信仰を掲げし戦士達
その日ユーゴは隠れ家に一人で篭って、魔法の特訓をしていた。
前世での知識では魔法の定義はゲーム一つ、漫画一つとってもそれぞれ異なっていた。サラに教わる前は「さぞ複雑な設定があるんだろう」と思っていたが、この世界の魔法は単純だった。
要は世界の根幹たるエネルギー、"プラーナ"を変化させる方法が魔法と呼ばれているのだ。
体外のプラーナを操作するには当然ある種の才能が必要であり、才覚あるものだけが魔法使いになれるそうだが、その知識は一般的に出回っていて、『自分が魔法使いかどうか試せる』程度の魔法はサラも見知っていた。
当然ユーゴも試してみたし、その結果としてロウソクに火が灯った瞬間は小躍りしたくなるほど嬉しかった。というか実際にした。
結果、魔法を使えないサラにキツク怒られてしまったのだが、それはまた別のお話である。
一ヶ月も命を賭けて剣を振っていれば初心者に毛が生えた程度の実力は身についてきたが、出来ることが多いにこしたことはない。
そのためにユーゴは前世の知識を活かした魔法の特訓をしていた。
サラが偵察から帰ってきたのは、ちょうど魔法の実験が成功した時だった。
どんなときでも冷静沈着な彼女が慌てて帰ってきたのでむしろユーゴの方が驚いていたのだが、机の上に広がっている実験道具を見て、報告よりも質問のほうが先にサラの口をついて出た。
「一体何をしてるの?」
「魔法の特訓だけど……」
「……そのフルーツを食べようとしていたんじゃなくて?」
ユーゴは机の上に、半分にスライスした柑橘系の果物をおいて両手をかざしていた。
断面は少しだけ泡立っている。沸騰の呪文でも試していたのだろうかとサラは一瞬だけ考えたが、そもそも死体は物を食べられないのだし、今は悠長にフルーツの食べ方を議論する時ではなかった。
「マズイ事になったわ、ユーゴ」
「軍隊でも来たのか?」
「それに近い。でも私達にとっては軍隊以上に恐ろしい相手よ」
深呼吸で空気中のプラーナを取り込み、気を静めてサラが言った。
「全員が僧侶の技能を持った、神聖教会の粛清隊が来てる。今日だけでも随分ゾンビがやられたわ」
「僧侶パーティーって、随分と極端だな」
技能という呼び方はこの世界独特の考え方だ。
ゲームでは職業は一つに定まっていることが多いけれど、当然複数の才能を持っている者が世界にはいる。ピッチャーとして天才でありながら、同時にバッターとしても天才みたいなものだ。
この世界で言うならば剣の扱いが上手いのに魔法を使えたり、偵察兵としての技術を持ちながら神聖魔法で傷を癒やせたり。
そのため、この世界で冒険に出る者の職種は"冒険者"で固定なのだが、それぞれの冒険者がもつこれらの職能は"技能"と呼ばれているらしい。
近接戦闘を得意とする戦士。攻撃魔法を扱う魔法使い。神から授けられた神聖魔法を使う僧侶などなど。
だが、全員が僧侶の技能を持っているというのは、ユーゴにはさほど恐ろしいことのように思えなかった。
偏った能力の部隊は、逆に言えば大きな弱点を抱えていることになるからだ。
射撃の名手だけで構成されたパーティーなら近づいてしまえばいい。
逆にどんなに歴戦の戦士だけでパーティーを組んでも、魔法で遠距離から攻撃されれば手も足も出ない。
神聖魔法を連発されれば大量のゾンビが駆逐されてしまうが、魔法は無限に使えるものではない。
プラーナを取り込んで転用するのには疲弊がたまるので、集中力を欠いて魔法が使えなくなるまで物量で押し切るなり、奇襲をかけるなり、いくらでも戦術は考えられる。
だが、サラは首を横に振った。
「正確には、ファイターやウィザードの技能を持ちながら、全員が最低限でも僧侶技能を持っているの」
「……なるほど、この前のパーティーの全員が浄化を使えるようなもんなのか」
そうなると、たしかに敵の驚異度は大きく跳ね上がる。
ユーゴは顎に手を当てて穴の空いた頬を指でガリガリと削り、目を閉じて作戦を考え始めた。
この1ヶ月、ユーゴは冒険者を襲う中で最も警戒すべきポイントは2つあると考えていた。
1つは、冒険者個人の力量よりも集団力とでも言うべきポイントだ。
