
『貴様、ユーゴと言ったな。いずれきっと、仇はきっと、我らの長が取ってくださる』
だからこそ、この男がそこまで信頼を寄せる人物に、ユーゴは興味を覚えた。
『そいつの名前は?』
『リオン・オブライエン。粛清隊の総大将にして、ラトナムの王族に名を連ねるお方だ。あの方は俺よりも遥かに手強いぞ』
『……楽しみにしてるぜ』
『フン、貴様が負けるところを、あの世で待っていよう』
闇に溶けていきそうな指先の熱を、ぐっと握りこんだ。
いずれ必ず出会うだろう強敵の名を記憶に刻みながら、ユーゴは掌からあふれる光に身を委ねていった。