スカウトやレンジャーが周囲を警戒する。襲われても先手を取って奇襲を許さない。たとえ奇襲されたとしても、バランスの良いメンバーが適切に対処する。
そんなパーティーが相手のときは、いくらゾンビを数多く操ったとしても獲物を取り逃す事があった。
2つ目は、僧侶の存在だ。
僧侶が扱う神聖魔法には、大きく分けて二つの系統がある。治癒など、プラーナの効果を正しく増幅する魔法。そして対死属・不死者向けの攻撃魔法だ。
言うに及ばず、対死属用の攻撃魔法はユーゴ達にとって天敵と言ってもいいほどの存在である。
"浄化"の魔法を食らえば、全身にプラーナを送り込んでいる核である"プラーナ・コア"が崩壊し、即座に成仏させられてしまう。
サラが出会った時に「介錯してやる」と言っていたのはこのコアの破壊を意味していた、というのは後から聞いた話だが。
ともあれ、これら二つの驚異を、両方共備えた敵がやってくるというのは、確かにこの相棒が慌てるだけの事態だとユーゴは納得していた。
「サラ、質問がある」
「何かしら」
ユーゴが思考していた時間はそれほど長くなかったはずだが、サラは息を整え、顔を上げてユーゴの視線と質問を受け止めた。
「まず、俺達がここから逃げ出すことは出来るか?」
「可能だわ。だけど、それが良い結果に繋がるかと言われると、微妙」
「……理由は?」
「腐れ谷は冒険者に侵攻されていない奥ほど、強力な死属がいる。私達がただのレブナントのまま奥に逃げ込んだら、今度は奴らの奴隷にされるだけ。下手すればその場でプラーナを食われてあの世行きよ」
ゾンビにもあの世があるのか、と疑問に思ったユーゴだったが、恐らくプラーナを通した慣用句の意訳だろう、と納得して現実の問題に目を向ける。
彼らがゾンビに(正確にはレブナントに)身を落としてまで生き延びているのは、自由に生きるためだ。
誰かの奴隷になる、という選択肢は彼らにとって死と同義であり、選択肢になってすらいない。
「なら、戦うしかねぇな」
あっさりと断言したユーゴを、サラは怪訝に見つめていた。
それが難しいことは、この数日一緒に戦ってきたユーゴも熟知しているはずだった。
無能なゾンビを誘導するくらいの戦術では、恐らく彼らは倒せない。
神の声を聞いて神聖魔法を操れる僧侶は、だいたい1パーティーに1人いれば真っ当なのだが、そんな冒険者達が、5人で徒党を組んでいた。
「策があるならまだしも、特攻でも仕掛けるつもりなら、話には乗れないわよ」
呆れたような声音で言い放っておきながら、サラは自分の抱えている感情に内心驚いていた。
策があるなら、この状況で戦ってもいいと、自分は思っているのだ。
そして彼は、腕を組みながら、ニヤリと確かに笑った。
「もちろん、策はある。でも一朝一夕でなんとかなる策じゃないから、時間稼ぎは頼むぜ」
頬は腐り落ちて表情は分からないけれど、生前の彼はきっととびきりいやらしい表情で笑ったに違いない。
思わず口角の上がっていた自分は棚に上げて、サラはやれやれと肩をすくめた。
その後、二人は長い作戦会議を経て、粛清隊との長い持久戦にかかることになった。
◆◆◆
信仰の名の元、粛清のためだけの部隊というだけあって、彼らの働きぶりは非常に精悍で、残酷であった。
日々ゾンビ共を虐殺し続ける。朝も昼も夜も、仕掛けてくれば必ず殺し、何もなければ自ら殺しに行く。
おかげでユーゴ達が配置していたゾンビはことごとく潰されていた。
散発的にゾンビをけしかけたり、夜襲朝駆けを試みていたが、そのどれもが不発に終わったのは、彼らの"狩り"が非常に丁寧だったからだ。
この腐れ谷が敵地であることを、粛清隊はしっかりと理解していた。
街区にある教会を中心に、一定の範囲内でリスクを侵さない安全な狩りを続けていたのだ。
ただでさえ強敵なのに、常に余力を残し、襲撃を警戒する。
驕らない強者相手にちょっとやそっとの奇策は通じず、10日あまりを費やした戦績は全敗だ。
こちらに知恵があることを悟らせないように戦闘から情報を集めながら、川に流されてくる新たな死体をプラーナの貯まる場所(主に墓場)に運んで味方を増やす。
減っていく戦力と、増やした戦力。
仕掛け時のデッドラインが間近に迫ってきた10日目の夜。
ついにその日がやってきた。